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溺れた少女

 翼を広げ、目いっぱいに羽ばたかせ、風を切って進む。昔は翼が荒れ果てていたので、飛ぶことすらできなかった。それゆえに、今はこうして空を飛ぶのがとても楽しい。ただ、残念ながら痛みと傷がすべて消えたわけじゃないので、長時間飛ぶことも、高く飛ぶことはできない。

 勇者がどこにいるか等の情報は無く、とりあえず人間たちの住む地との境界まで飛ぶ。

 そこからは、魔王様仕様の水鏡で場所を特定しよう。

 考えているうちに境界が近くなったので、速度を落とし、境界の門の前にいる門番の隣で羽を閉じる。


「ハイネダルク様!!お勤めご苦労様でございます!」

「あぁ、ご苦労様。突然だけど、水鏡はある?」

「こちらにございます!!」


 門番に案内されて、門の横に広がる森の中を案内される。

 実はこの水鏡、毎日毎日場所を変えているのだ。理由は魔王様の使い過ぎ。

 言いたくはないが、あの人、大の面食いであり、時間が開けばひたすらに美人探しをしだすので、仕事が溜まりまくり、家臣達に没収された。

 それから、魔王様が見つけられないよう、毎日場所を変えて保存している。

 森の奥にある寂れた東屋に、それはぽつんと置かれていた。

 不思議なことに、それは絶えず湧き続け、地面につく前に蒸発するように消えていく。

 泉のように湧き出るそれに近づき、手をかざすと、水鏡は私の魔力に反応して、淡く光り出す。


「………魔王様を狙う勇者を」


 私の呼びかけにチカチカと点滅するように光った後、湧き出ていた水が止まり、水面が静かになった。そして、その途端に、水面に人影が浮かび上がる。

 それは歓声を上げる群衆の中、城と思われる真っ白なバルコニーから、数人の人が覗いていた。

 無駄に整った顔をした、漆黒のローブを纏った痩せ型の男。

 その隣には長身の男。垂れ気味の目からは色気が滲んでいた。

 中には女性の姿もあった。可愛らしい笑顔が印象的な少女は、その手にステッキを携えていた。

 その横には色気たっぷり、豊満な胸を強調させるような服をまとった女性。

 そして、その隣にも女性………かと思ったが、よく見れば身長が低めなだけで、目つきの鋭い少年だった。

 しかし、こいつらは所詮お供に過ぎない、とさっさと記憶から追いやって、中心に立つ人物を目に入れる。

 自信をたたえた笑みを浮かべ、動きやすさを重視したであろう服。そして、少しクセがある茶髪を肩まで伸ばした、無駄に綺麗な男。

 この男こそが、魔王様を狙う勇者だろうことは、容易にわかった。

 すっと目をすがめて、その男の顔を目に焼き付ける。


『俺は、お前達の期待を背負って、絶対あの魔王を討伐してみせる!』


 憎々しいことに、その声すらも人を引きつけるような力強い美しさがあり、その声に、群衆が歓喜し、耳に痛いほどの声が上がった。

 舌打ちをして、一気に水に手を突っ込む。そうすると、あれだけやかましかった声が瞬時に消え、勇者一行の顔が掻き消える。

 消える瞬間、宝石が散りばめられた冠を頭上に乗せた美しい娘が、勇者の頬に口付けていた。

 腕が水の冷たさに痛くなってきた頃、水鏡には、無表情の私の顔が写っているだけだった。

 それを確認して、腕を引きつつ、一つ息をつく。


 魔王様を討伐だぁ?

 いい度胸じゃないの!あの方の強さを知らないアンタらなんて彼の人の前に立つのもおこがましい!身の程を知れ!!

 ガン!と水鏡の縁に拳をぶつけると、傍らで門番がビクリと肩を揺らしたのが視界の隅で分かった。ごめん。気にしないで。

 ふぅ、ともう一度息をつき、水鏡から視線を逸らせば、ぽたぽたと腕から滴り落ちる水滴が地面を濡らしていた。

 ………………まぁでも、ありがたい事に、勇者の居場所は簡単に特定できた。

 人間たちの住む地の中央にある、ブルネッタ城だろう。

 確か、王と妃、そして二人には若い娘が二人居たはず。先程映った冠を被った美しい娘は、そのどちらかだろう。

 魔王城と対になるかのように純白に輝く城。大きさは、直接見た事がないから分からない。

 近くに控えていたらしい門番が差し出してくれるタオルを受け取り、礼を言いながら、門の奥、広がる人間たちの世界に目をやった。

 ……させるものか。魔王様討伐など。

 大体、魔王様があんな人間如きに倒されるはずがないのである。

 物語だの何だのでは簡単に魔王討伐と歌われるが、よく考えてみてほしい。

 地面を駆けることしかできない人間が、空を舞う魔族を落とせるはずないのである。魔王様の前では期待の星たる勇者だろうと赤子も同然。いや、ネズミか。………なんでもいいや。

 ぐっと伸びをして、門番に向き直る。


「門を、開けてほしいのだけど」

「お安い御用ですよ!あ、でも、くれぐれも見つからない様にお願いしますね。いくらハイネダルク様といえ、人間の強みは数の多さですからね!」


 門番の忠告に頷くと、彼は袖から、小さな鍵を取り出した。

 水鏡から離れ、門の前に戻ると、門番は翼を広げ、100メートルはあろう高さの門の最上部へと飛ぶと、そこに引っかかっていた錠前に、鍵を入れた。

 その瞬間、門が重々しい音を立てて左右に動く。人が通れるくらいの隙間ができると、それは動きを止め、ガタン、と何かが落ちたような音を立てた。

 門の先には鬱蒼とした森。魔物でも住んでそうだが、そちらは人間側。いるとしたら狼や熊か。いたとしても、魔族の気配を感じ取って逃げていくだけだけれど。


「どうぞ!」


 声を張り上げる門番に再度礼を言って、門を潜る。潜り抜けて振り返れば、そこには森が広がるだけ。

 魔王様の魔力で、人間側からはその門が見えないように細工がしてあるのだ。

 ……ほんと、こんな芸当を簡単にのけてしまう方をどう討伐しようというのかしらね。

 音だけで門が閉まったことを確認して、さっさと翼を広げる。

 地面を蹴って、空を舞う。

 感覚だけで中心に向かって飛んでいると、30メートルほど先の木が不自然に揺れたのを目で捉え、近場の木の枝に降りる。

 よく目を凝らせば、木こりと思われる人間が4、5人。

 見つかったとて困りはしないが、確かにこれから偵察に行くことを考えると最善策とは言えない。騒がれたらまずい。

 仕方なく、翼を畳んで、羽織ってきた人間用のローブの中に隠す。尖った耳がバレないように白銀の髪と共に隠し、長すぎる髪はなるたけ紐でまとめてローブに隠す。魔族特有の瞳と髪が見えないように、フードを深くかぶり、森を歩いて進む。

 これで、人間たちにはただの旅人に見えるはずである。……目と髪を見られなければね。

 魔王様側近は私とジョーゼフの二人だけだけれど、残念ながらジョーゼフは偵察に向いていない。確実に勇者を見つけたら真っ正面から喧嘩を仕掛けるようなやつだし、なにより竜のような尾の隠し方が下手すぎる。

 というわけで、私も得意というわけではないのに、大抵こういった仕事は私が請け負っていた。

 一応偵察隊、的な隊は存在するのだけれど、基本、何もわからない状態での偵察は私が担当している。

 魔王様が、それを得意な兵士に任せない理由は、「確実な情報が欲しいし、何処から情報が漏れるか分からないから」だそうだけれど、考えても見てほしい。

 魔族たちに人間の情報が漏れて困ることなどあるだろうか。逆に士気が高まる気がするのだけど。大体、そのうち遠からずバレるというか、提示するというのに。

 それに私とて暇でない。長くかかる場合、本当に仕事が溜まって仕方ない。それを片付ける為に睡眠時間が減って仕方ないのだから、考え直して欲しい。私のお肌はボロボロですよ。

 と、考え事をするくらいには余裕があることを理解してもらいたい。

 こんな仕事らくしょう……。

 と、背筋を伸ばした瞬間、どこからともなく大きな水音が響いた。

 大型犬でも飛び込んだのか、と思ったけれど、まさか、とも思って、その音が聞こえた方へと足を進める。


 果たして、悪い予感とは当たるもので。

 目の前に流れる大きな川はなかなかに流れが急で、普通の人間ならば泳げないだろうくらいの深さもあるだろう。

 よって、普通の人間ならばその川に飛び込むなどの無茶はしないだろうし、死にたくなくば、落ちないように気を付けるものなのである。

 もう一度言う、普通の人間ならば。だ。


「っわ、だっ、たす!!っ、ごぼぼぼぼ」

「……………」


 よって目の前で溺れているこの人間は普通の人間ではないと思っていいかな、うん。

 近くの岩に捕まって、どうにか流されないように踏ん張っている子供、だろうか。

 子供だろうが相手は人間、死んだところで困りはしないが、しないのだが。


「ご、ぼっ!た、すっ!ごぼっ!!」


 こうも助けを求めている子供を放って見殺しにするというのはとてつもなく罪悪感である。

 し、子供とお年寄りには優しく、というのを魔王様に拾われてからというもの、口を酸っぱくして言われ続けている。実際、魔王様に助けて頂いてるし。

 でも…………。

 相手は人間。この子供が大きくなった時、魔王様を狙わないとも限らない、と悩んでいたその時、再び声が。


「っ、たす、け……!」

「っ、あーもう!!」


 その弱々しい声を聞いた時、考えていたことなどどうでもよくなり、気がついた頃には、ローブを脱ぎ捨て、激流の中に飛び込んでいた。

 幸運なことに、私は魔族。翼を上手く使えば、この位の川どうってことはない。

 岩にしがみつく子供を抱えて、そのまま岩によじ登る。顔を上げた子供が、肺に入ってしまった水を、むせながら吐き出したのを見てから、再び子供を抱える。そして、先程私がいた場所まで飛び、子供を下ろす。

 そして、ブルブルと震える子供に、脱ぎ捨てていたローブをかけてやると、子供は震える唇を動かした。


「お、ねちゃん……あ、りが、と」

「………うん。…大丈夫?」


 茶色の髪を肩口まで伸ばした、可愛らしいタレ目の女の子。何となく、見たことがあるのは気のせいだろう。

 それよりも、考え無しに飛び込んだけれど、魔族が纏う空気や覇気と呼ばれる物は、人間が触れたり近くにあると息がしづらくなったり、身体に不調が現れるものである。

 それ故、全く魔力耐性の無い人間が魔族に近づくと、数秒で気絶してしまったりもする。

 逆に、魔族も人間側の土地に長くいると体調を崩すことがあるのだが、これはまぁ人間ほど顕著ではない。

 訓練を積むことで意図的に覇気などは抑えられるようになるのだけれど、今は全く気にしていなかった。そんな余裕がなかった。

 衝動に任せた助け方をしたので、人間の、しかも子供には辛かったのではないだろうか、と心配になって尋ねると、彼女はくしゃりと顔を歪めた。

 やっぱり辛かったのね、それなのにお礼を言うなんて健気な子……と胸熱く思っていると。


「、さ、むい」

「へ?」


 まさかの痛いとか苦しかったではなく、寒い。この子、見た目に合わず、なかなかに魔力耐性の強い子なのかもしれない。

 でも、寒い、か。弱ったなぁ。

 濡れていないローブはもうかけてあげているし、私は彼女と同じく濡れ鼠だ。他の服もびしょびしょで、貸してあげるのは忍びない。

 どうしたものか、と再び頭を悩ませていると、彼女がくしゃみをひとつ。

 悩んだ挙句、私は彼女の前に座り込んで、そっと彼女を抱き寄せた。


「ごめんね、ちょっとその………苦しいかもしれないけど」


 出来る限り気を抑えて、優しく抱きしめる。

 実はこれ、スラム街で凍えていた時、私を見つけた魔王様がしてくれたのだ。

 こうすれば温かいだろう、と言って。

 すごく嬉しかったし、確かに暖かかったので今実行しているけれど。

 先程も言った通り、魔力耐性無しの人間は魔族が近づいただけで気絶の為、心配ではあるが、彼女からはそういった仕草が見えなかったので、一か八かの賭けではある。

 だって他に思いつかない……!!人間の事なんて分からないもの…!!!


「……お姉ちゃん」

「あ、ごめんね、苦しい?」


 腕を離そうとした私だけれど、離さないでと言うように、背中に手を回されて、離せなかった。そして物凄く困惑した。


「ううん。大丈夫。……あったかい」

「そ、そう……」


 え、え、ちょ………どうしよう…。

 背中に回された少女の手がどう考えても翼に触れている。それなのに怖がるでもなく縋るように私の胸に顔を埋める彼女。

 こ、これはど、どうするのが…正解?…なの?

 腕を上げた状態で固まっていた私だけど、一向に離れない彼女に、おずおずと再び腕を回した。

 そして、背中をそっと撫でてあげると、やがて彼女はしゃくりあげ始めた。

 え、うそ、泣かせた!?え、やっぱり怖かった!?

 と、私が一人焦っている事に気がついてか否か、少女はしゃくり上げつつも首を振ると。


「ごめ、なさ……っ。私、お兄ちゃ、の役に、たちたっ、ひっく、うぅ…」

「わ、わ、大丈夫、大丈夫だからね?」


 わんわんと泣き出した少女のなだめ方に四苦八苦しつつ、頭のどこかで冷静に考えている自分がいた。

 お兄ちゃんの役に立ちたかった、と言った気がするから、お兄ちゃんがそばにいるのだろうか。

 それはまずい。めちゃくちゃまずい。

 年齢にもよるけれど、この子のお兄ちゃんとなると、魔族人間の区別は付いている可能性が高い。

 ……うん。………バレるのはまずいなぁ。とてつもなく。

 しかし、どうしたものか、女の子は私から離れる気がないらしい。

 助けた以上、彼女が落ち着くまでは責任を持たねば。

 魔族らしからぬ、と言いたくなる気持ちも分かる。分かるけど魔族代表として一つ言わせてもらうならば。魔族が皆気性荒く喧嘩っ速く、血も涙もない種族とは思わないでいただきたい。魔族の頂点に御座します魔王様に、私は幼少期から「お年寄りと子供には優しく接しなさい」と言われ続けているのだ。…………あれ、これ前も言った気がする。

 頭の中で訳の分からない説明を続けつつ、未だにしゃくり上げる女の子に、よしよしと頭を撫でてあげていると。

 ゾクリと悪寒のようなものが背筋を走った。と、同時に聞こえる、男の声。


「魔族ちゃんが、ここでなーにしてんの?」


 という、ふざけた様なイントネーションにも関わらず、その声には殺気が満ちており。

 首には鋭く研がれた剣が当てられていた。

 ……………うそ。

 足音は全くしなかった。それどころか、気配すら。

 森の中を歩いてきたはずなのだから、微かでも音は聞こえるはず。それなのに。

 ごくりと生唾を飲み込んで、女の子から手を離す。

 そして、ゆっくりと腰の刀に手を伸ばし、一気に抜き放つ。女の子を庇うようにして腰を曲げ、首元の剣を弾き飛ばす。

 そして一気に立ち上がり、女の子を背後に隠しつつ振り返ると、そこには。


「あーらら。意外と強いんだ?アンタ」

「おま、え……勇者………っ」


 少しはねた茶髪。手にしているのは見た事ない形の大剣。水鏡越しではよく分からなかったけれど、彼も中々長身な方だったらしい。

 ……いや、他に長身が居たからかもしれない。

 苛立たしいまでに整った顔で笑ったこいつは。


「へぇ。光栄だなー。魔族様にも知られてるんだ?俺が勇者って」


 刀を握る手に力が入る。

 先程まで城にいたはずの男が、何故ここに。

 そんなに時間が経っていたのかと歯ぎしりをする。

 刀を持ち直した時、勇者の目が私の奥に向けられた。


「あれ?………そいつ…」

「!この子は……」


 まずい、バレた。

 咄嗟に思ったのはその一言。

 人間が、知らなかったとしても、魔族に近づき、あまつさえ抱きついているなど言語道断。

 子供だろうが、魔族と親しくしていた、と刑に処される事もしばしばあるという。

 そう言った頭の硬い所というか、罪人等の処罰に関しては、人間は魔族より余程魔族らしい。

 この子を思うなら、すぐ離れるべきだったわね………。

 と、どうにかこの子が罪に問われない方法を考える。


「……この子は、私が捕まえた。お前達の居場所を聞き出すために」

「ふぅん?なのに二人ともびっしょびしょで、その子は大きすぎるローブ羽織ってて、しかもアンタに抱きついてんだ?ふぅーん」

「っ、」


 さすがにこの状況だったら厳しかったか、もう少し何かマシな嘘が付ければ良かったのに、と顔を歪めた時。


「っぷ」

「…………?」

「っ、あっはははは!!ちょ、まっ、ははははは!!」


 勇者が吹き出した。

 ……………………………………………………………は?



 呆気に取られてぽかんと間抜けにも口を開けていた私だけど、前後の会話等からじわじわと理解する。

 ……あぁ、そう。そうなの。

 つまりこれは。

 ……馬鹿にされているのね。

 私は、恥ずかしさと怒りで赤くなり出す頬を誤魔化すために声を張り上げる。


「何がおかしいのよ!」

「いやだって、くっ、ははっ、無理が、あるって」


 ついにはお腹を抱えて笑い出した勇者に、とりあえず私の怒りはMAX。

 いえいえ、MAXは言い過ぎた。そんな簡単に怒りMAXになっていたら魔王様ともジョーゼフともやっていけてない。だから断じて怒ってなんて居ないわよ?えぇ。

 だから別に怒りに任せた訳じゃないの。決して。

 ………軽く助走をつけて、手にした刀を勇者の頭目掛けて振り下ろす。

 けれど、あっさりと受け止められ、そんなに簡単じゃないか、と舌打ち。

 ……………え?ただ不意の攻撃を仕掛けてみただけよ?


「はー、笑った笑った」


 キン、と音を立てて弾き返された刀を再び構えた私とは反対に、勇者は剣を鞘に戻した。


「………何してる?」

「ん?別に俺アンタは殺さなくていいや」

「………なめてるの?」


 イライラとす…………いえ。呆れる私のことは何のその、勇者はにっこりと笑うと、私の後ろの子に声をかけた。


「ミナ。おいで」

「………ミナ?」


 勇者の出した存外柔らかい声に振り返ると、ミナと呼ばれた女の子は私の服をぎゅっと掴んだ。

 何故か迷っている様子の少女のそれを見て、勇者は苦笑した。


「怒んないから」

「……ほんと?」


 ミナちゃん…の声にうん、と勇者が頷くと、彼女は恐る恐る勇者の差し出した手に小さなその手を重ねた。

 それを確認した勇者は、ぎゅっと彼女の手を握り、彼女に合わせるようにしゃがむと………………………ミナちゃんの額にデコピンをした。


「いたい!」

「川に近づいたらダメって言っただろ」

「やっぱり怒った!!」

「怒ってない。悪い子にはお仕置きです」

「私悪くないもん!!」


 えーと?

 これは何かしらね?

 私の頭には、ふと「悪戯をした妹を叱るしっかり者の兄の図」というテロップが浮かんだ。

 目の前で起こっている、めちゃくちゃ平和なシーンに私はなんて言ったらいいのかしらね。

 ………………これ、心配しなくてもよかったんじゃないの?


「もしかしたら死ぬとこだったかもしれないんだぞ」

「お姉ちゃんが助けてくれたもん!」


 もう放っといて帰ろうかな、なんて思っていると、クイッと服のはしを引かれた。

 急に私に二人の視線が集まって、ぎくりとする。

 再びぎゅっとミナちゃんに抱きしめられて、おろおろとする。

 それはもう慌てますとも。だってねぇ。

 ミナちゃん、わかってるかな。さっき私そこのお兄ちゃんと切りあってたんだけどな。

 いくら子供とて分からないわけは無かろうに。


「いや、そんなこと分かってるっつーの……」


 なんの事だったかしら。

 はぁ、とため息をついた勇者が立ち上がると、ミナちゃんの頭に手を置いた。

 そして、おどけたように腰を折り、軽く上目遣いで私を見やると。

 ニヤリと一言。


「妹がお世話になりました?」

「いっ」


 …………つまり私は。

 敵である勇者の妹を助けたと…!!!?

 ミナちゃんを見た時、なんか見たことあるなーて思ったのは………こいつか!!!

 いや、良く考えれば分かった。

 少し癖のある茶髪。目元が印象的な美形。瞳の色から何から、そっくりではないか。

 頭を抱えた私の顔を、心配するようにミナちゃんが覗き込んだ。

 彼女に大丈夫と笑いかけると。


「………ふーん」


 勇者に手を掴まれた。


「っ!!何をすっ!?」

「アンタさぁ」


 ぐっと勇者の顔が近づいて、刀が手からこぼれ落ちた。

 え。何……………。なんなの?

 互いの吐息すら感じられるその距離で、勇者の目がそっと細められる。

 そして形のいい唇から美しい美声を纏ってこぼれ落ちたのは予想だにしない言葉。


「俺のお嫁さんにならない?」

「……………は?」


 3秒後、子気味良い音が木々の中響き、何羽かの鳥たちが驚いて飛び立った。

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