59 既視感
それからは、また塚本に犯され続ける地獄のループに戻るかと思っていたが、今まで人として持っていたモラル、倫理観を全てかなぐり捨てて、目の前の女子を殺める行為が連続して行われた。
どうして連続でそれが可能だったか。
塚本麻衣を殺したあと、邪魔がなくなった密室空間で俺がやったこと。
自害だ。
死が訪れ、きっかり24時間巻き戻る。時間を確認する術がないのでそこからは体感であり、確実ではないけれど、途中気絶したりタイムラグがあったものの、だいたい4、5日に掛けて俺は犯されていたのだと結果論で悟る。
死に方に関しては選ぼうと思えばいろいろあった。壁などの固い部分に頭をぶつけて当たり所次第で死ぬ、舌を噛み切り出血多量で死ぬ、ドアノブや電気に布類を巻き付け首を通す首吊り。
出血を伴う死に方はとんでもないくらい痛いし、死ぬまでに時間が掛かるからリセット方法としては失敗。血とか肉とかグロいし、気分が悪い時間もプラスされてもう最悪だった。なので結果的に全て垂れ流しになってしまうが、自分には関係のない事なので首吊りのほうが苦しみが幾分かマシだった。意識がなくなるし、たまに苦しみ切る前に死ねた時は運がいい。
だが、経験する者ならではのあの感覚、それをあと何回繰り返さなければいけないのか、そんなことを考え始めると怖くなって尻込みしてしまうだろうし、一度踏みとどまればそれが癖になって巻き戻るまでのタイムラグがそれだけ延びてしまう。そういった思考の原動力を全て怒りという感情に変えて俺は行った。そうでもしないと耐えられそうにないから。
衰弱死をする前からだいぶ回復、というか摩耗する前の自分に戻る感覚は不思議なものだった。ただ、そのせいで死に至るまでの時間が増え、その時間が延びるほど恐怖心もどんどん膨らんでいく。
時間は確実に巻き戻るが、代わりに心が擦り減っていった。
手足が拘束された段階まで巻き戻れたときは一つの節目だと思ったが、ここが一番難関だったと知る。
何故か。
舌を噛み切ることでしか命を絶つ手段が無く、いとも簡単に死ねるのならまだしも、苦しみもがいている間にまた時間をロスしてしまっていたのだ。それに付け加えて、俺が自ら死を選択するなどと思わなかったのだろう、塚本が急ぎ部下たちに命令するなりしてガーゼや布などを集め止血を試みるのだ。
そのときの慌てた様子を見て、俺は初めて塚本麻衣という人間を見れたのかもしれないと思った。だが、あそこまで狂った結末を迎えると分かった以上、俺は情に流されまいと、再び自害を繰り返す。
途方もない、とはまさにこの状態を言うのだろう。
何度心が折れたか。
諦めたら、結末へと向かい、またここまで繰り返さなければならなくなる。
死までの躊躇が無くなるころには、俺は心が壊れていた。
塚本に捕まる前、夏休み前、ゴールデンウィーク前、始業式前、高校一年生の頃、そこから飛び飛びで、俺の記憶は欠如している。文字通り精神が崩壊したのだ。
どんな経緯で、助かったとしても、俺は新たに植え付けられた俺だけの本能で死を繰り返していた。家で、学校で、出掛けた先で、家族の前で、友人の前で、恋人の前で、誰かの目の前で、死に方も選ぶ考えもなく、目に映る範囲で最善の、最悪の死をひたすら繰り返している。
人によっては夢のような感覚かもしれない、記憶の断片、既視感、前世の記憶云々、俺はまどろみながら、脳みそを撃ち抜かれたことで、思い出した。
俺は、塚本と出会う前よりも更に巻き戻ることができていた。
生と死の概念を知らない、幼児期まで戻れていたのだ。そこから前に戻れなかったのは、恐らく保護者という存在のおかげだ。
親が面倒を見ている、これから何をするか分からない段階だから。護ってもらっているから、俺の死に戻りはそこで止まったのだと考える。
俺はまさしくそこから再び人生を歩み始めてしまっていたのだ。精神を、自我を育み始めたのだ。だから俺は自分が15年近くも死に戻っていることすら知らない。これから何が起こるのか、どうすれば止められるのか、誰と出会い、誰と恋仲になるのか、妹の沙希が生まれてくることさえ、これから知ることとなった。ときどき感じる既視感、デジャヴはそういうことだったのかもしれない。
記憶が無くなったとはいえ、今までとまったく同じ人生を歩むわけじゃない。
俺の行動や、俺をきっかけとした誰かの行動が僅かに一度目の人生と比べて変わっている。それを俺は、年齢を重ねるとともに、思い出してきていた。おそらくそれも死に戻りをきっかけとしてに過ぎないだろうけど。
俺は2,3歳くらいから17歳までの人生を二度に渡って繰り返していた。これは揺らぎようのない俺だけが知る事実だ。
だが、納富いとに関しては、憶測ではあるものの正解には辿り着いていた。俺の記憶力の不確かさに、違和感を抱いてくれていた。
あのときもそうだ、普通なら誰も信じないようなことを信じてしまう。信じてくれた。
もし、俺じゃなく納富のような寛容で機転が利く人にこの能力があれば、こんなに遠回りなんてしなくてよかったんじゃないか。俺よりも不幸で人生を変えるに相応しい人間がもっと世界中にいたんじゃないか。そんなことさえ考えてしまう。
俺に力が無ければ、あのとき帰り道で塚本の告白を断ったことで矢武に刺されて俺の人生はとっくに終わりを迎えていたのだ。
それを踏まえて、俺は瞼を開く。
手足は、拘束されていた。
ゆっくりと部屋を見渡す、俺が監禁されている部屋、いわゆる廃墟、ラブホ跡地。
今が何日の何時かなんてわからない。だが、あと何時間後かには明羽と納富がここへ来てしまう。
そしてこのまま何もせず24時間後になると、俺は都鹿野一颯に殺される。殺されないにしても、全員無事では済まない。
目の前にいる塚本も同様だ。だが、彼女はそんなこと露知らず俺にこれまで自分が辿ってきた経緯を話している。
「……なあ、麻衣」
俺は、およそ5年ぶりに彼女の名前を呼んだ。
「……どうしたの、急に」
少し離れ、警戒を見せる。
まあそういう反応だろう。この状況で何か良からぬことを考え出した、とか思っているんだろうな。
あの夏、うだるような暑さのなか、俺は自販機で唯一売れ残っているペットボトルのお茶を買った。そこから始まった。
「不味そうなパッケージの麦茶だったけどさ、あれ美味かったか?」
「……っ。覚えていたの? いえ、思い出したの?」
塚本は驚いたあと、少し嬉しそうに頬を緩めた。
「お前にとって、特別だったんだな。俺は誰とでの出会いも特別だと感じたことはなかったから、これでもけっこう時間掛かったけどな」
俺にとっては父親の都合に付き合っただけの、なんでもない夏休みの数日。
「親父がいなければ、俺とお前は出会うことすらなかった。お前はまず、それを踏まえて謝罪してもらわなきゃいけないよな?」
「…………」
塚本麻衣がここにきて初めて押し黙った。
明らかに自分が優位に立っていたであろう人物が、今まで捕えていた何も知らない俺と、自分の過去を語り失った記憶を取り戻したあとの俺の態度に、改めざるを得ないのだろう。
かつて自分が希望を見出した人間が、今目の前にいるのだから。
「俺はお前のことが好きじゃない、態度や今までしてきたことから考えて誰だってそういう結論になる。だが、お前のこれからの態度次第でそれが変わるって言ったら、信じるか?」
「い……、どういう風の吹き回しかな?」
俺は塚本麻衣が憎い。
殺したいくらいに、それこそ殺してしまったほどに憎い。
だが、それは別として塚本のこれまでの境遇は確かに同情の余地がある。
無関係なのに、俺だってそう思うよ。なんでそこまで期待されなきゃならないんだ。けど、塚本は子どもながらの本能で俺の能力に気付いた。
執拗なまでの俺へのこだわり。その答えがきっと、俺が死ぬことにより意識が24時間前へと戻る能力にある。
「そうだな。よし、俺にキスしろ」
「……はぁ?」
動揺してはいるが、顔は若干ニヤついている。
自分のいいように運んだ、とまでは思わないにしてもそういう類の妄想を膨らませているということなのだろう。
「そう言って、近付いた隙に頭突きとかされたら怖いから」
両手足を拘束されているとはいえ、攻撃の手段がないわけじゃない。敵が近付いてきたら頭突きするのもひとつの手だ。
「じゃあ、それは無しだな。謝罪しろ」
「あくまでそういう態度なんだね? いいの? こっちには人質がいるかもしれないんだよ?」
「構うもんか、それは俺の態度が悪いから、じゃない。お前のせいだ。お前のせいで俺は死ぬし、その人質も死ぬ。そしてお前は一生俺を自分のものに出来ない。なぜか、そういう選択をお前がしたからだ。もう名前ですら呼んでやらないね、お前って呼ぶからな、おまえおまえおまえおまえ」
「ぐっ……、な、なんでいきなり開き直ってんのぉ」
痒いところに手が届かないってのはこういう表情を言うんだなと思う。
絵にかいたような歯痒い面をしている塚本に俺は、なんでか勝った気分になっていた。
けど、その喜怒哀楽の豊かさを引き出すことが俺の目的でもあった。
完璧超人を演じてきた彼女は、実は驚くほどに脆い。誰も試してこなかっただけで、計画通りにいかないと、その鍍金は簡単に剥がれ落ちる。
俺は一度、それを見ている。
だからこそ、素直だった子どもの頃の話をしたにすぎない。
ずっと待ち望んでいた光景を、ご褒美を取り上げられるのは、人間だけと言わず生物みんな苦しいもんな。
ましてや塚本は女の子だ。
俺が言うのもなんだけれど、好きな相手の前で余裕ぶっていられた今までが、すでに限界だったかもしれない。好きな人の前だと、つい余計なことを考えたり、はりきったり、緊張したり、いろいろと今までどおりじゃいかなくなる。
男子も女子も一緒だ。その点はさすがに免疫を作れなかっただろう。こんな風に言い合いもしたことないだろう。本音を出したこともないだろう。
じゃあ、出させてやるよ。
「わたしは麻衣……。お母さんが付けてくれた名前をっ、呼んでよぉ……」
今にも泣きだしそうな子どもが、そこにいた。
名前を呼んでもらえて嬉しかったのだろう、反動がでている。
他人を扱うのが上手いだけ、心理に強いからと言って、崩せないわけじゃない。だからだろう、誰も挑みもしないで強いと決めつけてしまっていた。
「じゃあ、先に言うべきことがあるだろ」
「うぅ……」
蚊の鳴くような声で、泣いた。
整った顔がしわくちゃになる瞬間だ。
「ご、め゛、ごめんなさい。
ごめんな、さい。ごめんなさい。ごめんなさい」
堰を切ったように、言葉を続けた。
何について、とは言わなかった。心当たりがありすぎるのだろう。ひとつひとつをとっても手遅れなことばかりだ。
今の塚本麻衣を俺は救うことができない。
「拘束を解け」
泣きじゃくりながら、言われるがまま、俺の両手足を自由にした。
神々しいくらいに綺麗だった女の子が幼児退行したようになっている様を見て、なんとなく胸の奥が痛むような思いがしたが、自業自得だろうし俺としてはまだまだこんなものじゃ足りない。
けど。
ここに戻ってくるまでに俺は10回以上は塚本を殺めている。
贖罪なんだろう。
俺だって人殺しだ。
親父に、家族に、あいつらに顔向けできる立場じゃない。
立ち上がり、塚本を抱きしめた。
「っ」
全身を強張らせる。
俺も抵抗はあった。もしかしたら今までのが全て演技で、抱きしめた瞬間刺されるのではないか。何か罠があるんじゃないか。
そう思案しつつも、俺は彼女を抱きしめた。
もし殺されたとしても、遡るだけだ。
恐らく、あと1,2回死ねば監禁される前に戻れる。
きちんと精算したかった。
俺はアレをまた実行するんだから。
「明羽にも、きちんと謝罪してくれよ」
「ひくっ……うぇぷ、へ?」
えづきながら俺の言ったことが理解できなかったのだろう、首を傾げた。
「今のまま待ってたとして……、あいつが連れてくるだろうからな、麻衣が壊れたままだとあの時に逆戻りだな」
「へへ~、麻衣って呼んでくれたぁ」
駄目だこりゃ。
都鹿野がこれ見たら、確実に殺される。
「都鹿野も救ってやりたいけどなぁ」
まあ、元を断てば結果オーライにはなるか。
「ああ、いやこっちの話」
塚本がジッと見ていたのでちょっとドキッとしてしまった。違う意味で。
「その、謝ったら、あの、もう一度抱きしめてくれますか?」
恥ずかしそうに、提言した。
というか同一人物だよな?
喜怒哀楽というより性格すら変わってる気がする。
明羽、ごめん。
俺は塚本の唇に、自分のをそっと重ねた。
「っ、これは罪滅ぼしだからな」
自分からしたのになぜか照れくさくなってしまった。
「ふふ、やっぱり。わたしの思い込みじゃなかった」
その瞬間、塚本が冷静さを取り戻した。そして、
「だめだ」
俺は塚本の右腕を掴んだ。そして、その手に握られたものを叩き落とす。
カラン、カランと音を立ててブツは落ちた。
「……どうして気付いたの?」
「お前さ、自分のやりたいこと叶ったら死ぬつもりだっただろ」
塚本はまたも、目を見開いた。
正確には死に場所を探していた、様に見えた。
違和感を覚えたのは、それこそ欠落していた最初に塚本麻衣が俺を監禁したところから。
俺自身、確かに監禁され拘束され衰えてきていた。それは当然だ、途中から飲食を制限されていたからだ。が、塚本に関しては明羽と納富を遠ざけたあとからはずっと俺と居た。条件が同じだったのだ、塚本自身に部屋から出る意志はなく、また何人も部屋に入れたくないという覚悟があった。塚本にとって、俺との時間は食事よりも、排泄よりも、睡眠よりも優先されていた。
お互いがお互いに生命力を削っていた。そして俺の方が先に力尽き、しばらくして塚本も同じ空間で息を引き取っている。死後の状況なんてただの想像でしかないが、あいつにとって俺が原動力なら、失ったときに果たして普通の生活に戻るのだろうか、戻れるのだろうか。また別の人を好きになる? 可能性はあるけれど、極めつけは俺が塚本を殺した時だ。
『ありがとう』『救ってくれて』
自分を殺そうとしている相手に、そんなことは言わない。
死を迎えることが彼女の救いになるなら、最期に叶えたいことがあったはずだ。誰かに会いたい、振り向かせたい、この人になら殺されてもいい、この人を殺して自分も。
自責の念に駆られたのか、罪を背負って生きていくことに嫌気がさしたのか、それは本当の塚本麻衣にしかわからない。自分を失い、人に裏切られ、誰にも本当のことを言えず、ここまで独りで生きた。
もちろん、過去の塚本の話だって脚色があったり、嘘も混じっていることだってあるだろう。或いはそういう作戦かも、と疑いたくなる。
だからこその二週目だ。夏休みに入ると同時に納富が塚本の過去について裏取りしていた。都鹿野に捕らえられたあと、擦り合わせをしているから確かな情報だろう。
矢武の私情を挟んだ行為のせいでいまひとつ目的を掴めなかったが、自分に関係のないところで俺が死ぬことだけは避けたかったはずだ。あいつの単独だったからこそ、ずさんな計画に一矢報いることができたのかもしれないけれど。
そう理由付けしながら塚本が使おうとしていた、地面に転がり落ちた注射器を拾い上げる。
「俺が死んでも、後を追うな」
針についたカバーをそっと外す。
「今からでもやり直せる。麻衣が救われる世界があるんだって俺が証明するから」
そして俺は、それを自分の首に突き立てる。
俺が諦めた世界に、たったひとつの呪いを残して。




