60 死して未来
塚本麻衣。
俺は彼女に人生を狂わされた。
愛だとか、恋だとか、そんなものの良さが未だに分からずにいた俺だったが、記憶の奥底に感覚だけが残るような形で、そのトラウマが植え付けられていたのだと悟る。
小学校6年生の夏休み。
父親の仕事先が見たくてついていったどこかの県。微睡む思い出が場所を滲ませていることが、悔しい。数少ない思い出なのにな。
当時の事を思い返しながら、思い起こしながら俺は思う。
そうか、俺は塚本麻衣に惚れていたのだ。
それが、あの日あのような形で俺は裏切られたのだと知る。遊ばれていた、どこか大人びた彼女に魅力を感じ、俺の知らないことを教えられた。あの時は互いにこれが愛なのだと確かめられた、だがそれと同時に愛は力に敵わないことを知った。
辛かった。
苦しかった。
だから俺はあのとき、塚本麻衣を助ける選択を放棄した。耐えられずその場から逃げたのだ。
ショックだったから? 勝てないと分かっていたから?
俺は、彼女に裏切られたと同時に彼女を裏切ったのだ。
ずっと助けを求めていただけのあいつを、俺がさらに歪めてしまった。
それなのに、狂ってしまった塚本麻衣はそれでも俺を求めた。
俺の何が魅力的だったのか、わからない。
あまりノリがいいわけでもないので、第一印象だけで女子に話しかけられたりすることもややあったがそれが継続されたことはない。運動も得意ではないし、強いて言えば水泳なら少しはという感じ。それでも部活動には入らなかった。
基本的に学生のアルバイトに厳しい判断を下す学校ではあったが、母子家庭と事の経緯を説明したらそれ以上の開示は求められなかった。
放課後もだが、学生生活を送るうえでそういった青春っぽいことなんて起こりえないと思っていた。
あいつと出会うまでは。
織田明羽。
ちょっとガサツで人に流されやすくて、成績は中の上くらい。ほとんど接点はなかったのに、あいつは俺に告白してきた。そんな柄でもないだろうに。
失礼な話、告白を受けたはいいが、その時はまだそういった感情は芽生えていなかった。ただの怖いもの見たさだったのかもしれない。
でも、それでもいいと明羽は言った。
そこまで割り切れる奴なんているのか? と胸中では笑ったものだ。
だからいい奴なんだなと思った。実は芯がしっかりしている。
だが、高校一年生の春休みあたりから、明羽は意味のないようなことで不機嫌になったり頻繁に情緒が変わった。そして俺の方も、なぜか日常的に不都合なことが重なり、明羽にキツく当たったこともある。
ついにはそこで二人の関係は終わりを迎えた。
やっぱり恋愛なんてろくなものじゃない。
俺は、そう結論付けて恋愛感情を持つ人間を一層拒むようになった。うんざりだ。
塚本麻衣が転校してきて、事件が立て続けに起き、そこから執拗に絡んできた女がいる。
納富いと。
バスケ部所属、半幽霊部員。自身の知的好奇心が第一に体が動き、周りが見えなくなるやつ。変わり者で何を考えているのかわからない。明羽の旧友。勘が良くて俺の能力に唯一気付いた侮れない相手。
だが、味方で良かったと心から思う。気さくで話しやすい、いると頼もしい存在。俺の部屋に泊まりに来た時も感じたが警戒心というものがない。ある意味俺の事を異性として見ていないという裏返しがあり、逆に気楽だった。もし卒業して社会に出てからそれぞれ交流が少なくなっていったとしても、こいつには一生絡まれるのだろうと感じる。そのことが嫌だとは感じない。なんならもう受け入れてしまっている自分さえいることに笑えてくる。俺のこの感情は恋愛とはまったく異なる、はずだ。
そこまでが俺と彼女たちとの序章。
そしてここから全てを終わらせる。いや始めさせるためにも俺は、自分を殺すための永い旅を始める。
某ラブホテル跡地。
俺は麻衣が隠し持っていた注射器を奪い、それを自分の首に打ち込む。誤った使い方だろうが関係ない、死ぬことが目的なのだから。
「いやぁぁぁっ!!」
麻衣の叫び声を最期に、俺はまた目を覚ます。うつらうつらしながら、ふと思い返す。
やっぱり、死んだか。
もしかしたら、ただ動きを封じるための筋肉弛緩剤かもと過ぎったけれど、やはり生命の危機につながる毒薬を所持していたわけだ。
あんなものを隠し持っていると知っていたら、もっと早く楽に死ねたのかもしれない。もう全て今更であり、たらればの話でもあり、そして過去ではなくこれから訪れる未来の話なのでまた同じ状況になったら使わせてもらおう。
グラスと氷が重なり、カランと心地よい音を立てる。
「あ、もしかして寝てた?」
聞こえた声に顔を上げると、目の前には制服姿の塚本麻衣がいた。冷静に視線だけ周りに向ける。ここは見慣れた空間、俺の部屋だ。
「そう、だな。少しだけ寝てた」
たしか、今日は終業式だったか。午前中で学校が終わって、塚本が俺の夏休みの課題を持ってきてくれてそのまま勉強会って流れだったな。
それで、だ。そこから記憶が欠落している。たぶん何らかの方法で塚本が俺を眠らせてあの廃墟、ラブホ跡地に手下と共に運んだのだろう。
俺の一言に、塚本は僅かに肩を震わせた。
顔には動揺は見えない、が。つまり、もう眠らせるための策は講じられていたということだ。
グラスに何か細工をしたか?
さり気なく手元に寄せる、僅かに沈殿した何かが底にはあった。
本当なら眠っているかどうか確認して隙を見て連れ出すつもりだったのだろうが、恐らくその途中で脳が覚醒したのだ。俺の死に戻りが睡眠薬の効き目を上から塗りつぶしてしまったようだ。
「麻衣」
「……へ?」
グラスを持ち、揺らす。
俺は、これから起こることを知っている。それが分かっているはずなのに、どうしてか笑っていた。
「家族を大切に思ったことってあるか?」
「うん……今も大切だよ」
なぜ急に名前を、急にこんな話を、そう顔に出ている。
塚本からすれば、眠らせた俺を一刻も早く運び出したいはず。普通の人からすれば分かりづらいが、焦りが見える。
「小学生の時、どこらへんに住んでいた?」
「え、どこって……」
「もう隠し事は無しだ。俺は麻衣を救いたい」
「…………」
そして、ひとつの住所を口にした。
「ありがとう」
それが本当か出まかせなのか遡って確かめるしかない。だから今、精一杯それを記憶する。
「な、なんかまだ調子悪い? いつもの立川くんじゃないみたい」
「巡瑠でいい。あの時もそう呼んでただろ」
塚本の顔つきが変わった。明らかな警戒だ。
「覚えててくれたんだ」
「あのときは、ごめんな。気付いてやれなくて、助けられなくて」
「ち、違う!」
塚本は俯いて握った拳に力を籠める。
「謝ってほしいんじゃない、慰めてほしくもない! そんなことは今どうだっていいの。そもそもどうして謝るの? なんで、何を知っているの?」
塚本の表情が絶望に変わっていく。
すべてが瓦解していく。塚本は先の展開を読んでいた、はずだった。このような切り替えしがあるなんて思ってもみなかっただろう。
「俺は知ってるよ。麻衣が何をされてきたか、何をしてきたか。何を目的に転校してきたか、俺をどうするつもりかも」
「うそ……嘘だよ、いやだなぁ……冗談きついって」
顔を横に振る。そして取り繕う余裕のない、歪んだ笑顔を向ける。俺はそれを黙って見据えた。これは相手との心理戦でもなんでもない。ただのチートだ。
タイムトラベルという夢のような能力を持つ者のただただ理不尽なネタバラシ。計画をゼロから考えてきた塚本の、努力を殺す。文字通り人生を棒に振らせている。
でも、それでいい。
それ以外の道を、俺が作り直すのだから。
「俺は超能力者なんだ。だから未来で何が起こるかを知っている。俺はそれを食い止めるために、今ここにいる……、とか言ったら信じる?」
「…………そんなこと」
あり得ない、そう口にしようとしたところで塚本は止まる。
引っかかるところがあるのだろうが自分からボロを出すわけにはいかない、そんなところか。
「矢武を嗾けたのは知ってるよ。思惑とは違う動きをしたせいで麻衣の本当の目的ってのがだいぶ分かりづらかったけど」
俺が明羽と別れたというだけでなく、復縁をさせないために矢武を使い、完全に繋がりを断とうとした。男女間でのトラブルがあれば周りの視線も風当たりが強くなる。
でも、塚本麻衣には関係のない話だ。女性不信に陥らせて、あとからゆっくり自分色に染められればそれで良かったのだから。
だが、嫉妬に狂った矢武は力に誇示したやり方しかできなかった。
加減ができなかったのだ。うっかりで済まされるレベルではないが、本来ならば命を奪うまでは目的ではなかった。傷つけられれば、塚本としてはそれでよかったのだ。
「それは、彼女。納富さんが言っていたから、そう思っているの?」
納富、納富いと。
そうか、あの時の会話というか、口ぶりからして少なくともゴールデンウィークあたりから動き出していたというのは本当だったか。
そうでなければ今ここでその名前が出てくるはずがない。早い段階で核心まで迫っていたというのに、あっさり本人にはバレているところが実にアマチュアというか、興味本位の範疇と言ったところか。観察力は鋭いが探偵には向いてない。それに物的証拠がない、だからこそ戻れなくなるところまで来て危ない目に遭ってるんだけどな。
なんて、俺が言えた立場じゃないな。
随分と、たくさんの人を巻き込んでしまった。
俺は部屋の天井を一度仰ぎ見る。
「納富は多分、このあと麻衣の過去について調べるはずだ。明羽も一緒に」
「私にそんな大した過去なんて、ないのにな」
俺は、某ラブホ跡地で塚本麻衣が都鹿野に反撃され、しばらく閉じ込められていた時間にそこまでの経緯を大まかに説明してもらった。
「戸田を巻き込まないでくれ」
「っ」
会話の流れから出るはずのない人物の名前を聞いて、麻衣は眉根を寄せた。
「あいつは良くも悪くも純粋なんだ。戸田の人生を滅茶苦茶にしないでくれ。頼む、これ以上周りを巻き込むな」
純粋ってのはつまり、染まりやすいんだ。だから簡単に懐柔できちゃったんだろうな。
こんなこと、誰の為にもならない。誰も幸せになれない。
周りを巻き込む、ね。
死んだ俺は、俺が死んだ後の世界ってのが続いているなら、一番周りを巻き込んでいるのは俺自身なのだろう。
言っている言葉のひとつひとつがブーメランとなって俺に返ってきている。誰だってそうだ、正論をかざすことは簡単だが、正しく居続ける人間なんてこの世に居ない。悪が絶対悪でないように善も絶対ではない。身勝手理不尽極まりない。本当に、どうして俺にこんなことをさせるのか、神様の気が知れないよ。
「戸田圭吾くん、ね。一番手っ取り早い気もしたけど、友人関係を壊してまで忠実に動いてくれるか心配ではあったよね」
「……期待以上だった、とは思うよ。おかげで明羽と納富の動きは封じられたわけだから」
あいつ自身が命を断とうとしたのは、それも命令に入っているのだろうか。
俺は、怖くて尋ねる気にはならなかった。
「ふうん。そう思うなら、そこまでわかってるならどうして止めないの?」
「止めたって無駄だと分かってるから。だから俺は確認をするんだ」
歴史の生き証人なんて大した者になれない。俺はその逆を行く、死に証人。
「俺が過去を変える。そのために俺は命を掛けなければいけない。だから、少しでもそのための希望を持つために」
一度目は、大敗した。憎しみを持ち、それを糧にした結果、死を繰り返す恐怖と憎悪に負けて心が死んだ。再構築をする形で感情を取り戻したはいいものの、全てに蓋をしてしまった。
だから、俺は逆を行く。
憎むのではなく、慈しむ。助けたい、その先が平和でありたいと願い、俺は戻る。
「……おかしな話だね。私が原因だって言うなら今ここで止めればいいのに」
「経緯は知らないけど半グレみたいな奴ら従えてるでしょ。口ぶりからして脅しのネタみたいなの持ってるんだろうけど、今ここで麻衣を止めたところで既に関わった俺たち全員殺される」
「私が持つその証拠を誰かに譲渡すれば、まだ希望はあるかもよ?」
「……多分だけど、出来れば出したくないでしょ?」
その証拠の力を見ると、暴力や数の力で押し通せないほどの物、恐らく物理的な証拠ではなくデータのような実態のない証拠。
数多くのバックアップがある、そしてプログラムの知識が少しあれば、例えばデバイスに24時間以内にアクセルが無ければアップロードされたり、不特定多数に拡散させるシステムも決して不可能じゃない。
仮に自分でできなくても、ダイレクトメールで第三者に依頼することも可能。
実になんでもありの時代になったことが、恐らく反逆できない所以。
だから、最後の手段。自分に何かあったときの保険。
その証拠とは関与せず、私情で動いた男が、都鹿野一颯。
塚本麻衣に復讐するチャンスさえあれば動ける男なのだから。
だが、証拠を掴んでいるにしてもけっこう前の出来事の筈だ。それも中学生なりたてくらいの年齢で。
俺を捕まえたときに過去の話をしたとはいえ、ほとんどの概要というか詳細は飛ばされていた。
実の父親が残した何か。
自分が感じた一番の苦痛を他人に与えていることから、恐らくそういった関係の証拠なのだろう。
自分だけの情報ではなく、自分ともう一人大切な人。
母親。
「これ以上は、見透かさないでほしい、かな」
俺は麻衣の顔をジッと見て考えすぎていた。
恥ずかしそうな、どこかバツの悪そうな、そんな表情をしている。
「はぁ、全部無駄だったのかぁ。わたしの人生。何か変えられる、いつかは幸せになれると思っていたのに」
「今更だけど、なんで俺にそこまでこだわったんだ?」
俺なんかよりもいい人間なんて幾らでもいるだろ。
「他の男子とは違う、特別に見えちゃったんだよ。子どもの頃だったから、じゃなくていろんな人と関わったからこそ今改めて言えるけど。やっぱり君は特別だよ」
私にとって。
世界にとって。
俺と麻衣の解釈は恐らく違う。
俺自身の魅力ではなく、たぶん。
「そっか」
それは、でもそれはきっと恋ではないのだろう。
愛は愛でも、崇拝的な意味合い。
俺が知りたかった答えは、まだ見出せそうにない。
「もう、誰も傷付けないと約束してくれ」
「…………」
こんな約束を取り付けたところでやっぱり、水の泡だろうな。
塚本麻衣という牙城を崩しても、意味がない。都鹿野がいる。叔父と半グレの連中もいる。俺が今から何を為しても、根本的な解決にはならない。
今さっき聞いた塚本の昔住んでいた住所が本物であることを祈ろう。
「俺もこの際だから告白しておくよ」
これで、心置きなく死ねる。
「俺はあの日果たせなかった約束の通り、お前を救ってやる。今の塚本麻衣ではなく、本来の塚本麻衣をだ。だから俺に縋り続けるのはやめろ。俺みたいな偏屈な奴じゃなくて、ちゃんとした人間を好きになれ」
誰かの人生を本来のものから捻じ曲げることは許されざる行為、禁忌だ。
だが罰する者がいなければ、俺は無事に次の人生を歩める。
「…………」
麻衣は黙り込んだ。
「ちょっとトイレ行ってくるわ」
言いたいことを言い終わった俺は立ち上がる。
部屋のドアノブに手を掛けた時、
「好きになるのは、自由だから」
そう言った塚本の顔を見て、俺は思わず笑った。
「懐かしい」
うん、すぐに実行しなくてよかった。
部屋を出た俺は、階段をすぐには降りらず、隣の部屋をノックした。
「あんだよ、お客さん来てんだから服は着てるよ」
誇らしい顔をした妹の沙希がベッドの上でブリッジしていた。
久々に逢う気がしてツッコむのすらどうでもよくなった。ま、体幹で言えばかなりの日数監禁されていたせいか。
「いや、ちょっとどうしてるかなって」
うまい言葉がみつからない。急に顔が見たくなったとか言ったらどん引かれそうだし。
「大丈夫やど? 例えずっこんばっこんやったとしてもあたいは気ぃ使ってヘッドホンしとくきに」
「いやその確認じゃねえよ」
沙希に真面目な話をするってのは、どうも調子狂うな。
「なぁ、親父が……」
いや、やめておこう。
塚本麻衣の過去を変えて、親父が絶対に死なない世界なんて辿り着けるか分からない。
人の死は、果たして変えられるのか。俺という存在の死だけが異常なのか。
いや、家を火事にされたときは死の運命から逃れられている。だから絶対死はないと信じるしかあるまい。
「な、兄ちゃん。家族はいつでも味方だから。前の彼女連れてこようが、すぐ次の女に乗り換えてようが、兄ちゃんが前向きになってくれてるんなら、それでいいよ」
「あのな、あいつはそんなんじゃないってばよ」
俺は一度廊下の方を見た。
麻衣にはトイレに行くと言っていたのでこの場に長居もできないか。
「ありがとな」
「何をいまさら」
結局最後までブリッジをやめることがなかった妹に礼を言ってドアを閉める。
家の壁が厚いわけではないので、俺がトイレに行かず隣の部屋にいる沙希と話をしていることは当然、麻衣には筒抜けだ。会話の内容までは聞き耳を立てない限り知るところではないけれど。
ようやっと俺は階段を下りて一階へ戻った。
ああ、安心する。俺がずっと住んでいる家。
またここに戻ってくることを信じて、決意をして、俺はキッチンへと足を踏み入れる。
「ふー、ふー」
呼気が荒々しくなっていくのが、自分でもわかる。抑えようにも、一向に治まる気配はない。
どうして?
廃虚で死ぬのとはわけが違う、ここは自宅だ。
いやに現実味がありすぎて俺は緊張しているのだ。
日常から逸脱する行為を今からやろうとしている。
ああ、確かに慣れることなんてないのだろう。それこそ感情を、理性を殺すくらいしないといけない。でもそれは慣れではない。機械と同じだ。
「ふっ、ふっ、ふっ」
包丁を手に持ち、考える。
どうやって自害すれば、一番楽であり、後処理が楽なのか。
首吊り、風呂場でリストカット、練炭自殺、毒殺。監禁される前になると、選択肢が増える、だが。どれも決定打に欠ける。
心臓を一突き、切れば血液が飛び散り、後始末が大変だ。突くだけならそこまで汚れたりはしない、かもしれない。だが、きちんと考えて刺さなければ、肋骨の間を通せなかった場合、地獄の苦しみが待っている。
準備も含めて一番手っ取り早い方法なだけに、決断を迫られる。
場所を変えよう。
勝手口から外へ出た。
夏の日差しとセミの鳴き声が、心臓の鼓動に合わせて苛立たせる。
「っ」
逆手に持った包丁を思いっきり左胸に突き刺した。
「い゛」
駄目だ、浅い。
「あああああああっ!!!」
痛みを誤魔化すように再度、力を籠める。
躊躇すればたちどころに握力も無くなっていく。
そうして俺は。




