41 部外者たち
小学校から段階がひとつ上がった中学校生活というのも、勉強が少し難しくなったのと学校内でのルールが事細かく定められたことくらいだろうか。あと算数が数学という名前に変わった。
制服の自由化。
そんな議題も懐かしく、結局は有耶無耶なまま今を過ごしている。男子はズボン、女子はスカート。伝統を大切にしていると言われれば聞こえはいいけれど結局は変化を恐れているだけ。親御さんの反応、メディアによる取り上げ、ネットでのバッシング。
社会に出れば嫌でもルールというのが纏わりつく今のうちから教養を身に着けさせるという考えは否定しないけど。
玄関に入る前の掲示板にクラス分けの表が張り出されていた。
何人かがきゃっきゃ言いながらそれを見て校内へ入っていくのを横目で見つつ、私は自分が配属されたクラスの一覧をぼんやりと眺めていた。
「麻衣、また同じクラスだね。よろしくっ」
声を掛けられても私は振り返らない。私のことを親ししそうに下の名前で呼ぶ女なんて心当たりが一人しかいないから。その人物はわざとらしく私の隣に並ぶ。
「結果を知ってるってことは、先に来てたんでしょ。だったら教室で待っていればいいと思うんだけど」
「つれないことを言わないでよぉ」
にへらと笑う田栗かえで。
私はあのときの夏休み以降、かえでという存在、友人というものが苦手と化していた。
あの事件があってから私は父方の叔父に引き取られた。
こうなることは予想済みだったし、支援してもらうなら金のある家が何かと立ち回りがしやすい。そして尚且つ、私が主導権を握りやすい相手という好条件。
屋敷に寝泊まりしていた男たちは全員で口裏を合わせ、父親が金銭のトラブルで一人を刺し殺し、金を盗んで逃げる途中の山道でハンドル操作を誤り事故死。という結果に落ち着いた。
まあ当然かな。財布から金まで抜き取られているタイミングで一人、私を連れて逃げ出した、真相はどうあれその時点で全員父に恨みを抱いたはず。しかも私という存在が仇にならないよう、結託することも想定内だった。
警察に保護された私が洗いざらい喋ってしまうと今回の騒動に対する追及が始まってしまう。
まさか、全員集まって小学生を犯していました、だなんて言えるはずがなく私の身柄も口を封じさせるために早急に引き取っただけだった。
ただ、私としても警察に介入されることはこれ以上は避けたかったのも事実。ま、証拠はあるしバレたところで幾らでも言い繕いはできるけれど、私が生きていくうえでやはりどうしてもアレはバレたくない、プライドというものが邪魔をした。せっかく自由を手に入れたのに武器を手放して息の詰まった生活を送るというのも、それはそれで生殺し。
嘘か真か、あの屋敷にいた男たちはみんな父方の家系である人たちだというのを聞いた。そのうちの一人、主に主導権を握っていた男に私は養子として引き取られた。口封じのため、てっきり殺されるものだと思っていたけど、それで事件がまた明るみになってしまえば父の事件との関連性を疑われかねない。養子を買って出た叔父としてもあらぬ疑いの目は避けたいところ。この点のみで言えば利害の一致だった。
殺せない、だから叔父は実力行使に出た。私の心に恐怖心を植え付け、すべてを支配しようと動いてきた。
でも不幸中の幸いか、叔父には家庭があった。ただ子どもには恵まれていなかったその家庭で叔父の奥さんである叔母は養子の私をたいそう気に入った。我が子同然に育てるつもりがあるのだろう、女性として生を受けた様々な生活のノウハウを教えてくれた。
それは私にとっても新鮮な体験で、この人と送れる生活も悪くないと思ってさえいた。彼女の身なりを見てなんとなく分かった。経済的立場でもこの女性が格上であると。
なるほど。叔父は家庭でのストレスを私にぶつけていた、というわけだ。
ああ、神様ありがとうございます。こんな絶好の条件、大いに使わせていただきます。
そんなわけで叔父は私にときどき威圧的な視線を寄越したりはするものの、これといった大きな動きは今のところ見せていない。叔母は優しいし好きな部類の人間に入るけれど、それでも心は許していない。ただ、できる限り酷いことはしない、そう決めた。
今の家に引き取られる前に父が溜めていた証拠、私と母の分はすべて手の内にある。誰にもバレない、バラすつもりはない。
私が二人の人間を殺めたことだってもちろん伏せている。知ったところで誰も得はしないから。
そう、私は人殺し。
後悔なんてしていない。ましてや罪悪感も。
「いい加減、私以外の友だちとも過ごしなよ。また距離取られるよ」
一年生のときを除けば二年、そして今年三年も同じクラスになってしまった。
「まだ自分の見た目とか、周りの反応とか気にしてるの? もうみんな子どもじゃないんだから普通に接してくれるって」
私が言いたいのはそういうことじゃないんだけどなぁ。
人殺しと一緒にいるってこと、それは今までの関係をすぐにでもぶち壊してしまえるほどの大きな代償。言ってしまえば、楽になれる。
けど、かえでに嫌われたくない私がいることに気付いてしまった。それに誰かに話したところでメリットなど一つもない。万が一にも秘密をバラすわけにはいかない。
だって、かえでを殺したくない。
結局のところ、私は私としての本質は変わらない。変えられない。
叔父に引き取られ、小学校を卒業間際で仕方なく転校。そこでかえでとの関係は断ち切れたと思っていた。少し悲しい、けれどそれでいいんだと思っていたのに。
「まーいっ! にへへまた同じ学校だー」
中学で一緒になって不覚にも嬉しく思ってしまったし、同時に悲しくもあった。非常に複雑な心境だった。向こうは私が自由になれたことを心の底から喜んでくれたし、私が何かをされていた、ということは知っていても口には出さない。
解放された今でも、そのことについては一切触れてくる素振りは見せない。私にとって嫌な記憶であるということは当然知っているから。でもときどき、この子は妙に勘が鋭い時がある。
父が亡くなったときの葬儀にかえでは来てくれた。私は悲しむフリをし続けなくてはならなかったのであまりかえでと接しないようにしていたけれど、かえでが私のところへ来るなり「無理しなくていいんだよ」と小声で言われたときは少し焦った。いや、普通に考えれば父親が亡くなったことに対して気を張らなくていいという意味に捉えればいいだけなんだけど、フリをしていることを見抜いていたように感じた。
私が学校生活を送る上での不安因子。田栗かえでは厄介な相手だ。
卒業したら高校は少し離れたところへ行こう。
私の過去を誰も知らない場所。
けど、あまり遠いところにも行きたくはない。
もしかしたら、彼に出会えるかもしれないから。そんな儚い願いを持ちつつ、私は私なりに私らしくなろうとしている。
普通に、平凡に。
「ねぇ。また」
「ん」
私たちが校内へ入り教室へ向かおうとしている最中、用務員の人とすれ違う。イメージとしては来客玄関口の事務室によくいること。そして校内の生徒が管轄していない箇所の清掃、蛍光灯を変えていたり天井に取り付けてある何かしらの探知機の異常点検をしていたり。普通の生徒が抱くイメージとしてはこんなところで、それ以上でも以下でもない。
「「おはようございます」」
「おはようございます、元気でいいなぁ」
けど、こうやって登下校の時間によく会ってしまう。
本来ならば放課後など生徒のいない時間帯にいるようなイメージだったけれど、私はこうして頻繁にすれ違ったり、遭遇したりする。きっと意図的に向こうがそうしているのだろうというのは安易に想像できる。そういった視線や行動はもう慣れすぎて私にとっては日常と化していた。
それでもかえでだけはいつも警戒心を露わにする。それも分かりやすく。私が動じない分、余計にそうしているのだと思うけれど、そのおかげで周りの生徒から少し恐れられている。
田栗かえでは塚本麻衣のパシリだと。
そんな与太話が私本人の耳に届くほど、知れ渡っている。
「あの、塚本さん。ちょっといいかな」
教室へ入る一歩手前、横を見ると男子生徒が一人立っていた。
彼はたしか隣のクラスの男子だ。ああ、だから教室へ入る前なんだ。ちょっと落ち着きのない感じの彼を見て、僅かに息を漏らす。
ああ、やっぱりあの時の感じはしない、か。
小学生最後の夏休み。良くも悪くもあの時がピークだったかな。
「どうしたの、そろそろホームルーム始まるけど」
「少し奥の方で、話を聞いてもらいたいんだ」
ん。やっぱり人目を気にするのか。でもこんなところで声を掛けている時点で今から挑戦するぞと意気込んでいるようなものなのに。気付いていないのかな彼。
十中八九、告白を考えている。これは自惚れだとかそういうのではなくただの未来予知。ただでさえ時間を取られるし、ほかの生徒、主に女子生徒から卑下するような目で後々見られるから嫌なのだ。
「ね、みてあれ」「またじゃん」「どうせ振るんでしょ」「モテアピールうざいっつーの」
教室内から聞こえてくる声のする方、女子たちを睨みつけた。
「ひっ」と分かりやすくビビる声を聴いて胸がスッとした私は嗤った。もちろん声には出さず、心で。
「ごめんなさい。他に好きな人がいるから」
「っ……ああ、ごめん」
これが私の常套句。
他に好きな人がいる。
口から出まかせだという人もいれば、該当する人物が誰なのか探り合い賭けの対象にしたりする人もいる。もしくは自分なのではと望みをかけて一か八かと今みたいに行動へ移したり、中には私のことを同性愛者ではないかという噂もゼロではない。
でも私にはこれっぽっちも興味がない。周りの男子生徒も、女子生徒のうわさ話も。私にとって何の糧にも贄にもならない。
私が本当に相手してほしいのは、評価してほしい人物は彼だけだから。
しかし晴れて中学生になってから三年の秋にかけて私は幾度となくめぐるの情報を探ってはいるけれど、一向に引っかからない。
部活にも入らず放課後家に帰ってからの時間はほとんどそこに当てているのに、恐らく県内は探し尽くしたんじゃないかというくらいに。
もっと詳しく聞いておけばよかった。
通っている学校、学年、住んでいるところ、あの時の私は舞い上がっていて肝心なところを何も聞いていなかった。
もし過去に戻れたら……、いや過去に戻れるならその場面は決して選ばない。惨劇がある前、私という人格が歪められるあの前に戻るべきだ。
如何せんめぐると出会ってから迷っている自分がいる。どちらかを選べと言われたら、もしそんな選択肢が本当に選べたら。
いや、叶いもしない妄想なんてやめよう。現実的に、合理的に。
気晴らしに出掛けようと誘われた。
誰に、かえでに。
基本的には誘いを断るのが私の常だけれど、根詰めて、さらには行き詰まっている私にはいい気分転換だったかもしれない。
そんな他愛ない感じに安請け合いしたことが、よりによって功を奏するなんて、ね。
休日。
出かける前、朝の情報番組の終わり際にある星座占いのコーナーで今日はたまたま一位だった。基本的には占いなどは信じないタイプの私だったけれど、今日だけは確かにラッキーだったかもしれない。そう思えるほど私には大きな一歩だった。
「私その、ご来店なんとかってバンド知らないんだけど」
「ゴライアスでいいよゴライアス。麻衣はもう少し流行とか知っておいたほうがいいかもねー」
片手でパンフレットを、もう片方の手でバランスを崩さないように縦上になっている手すりを握って揺られている。トイレが目の前にあるということが少し居心地悪い気がするけれど、たまにはこういうのも悪くはない気がする。
私とかえでは特急に乗っていた。自由席の切符だったけれど生憎と席は空いているところが一つもなかった、なので相中のスペースで雑談をしながら到着駅まで待つという形になった。
「特急でも一時間掛かるって、そんなに人気なの?」
「一時間って、むしろそれで済んでるからこうして行ってる次第じゃないかなぁ」
「ふぅん」
私はさほど興味がないんだけどなあ。
自分に利益が無いと分かっていてもこうしてついて行ってしまう私って。
「駅降りたら今度は地下鉄に乗り換えだから、さすがそこは座れるでしょー?」
そんなかえでの安っぽい発言も空しく、地下鉄に乗り換えた後もやはり座れなかった。というより最早すし詰め状態という最悪な形での乗車になった。
「…………」
溜息が出そうになった。
地下鉄の予想以上とした人の多さにではなく、私が置かれた状況にだ。
「声を出したら殺すぞ」
私の耳元に囁きかけるようなドスの利いた声。
「随分と慣れた言葉遣いしてますね」
抵抗、しようとも思ったけれどしなかった。
騒ぎ立てたらせっかく友だちと出掛けている私の一日が台無しになってしまう。それに事を大きくすることは簡単だったけれど、それだと足止めを食って間に合わなくなってしまう。
「麻衣、どうかした?」
目の前に窮屈そうに挟まれたかえでが眉間にしわを寄せていた。苦しいのか、心配しているのかいまいち表情が読み取りづらい。
「汗が出てきそうでうんざりしてるだけ」
「なんかごめんね。こんなに多いなんて思わなかったからさー」
かえでがなんとか手を前に出して平謝りしているので少し周りを見回したところ、そのゴライアスとかいうバンドのタオルやTシャツを着た人がけっこう居た。
「あー、そういうこと」
ほとんどがゴライアス目当てってわけね。
『秋の味覚フェスティバル』というイベントのゲストというだけでこんなに盛り上がっているとは正直想定外だったけれど、私としては味覚フェスティバルというものにどちらかというと興味が湧いている。今まであまり美味しいものを食べさせてもらえてなかったから、食に関して人より少しばかり貪欲である気がする。
「あ、この次だよ。出口まで移動しとかなきゃ」
人の垣根を這い出てきたかえでは私の後ろにある扉から出るためにこちらへやってくる。
幸い、絶賛私に痴漢をしている男の行為はエスカレートすることはなく降りようとする私からそっと身を引く。
電車の速度が緩くなり、そして停車する。
軽快なメロディとともに自動ドアが開いてかえでが私の手を引いて降りる。
ほとんどの人が同じ目的地だからだろう。流れるように電車から押し出されてそのまま一気に改札を抜ける。
「うはー、さすが都会だね」
ある程度人混みがまばらになったところで私とかえでは立ち止まる。
「どうしたの? なんだか嬉しそうに見えるけど」
「そう?」
ま、嬉しそうなのは否定しないかな。思わぬところでお小遣いもらっちゃったし。予定していた食べ物よりもっと多く食べられそう。
「あ、ごめん。ちょっとトイレ行ってきていい?」
「どうぞどうぞ、私ここで待ってるから」
「ほい。あっ、知らない男にほいほいついて行ったらダメだからね」
「なんで保護者目線なの? いいから早く行ってきなよ」
駅のトイレに駆けていくかえでの後姿を見送ったあと、私は徐に財布を取り出した。
もちろん私のものではない。
さっき痴漢していた男からこっそり抜き取ったものだ。
「どんどん手癖が悪化してきてる、かな」
ボソリ、呟きながら中身を物色する。
お札は、6万とそこそこ。あとはキャッシュが多い。
カードは明細が出たら足が付くからいらないかな。
とりあえず現金だけを引き抜いてあとはその辺に捨てようか。
ゆっくりと歩き出してある程度の人混みに敢えて自ら入っていき、そこでわざと財布を落とす。誰かが拾って親切に届けてくれるか、はたまたみんなが無視して踏みつけていくのか。とくに興味はない。
ある程度歩き回ってから元の場所へ戻ろうとした、その時。
振り返ったところである人物と目が合った。そのとき、私の中の忌々しい記憶の欠片が一際輝いた。
「すいません。財布を落としましたよ」
その男は変わらなかった。そして私のことには気付かなかった。もしくは覚えてすらいなかったか。
「……すいません。ほんとうに、ありがとうございます!」
私は必死に頭を下げた。
「けっこう高そうな財布だったから、今どきの子にしてはなかなか渋い趣味をしている。失礼」
財布を渡すと男はすぐにその場を去った。
その途端、私の心の中がどす黒く染まっていくのが分かった。胸が熱い。
「私とめぐるを引き離した、男」
トイレから戻ってきたかえでと合流して私たちは『味覚フェスティバル』の会場へとやってきた。
あの男を追いかけてもよかったけれど、どうせこの会場にいることは分かり切っているのでゆっくりと探すことに決めた。
男の胸ポケットから出ていた名札のようなもの、紐は緑色をしていた。
この会場にいるスタッフは名札を付けていて、さらに緑色をしている。だったらこの会場にいる可能性が極めて高い。もしかしたらここにめぐるがいるかもしれない。その可能性が出てきたということだけでも私にとっては多大なプラスとなった。
もし、いなかったとしてもあの男から情報を仕入れればいいだけのことだ。
正に好機、千載一遇とはこのことだろう。たまには占いも信じてみるものだ。
「なんか麻衣さっきから目が恐いよ」
「あ、え」
目を丸くさせてこっちを見るかえでに私は我に返った。
そんなに変だった?
いや、かえでが敏感なだけか。
「……ひょっとして誰か知り合いでもいた?」
「ん、まあこんなに人が多いから知ってる人もいるんじゃないかな。まー、私は単純に何を食べようか吟味してただけなんだけどね」
「ふーん、そっか」
少し態度には気を遣ったほうがいいかも。
下手に勘繰られても面倒だし、こういうときは焦っても仕方ないだろうし。
もし今日見つからなくても、活動拠点が隣県に移るだけのこと。そしてかえでと移動しながらも私は今日のイベントに賛同している企業を頭の中に叩きこんでいった。
あの男が勤めている会社が分かれば調べることなんて造作もない。
情報社会なご時世に感謝しなきゃね。
「あ、みてみて。あそこに案内所がある! パンフレットもらえるかもよ」
人混みの中から聞こえてきた方へ振り向くとテントが立ててあり、案内所という看板を下げている。
「ね、かえで。あそこにパンフレットあるみたいだから見ながら向かう店を絞ろう」
「おお、前向き。ちょっと以外だけど今日誘ってよかったよー」
既に満足そうな笑顔を向けてくる。
これからって時に?
かえでは何を考えているか分からない節があるから、下手に聞くとまた厄介なことを言われそうなので特に触れなかった。




