62 図体
また、またまたまた病室だ。
目が覚める前の独特な匂いで察してしまう。何度か死に戻るうちに矢武に殴られた痛みが舞い戻ってくるので奇妙な感覚に襲われている。最初の内は自由に動けていたが、単に治りかけだったってだけで今は点滴投与されているから動きも制限がかかる。
「無理に自分で取ると痛いんだよな」
いい子も悪い子も真似しちゃ駄目だぞ。
なんて心の中で茶化しつつも、病室から抜け出す画策していると、病室の戸をノックする音が響いた。
「失礼します」
塚本麻衣がやってきた。相も変わらずお行儀はいい。いや、外面か? どうも幼児退行したような姿を見てしまって以来、違和感しかないんだが。
「思ったより元気そうだね」
「おかげさまでな」
ほんの一瞬だけ麻衣の顔つきが変わったことを、今までの俺だったら見逃していたな。よく注意して見ていないと面に表情を出さないのでなかなかどうして気付けないわけだ。
そう、俺はあえて皮肉を込めて口を吐いた。そんな俺の意図に気付いているのか、それとも偶然だと払拭するか、興味がある。
そして塚本の後ろを普段から仲のいい(という体の)女子が4人ぞろぞろと入ってきた。
「こんにちは」「おつかれー」「あ、ひとり部屋なんだ」「お菓子持ってきました〜」
「やあこんにちはー」
突然の来客、という訳ではなく事前に了解を得るための連絡は来ていた、はずだ。
ただ目覚めてすぐにスマホのSignalを確認したわけではないので、今の俺にとっては突然の来客となっているわけだが、初めましての光景ではないので順応は容易い。
「大丈夫大丈夫、心配しなくても私たちはすぐさまお暇しますんで~」
俺にノートのコピーを渡す塚本との距離を僅かにとってニヤニヤとする4人。
「え、ちょっやめてよ!?」
塚本が振り返り手をブンブンと振る。
一見すれば仲のいい女子グループ、のように見えるが俺はそれをジッと見つめた。
楽しそうな雰囲気のなかに、やはりぎこちなさが僅かに垣間見える。
ただ女子グループをジッと見つめることなんて普段ぜったいにしないし、変に気付かれて煙たがられるのも嫌なのでほとんどの男子は異性の観察をそこまでしない。裏で「あいつ○○のこと見てたよ、きもー」とか言われたら、メンタル弾け飛ぶだろうからな。
「今日はそれ届けにきただけ。それと、早く傷を治して無理はしないこと」
「無理はしない、か」
無理なんて、ずっとしてる。
この空間に居る俺も、塚本も、そこにいる4人も。
「これ以上自分を傷付けたら私が許さないってこと、それは忘れないで」
塚本は真面目な顔つきでそう言っていた。これに関しては俺は違和感に気付けない。だってこれが彼女なりの心配の仕方であり、同時に本音でもあるからだ。
間接的に傷付けているのは自分であり、これ以上俺を追い詰めたくないという意志表示でもある。
おとなしく塚本麻衣に身を委ねれば、少なくともこの先の惨劇は幾らかマシになる。反社会的な奴らとの関わりがある以上、少なくともこの時点で塚本麻衣の牙を抜いてしまえば廃ホテルに近い逆襲が待っている。
それを俺が救う。
もしかしたらそんな選択をした世界も存在したかもしれない。ありとあらゆる可能性が広がっている。どこかでそういう決め手となる行動があったとしても何ら変じゃない。本当にゲームみたいな考え方かもしれないが。
「それってもう告白なんじゃないの?」「やっるぅ」
「もー、なんでそんなに焚き付けたがるかなぁ」
俺が知る全ての人間を救うには、やはり塚本麻衣が一番の鍵になっている。彼女を救うことで全てが救えると考えている。そして俺と彼女の物語を辿ろうとしている。
無理だの無茶だの、今更過ぎる。
「その返事、今していいか?」
「え」
俺の表情を見た塚本は息を呑んだ。それは他の4人も同様。
「えっ、こういうのってもっと雰囲気とか……あ」
枚方が最後まで言いかけたところで、気付いて口を噤んだ。
結果が知れている、ということ。
「あはは、やだな。この子たちの冗談だってば」
塚本は苦笑いをした。彼女自身が一番わかっていることだった。恋が叶わないってことに。
「じゃあ、劇的ムーディーな展開にしよう。ごめんな、麻衣と二人にしてくれないかな?」
「……え、まじ?」「は?」「うそ」
『塚本麻衣』はこのうえなく動揺した。何度か見た光景だ。他の誰も崩しえない牙城を俺は崩し続けている。
「え、じゃあ下のロビーでま、待ってる……よ?」
ある種、展開についていけない4人は塚本から離れられるなら、これで解放されるならと戸惑いつつもそそくさと部屋を出ていく。
「びっ……くりしたなぁ。急に名前を呼ばれるなんて思わなかった。え、そんな素振りなかったのに、もしかして本当に本当?」
未だ疑念を抱きつつも、怖いもの見たさに尋ねずにはいられない。
「そうだな、俺の初恋は間違いなく麻衣だった」
「へ」
裏返った声を漏らした。
「覚えてるよ。何も知らなかったとはいえ、随分と熱烈なことをしれくたよな?」
記憶から消してしまえるほどに、アレは俺にとってトラウマだった。アレ自体ではなく、その後か。
「ずっと忘れていたよ、忘れていたほうが俺にとっては幸せだったかもしれないけどな、非道く裏切られたんだからな」
「え、と。いったい何を」
「ま、裏切られたのはお互い様だったのかな? お前は俺があの時逃げたと思っている。それは事実だ、だが俺には助けるなんてできなかった。俺も裏切られたと思っていたからな。俺と遊んだ次の日は別のおっさんと、だもんな?」
「ひ」
麻衣は息を詰まらせる。恐らく奥底に封印していたもの。消したい過去を、突然掘り起こされる不快感。自分の事を覚えていてくれていた喜びと様々な感情が織り交ざっている。
「うぷ」
何もかもが逆流しているようだ。
すぐそばの洗面台に駆け込み、息を荒げる。
「怖がるなよ」
手の届く距離にいる麻衣の手を俺は掴む。
「俺はもうお前から逃げない」
体温は冷たかった。
震えているその腕はたった独りで戦ってきた強さを微塵も感じさせない、ただの華奢な腕だ。
「お前と向き合うために、俺はもう一度お前に会う。今は無理かもしれない、この先にその可能性がなかったとしてもまた違った出会い方が過去にはあるかもしれない。本来、過去は変えられないし、辛いことを頑張って乗り越えた誰かを否定することになる。でも、過去を変えられる力がもしあったなら、きっと誰だって縋りたい時があると思う」
もっと賢い選択だってある。金儲けだろうが預言者にだろうがなれてしまうだろう。けど残念ながら俺にはそれが魅力的には見えない。
神様も力を与える人選をミスったものだ。
勉強はそこそこできても、俺という人間の根底は大馬鹿者らしい。
「な、なにを言っているの?」
真っ当な反応だ。わけのわからないことを言っているのはどうしても矛盾点が生じてしまうから。
遡った日にちとしては殴られたあとに連れてこられているせいで、あまり身体を動かすことができない。そのせいで病院の外へ出ることも簡単には叶わず、かと言って一日妥協し我慢をしていたらいつまでもこの時間軸に捕らわれてしまう。
あんまり病院内ではやりたくなかったんだけどな。
命を奪える凶器もないこの部屋で一番手短に死ねる方法。
俺は窓の向こうの空を見上げた。
雨、か。
時期が時期だからしょうがないのだろうけれど、やっぱり億劫だ。
点滴を無理矢理剥がし、ベッドからゆっくりと降り窓の方へ歩み寄る。
窓を開けると生ぬるい空気と雨の日の匂いが病室に入ってくる。
「さようなら、俺の初恋」
一瞬、麻衣が何かを叫んだ気がした。
「何様だよお前」
「……え?」
寝起き、つーか目覚めていきなり誰かと問われるなんて多分これまでも、この先もないだろう。
え、今どういう状況?
右を見て左を見て、後ろも向いて、前に向き直る。
どうやら集団リンチされる一歩手前らしい。
というのは冗談で、記憶を辿ると確か放課後に納富と談笑をして別れて帰ろうとしていたら玄関で待ち伏せくらって連れてこられた。そして掲示板事件について、かなんかで問い詰められている最中? だったか。
で、予定通りに行けば目の前の矢武に殴られてポクポクピーポーってわけ。
「えっと、立川巡瑠。16歳」
「ふざけんな!」
女子の一喝、涙目で俺を睨みつける。いやほんと申し訳ない。話がついていけてないんだわ。何とも言えない気持ちになり、両手の行き場もないのでポケットに突っ込む。
「明羽が、どれだけ今もあんたの事を想ってるか分かる? 転校生といい雰囲気で帰ってる姿を見てどれだけ心を痛めてたか……分かるの?」
ああ、そういう話の流れね。
「そう、だな」
知っている、つもりだった。
付き合った当初から、それなりに我を通してくる奴ではあった。向こうから告白してきて、なんとなく振るのも申し訳なくてオッケーしたけど。俺の立ち振る舞いにケチ付けて、ファッションから何から自分の好みに寄せられて、そのせいでたまに逆ナンされたら自分でそう仕向けたくせに俺に怒って。散々だった。
だけど、それでも一年は過ごせた。
きっとこの先も、そう思っていたこともあった。春休みを境に不機嫌がエスカレートしてどうでもいいことで俺に当たるようになったときは、もう無理だと思った。
だから俺から別れを告げたとき、明羽のどちらとも伺い知れない表情を見て俺は気付けなかった。
『ああ、これでやっとアンタに辛く当たらなくて済む』
『こんな形で別れるなんて嫌だ』
安堵と後悔。そんな複雑な心境誰が汲んでやれる?
素直に言えよ。
助けてって。
他人に汚されたくらいで嫌うかよ。
「な、なんでアンタ泣いてんの!?」
「泣いてねーし」
ずびびっ。
「明羽は強いよ。俺が知る限り、どんな奴よりも強い」
塚本麻衣にだって負けない。
だって明羽は、あいつは自分の幸せじゃなく誰かの幸せのために自分を捨てたのだから。
「ほんと、俺には勿体無いくらいだ」
だが。
「簡単に諦められねえだろ。俺は初恋の女よりも、一番だと思える存在に出逢えたんだから」
俺がひとつ、掲げた目標だ。
この初恋を終わらせたら、今度は俺から明羽に告白する。
悲しませた分、幸せにしてやりたい、
愛だ恋だくだらないと言っていた自分とはさよならしてやる。
俺は、俺の暮らす当たり前の日常にあいつがいないことが考えられない。
これが俺なりの『好き』というやつだ。
もしそれで結果が変わっても、仕方がないだろう。明羽が俺に恋をしたかもしれないきっかけすら無かったことにしようとしているんだから。どこかの歴史を変えて、今後また同じ状況が来るとは限らない。
「くだらねぇ、堂々と浮気宣言かよ」
「侑史」
俺を取り囲っている陽キャどもの目的は『明羽を悲しませた俺への弾圧』だが、一人だけ違う男がいる。
『俺と明羽を引き離したい』男、矢武侑史。
明羽のことを純粋に思っているなら、期待に添えた言葉も言えただろうな。
「お前みたいな危なっかしい男に、明羽が騙されないことを祈るばかりだ」
俺が死んだあと、あいつはあいつなりの選択で幸せになってほしいって願うのは単に俺の我儘だ。何かの因果で矢武と連れ添ったとしても、悲しいが明羽の選んだ道だ。俺には何も言う権利はない。
「っざけんなっ!」
どこかで見たような光景だ。
俺に向かって剣幕で振りかぶってくるその姿を何度か俺は見た。
見た、という記憶で反射的に体が反応し左手がつい前に出てしまう。振り下ろす拳にぴったりと手をかざすことなんて、なかなか出来ることじゃない。
だが、俺はその拳を捉え、バチンという重い音と一緒に掴む。
「え」
驚いたのは俺を含め、周りの奴らもだった。
それもそうだ。俺自身もともと喧嘩慣れしているわけじゃない。まともに戦って勝てる勝てないという次元の話にすらならない。が、状況に慣れてしまっているのだから、仕方ない。殴られたし、刺されたし、燃やされたし、銃で撃たれたのだから、そんな経験のある現代の学生がほいほいと存在してたまるか。
「ぐっ」
だが、格闘経験がゲームでしかない俺は続く二発目をまともに喰らってしまい、よろける。
吹っ飛んで意識不明にさえならなきゃ、なんでもいい。どうせ無駄になるのだから。
「はぁ……はぁ……」
周りは当然の如くどよめいた。
「ちょ、なんで手出すわけ!?」
口は災いの元。
いつかの俺にも言ってやりたい。俺だって内心焦っていた。周りの人間に迷惑を掛けている。どうにかして犯人を捜せないかと。が、矢武が俺を逆恨みしているなら、俺だって逆恨みならぬ先恨みがあるんだよな。
「へっ、お前には借りがあったからな」
今度はこっちから殴り返す。
正面からフックでこめかみを狙い思いっきり拳を振るう。
「っでぇな!!」
頭に血が上った矢武はフラフラとした足取りで俺に掴みかかり拳を振りかぶる。俺は頭を前に振って顔に頭突きを食らわせ、手を離しよろめいたところをすかさずポケットから取り出したスマホでカメラに収める。意識が戻った瞬間からとっくにビデオで回していたから、これといった操作は必要ない。
スマホのカバーが手帳タイプでなければ、ズボンポケットの中に手を入れてロック画面解除ボタンを一度押す。指紋認証にしているのでとくにパスコードロック解除操作は必要なく、そのまま右へスワイプする。そして次はカメラモードを撮影から録画へ切り替えるため、左にスワイプしてボタンを押すだけ。設定をいじればもっとラクに切り替えができるけれど誤操作しないように一般的な設定で留めた。
「言っとくけど、最初に俺一人を拉致ったのはお前らだからな。そして最初に手を出したのも、だ。証拠は全てここにある」
これからやろうとしている無謀な挑戦に、意味のない事をやっていると思われるかもしれない。が、俺が死んだあと、連中が口裏合わせをして事実と異なる結果が億が一にも俺の大好きな人たちを悲しませる展開だけはどうしても避けたい。俺が今やっていることは全くの意味がないに等しい。ただそれでも、仕返しをして自分がスッキリしたかっただけ、というのもある。
俺の洗練されたともいえる一連の動作にどよめく陽キャ。手際が良すぎるのも気持ち悪いか。
ただ一人、事の重大さに気付けない人間というか、小手先が通用しない相手も例外ではいるけれど。
「殺す、殺す!!」
屈辱に顔を歪める男、関わるとほんとロクなことがない。
そばにあった誰のか分からない椅子を掴み上げ、俺に放り投げてくる。椅子が泣いているぞ。
「悪いがこれじゃ死ねないな」
と、言いつつも正面から腕を曲げて凪ぐ。
いたい、なあ。
青あざ出来るよな、絶対に。
「侑史、もうやめなって。撮られてっし。停学になってもいいの!?」
仲のいいグループの女子や男子の声ももはや矢武には届いていない。
矢武のプライドは、俺が明羽と付き合ったあの日から今日までずっと傷つけられてきていたのだろう。気の毒だ、としか言いようがないな。同情するのも馬鹿々々しいけど。
「お前が俺に勝てる唯一の方法。教えてやろうか?」
眼が血走っている。今にも飛び掛かって来そうな男に、俺は助言をする。
「……俺を殺すしかな、い――――――」
言い切ったと同時、矢武が俺の首を両手で鷲掴みにして俺は力なく倒れる。
あ、やべ、苦しいな。
がたいのいい男に跨られてるのは屈辱的だけれど、まあ逃げ出せそうではないのできちんと受け入れてあげよう。
「ああああああああっ」
怒りで我を忘れているのか、殺人を犯すことへの罪悪感を拭うためか、無我夢中で叫んでいる。そんな声上げてたらすぐ騒ぎになるだろうに。
「がっ――――」
喉が締め付けられて、声が思ったように出せない。
それでもなんとか振り絞る。
「ガキが・・・」
世界が変わってもコイツとだけは仲良くなれない自信があるな。
そこで俺の意識は終わる。




