63 めいは
「ああ、そうか」
何に納得しているのか、自分でもわからない。
記憶を呼び起こすように日々を巡るなんて普通はしない。できない。
だが、俺みたいに能力を持っている人間がもし他にいるなら?
ギャンブルで大金を当てたり、預言者めいたことをしていたり、誰かが出すはずだったアイデアや発見を自分の物に出来たり、実は自分に都合のいい世界を構築している人間がいるのかもしれない。
そういう風に考え出すとキリがない。答えを確かめようもないし、俺もその巻き戻る時間の影響を受けていることだってあるかもしれない。もし存在するのなら、時間軸というのは巻き戻るわけではなく枝分かれしていることになるのだろうか。俺にもし、いろんな可能性を試してみたい気持ちが芽生えたらと思うと、恐ろしく感じてしまう。
俺がやっていること、これからすることは命を弄んだエゴなのだろうか。誰かに同意を求めても証明ができないから誰も俺を裁かない。何度でもやり直しができるなら、完全犯罪でさえ可能になる。
ただし、この能力が無限に行使できるなら、だ。
何度か使うと消失してしまうかもしれない。それに関してトリガーになるのは自分の生死なので回数切れを判断する者は存在しないことになる。
もうひとつ、可能性としてあるのは適齢期だ。20歳を越えたら使えなくなる、とか逆に何歳までしか戻れない、とか。
後者が可能性に遭った場合、それの確認も兼ねて戻るわけだけれど、希望としては小学校6年生の夏より前に戻れたら御の字だ。そうじゃなかった場合も、今後の被害を極力最小限にとどめられる様
何度か自分にそれを、言い聞かせる。目的を見失わないように。もう失敗を繰り返さないように。
「あはは」
目の前の苦笑気味でこちらを伺う彼女、塚本麻衣を救う。
別に初恋だからってここまでしてやる義理はないんだろうけど、この女のバックについている連中が俺にとって人生詰みなんだよな。厄介なこと極まりない。救ってやるから金輪際関わらないでください、くらい言ってもバチは当たらない気がするな。
「ごめん、傷付いた?」
「傷?」
何の話だ? というかなんで目の前にいるんだ?
「いや、なんというかそのゴライアス? とかのライブに行くのが意外って……。別にバカにしているわけじゃないんだけど」
「あー、そんなこともあったっけかぁ」
状況の整理をしよう。
今現在はゴールデンウィーク期間だ。
明羽から誘われて行くことになった『ご来店どうもありがとうございます』略してゴライアスのライブ。その帰り際に洒落てそうなカフェに寄ったところ、だったかな。
んで、向かいの席に飲み物の入ったグラスがあるということは、明羽はトイレに行っているのだろう。俺が座っている席は今一人ぼっちだ。そこを見計らって接触してきたのが、多分朝からずっと尾行していたであろうこの塚本麻衣。それか、もしくは居場所を連絡するように言われていたか。
「どちら様?」
懐かしい声とともに後方へ振り返る。明羽が目を細めて自分の席に座っている塚本を見下ろしている。僅かに瞳が潤んでいるのは怯えからなのか。
「…………」
「いや、黙っていられるとなんか落ち着かないんだけど?」
「あ、初めましてですね、立川くんと同じクラスの塚本麻衣です」
俺が口を開かないことを訝しんだ明羽だが、空気を察知して肩くらいの位置で両手を振りながら立ち上がる麻衣。
「……織田明羽です。巡瑠とは――――、共通の趣味を介した友人です」
一瞬、言葉に迷った明羽。
「あはは、今日はお邪魔してごめんなさい。それじゃ私はこれで」
このあと用事でもあったのか、左手に巻かれた腕時計を見てからは笑顔で手を振りながら店を去っていく。それにしてもあの演技力には恐れ入る。と、言いつつも麻衣がここで接触してくることを分かっていて初対面に徹した明羽も、俺にとっては少し怖い部分ではあるけどな。
やがて姿が見えなくなり、さっきまで麻衣が座っていた席に不作法に腰掛ける。
「清廉潔白って感じよね、さぞ男受けするでしょう」
「初恋なのは否めないけど。でもま、今好きなのは明羽なんだけどな」
俺は半目で明羽に言う。対して口をぽかんと開け、何かを反芻している様子。やがて明羽の耳が赤くなる。
「はつっ、え、いや、え、だって、冗談でしょ? 別れよっつったのそっちじゃん」
確かに。別れようと最初に言ったのは俺だ。そういう風に仕向けられたのだと、あとで知ることになるんだけど、それにしてもズルいだろ。自分からは言いたくないからって……。
「あの時は状況が見えなかったからな、ってこんな言い方だと俺すごくダサくないか?」
言い訳がましいというか、未練たらたらみたいな。
訝しむ俺を他所に明羽はホットケーキをカットして口に運ぶ。
「笑えない冗談」
「無理して笑わなくてもいいよ。過去も、今も」
俺は香ばしい黒豆茶をひと口飲む。室内の適温に冷たいものを食べながらの温かい飲み物冥利に尽きますわ。
「いやだから、蒸し返さないでよ。あれで終わったでしょアタシら」
「じゃあなんで今日誘ったわけ?」
「それは……なんていうか」
カチャカチャと音を立てていたフォークが静かになる。
「麻衣が誘えっつったの?」
「は? なんでアイツの名前……ってかなんで呼び捨てしてるわけ?」
あ、あれなんか怒ってる。失言か。失言なのかこれ。
「あいつに見つかってからずっと、明羽には迷惑掛けっぱなしなんだよな。好きでいてもらう資格なんてありもしないんだけど」
忘れていた記憶に足を引っ張られているというか、結果的に巻き込んでしまった。
「は?」
「俺は塚本麻衣のことを小学生の時から知ってるんだよ。それで俺の初恋はあいつであいつの初恋も俺で、俺は裏切られたんだけどあいつが追っかけてきてて……」
より細かく砕くとキリがないけど、この説明も結構無理あるな。我ながら語ってて恥ずかしいぞ。
「いやだから、何の話してるわけ? 頭打った?」
怒気がどんどん強くなっていっている。声のボリュームも次第に大きくなりつつある。
「だから、シカ公園が初めてじゃないんだよ。あいつは俺を追いかけてきてて……」
シカ公園、そのワードを聞いた明羽の様子が急激におかしくなったと気付く。息を詰まらせ、途端に大人しくなっては息を荒げ始める。
そして勢い任せに立ち上がり店を飛び出す。
「おいっ」
俺も続けて駆け出そうとして、一度止まる。
「ちっ」
明羽が忘れていったバッグと伝票をくしゃりと握りしめ、レジへと向かう。
「騒がしくしてすみません」
「あ、いえ全然。大丈夫ですよ」
引きつった笑みを浮かべた店員さんを横目に俺も急いで店を出る。
ま、当然見失っているよな。
こういうのってだいたい二人の思い出の場所へ行けばいるっていう流れだろうけどな。
とりあえず電話を掛けてみる。
明羽のバッグの中から、それは鳴った。
「絶望的だな」
連絡手段を断たれ、おまけに財布もバッグの中にある。これだけの物を忘れたのだから普通は冷静さを取り戻して帰ってくるだろうが。
「ああ、そうか」
よくよく考えればシカ公園でデートしたそのあとくらいからだ。俺との接触、キスや行為を拒み始めたのは。
確かに失言だ。今のは思い出させようとした俺が悪いな。
「戻ってこない可能性が高いとみると……」
今はまだ五月で明るい時間帯ではあるけれどだんだん日も沈み始めている。そうするとあっという間に夜になり捜索自体が困難なものとなる。二~三駅くらいの距離なら歩いて帰ってしまいそうだ。俺とは逢いたくないだろうから家にはすぐに帰らないだろうし。
「どうしたもんかなぁ」
公園と呼ぶには遊具が少ないともいえる軽周公園。ひと気が無いと思いきや、外周がジョギングコースになっていて走っている人がちらほらいる。
暖かいこの時期は雨季に入る前までを機にウォーキングやジョギング、山岳で言うなればキャンプやハイキングをする人が特に多いこの時期。
階段を上ったちょっとした丘陵の休憩所。園内で遊ぶ子どもたちがいれば目も離しにくく、ランチをするには絶好ともいえる場所に一人、ふてくされたように座っている人物。
こんな風に黄昏るのは風邪で休んだ時以来かな。
「なんで」
巡瑠は知っている。アタシが何を隠しているのか。そして、誰が犯人なのかを。それを知ったとき、アタシの中に幾つかの疑問が生まれてしまった。
いつから知っていたのか。まるで最初から知っていたかのような物言いに、アタシは裏切られたのだと思った。知ってて助けてくれなかったのか。それとも巡瑠も一連に加担しているのではないか、とか。
信じられない自分がいる。
「いやだなぁ」
こんな考え方になる自分も、誰も彼も、何もかも。
この先、いいことなんてきっとない。あったとしても、今の絶望を越えられるはずなんてない。
いっそこのまま、いなくなってしまおうか。誰もアタシを知ることのない、どこか遠くへ。
少しずつ光を取り戻す星の輝きを見ていると、ことさら自分が嫌になる。
石段を上っている音がするが、別に気にすることはない。先客がいるのだ。普通は空気を読んで退くだろう。そう思い油断していた。
「見つけた」
声を聴いてアタシは体が僅かにピクンと跳ねた。今一番逢いたくない声がしたから。
「なんで……なんでここが?」
まるでこの場所にいることを最初から知っていたかのように、彼は現れる。見透かされている気がした。また逃げようとしても、アタシは見つかる。そう悪寒がした。
「まあ、カッコいいこと言って惚れてほしいところだけど、実はちょっとズルをしたんだ」
俺と明羽には何の縁もゆかりもない公園。そんな場所、ただ闇雲に探し回って見つけきれるはずがない。
だから俺は、この日に戻ってきた。まったく同じ状況にするのは骨が折れたけれど、その状況にいる明羽と、俺は話がしたかったから、だからここは回り道なんかでも、ましてや時間の無駄なんてことでもない。
結局のところ一晩掛けて見つけきれなかったことは事実だ。その後がどうあれ、次の日の夕方まで探してから24時間戻ればいい。幸いにも二回目で場所の検討はついたから後は独りになる時間を待った。
俺が勝手に勘違いしてしまっていた。明羽は強いから、きちんと話し合えるって勝手に期待していた。改めなければいけない、俺は彼女の葛藤と努力を無駄にしてしまった。でもどこかで終止符を打たなければきっと明羽は壊れてしまう。
俯いて呼吸を整えようとする明羽の隣へ移動し、頬に手を触れる。
「いや、触んないでっ」
俺を遠ざけようと振り払った手を掴み、ようやく明羽と視線が交差する。そして、
「んんっ」
俺は我慢ができない性格らしい。
慰める気持ちなど微塵もない、ただ俺がしたかったからそれをした。展望台近くには誰もいない、人目がないからすんなりキスできてしまえたが、もし人目があった場合、俺は抑えられただろうか。結果的に公衆の面前ではないものの、こればかりは利かん坊らしくイチャイチャする奴らをとうとう心の中で馬鹿に出来なくなってしまっただよ。
「やめて、お願い……、それしないで」
涙を零した。
傍から見れば無理矢理したみたいに見えるかもしれない。けど明羽だったら、本当に嫌だったなら突き飛ばしてでも距離を取るし、悲しむというよりは怒っているはずだ。周りの眼も気にならないくらい、気が気でなくなるはずだ。
「デリカシーがないって思われてもしょうがない。けど俺はお前に何があったのか知っている」
俺の言葉を一言噛み締めて、嗚咽を漏らし始める。
そんなわけない、そう信じて彼女は泣く。
「知ってて、俺は今何をした」
顔を横に振る。
分からず屋め。
俺は、何度も明羽の口に自分のを重ねる。
舌も入れてやったぞこら。
ま、さすがにこれ以上やると本当に怒られそうなのでそろそろ離れる。
「…………」
変態チックなことをしてしまったな俺は。
通報されたりしないかな? 負け確なんだけど。
「俺は何をした?」
再度問う。
明羽に、というか自分に問い始めている節すらある。
「……ばか、最低」
「最高の誉め言葉だ」
俺は大馬鹿だ。こんな形でしか再認識ができない。信用してもらえない。
俺がこれからすることを考えたら、俺は明羽に一番残酷なことをしていることに、今気付いてしまったのだから。
「語彙力ないから、察してくれ」
これまでのことに気付いている、だけど、俺は全てを語るべきなのだろうか。いや、傷をえぐるようなことはあえてしないほうがいい。俺が一番伝えたかったことは、もう伝えたようなものだしな。
「そうだ」と思い出して口を吐く。
「愛とか恋とかよくわからんって言ってたけど、取り消す」
「……そっ」
胸のつっかえが取れたような気がした。鼻水をすすりながらも返事はしてくれたので、一応怒ってはいないみたいだ。
「俺さ」
次はズルなんてせずに一発で必ず見つけるから。
「今度は俺から、伝えるから」
別れ話なんかじゃない、俺からの始まりの言葉を。
「……なんでアンタも泣いてるわけ?」
あ。
駄目だ。
なんでだろう。
決意が揺らいでしまいそうになる。
このままずっとここに居たい、今の明羽と一緒に居たいと思ってしまっている。
考えないようにしていた。自分が好きなのは今ここに俺と居る明羽である。
大幅に過去を変えることによって生じるバタフライ効果。ゼロじゃない。
もし、塚本麻衣を何かしらのカタチで救ったとしてその先は、今まで通りの道順を辿るのか?
駄目だ。考え出したらキリがないことは誰よりも俺が分かっているじゃないか。
まだそうなると決まったわけじゃないのに、なんだこの胸になにかがつっかえたような感じ。
「少し、遠い別れになるから。だろうか」
今の明羽にとっては永遠の、俺にとっては……なんだ?
俺にとっても永遠の別れだ。
俺は聞き返そうとする明羽の体を自分の方へ寄せ、抱きしめる。
「大好きだ」
こんなにも相手の事を想えるのが愛なら、それはとても大切なことだ。
そして、同時に俺は残酷な枷を互いに強制している。
「さよなら」
俺は大好きな彼女と世界に別れを告げた。




