6 人は真実よりも面白い方を信じるという話
質問。
あなたの学校ではひどい嫌がらせやイジメを受けている、なんて事がありますか?
はい/いいえ(はいの方は詳しく)
毎年1回か2回行われる学校評価アンケートに須らく載っている項目。
いつもの定石なら答えはいいえに丸をつける。誰だってそうだろう。
俺の場合、イジメや嫌がらせがあるなんてこと事態を知らないから。
生徒の誰かが誰かをイジっている。先入観でしかないがそれを見る人によってはイジメとして捉えてしまう。けれど確証ではないから告発は出来ない。場合によっては問題点ではなかった部分を議題に大きな問題へ発展しかねないから。
他に挙げられるパターンとしてはそれが本当にイジメであった場合。これまた厄介な話、標的が自分へ移ることへの恐れ。誰が告発したのか、なんて野暮なことは学校側は暴露しない。最低限の守秘義務はどこにでも適応される。だが今のこの情報社会において告発した本人が絶対にバレないという可能性はゼロではない。可能性の高さや低さの次元ではなくゼロじゃないことがこの場合は重要になる。
自分がイジメの対象になる可能性を自ら上げる必要性をいったい誰が実行するのか。ほんの少しの勇気や正義感で学校生活に亀裂を生むことはない。
もうひとつ、イジメの被害者が学校側に救いを求めるかというパターン。
自分を助けてくれるという期待を持っているのなら、被害者はその前に訴えに出るだろう。だけど学校側の措置は?
担任の場合、自分のクラスにイジメがあったと知ればその生徒の心配より先に監督責任の方に考えが至ってしまうのではないか。
学校側は大事になる前に問題を可及的速やかに片付けたがる。権威を振る舞えるからと言って、それを正しく振るうかはやはり個人の感情が邪魔をする。
結果、中途半端な注意喚起だけで抑止には繋がらず告発したのが影響しエスカレートするかもしれない。
思春期、精神の不安定。
それが恋愛事情と実はさほど変わらないというのが、俺には驚きだった。
「誰がこんな」
俺の隣で涙目になりながら塚本は口もとを手で覆った。
正直、塚本の声は反応なんてものはどうでもいい事だった。
激しい後悔、苛立ちや不安。こめかみが痛む。
学校の掲示板に貼り付けられたその写真の羅列は、まるで俺が二股をしていると知らしめているかのようだった。
そんな事実はない、この写真に写っている当事者たる3人は自分たちがそれを一番よく分かっている。だけど写真を貼られていただけで何をどう言われているわけでもなく、否定もしづらい。それどころか反応次第では逆に説を強めてしまう危険性さえ孕んでいる。
けどコレを見た誰もが頭の中で何かしらよくない情報をツギハギに結びつけて結論を出そうとする。
誰がこんなことをやったのかではなく、何をしたのか。
そんな中、昇降口の方から1人の女生徒が早歩きで掲示板の前にやってくると、そこに貼り付けられていた写真を感情任せに取っては破いていく。
「ッざけんな、ふざけんな!」
後ろ姿と声で分かる。明羽だ。
「おい」
明羽の肩に手を置くとキッと睨みつけるようにこちらを振り返って、互いに驚いた。
「あ」
明羽は多分悔しかったのだろう、涙を流していた。
誰かからこの事件のことを聞いて、脇目も振らずに写真を剥がしに来たに違いない。近くにいた俺にも気付かないくらい、悔しかったのだ。
まったく、俺は何やってるんだか。
掲示板の前に行き、俺は写真を剥がしては破り捨てる。明羽は黙って俺の行動を見据えると、再び写真を剥がしにかかる。
「私は、箒とちりとり持ってくるね」
「よろしく」
塚本は廊下の掃除用具入れまで走った。
「ごめん、私のせいで」
黙々と作業に没頭するのかと思ったが、存外素直に口を開いた明羽に内心驚いた。
「いいって」
そう。明羽は悪くない。カフェに行った日のライブは誘ってきたのは明羽の方からだったけど、それに応じたのは俺だからそれは甘んじているつもり。
「誰がこんなことしたんだろうな」
「......分かんない。けど絶対に許さない」
憎々しげに呟く明羽。
確かに心当たりは無いけど、ひとつだけ確信が持てることは現状ある。
写真のアングルや構図を見ていれば何となく察しはつく。
狙いは俺だ。
教師が駆けつけることは無かったのでひとまず問題にはなっていないはず。
教室へ入ると案の定、クラスメイトによる様々な思惑の視線を浴びるハメになる。
「まったく、モテる男は辛いってか」
戸田が呆れた様子で俺の机で頬杖ついている。
どうやら俺が来るのを待っていたようだ。
「そんな楽しい気分じゃないぞ? こっちは被害者なんだからな」
「その割には堪えてないな」
隣でマコっちゃんが俺の態度を見て変な顔をする。
「今はって感じかな。多分これから酷くなるのは目に見えてる」
友人という立場の人間なら話せば理解はしてくれる。問題はそれ以外の生徒たち。
俺のことを知ってる程度の奴は事実関係くらいは聞いてきそうだけど、話したところで誤解のようなものが(今はまだ不確定)果たして解けるのか微妙なライン。
そして俺のことを全く知らない人たちは、きっと俺のことをだらしがない、女たらしだとか思うのだろう。特に一階の掲示板は全学年が通る廊下でもあるため、先輩及び後輩にも知れ渡ったと考えていい。クラスメイトの眼差しが痛々しい。
でもそれは塚本にも向けられ、五分五分の被害を被っていることになるけど。
「あっと、予鈴か」
時間が解決してくれるのを待つか、自ら身の潔白を証明するか。実害が起きてからそれは決断しよう。これを機に虐められたら嫌だし。
担任の先生が教室に入ってきてGW中にこれといった問題が報告されてなかったことを褒められ、これから先の中間テストに向けて気を引き締めて等などを話す。
つい先ほど問題が発生したことなど露知らず。もしくは知っていて話題に出さないだけなのかもしれない。後で秘密裏に呼び出されることなんてあるのかも。
「はぁ」
積み上げてきたもの、とまで言うつもりは無いけどある程度の信頼なんかは失ったりするのだろうか。
分からない。
前例があった試しも無い。
やがてホームルームが終わる。
肩をトントンと叩かれ振り返ると後ろの席の女子が小さく手招きしていたので耳を傾ける。
「立川くんは心当たりあるの?」
一言目から核心を突くような言葉選びに俺はズッコケそうになる。
えーっと確かこの子の名前は……、
「女子の納富さんからしてあの写真に対する感想は?」
質問にあえて質問で返すことによって多少の気まずさを悟られないようにすると同時に犯人の糸を知りたかった。
「まぁ二股? 最低って思うよね」
溌剌と語られたことにむしろショックが大きかった。
でもこの納富いと、という女子生徒なら包み隠すことなく答えてくれる自信があった。席替えで前後になった俺とそこまでの接点が無いにも拘らず、話しかけてくれた事で性別を問わず明るく接する子だと分かったからだ。
「でもみんな知ってるか分かんないけど、立川くんと明羽って別れたんじゃないっけ?」
そう。
去年俺とクラスメイトだった人間のおよそ半数と明羽と仲がいい女子グループ、俺との接点が多い奴なら全貌を把握している。
だからこそ、この嫌がらせに込められた意味が、意図が分からない。
「えっと、塚本さんとは仲が良いのは知ってるけど付き合ってたりとかは?」
「ない」
俺が塚本麻衣をたらしこんでいるという噂があったのは知っている。けれど事実関係はただの友人、というか基本的に向こうが絡んでくると声を大にして言いたいけど、本人が傷付きそうなのでお口ミッフィー。
もし俺がどちらかと付き合っていてさっきの写真がばら撒かれたのなら、俺という存在は失墜していたのかもしれない。
まるで同じカフェで密会でもしていたかのようなアングルだが、密会も何も俺たち3人は鉢合わせをしている。
スリーショットを敢えて伏せているのだとしたら、やはり何も知らない大衆に向けてのメッセージなのか?
おかげさまとも言うべきか、いつもは退屈と感じる授業も頭の中のモヤモヤのせいでいつの間にか昼餉の刻にござんす。
「飯食おうぜ」
「おうとも」
戸田とマコっちゃんが昼チャイムと同時に俺の席の方へやってくる。
「じゃ、行くか」
教室を出る際、塚本の方を横目で見やると1人で弁当を広げていた。
1人か。
「あの掲示板ってやっぱりおかしいよな?」
先を行く二人に追いつくと何やら聞き捨てならない話題に花を咲かせていた。
「なにが」
「いや、今日朝練で早出だったけどあの写真に気付かなかったんだよ」
ん?
「いや、荷物だけ置きに教室に行ったんだけど......、普通気付く筈なのに気付かなかったんだよ」
「じゃ、誰かが登校時間の合間にあれだけ貼っつけた言うんか」
枚数で言うなれば十数枚くらいだったか、組織ぐるみの犯行じゃなければ到底不可能だ。
「でも今日見た限りじゃ、先生たちは何も知らない感じだっただろ? 玄関の鍵は先生が解錠するから掲示板の変化に気付かないわけがない」
渡り廊下の鍵も開けて最後は生徒用玄関を開ける先生が掲示板の前を都合よく通らないなんてことはありえない。
そうなれば早く学校に来た生徒が犯行に及んだことになる。けれど、俺はさっきの状況に違和感が生じていた。
明羽が掲示板前にやってきたのは教室へ行く途中ではなかった、という点。鞄を持っていないし、何より階段の方からやってきた。
つまり明羽が登校していた時間帯には、まだ問題には発展していなかったのでは?
「写真が貼られたのは登校時間のど真ん中かもしれないって可能性?」
「かもって話。少なくとも誰かが気付いて野次馬が増えたのは朝早くじゃなかった」
犯人はひとりじゃない可能性が高いのか。
「うちの学校に監視カメラがあればなぁ」
「残念、火災報知器しかない。肉うどんひとつー」
「俺とんかつ定食ね」
人の不幸メシウマってか。
こっちは飯が喉を通るか分かんない状況だってのに。
「牛丼紅ショウガマシマシね」
お盆に七味もスタンバイして列に並ぶ。
食堂を見渡すが、確かに大々的な話題には上がっている様には見えない。
知っている人間だけで盛り上がるのか、知らない人間に教えているのか、そもそも興味がないのか。俺としてはそっちの方がいいけど。
考えたくはないが、嵐の前の静けさってやつなのかもしれない。
「しかし、こんな時だってのによくそんなの食えるな」
「牛丼バカにすんなよ! 汁だくだぞ!」
「知らねぇし」
新米に染みていくのを眺めるだけで朝の嫌なこととか忘れられそう。
「飯中にスマホいじんなって」
俺が戸田に注意すると「ちょい待ち」と舐り箸で待ったをかける。マナーが悪いったらありゃしない。
「最悪の投稿を見つけたぞ」
「なんだ、俺の悪口とか?」
冗談交じりに戸田のスマホを覗き込むと思わず、
「こマ?」
変な若者言葉が飛び出してしまった。
「これって今朝の掲示板か」
掲示板を誰かが写真に収めていたのだろう。そして、ご丁寧に顔に横線モザイクを入れての投稿。そして身バレや考察、悪口の数々。それらがリアルタイムで進行中。
「FLASHみたいにされてんな」
「いやこれはFRIDAYだろ」
「もう文春でも何でもいいよ…...、誰だこんな投稿したやつは!」
引っ捕えて引きずり回してやる!
「あー鍵垢をイイネェで巡りに巡ってるな」
「巡瑠だけに」
「よーく分かった、俺に味方は居ないってことがな」
こんなヤツらの薄情さをどうして俺は今まで見抜けなかったのか、殴ってやりたい。
「どーする? 問題報告するか? アカウント停止くらいにしかならんだろうけど」
ネットに出回ったということは誰かがその画像を保存していてもおかしくはない。報告したところで解決するものでも無く、焼け石に水程度の行為にしかならない。
「それが受理されるか知らんけど、頼む」
それでも何もしないよりは、というぶつけどころのない怒りを発散させるように幾つか画像をアップロードしているアカウントに問題報告をした。
「芸能人や政治家の不倫問題が多いけど、巡瑠もとうとう舞台に立ったかぁ」
お茶を飲みながらしみじみと語られる。
「結婚してねぇから不倫じゃないし、どっちとも付き合ってねぇから浮気でもない!」
断言しよう。揺らぐことない事実だ。それこそある程度の知名度がある方々のように記者会見だって開くぞ。
だけど、どれだけ真実を訴えようとも大衆はそれを求めない。面白いと思う方に興味を示すのだろう。
思春期、青春を謳歌されると言わんばかりの華の高校生にとって最も話題にしやすい恋愛模様もしくは色恋沙汰。
暇つぶしのトレンド入りしたことは免れない。
「誰かに恨まれてるんじゃないのか?」
「それは困る」
さっきからその可能性を考えているけど、なんせ心当たりが皆目見当も付きませんの一点張りだからだ。
「当たり障りのないように過ごしてきたんだけどな」
万人に好かれることは事実上不可能。だけど誰にも嫌われない存在になれることは不可能に近いけど実践はできる。何人からかは苦手だと思われているかもしれないけど、嫌われるようなことは極力避けてきた。
深く関わる人間が俺には少ないから。
基本的には広く浅く、変な態度はとらないことをモットーにしてきたおかげで小中学生とまあまあな地位を確立してきた。
流石に高校生ともなると慎重に過ごしてきたんだけど。それ故に今回の事件で俺はかなり参っている。
「牛丼が不味くなる」
今はドカ食い最優先。
「と、いうことなんだ妹よ」
ところ変わって自宅。
「いやいや、帰ってきてゲームやるのかとこっちは全裸待機してみれば、そんな下らん戯れ言か」
生粋の裸族である我が妹こと立川沙希さんはベッドの上で裸にタオルケットを羽織りつまらなそうに溜息を吐いた。
「全裸待機をするな。そして兄のいじめ問題を戯れ言のひとつで片付けるな」
「兄の高校でのヒエラルキー最下位を祝してやれと? とんだ変態さんなり」
「お前のその格好で言われたくない! なんだよコンサートの時の格好良さはどこに行っちまったんだかな!」
「あ、来るなって言ったのに隠れて来たのか!」
「あ」
うっかり失言。
と、なればもはや隠すこともあるまい。
「ビデオもばっちり撮ったぞ〜、ほら! 最新の機種は凄いな。暗いホールでもステージがくっきり、手ぶれ補正に音質良好」
そう言ってフォルダーにあった動画を再生。課題曲発表から演奏とフルに稼働。
「ちなみに母さんは隣で涙ぐんでたぞ」
演奏しているシーンから一気に画面が変わり隣でハンドタオルを目元で抑える母の横顔。
「なんて恥ずかしい家族だ!」
怒気を込めた全裸妹に家中追いかけ回される。その血を色濃く受け継いでいる沙希さんは、この後買い物帰りの母と鉢合わせをしてこっぴどく叱られるのであった。
「で、そっちは虐めとか人間関係は大丈夫なんか?」
「心配性だな、杞憂杞憂」
小型ゲーム機をしながら会話をする兄妹像。他の家庭はどんなコミュニケーションを取っているのか気になる点ではあるけど。俺らはこれが普通にして至高。
「話変わるけど万が一好きな人ができたら言えよ」
「言わねぇよ!」
「なんでだよ!」
お互い声を荒らげながらのボタン連打。別に怒っているわけではなくゲームの局面的にそうなってしまっただけ。
「妹にとって恋愛の大きな壁は兄であると教わった」
声を低くして語らいでか。イケボのつもりだろうか。
「誰に?」
「同じクラスの心愛ちゃん」
「へー、カカオちゃんって珍しい名前だな」
無視された。え、なんで?