37 生きる希望
「地元の子?」
わたしは首を振った。
「そうなんだ」
最初ペットボトルを受け取ることを拒否したけれど何故かキャップを外してわたしの口に無理やり突っ込んできたときは殴ってやろうかと思った。
「なんで無理やり飲ませたの?」
「顔色悪そうだったから…………、ってのは嘘でこの麦茶のパッケージ見たことないから不味かったらどうしようとか考えてた」
最悪だ。
人を実験台にしたのかこの野郎。それにしても色が白い男の子だ。それのせいでやたらと美形な顔のつくりにみえる。
男の子はにやりと笑った。
「それも嘘だったらどうする?」
「あなたとは喋らない。でもお茶はありがとう」
タダでもらったものだし、結果としてわたしは救われている。なので素直にお礼は言っておく。
「どういたしまし」
男の子が倒れた。
「え」
なんで?
「はぁ……はぁ……」
息はかろうじてしている、けれど荒い。
あれ、こういうときって無理に動かさないほうがいいんだっけ?
けど、このままというわけにはいかない。どうにかして助けないと。
道に出て人がいるか確認する。いない。
「誰か! 誰かいませんか!」
ぽつぽつと民家は目に見える範囲にあるのに、人の気配がまるでない。
そういえばニュースで空き家問題について取り上げていたことを思い出す。思い出すにしてもタイミングが悪い。
男の子の両脇に腕を回して日陰へと引きずっていく。
「お、もい」
地面がコンクリではなく土なので滑る。
ザザ、と音を立てて転んでしまった。そのせいで男の子がわたしの手から滑り落ちる。
「はぁ、はぁ」
立ち上がろうと地面に両手をついた男の子が耐え切れずに吐いた。
汗もひどい。もしかして熱中症なのではないだろうか。
ふと、わたしがもらった麦茶に目をやる。
まずは水分補給をさせないと。
背中をさすり、出せる分はもう出してしまうしかない。肩を貸して立ち上がり、近くの寂れたバス停らしきベンチへと座らせる。
「一番顔色が悪いのに、なんでこんな」
わたしなんかのために。
「飲める?」
キャップを開けて口元に持っていく。口に付けさせて、上を向かせるとほぼ入っていないようなのか、こぼれている。
「別に変な味じゃないって」
そこまでして飲みたくないのか、いやもしかしたら飲む気力も今はないのかも。
「あー、もう」
麦茶を口に含んで男の子の口に移す。
別に口付けくらいなんてことはない。既にあの男に何度もされてきたことで新鮮味も特にはないと思った。けど麦茶を移し終えて男の子の顔を見た時、なんとも胸を押さえつけられるような気持ちになった。目は虚ろになっていてわたしのことを見えているのかどうかも怪しいところだけど。
あとはどうすることもできない。具合がよくなるようならいいけれど、もし悪化してしまえば無力なわたしは何もしてやれない。
「ん……眠ってる」
わたしの肩に身を寄せて寝息を立てている。ゆっくりと上半身を反らして膝の方へ頭を持っていく。
実質的には膝枕をする形になる。
無理をして移動させるよりは、このまま落ち着いてくれるまで傍にいるほうが気後れもしなくていい。せっかくの自由時間が失われていくかもしれないけれど、そこはもう仕方がない。それにこれ以上散策してもこれといった収穫は得られなさそうなので、せめて年齢的に一番近いこの子と一緒にいた方が楽しいことがありそうだと思った。
きちんと顔を見ていなかったけど、見れば見るほど顔立ちが整っている。
「………………」
彼の顔を眺め続けるのは、とくに苦にならなかった。
今、わたしが考えていることはとても不謹慎なことだと思う。仮にも病人相手で、ましてや眠っている状態にあたる。
けど、我慢ができなかった。
「大丈夫、今朝歯を磨いたしあいつは口にまで迫ってこなかったから」
誰に対する言い訳なのか、自分で言ってて恥ずかしくなる。顔が熱い。
寝ている彼の頬へ口をつける。
やっぱりだ、なんだろうこの気持ち。満たされている。
輪郭を指でなぞり顔を上へ向けさせる。すこし無理な態勢にさせてしまっているのかもしれない。
彼の口をわたしの口で塞いだ。
無理はさせないように、一定の間隔で口をつけては離してを繰り返す。
「ん……んぅ」
誰もいないし、誰も通らないので人目を気にすることもない。太陽は全然高い位置にあるからまだ帰らなくてもいい。
ああ、わたしは今とっても幸せ。
「う……ん」
違和感を抱いたのか、ゆっくりと彼は目を開けた。
わたしは彼の意識が覚醒する前に顔を離して静かに佇んだ。
「あれー、なんだここ」
「気が付いた? まったく人騒がせだよねきみ」
上体を起こして辺りを見回す。
あー、起きなくてもいいのに。抱きしめたいなー。
「あ、具合悪い子」
「君には言われたくない」
指をさされたので手で払う。
にへへ、触っちゃった。
「あ、これのお金渡してなかったね」
麦茶のペットボトル分のお金を渡そうとポケットからお財布を取り出す。
「いやいいよ、俺も飲んじゃったし。というか助けてくれてありがとうございます」
向き直ってぺこりと頭を下げる。
「状態からすると君の方がギリギリだったんでしょ? なんでわたしにくれたの?」
今の顔色から、最初にあった時よほど具合が悪かったことが分かる。軽口叩くから分からなかったけれど、やっとの事で飲み物にありつけたに違いない。
「なんで、かなぁ。飲みたそうだったから?」
「わたしそんな顔してたの」
卑しい子だと思われちゃったかなぁ。
それにしても他の男子とも違う雰囲気に感じる彼は一体何者なんだろう。
「ね、あなたは何者?」
「へんな質問だなー、俺は立川」
「名前は?」
「……めぐる」
前のめりに聞いてくるわたしに一瞬だけイヤな顔をしたあと渋々答えてくれた。
立川めぐる。うん、覚えた。
「わたし塚本まい、よろしくね」
「よろしく。まぁ、この辺りにいるのはあと5日くらいになるんだけど」
5日かぁ、わたしより先に帰っちゃうってことだよね……。携帯電話とかあれば離れてもやり取りできるんだろうけど、同学年でも持ってる子はあんまりいない。困ったなぁ。
「ね、君のこと気に入っちゃった。ここにいる間わたしの遊び相手になってくれない?」
「んー……」
腕を組んで唸る立川くん。
やっぱり会って間もないと厳しいかな。
「あんまり時間とれなくても?」
「いいの、会ってくれるだけでいいから!」
少し強引だったかな?
やっぱりそれでも彼は唸る。ある程度の男子ってこれでどうにかなったりするのだけれど、どうも彼はやっぱり違うみたい。
わたしを見る目がほかの誰とも違うように感じた。
あまりいい返事を期待するのはやめておいた方が良さそうだ。
「ん、わかった。一応命の恩人だから努力はする。それでも遊べない時はごめん」
「そう言ってくれるだけで嬉しいよ」
夏休みに入って憂鬱なことばかりと思っていたけれど、随一の楽しみを見つけてしまった。
これが恋なのかな。
まだ名前しか知らないけど、どうでもいい。彼といっしょにいたい。
きっとそれは純粋な気持ちだったんだと思う。
「とはいっても、ほぼ何もないようなところでどうやって遊ぶ?」
「んー、なんでもいいよ? 何もしなくてもいいし」
「なんだそりゃ」
一緒にいられるだけで、とか言ったら変な子とか思われそうだから言わない。手遅れかもしれないけど。
「じゃあ探検しよう。そこでいい遊びが見つかるかもしれないし、秘密基地とか作ってみたい」
発想はおこちゃまだったけど、なんか言い方がしみじみとしているので面白い。
立川くんのあとをついていく。体調はもう大丈夫なのだろうか。足取りはしっかりしているので今のところ大丈夫そうだけど、また突然倒れたりとかするかもしれない。
「ね、わたしを見てもなんとも思わない?」
「ん? 別に、なんかあるの?」
む。どうやら立川くんはわたしの見た目に関して思うところはないみたい。外見だけで判断されるのは嫌いだけど、まったく素振りが無いのもちょっと悲しい。
「ふんふふーん」
スキップしながら進む。
時折木の棒を拾ってはポキポキと折って散らばらせていく。どことなくヘンゼルとグレーテルを思い出してしまう。目印のパンくずみたいな。
せせらぎが聞こえてきた。すると道を外れて勾配を降りていく。そこまで急ではないので行けないことはないけれど、高さがある。
降りるのをためらっていると、先に降りた立川くんが登ってきた。
「はいよ」
手を差し出してきたので自然と握った。
ゆっくり、ゆっくりと手を引いて降りてくれた。
「ありがと」
炎天下のせいか暑い。
「ほら、ここだと少しは涼しいだろ?」
浅瀬に出た。せせらぎの音がしたので当たり前か。
「覗いてごらんよ」
「……わぁ」
水が透明だ。太陽の光に反射してゆらゆらと水面の揺らぎがとても眩しい。
「わたしここ好き」
「ん、俺もだ」
立川くんは靴と靴下を脱いで水に足をつける。
「うは、つめてー!」
「わっ」
足をばしゃん、と上げて水しぶきが舞う。
キラキラとしたそれはまるでビー玉のようで、光に反射して綺麗な色を魅せてくれた。そしてその水しぶきに見とれていたわたしは、飛んでくる方向が自分がいるほうだと認識したのは思いっきり被ってしまったあとだった。
「あ、ごめん」
びしょびしょに濡れたわたしは履いていたサンダルを脱いだ。そして浅瀬に入って両手で水を思いっきりすくいあげる。
「お返しだー!」
そこから先は水の掛け合いにまで発展。ものすごく冷たい。水自体がものすごく透き通ってて飲めるんじゃないかとさえ思えてくる。さすがにお腹を壊すといけないので飲みはしないけど。
水を飛ばし合っていると、ときどきその中に小魚が混じっているのか銀色の光がまた綺麗に視界に広がる。
しばらくバシャバシャ掛け合って力尽きたわたしたちは草の上に寝転がる。
「はー、つかれた」
「あっはははははは」
こんなに笑ったのはいつ以来かな。
「好き」
「ん?」
恋はいつどこで始まるか分からない。
それと同時にいつ終わるかもわからない。
いまのわたしは必死なのかもしれない。早く別れが来てしまうのならと焦っているのかもしれない。
けど、この感情を抑えたくない。この鼓動を止めたくない。
神様、わたしこれまで何度命を絶とうと思ったかあなたにわかる? たくさん我慢した。だから、これくらいのわがままは見逃してよ。
「めぐるが好き!」
終わりのない始まりを期待したわたしは、一歩前に足を踏み出した。




