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Re Day toーリデイトー  作者: 荒渠千峰
Date.3 最悪の教祖
56/68

55 完敗の涙

「例えば、出掛けた先で些細な不幸が重なってお互いがギクシャクし始めたり、最近なにをやってもうまくいかないと思うようになったり、相手の機嫌が悪かったり、そういった積み重ねのせいで、いや私にとってはそのおかげでこうして巡瑠と一緒に登下校したりできるようになったんだけど。やっぱりどれだけ掌握したつもりでも彼女、織田明羽は枯れてなかった。あれだけのことをされていながら、まだ私に歯向かう意志を残していた。実際、私より強かったね彼女。

それに比べて巡瑠。私がどれだけの人生と時間を費やして貴方を探したと思う? 最初は間違いであってほしかった。私の勘違いであってほしかった。あの女のせいで、貴方が変わってしまったんだと、だから遠ざけたのに。いつまで自分を偽っているつもり?

どうして私がここまでしているのに、貴方は何も応えてくれないの?」


塚本麻衣は狂っている。明らかな奇人であると、今のセリフが物語っている。

妄想癖、情緒不安定、精神疾患、サイコパス。どれに当てはめても今の話を聞いてしまえばしっくりきてしまう。今まで語られたそれが真実ならば、俺は身動きのとれない今まさに絶体絶命だと言えよう。

だが、ここへきてずっと感じているこの妙な胸騒ぎはなんだ?

身内の、ましてや父親の死因の区別もつかず、俺はどうしたというんだ。


「ねえ、教えて巡瑠。いま何を考えているの? 何に怯えているの?」


わけのわからないものを見ている眼差しだ。今の状態を引き起こした張本人だというのに。俺は、どこかでまだ疑っている。さっき話した塚本の話も嘘なのではないかと。

だから、俺の中で矛盾が生じているんじゃないかと。

今の状況、この二人きりの状態では真実を探ることもままならない。家族に連絡をとらせるわけがない。


「俺が怯えている?」


そうか、俺は拉致されて拘束されている。

普通の人は怯えるものだ。

つまり塚本の質問がおかしい、と?

違う。ここにきて俺は初めて恐れを感じている。むしろ今まで冷静でいられた俺の反応がおかしかったのだ。


「お前は俺の事が好きなのか」


些細な疑問。


「ふふ、今更だね」


彼女は笑う。乾いた笑みだ。


「じゃあ、なぜお前は俺が嫌うようなことを、わざわざ敢えてするんだ?」


ふぅ。

塚本が何かを考えているのか、一時目を閉じて黙り込む。


「好きになるのは簡単だけど、好かれるって難しいよね。だけど嫌われるのは簡単、相手の嫌がることをすればいい。けど、好意って結局は感情の押し付けだと思うんだよね。それこそ相手が自分の事を何とも思っていなければ時間の無駄。愛とか恋とかよくわからないって言われるのはまだ我慢できた。教えればいいもの。けれど、そう言っていた人にパートナーができたって知ったとき、どうすればいいんだろうって悩んだ。探すことに時間を掛けて、そこから正攻法で最愛の人にしてもらおうって、成功するかもわからない計画を実行するにはあまりに時間が足りなかった。ましてや彼女と過ごした時間に私が敵うとも限らない」

「そうだろうな、今も俺は愛とか恋とかよくわかっていない。明羽ともどちらかというと友情の延長線に近い気もしてたしな」


身体を重ねる行為も、俺から言い出したことはない。

いつもそうだ。明羽ばかり勇気を出して、俺はあの日から何も変わっちゃいない。変えられたことなんて、俺の力ではほとんどない。

あの力でしか、俺は人を救えない。


「だから、一度すべて奪うことにしたの。それから私が与える。私無しでは生きられない人生。衣、食、住から。お金を稼ぐのももちろん私で、巡瑠は家でいい子に待っていてくれればそれだけでいい。私の事を引き取ってくれた家庭は貯蓄はもちろん、資産運用までお義母さんから教えてもらった。もし、今から学校を辞めても充分豊かに暮らしていける。不満なんて言わせる隙を与えないくらいの生活基盤も考えてた。

だから。

ねぇ、だから。

今からでも、今更でもいいから、私の事だけを見ていてほしいの」


もう、見捨てられたくないの。


最後の方は掠れて聞き取りづらかった、けれど俺は。


「俺がお前のことを嫌いじゃなく、尚且つ誰かを殺していなければ最高に揺らぐプロポーズだったんだろうな」


養うのではなく養ってやる、か。

人間関係や、社会性を捨てればこんな魅力ある話はまず以てない。

だが俺は長男だ。母親や妹が何と言おうと、俺は沙希が高校を卒業するまでは誰とも添い遂げない。母さんを一人にしない。

長男の責務とか、そんな固いことを言っているのではない。俺は俺がそうしたいから、やるんだ。決意の固さだけ言えば、俺は塚本に引けを取らない。そう自負している。


「お前が何をしても、俺はお前のことを好きにならない自信がある。たとえお前に縋るしかなかったとしてもだ。こんなことはもうやめよう。今ならまだやり直せる。今話したことが事実なら、お前は罪を償うべきだ。お前が辛いと感じていたことは俺は否定しない。どんな過去があったとしても、俺はお前を信じてやる。だから、もう帰してくれ」


誰かを説得するなんて、俺には荷が重い。そいつの人生すべてをわかってやれないからだ。どんなにつらい日々を送ったとしても、関係ない者からすれば想像をするしかない。気持ちや情景など所詮、自分の想像する境界を超えることが無い。

だから一言、辛かったね、としか言えない。

そう言われた人間にしかわからない感情がある。言葉の重み、それらがないのだ。永遠と感じる瞬間だった出来事を、たった一言二言で片付けられることの焦燥ったらない。だから、俺は説得の無意味さを知っている。


「ぺらっぺらだね、もう少し前の私だったらなびいてたかもしんないや。けど、もういいの。今のが失敗したら、やることはもう決めてあるから」


やはりか、と落胆する。

そんな言葉で思い直してくれるなら、塚本は壊れちゃいない。ここまで大胆に行動したりなんてしないだろう。あまりに希薄。


「どこに行くんだ」


錆びて耳障りの悪い扉を少しだけ開けた塚本に、俺は問いかける。


「私はどこにもいかないよ。そうじゃなくて、来るんだよ。スペシャルゲストが」

「ここだ。さっさと中へ入れ」


圧のかかった男に押されて入ってきた人物に、俺は言葉を失った。そして俺を見た、その人物もまた口を噤んでいる。


「どうしたの? 喜ばないの? せっかく大好きな巡瑠に会えたのに?」


塚本は部屋の入り口で立ち尽くす人物、織田明羽に向かって口角を上げながら問いかける。


「あー、私たち三人が揃ったのってひょっとして掲示板事件ぶりだったかな? そしたら多少の気まずさもあるかもね」


何かを思い出したように、そして嬉しそうに笑う。


「悲しいふりするのも大変だったよ、でもあの事件に関しては私は手を出してないんだよ? 信じて?」


急に両手を上げて首を振る。自分は無関係だと言いたげだが、顔がそうは言っていない。塚本の情緒の変容振りに理解が追い付かない。


「めちゃくちゃだ」


俺は呆れている。

天邪鬼にもほどがある。言葉の一つ一つがまるで取って付けたもののようで、重みがまるでない。喜怒哀楽の激しさが素だとでも言うのだろうか。


「この状況で何を信じればいいんだか」


明羽が吐き捨てる様に言った。


「へぇ」


眉根をピクリと動かした塚本が同じく後ろ手を縛られている明羽に近寄る。


「想像以上にまだ楽しめそうだね。もう女性としての魅力なんてあってないようなものなのに」


その言葉を皮切りに明羽は目頭を熱くしながら塚本の顔に唾を掛ける。


「あんただけは何があっても許さない! 殺してやる!!」


瞬間、塚本は明羽の髪を掴みグッと下に下げながら足を引っ掛ける。両手を後ろに縛れているので当然、勢いのままに倒れ込みその上に塚本は腰かけた。


「っ」

「恨む相手がこの世に居るなんていいね。活力って感じかな。私は残念ながらソレを達成した人間だからさ。今じゃ貴女は私の下なんだよ。私が生きている限りね」


痛みに声を上げる暇もなく塚本は語る。

俺に関しては両手と両足を縛られているので倒れた状態から起き上がることさえ今や不可能。塚本を助けたくても、俺には何もできない。




「殺めた時点で君は誰よりも下なんだよ」


聞き覚えのある声に、俺は目を閉じる。


「麻衣さん。これも計画のうちですか?」


また一人、ドアの向こうから男が現れ、両手を上げた状態で部屋の中へ誰かを誘導する。まるで脅されているかのように。


「……うん。計画通りだねー」


部屋の中へ入ってきた人物に向かって苦い顔をする。


「やあ、私は納富イトという。のうどみと書いてのどみだ、名前だけでも覚えてくれると嬉しいな。塚本麻衣さん」

「お噂は兼ね兼ね」


納富は手にスマホを持っておりキーパッドに「110」と打ち込まれていた。


「伝言は聞いていないかな? 警察を呼んだらみんな死んじゃうよ? サイレンが近付いた時点ですぐにでも殺せるの、知らないわけないよね?」

「ああ、だがそれは君にだけ生きた特権だ。ほかの協力者たちは初犯になってしまうのは避けたいんじゃないかな? それなりに悪事を働いた人間だとすれば、今回の拉致監禁、万が一にも殺人に関与するだけじゃ収まりつかない。例えば過去の未解決事件と照合されてしまったらどうなるでしょうか」


塚本は小さく舌打ちした。


「でも単身で乗り込んでくるなんて自殺行為もいいところでしょ、よほどの打開策を講じているわけかな? もしよければ聞きたいな」

「いと……」


不安げな明羽の声が耳をくすぐる。

俺は、どうしてこんな状況になったのか理解できずにいる。


「まあまあ、でもその前にひとつ片を付けなければいけない話が残っているよね?」


納富は俺たち三人を順々に見る。そして部屋の中へ足を踏み入れ、塚本及び仲間の男を牽制しながら壁を背に距離をとる。


「防音がしっかりしてるね、だからラブホなんていやらしいところを選んだのかぁ」

「まあ、ね。それで片付ける話しって?」

「掲示板事件についてかな。確かにまいやんは直接手を下してはいないけれど、脅しの協力者はいたよね?」

「変なあだ名はやめてほしいんだけど」

「ごめんごめん。でも否定はしないんだね? 自分が元凶であるところは」


やれやれと溜息を吐いて、塚本は立ち上がる。


「下手な言い回しはいいよ、あの四人の誰かがゲロッたってことでしょ要は。ま、確かにリスクは承知の上だったけど結束してるからこそ抑止に繋がるかなぁって……、まさかあの子たち集めて尋問した?」

「その想像力には頭が上がらないね。当てずっぽうだったとしても」


わけわからない会話を繰り広げられている。俺の知らないところで面識のある人物がいるのだろうか。誰かが掲示板に写真を貼り付けたとして、その元凶が塚本だという納富はどうして犯人を突き止めることができたのだろう。


「私は人間観察が好きでね。ゴールデンウィークが明けて明らかに変化があった女子グループがいたから目を付けていたに過ぎないよ。気の弱い数人はしばらく塚本さんを意識していたようだし、もちろん眼差しのそれは憧憬ではなく畏怖だがね。カラクリも難しいモノじゃない。学校の再開で登校時間に掲示物と写真を貼り替える時間はもちろんないよね? 誰かに見られるリスクだらけだ。一瞬でも人目のない時間が仮にあったとしても掲示板いっぱいになんて不可能だよ。答えは簡単、明ける前日には既に貼り終えていたのさ」

「…………」


前日にあらかじめ貼りだしておく。

確かにそれなら十数枚に及ぶ写真も貼る時間はあるかもしれない。

けれど、それが果たして可能なのか?

休日とは言え文化系の部活生徒は校舎内を歩いたりするだろうし、それこそ教師や事務員だって。


「登下校の行き交いに比べたらバレるリスクはぐっと減る。それに一人ではなく複数の犯行なら一人二人を見張りに立てて人が来たら掲示板に向かって先に歩きだすとすれば合図としてわかりやすいでしょ。最初は本来の掲示物を剥がす作業から始めて、少しずつ写真を貼っていく、パートごとに取り決めていればその上から本来の掲示物を再び貼ってカモフラージュしながら進めていく。そして次の日、登校日は剥がすだけの作業。それなら早くて30秒、遅くても1分あれば完遂できる。朝一の開錠で教師が異変に気付けないのもそれなら頷けるし、やはり一早く登校していた変わり者は気付くのに遅れた。例えば後から気付いて掲示物を剥がしに来た明羽とか。人の時間がまばらなタイミングを狙ってのことなんだろうけど」


こんなもの、謎でもなんでもないさ。

そう納富は吐き捨てた。


「問題は誰が実行犯で誰が糸を引いていたか、だよ。その事件の後からだね、真っ先に塚本さんを警戒していてよかった。被害者の自分がまさか仕組んだなんて普通は考えないからね。油断していたせいか、割と態度に出ていたよ?」


ああ、私と巡瑠にみんなが注目してくれている。


俺は、あの時の状況を思い出しその時となりに居た塚本の表情を思い出す。そう、聞こえてきた気がした。


「ここからは勝手な想像だ。プロファイラーではないから間違っていたらごめんね。幼少期の塚本さんは、自分の美しい外見にコンプレックスを抱いていた。どこかおとなしく、大人びていて整った顔立ちに。本来なら恵まれているものだと思うけれど、本人としては他の人と平等に扱ってほしかったんじゃないかな。みんながしているちょっと危険な場所への冒険だったり、『あの子と私たちは世界が違うんだよ』と誘われなかったりもしたんじゃないかな? 人は見た目がほとんどを占めるというけれど、まさしくその通りで勝手な人物像を祀り上げられた。けど、その裏で君は父親やほかの下卑た男たちに都合のいい道具みたいな扱いをされてきた。普通に憧れていた自分への天罰だとその時、心に刻んだんじゃないかな?」


「そこまで楓が知っていたとは初耳だな、というかそこまで語らせたんだ……。納富いとさん、想像以上にやり手だったみたいだね」

「情景までは分からないけれど、あの人だったらこうするだろう、こう考えるだろうと組み込んでいったまでだよ。当時、平凡な少年だった立川巡瑠が救世主のように思えたんじゃないかな。だから再開したとき、彼に違和感を覚えたんじゃないだろうか。彼はあくまでも変わってはいない。変わっていたのは、変わったのは塚本さん、君じゃないか?」

「は?」


塚本の漏れた声にしばらく、場が静寂に包まれる。

納富は変わらず真っ直ぐと塚本の表情を捉えたまま離さない。だが、整理する時間を与えているのだと悟る。

凡人に憧れた女が、普通に憧れる。一見違いはなさそうだが、明らかに違うことは自分の立ち位置だ。塚本麻衣という人物は幼少期、他を見下していた。それは彼女が悪いのではなく、周りがそうさせたのだろう。これは分かる、が……。俺が幼少期に塚本に会っていたことを俺は覚えていないし、その時に塚本を救ったようなことなんてましてや覚えがない。俺に執着する塚本の妄想がそうさせているのか、はたまた本当に何かを為していたのか。どうしてたかが数年前の記憶を思い出せないんだ。


「そんなわけない!」


声を荒げた塚本は焦燥に搔き立てられ、様相が変わっていた。


「だったら、私は何の為にここまでやってきたの? 私の人生って何なの? どこで、何を、どうすれば満たされるの? 私の、巡瑠に対するこの気持ちは恋ではないの?」

「…………」


塚本が狼狽する、その様子を後方で見ていた男が僅かに小首を傾げた。


「え」


瞬間、塚本は前方に力なく倒れ込んだ。

ひとりでに、というわけではない。男が塚本の背を押したのだ。振り返った塚本は何をされたのか分からないという驚きの表情をしていた。


「隙あれば、親っさんからスマホを奪うようにと言われてまして」


すると、押した手の反対にはスマホが2台握られていた。


「あ、あたしの」


明羽が地面から顔を起こしながら、苦しそうに呟く。確かに見覚えがある型だ。


「いったいどういうつもり?」


塚本にとって想定外のことが起きたのだろう。ジッと男を睨みつける。


「前々から言われてたことですわ、嬢さん油断が過ぎましたね。デバイスをパソコンと連動させていつでも弱みを握っていると思い込んでいた罰が当たりやした」

「このことはお義母さんは知ってるのかしら?」


未だに余裕を見せている塚本だが、僅かに肩が震えている。


「しばらく友達の家に泊まると、言伝えてあります。夏休みですから、珍しくもないでしょう。その間にゆっくりと我々と関係している情報は探させてもらいます。逆にこちらが手にすれば、新たな弱みになるでしょう?」


次から次へと変わっていく事態に、俺はやはりついていけず同じく横たわる明羽と視線が交差する。惨めに動けない俺を見ないでくれ。辛くなった俺は目を伏せる。


「スマホならここにもあるんだけど?」


一部始終を黙って見ていた納富が口を開いた。

俺の角度からは見えないが110と表示された画面をかざしている。


「掛けてみるといい、ここは既に圏外だ」

「え、そんなはずは……」


あちらへ向けていた画面を自分の方へ戻した瞬間、男が前方へ踏み出し納富のスマホへ手を伸ばす。


「っ」


突然のことで呆気に取られはしたものの持ち前の反射神経でしゃがみ込み、斜め前の方向へ足を踏み出す。

だが、


「スポーツとはフェアだからこそ、真価が発揮される。相手が同じ土俵で勝負するとは限らない」


男は納富の腕を掴み捻り落とす。


「ぎぃああぁぁあっ!!」


鈍い音を立てて納富はその場に倒れた。勢いで地面に落ちたスマホを掴み取り、尻ポケットへ仕舞い込む。


「脱臼程度で済むといい。そこの男を縛っていたのは間違いでしたねお嬢、現状で俺には誰も勝てない」


ふー、ふーと口から息を吐くだけの納富を一瞥して、男は部屋を出ていく。


「すぐにでも親っさんが来ると思うんで、大人しくお願いしやすね」


扉を強めに締め、ジャラジャラという音のあとにガチャリと鍵の音だけを残して、場は静まり返った。


「めぎゅ、るん。打開、策は?」


息も絶え絶えに肩を抑えながら上体を起こした納富。


「ごめん。この状況は初めてだ」


初めて、この言葉でほとんどを理解した納富は汗をどっと噴き出して倒れ込む。


「ちょっ、いと!? う……、あんた動けるでしょ! いとを助けてよ!」


明羽がずりずりと地を這って塚本ににじり寄る。

塚本は未だに、心ここに非ずという雰囲気で微動だにしない。


「ちっ」


明羽は塚本を相手にすることをやめて自力で納富に近付いていく。


「いと! いと!」


気を失いかけている納富へ呼びかけながら辿り着くが、明羽も両手を後ろに縛られているのでどうにかしたくてもできないでいた。


「…………塚本」


俺の声が聞こえたのか、塚本はピクリと反応を示した。


「俺を自由にしろ」


返事こそしなかったが、塚本はふらふらと四つん這いで俺の方へ近づいてくる。今までの行為からリスキーではあるし、身構えもしたが唯一動けるのは塚本しかいない。

意外と素直に両手、両足と縛っていた縄を緩めてくれた。


「……ありがとう」


俺のことを縛った張本人にお礼を言うのは変だったな、と思いつつ起き上がり納富に近付く。


「巡瑠」


か弱い声が聞こえた。


「待たせた」


全てを聞き及んではいない、けれど俺は明羽を待たせていた。辛い目にあってて、それでも前を見ていた。それを知らなかった愚かな俺は、一番近くで助けを求めていた人を突き放していた。

そんなやつが誰も護れるはずがない。

それでも、まだ信じていてくれてるんだな。俺は、大した人間じゃない。それは今も昔も変えられていない。

いい加減、強くなんなきゃな。

俺は着ていたTシャツを脱ぎはじめる。


「は、はぁ!? あんた一体何考えてるわけ!?」


上裸になった俺に対して怒りを露わにする明羽。あ、そういえばここラブホだったな。確かに状況が状況で忘れていたけれど、普通に考えればその反応も当然か。


「たまには信じろ」


丸めたTシャツを納富の口に押し込む。


「辛いけど堪えろよ」


捻られた腕を俺は思いっきり引っ張る。


「っ! ~っ!」


声にならない叫びを押し殺してTシャツを噛み締める納富。

素人知識ではやってはいけないことかもしれない。けれど、ほかにいい方法がないからその点は納富の広い心に期待するしかない。

恨まれたら、いやだけど仕方ない。

この状況にしろ、今にしろ。


「はぁ、はぁ」


さっきより呼吸はやわらかくなった、気がする。


「無茶しすぎ」


俺の腹を小突きながら、でもどこか嬉しそうに明羽は言った。

明羽はずっと辛い目にあってきたんだよな、デリケートな部分だし、真相を確かめる手立てがないけれど俺は明羽の頭に手を置いた。


「なによ」

「なんでも」


しばらくの間、まともに会話をしていなかったのでお互い黙り込んでしまう。


「これからどうすんのさ」


俺たちの間にケロッとした納富が割り込んできた。

俺の方を向いていたので腹の上あたりに柔らかい感触を覚え、離れる。


「そう、だな」


俺は自分が縛られていた場所の近くでへたりこむ塚本の方に一度視線を寄越して扉を開けようと試みてみる。

もちろん外側から鍵がかかっているし、ジャラジャラという音も微かに聞こえるのでさらに鎖でも撒いているのだろう。部屋の中にはスプリングが飛び出たダブルベッドと埃被った棚やかつてシャワールームだったタイルの区切り部分と、めぼしいものはなさそうだ。


「他に出口は?」


納富が塚本に近寄ってしゃがみこむ。


「……あったらとっくに言ってる」

「あっそ!」


再び立ち上がり思案する。


「万が一があったときのために、情報を共有しようと思う。とくにめぎゅるん。君には全てを知ったうえで万が一に備えてもらったほうがいい」


俺に話しかけているのか、はたまた独り言なのか、語り掛けるわけでもないトーンで綴るように続ける。


「君たちの会話は聞かせてもらっていたよ。明羽のスマホを通話中にしていてくれたまいやんのおかげでね」

「その、万が一ってのは」


こいつは、納富は俺の秘密を唯一知る人物だ。

だが、全てを話したときの俺との会話はリセットされているはずだ。俺のやり直しによって納富は矢武をうまく出し抜いて現行犯による逮捕をさせた、という認識しかしていない、はずだよな?


「ここにいる全員が殺されるパターン」


俺の心臓が跳ねる。


「今までは相手がまいやんだったから、手を抜いていたってわけじゃないけれど彼女にとっては命よりも感情を壊すことを優先させていた素振りが状況から鑑みてもあるからね。一番手を下さなくて済むのは相手を殺すことじゃなくて、相手が人生に絶望して自殺をしてくれること。優しさ、というにはあまりに不釣り合いな言葉だけれど、幾分かマシな傾向ではあったよ。けど、今私たちの命を握っているのは大人、それも穏やかじゃない世界のね」


そう言って納富は塚本の方を睨みつける。


「そう、ね。極道、と言ったら分かりやすいのかしら。組合みたいなのはあるけれど私にとっては組織全体じゃなくその数人と末端を駒として使っていたから、ドラマのような報復がある、でしょうね。お義父さんもそうとう私を恨んでいるでしょうし。連中にとっての標的は私、だけどそれに巻き込まれたあなた達もきっと殺される」


疲れたようにその場に倒れ込み、涙をにじませている。


「あーあ、なんかどうでもよくなっちゃった。ずっと、あの時から、お父さんを事故に追いやった日から、今日までずっと起きていたような気分。睡眠って摂ってたのかな。私なりに頑張ったのに、最後の最後にこんなのって、ないよ」


頬を伝う涙を拭うことをせず、目を閉じたまま塚本は微動だにしなくなった。


「…………同情なんてしない、許しもしない。けど怒りすらもはや湧いてこない」


塚本を見下ろす位置まできた明羽はそう、吐き捨てる。


「あたしはあんたより劣っているなんて思っていないから、あんたは出会った瞬間から今の今まであたししか見ていなかった。だから、だからこいつを、巡瑠を振り向かせるなんてできっこなかった」

「……久しぶりにムカついた、けどどこまで削っても折れないんだから、本物だったんでしょう。私の負け、というか勝負にすら、なってなかった」


塚本の声は震えていて、それが大きくなって、えづくようになって、次第に声をあげて、子どものように泣いていた。

塚本麻衣はきっと、久しぶりに本気で泣いたのだ。








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