開戦
魔王城からやや離れた、荒地。魔王様のゲートから一番近い街までギリギリ間に合い、街の人たちを避難させた後、どうにか勇者一行を街外れのそこまで誘導し、勇者一行と魔族軍は対戦となった。
勇者一行はわずか6人、それですら先に着いた私の軍では重傷者が多数出たけれど、幸い、予想より早くジョーゼフの軍が来てくれた為、死者はゼロ。
魔族軍の数は約千人ほど。約八割はジョーゼフの軍、ジベットの軍はわずか二割ほどだった。
対戦向きでないのに、それでよく時間稼げたよ皆。私は誇りに思う。
とはいえ、数は多くない自軍の隊員達に指示を飛ばしながら、戦況を伺うものの、舌打ちをしたくなった。
明らかに人数で勝る魔族軍は、ジョーゼフの軍が加わってから、皆が皆確実に勝利を確信していた。にもかかわらず、1時間経っても敵一人すら戦闘不能に持ち込めていなかった。
それどころか、初めほど優勢だった魔族は、時間が経つにつれ戦闘不能者が増え、体力的にも数的にも追い込まれていた。
というのも、大きな誤算があった。
6人のうち、両手杖を抱えた小柄な少女だけが浮いていたのだが、それが厄介だった。
その少女は、白魔道士、言い換えると癒術師であったのだ。
癒術師という存在を知らなかった訳では無いが、書物には遠い昔に絶滅したと記されており、まさか生き残り、それもあれほど幼いとは思っていなかったのである。
そして、もう一つ。癒術師にもピンからキリまでいるが、その少女が高位の癒術を扱えていたのも痛手だった。
先程から、何度も勇者一行に傷をつけてはいるが、つけた先から瞬く間に治されてしまい、それどころか、体力さえ復活している始末。
人間なのに魔族にも勝る体力なんて化け物か、と思っていたけれど、なるほどそれなら納得が行く。
失敗した。救護隊である自軍の13番隊も連れてくるべきだった。それでも、彼らは癒術師でない為、間に合うかどうか分からないけれど。
やられた、と思いつつ両手杖を振り続ける少女に目を向ける。
「………先にあれを潰すべきかしら」
でないとキリがない。けれどそれが中々難しい。
癒術師の背後には森。彼女の前には魔道士と弓使い。
先から、卑怯とは思いつつ自軍の隠密剣士を何人か背後の森から仕向けているのだけれど、剣を振りかぶった状態で魔道士に炎やら雷やらをぶつけられ、全て重傷を負っている。
どうやらあの魔道士も癒術師と同じく高等魔道士。彼らの周辺に見えない結界でも張り、それに触れた者を攻撃しているのだろう。
どうせバレるのなら、これ以上部下を危険に晒すより、真正面からぶつかってやろうじゃないのよ。
と言うものの。魔道士は先言った通り、そしてあの豊満な胸を揺らしつつ弓を引く女とて、中々な弓使い。
何故弓ひとつで三本もの矢を射れるのか。そして何故それが全部命中しているのか。
仕方ない。ここは一人では無理そうなので。同僚に協力を仰ぎましょうか。
少し離れたところで指示を出していたジョーゼフの元へ駆け、肩をつかむ。
「癒術師を先に落とすわ。私がやるから、援護頼める?」
しれっと、何食わぬ顔で言ってみせると、何言ってんだコイツみたいな顔をされた。失礼な。
耳ほじってるけど、聞き間違いでも無いわよ。
「お前な。アホか?あっちだって馬鹿じゃねぇ。癒術師がやられりゃ終わり。それが分かってっから一番後ろで魔道士と弓に守らせてんだろが。近づけやしねぇよ」
「えぇ、そう。近づけないの」
よく分かってるんじゃないの。
あっさりと認めた私に、ジョーゼフが間の抜けた顔をして、正気か?と呟いた。
えぇ、正気ですとも。
ちょっと、おでこに手を当てようとしないで。熱なんかないわ。
「近づけないだけ。魔道士も弓兵も遠距離でしょう。近づいてしまえばコッチのものよ」
「……………お前ガチで言ってんの?」
さっと青くなったジョーゼフに、にっこりと笑い返す。そして、腰の刀を一振抜くと、彼に背中を向けて走り出す。
話は終わり、問答無用で協力してもらいます。援護の手段は問わない。
優しい同僚は私を見捨てることはしない。そう分かった上での強行手段だった。
「おまっ!!………だぁもう!!」
後ろからジョーゼフの慌てた声が聞こえるけれど、振り返らず、地面を蹴る。
嬉しいことに、足の速さではジョーゼフに勝っている。
癒術師の近くには二人、他の三人のうち、すぐこちらに向かってこれるのは、鎌を振り回してる身軽な少年だけ。勇者と二丁拳銃を操る男は二人で魔族軍に飛び込んでいるから、すぐには来れない。
冷静に考えながら癒術師目掛けて走っていると、目の前に小柄な少年が飛び込んできた。
「行かせねぇよ!?」
ニヤリ、と笑って腰を低くした彼。
身のこなしは軽やか。中々良いシーフかも知れない。それが褒め言葉かは知らないけれど。
「どいて」
「誰がどくか、っ!?」
両手に嵌めた鎌を振りかざした少年が殴りかかってくる直前、地面を下に蹴り上げ、高く跳躍する。
空中で羽を使って回転し、驚いている少年の肩に着地。そこから飛び降りつつ、彼の背中を蹴り飛ばす。
中々身軽な彼だけれど、そこは残念。私は腐っても魔王側近。少年ごときに負けてなんて居られませんとも!
「ぐっ!?ぎゃ!?」
「ごめんね?」
ずさ、と顔面から地面に倒れ込む彼を背に、再び駆け出す。
こちらに気がついた癒術師たち3人は、それぞれ私に向かって応戦体制をとった。
弓使いは三本の矢をつがえ、魔道士は詠唱を始める。癒術師はぐっと両手杖を握りしめ、光魔法を生み出していた。
「なんとかしてよ?ジョーゼフ」
同僚には聞こえないだろうが、そう呟いて、足を止めることなく走る。ここで止まれば彼を信用してないことになるからね。
弓をしならせて、同時に三本の矢が私目掛けて射られた。
それが私に届く寸前、一つ一つの矢に、何かがぶつかり、落下した。
「なっ!?」
弓を射った女が声を上げ、ぶつかった物に目を凝らした。
矢を落としたのは、銀色の鱗。それはジョーゼフの肌から覗くものに酷似していた。
訳が分からず震える女の隣では、魔道士が詠唱を完成させた。
その途端、私の目の前に大きな魔法陣が現れ、そこから氷柱が上がる。
なるほど、よく見ている。狙いは完璧、足を止めない私は、このままだとその氷柱に突き刺さるだろう。
けれど。
私の顔の横を何かが物凄いスピードで通り過ぎたと思った瞬間、出現した氷柱は、私に触れることなく瞬く間に昇華していた。
魔法陣の上には、ジョーゼフの大剣。
おそらく、大剣に自分の魔力を込めて、あの距離からぶん投げたのだろう。
大剣に込められた魔力は、矢に当たる前に霧散し、鱗へと姿を変え、残った魔力で氷柱に導いたのか。
相変わらず、素晴らしい強さ。脳筋なんて言ってたのは訂正しよう。魔法も出来る筋肉バカに格上げだ。
なんて、本人に言ったら目に見えて落ち込むんだろうけど。
矢が射られてから氷柱が昇華するまで、わずか3秒足らず。
その間に全てを行ったジョーゼフに感心する。ありがとう同僚よ。しかしひとついいかな。顔の横を剣が通った時、髪の毛が数本持ってかれたんですけど。あれあと数ミリズレてたら顔に当たってたよね。もう少し離して投げて欲しかった。危ない。
再び地面を蹴って、大剣を土台にして魔法陣を通り過ぎる。
そして一気に3人の懐に飛び込み。
遠距離専門の二人はなす術なく、間近に迫った私を見て息を飲んだ。
フードで見えていなかった魔道士の顔は、間近で見ると魔族に勝るとも劣らない美しさ。その顔に焦りを乗せて尚、詠唱をするべく口を開いた彼。冷静さは素晴らしいが、しかしそうはさせない。
「っ、」
勢いをつけて左肘を魔道士の鳩尾に叩き込み、その勢いのまま回し蹴りを女アーチャーにたたっ込む。
「ぐっ!」
「っ!!」
「きゃあ!!」
2メートルほど後ろに飛ばされ、呻き声をあげた二人に、癒術師は悲鳴をあげた。
我ながらどちらも良い角度で入ったと思う。
体制を整えて彼女に向き合うと、少女は震える手で両手杖を真ん中で引き抜いた。
そこから現れたのは、日の光を浴びて輝く短刀だった。
仕込み刀。
そう気がついた時、ふと、10年前を思い出す。
魔王様に引き取られた時、最初に渡されたのが、両手杖に仕込み刀だった。
魔族なのだから、と魔力の動かし方を学ぶ傍ら、その仕込み刀の使い方を学んだ。
その時の、魔王様の無邪気とも言える笑顔。上手くなっていく度、誇らしげに褒めてくれる中、少しだけ切なそうだった気がしたのだ。
「こ、来ないで!!」
その声にハッとする。いけない。ぼうっとしていた今の瞬間に刺されていたかも知れないのに。
戦闘中は頭を真っ白にしておけ、なんて言われていたのに、基礎からやり直さなければ。
改めて見下ろすと、カタカタと震える両手で短刀を握った少女。
一目で慣れていないと分かるその華奢な手首に刀の柄を打ち込み、短刀を落とす。
これまた簡単に落とせてしまい、あれ、と逆に申し訳なくなった。
「、や、やだ…………」
「………」
かわいそうな程に震える少女は、涙を目に浮かべて、嫌だと首を振る。
その様子は恐怖を全身で訴えていて。
こんな子を勇者一行と崇めて魔族の地に向かわせる人間達に、無責任だと怒りが湧いた。
命懸けで戦う彼らを崇めるだけ崇めておいて、きっと自分達は今頃、穏やかに食事の準備でも行っているのだろう。
そんなことを想像して湧く言いようもないこの怒り。
……ダメだ。何考えてるんだ私は。
最近寝不足気味だからかも知れない。
子供だろうが、自分の意思でなかろうが、彼らは魔王様の敵、しいては私の敵だ。同情なんか向けていい相手ではない。
私を拾ってくれたあの人に、報いなければ。あの人に害なすものは私が殺らなければ。
「……ごめんなさいね」
ぐっと、刀を持つ手に力を込める。
その手がかすかに震えているのは、気のせいだろう。
「けど、私は……あの人を守らないといけないの」
意を決して振り上げた刀を、再び振り下ろす。
せめて、痛い思いをせずに終わらせてあげなければ。
けれど。
ガキ、と、重い衝撃が手に伝わって、顔を上げる。
そこにあったのは、いつか見た、大きな剣。
「…ふぅん?なーんか、妬いちゃうよね」
「!!?」
少女を背に、私の刀を大剣で受け止めていたのは、口に微笑を浮かべた、勇者だった。
「リド!!」
彼を見て、嬉しそうに満面の笑みを浮かべた少女を振り返り、勇者は顔を顰めた。
「だーから下がってろって言ったのに………。もういいから、キティはさっさとノックスたちんとこ行って」
「誰がキティ(子猫)よ!!」
きっ、と勇者を睨んだ少女は、頬を膨らませながら後ろにかけて行った。
………何。あぁもう本当に。コイツはいつも現れる時がよろしくない。タイミングが悪い。悪すぎる。狙ってるわよね絶対。
だと言うのに、彼が少女を助けに来たことに、この刀が少女に当たらなかったことに、何処か安堵してる自分もいて。
それが堪らなく不愉快だった。
「………邪魔しないで」
理不尽な私の怒りを纏った声は、いつもより低いもので。それを聞いた勇者はおどけるように肩を竦めた。
「えー?それ言ったら俺の恋も邪魔しないで?」
「………あの子のこと?」
だから殺すなと。
なるほど、よし、こいつから殺ろう。
戦闘中に好きな子を守りに来るくらい余裕があるらしい。きっと先日傷をつけた私など簡単に殺れると思っているのだろう。くっそ、馬鹿にしやがって。振られてしまえ。
「あれ?この間の話忘れちゃった?」
キョトン、とした顔をしつつ、軽く大剣を振った勇者。音を立てて弾かれた刀を持ち直し、そのまま彼に向ける。
刃を向けられた男はニコニコと笑顔のまま。
「アンタに惚れた。から、邪魔な魔王を倒す」
「……………ちょっと何言ってるか分からないんだけど」
大体それ、アンタがふっかけといて一方的に無かったことにしなかったっけ?忘れちゃった?
というか、この男は本当に何言ってるか分からない。ちょっと一回頭のお医者さんに見てもらった方がいい。
まず、惚れただのなんだの聞いた覚えがない。
そして私は魔王様に惚れてはいない。私が懸想するなど、おこがましいわ。ていうか、恋とか愛とか、そんな浮ついた感情であの人のそばに居るわけじゃない。舐めないでよ。
しらけた目で見ていた私に、まぁいいよ、と肩を竦めた勇者は、くるりと大剣を回すと、背中に担ぎ直した。
「今回は帰る。誰かさんのおかげで仲間が三人ほどやばいんで」
「帰すわけが…」
卑怯かもしれないけれど知ったことではない。
背中を向けた勇者に容赦なく切りかかるものの、あえなく避けられ、振り向きざまに鳩尾に拳を食らってしまった。
いや待って。好きな相手にこんな事する?あれは絶対嘘だこのペテン師め。
いや、別に私を好きだ嫌いだとかどうでもいいけどさ。
………あ、待って本当に痛……。
「っ、」
一瞬息ができなくて、刀を落として膝を折ってしまった私を、何故か勇者はそっと支え、地面に寝かせた。
紳士的なペテン師ほど胡散臭いものはない。と思う。
こんな一撃で倒れてしまった事に不甲斐なさを感じながらも、どうにか顔を上げる。
「こ、の」
「じゃあねー、魔族ちゃん。次会った時は名前教えてね」
「待っ、」
何そのお茶しようね的なノリ。名前など教えるわけないじゃない。
上手く息を吸えなくて背中を丸めていると、ふわりと、馴染んだ気配がした。
え、どうしてここにいるの。嘘よ。
驚いてどうにか顔を上げる。
それは勇者が去ろうとした方向に降り立ち、悠然と微笑んでいた。
「………はじめまして、か?」
「……………お前」
褐色の肌に、深紅の瞳が間から覗く漆黒の髪。2メートルほどもの大剣。
それは紛れもない、魔王様その人だった。