49 脅迫者と復讐者
「塚本さん、私見ちゃったんだよね」
目の前で不気味な笑みを浮かべる彼女の顔をこれまで見たことが無かった。学校生活で関わり合いがあるかというと廊下で見かけてお互いチラ見はする程度の関係ではあるけれど、良いか悪いかと言われればきっと仲が悪いのだろう。
「なにをかな」
お互いあることを切り口に嫌っているはず。
私は周りに知られることを恐れて意識をしていなかった。
彼女は、私と同等かそれ以上に意識をしてあの人を見ていたはずだ。だからきっと、双方にとってよくないことに気付いたのだと悟る。
「下川先生の部屋から貴女が出てくるとこー」
手慣れた操作でスマホの画面を私に見せてきた。
表情に出さない為、私は口の中で舌を噛んだ。動揺しない自身はあったものの、やはり感情には逆らえない部分があるので、せめて反応は見られまいと咄嗟に出た行動に過ぎない。隙を見せれば付け込まれ、そこを切り口に何を言い出すか、想像だに出来ない。
そもそもこの手の脅しはかける相手が根本的に違うのだ。金品などを要求する目的なら学生と教師、教師のほうが立場あるので効果的なのに。逆に言えば被害者側に当たる方の私に風当たりがあるとすればクラスメイトからのバッシングやその程度のこと。
ただ同時に私も疑惑が確信へと変わったことができた。やっぱりこいつが私の靴にオイタをした犯人だったわけね。
「ほんの少し、あなたの企みが分かったよ。朝長由梨さん」
「えー、なんのことぉ?」
スマホに映る写真は確かに私だ。
先生のアパートから出てきて駅へ向かう私。
変装はしている、まさかこれが気付かれるとは思っていなかったけれど。
ただこれがもし、朝長由梨が待ち伏せ行為そのものを最初からしていたというなら、アパートから出てくる人間は実際のところ誰でも良かったとしたら?
注視すべき点としては、どうして今のタイミングでカミングアウトをしたのかという話。話を持ち掛けてきたという話。
単純に何度か先生の家に行くうちに慣れてしまって、たまたま油断していたのか。それとも朝長由梨がその変装を私だと見破るのに時間が掛かっただけか。
「これ、どうするつもり?」
私はスマホの画面を指さす。
もちろんその先にあるビジョン次第で、朝長由梨の器量が測れればそれに越したことはない。
「万が一その部屋が先生の部屋だとして、そして人物が仮に私だったとして、バラされて一番困るのは私じゃない。あなたが好きな下川先生のほうじゃない?」
朝長由梨は下川先生に好意を寄せていたはずだ。
長いこと観察していてそのことに気付いたとして、大好きな先生が誰かのものになると想像してからか、焦ってしまったばかりに今の行動に移っていると考える。
「それを公表するなら私も私の靴に悪戯をした犯人はあなただと言い張っても文句はないよね?」
「はっ。証拠もないのにそんなの誰が信じるわけ?」
鼻を鳴らすように彼女は笑う。
確かに、言うように証拠があるわけではない、が。
「その写真だって先生の部屋だと言い切れる? もしそれが真実だとして、あなた先生のストーカーしてたってことも同時にバレちゃうんじゃない?」
「ぐ、偶然通りかかって撮れたものに決まってんじゃん!」
分かりやすく声を荒げる彼女に私は溜息を吐く。
「そう。普段の行動を思い返して、誰が偶然だなんて考えてくれるんだろうね? 都合のいい正義面をしているところ悪いけれど、ストーカーというレッテルと靴に悪戯をしたという話を確実に私は拡散するよ? 火のないところにってことで、何事もなく平穏な日々に戻れればいいね」
放課後の階段の踊り場。
誰かに聞かれるかもしれない話をここで長々とする気はないので、私は吐き捨てるようにその場を去ろうかと横切ったとき。
「ん」
違和感。だけど、あえて気付かないふりをして私は階段を下りていく。
順風満帆に見えそうだった私の華やかな学校生活は、どうにも簡単に送れるわけじゃないみたい。
男子もそうだが女子も面倒だ。ここまでくるともはや人間そのものが面倒に感じてしまう。
下川雲雀は総合的にモテる人種である。
それは出会ってすぐに分かった。私も外見でよく判断されることが多かったのでそこは一種の共通点だと、ちょっとした繋がりがあるようで素直にうれしかった。この人とだったら止まっていた時間が動き出すように、新しい一歩を踏み出せるのかもしれない。そう決意しそうになった。
数日前に、これを見るまでは。
先生の家に初めて行ったとき、郵便受けから封筒を見つけていた。
なんとなく気になって鞄に仕舞い込んでいたことを最近まで忘れていた。鞄の中を整理していてそれを見つけた私は、封を破らないようにドライヤーの温風を当てて開封。中身は知らないほうが幸せだったのかなと、あとになって思ってしまった。
手書きの便せんだった。
『沢見カナコ 様』
誰。
第一印象はそういうことになる。記憶の中に一致する名前も浮かんでくる人物像もない。
そんなことはさておき肝心なのは内容のほうだった。
『君があの下川という男と、どういう関係なのか探偵に調べさせた。どうか今すぐあの男と別れてほしい。君のほかにも何人もの女性に会っているし、関係を持っている証拠を掴んだ。決定的なものはまだないがコピーしたものを何枚か入れておきます。それを見てどうか考え直してほしい。この前のことは俺が全面的に悪かった。それを謝りたくて、どうか連絡をくだ…………』
あとの内容には興味が無いので割愛。
私は同封されていた写真を何枚も目に通した。夜の街、若い女性と奇妙な建物に入っていく写真が多い。だがより衝撃的だったのは見覚えのある顔の写真が数枚混じっていたことだろうか。
たかが数枚の写真だけれど、私を傷付けるのにはそれで十分だった。
見知らぬ女性もいる、同じ学校の教師、生徒、オシャレをして誤魔化してはいるけれど、それは私がやっている手法とほぼ同じ。
食事をするところやホテルへ入る前、自宅に入っていく写真。
そしてその中にある一枚を見て私は眉根を寄せた。
「朝長由梨」
こちらもウィッグを被っているけれど、下川先生とホテルに入っていく写真があった。
つまりこの宛先の名前、沢見カナコという人物も恐らく先生と関係を持っている。
これらが過去の写真であるならば、終わってしまった恋ならまだ許せたかもしれない。
だけど、どれも最近撮られたもので、そのうえで新たに私と関係を持った、ということの証明となる。
「私は特別じゃないの?」
あの人にとっての特別を諦めたから、私はこの人の特別になろうと決めたのに? 重大な決心をした自分が馬鹿らしい。恥ずかしくて死にたい。
私は巡瑠を裏切る覚悟で、胸が張り裂けそうな気持ちで決断したのに。
いくらモテて、言い寄る異性がいるのはしょうがないことではある。
けれど、裏切るのはよくないよね?
騙しちゃだめだよ。だってそれは優しい嘘じゃない、私はこんなにも傷付いている。
「信じない」
もう何度もデートをしているし、トラウマを克服するために少しずつ及んでいた肉体関係も既に持ってしまっていた。もっとはやくこの封筒を開けていれば、今は過ぎた日々を後悔しているばかりだ。私ばかりでは飽き足らず、ほかの女性とも関係を抱いていると知ってから、私の心は一瞬で乾いてしまった。
男という生き物は、どうしてこんなに不誠実なのだろうか。世の中そういうのばかりなのだろうか。
ニュースや週刊誌を見ても不倫騒動。
まさか、あの人が、そういう文面を見て私は男という生き物全体の認識を改めなければいけないと、そう考える。誰だから特別なんて考えだからいけないんだ。
そうだ、散々ひどい目に遭ってきて、私はまだ学んでいないのか。また同じ過ちを繰り返しているのか。
嫌、嫌嫌いや嫌いやいやいやいや。
「ああ、ダメ」
助けて巡瑠。
巡瑠。
巡瑠もいずれそういう最低な人間になってしまうの?
もしかしたらもう手遅れ? どうして? 私が諦めたから?
「ダメダメダメ」
探さないと。
「一刻も」
誰かに変えられる前に。
「はやく」
「私のモノに」
「永遠にするために」
「どうしたの!?」
部屋をすごい勢いで開ける音で我に返った。
気付けば私は机の上にあった電気スタンドを放り投げていた。
「お義母さん、ごめんなさい。大きな虫が出て、つい」
叔父に引き取られたので正式には叔母になる方だ。
おかあさんと呼ぶとすごく喜ぶ。彼女は美しいものが好きだという。
私が好かれている、気に入られている部分は恐らくそこだけだろう。
「ああ、怖かったわね。窓は極力開けないように、エアコンを付けなさいね」
壁に当たった電気スタンドだが幸いにも壁は無傷でスタンドも天板が外れたくらいで壊れた様子はない。お義母さんは私のことを見て微笑んだ後、静かにドアを閉めた。
「いいひと、なんだけどね」
私の中身にはさほど興味が無い、というのを感じる。
いや、そこは見た目だけでもあの人に気に入られててよかったと安堵するべきだろうか。今の何不自由ない生活に感謝を忘れていた。
「ふぅ」
ベッドに寝転がりスマホを開く。
ただ気まぐれとはいえ、郵便受けを調べていて正解だった。
ただの泣き寝入りなんて私らしくない。
まずは、朝長由梨からお仕置きしないと。
私は自身の電話帳を開き電話を掛ける。
「もしもし。ひとつ頼みたいことができたんだよねー。大丈夫、ただの身辺調査。こういうの得意でしょ? 名前は下川雲雀って人と、朝長由梨って人、あと都鹿野エミカって名前の女。最悪住所と家族構成と連絡先だけでいいから」




