32 いとめいは 「空」
「それで」
明羽が静かに問う。
いや、この流れで言ってしまえばもう答えはわかっているハズだった。
「死んでたよ、あいつは」
松永さんが憎々し気に言った。いくら亡くなった人間とはいえ、自分たちがされたことを考えるとそういう態度にもなってしまう、か。
「私たちが知らない、それにニュースにもなっていないってことはもしかしてだけど、その死体は隠したのかな?」
「そ、それは」
いくら人を殺めたとはいえ、そんなことをする勇気があるようには思えない。かといって隠してメリットになることがないのはこの子たちが一番よくわかっている筈だ。焦っていてまともな判断ができなかったとも言えない。人数的には誰かが間違いに気付いてもおかしくない。
だとしたら。
「はん、あの女ってわけ」
明羽が鼻を鳴らしながら吐き捨てた。
「…………」
「沈黙は肯定したと思っていいね?」
相も変わらず黙りこくったので、そういうことだろう。
「まさか自分たちがこんな目に遭うなんて思ってなかったからさ、あの時はどうしようもなかったんだよね」
川名さんが目を伏せながら言う。
「あの時のことは、覚えてない」
湊さんは坦々と言う。
「私は、あの人がなんでこんなことをしたのかはわかりません。けど、塚本さんは、少なくとも私たちのことは道具としか見ていない。それに後からの行動で目的が何なのかはわかりました」
枚方さんが一度口を噤んだ。きゅっと結ぶように力を入れていたのを解いたとき、私は何かを決心したんじゃないかと思ってしまった。
「立川くん、彼に執着しているのは分かりました。理由は分かりません。彼のことを好いているのか、恨んでいるのか、どちらにしてもあの人がしていること全部が謎です。本当に意味なんてあるのかさえも」
接点がないこの子たちでさえも、彼を標的としているのはすぐに分かってしまったか。明羽の話と擦り合わせをすると、恐らく高校二年の春よりも前にめぎゅるんと会っているはず。そこで何かがあったとしか言いようがないけれど、そんなことを彼が覚えているとは思えない。めぎゅるんって大バカ者だし。
「ブラヴォー、ブラヴォー。私の望んだとおりのプランAが物の見事に遂行されたみたいね」
「ひ」
私が短く悲鳴に似た声を漏らす。
「塚本さん…………助かった、私たち誰もスマホを持ってなくてさ。叔父さんに連絡を取ってくれないかな。番号が」
「そんなことして困るのは君たちなんじゃないかな?」
川名さんの喋りがぴたりと止んだ。代わりに雨だけが降り続けている。
「な、なにを言って」
「そこにいる男、どう見たって死んでるよね?」
塚本さんが指さした先には木に頭をぶつけ瞳孔が開ききったままぴくりとも動かない男の姿があった。
「殺した、のよね?」
「違う! これはあいつが先に仕掛けてきたんだ! そうだ、これは正当防衛だ、どう見たってそうだろ」
松永さんが猛々しく叫ぶ。まるで言い訳をするかのように。
「ふぅん」
聞いているのか聞いていないのか曖昧な返事をしながら塚本さんは近くで倒れている湊ちゃんや私たちを順々に見る。
「はぁ、あれだけ外傷は出すなって言ったのに」
塚本さんが一人で呟きながら私たちを素通りしていく。意識が朦朧としている湊ちゃんを除いた私、川名さん、松永さんの三人が状況に理解が追い付いていない。
ぴくりともしない男の前に立った塚本さんが分かりやすく舌打ちをする。私の位置からはその表情が窺えない。
「最期の最期まで救いようのない屑」
そう言って塚本さんは男を横に蹴り飛ばす。全く動かない人形に八つ当たりをする子供のように、何度も何度も何度も何度も蹴った。
唖然とした。
場が凍り付くとは正にこのことなのだと思った。
「や、やめろって!」
戸惑いながら、松永さんが声を上げる。
「もう遅いかな」
塚本さんが嗤った。
そして男の胸倉を掴み上げ、引きずり、滑らせた。
「は……、なにしてん、の?」
川名さんが力なく声を掛ける。
「だって、自首しようとするから。あいつに幾らか外的な傷を与えておけば正当防衛も証明しづらくなるじゃない? それに証拠はなるべく残らないようにしないと話も擦り合わせしづらいでしょうし」
塚本さんは冷徹に放ちながらも、笑った。
「都合よく、雨が洗い流してくれるでしょうし」
雨で余計に滑りやすくなった勾配に流されていく亡き男。無理に追いかけて引き留めようとすればその流れに飲み込まれそうだ。ただでさえ体重が重い男を今から救い上げるなんて無理だ。下手するとミイラ取りがミイラになってしまう。
塚本さんは落ちていく男の姿が見えなくなるまで声高らかに嗤った。
「そんな屁理屈、通じるはずないでしょ……」
松永さんが震える声で言う。
「うん、だから通じるように細工をしているよ?」
「ふざけんな! あたしらがこんな目に遭ったことが、何よりの証拠だろうが!!」
怒りを露わにするように拳を木に叩き付ける。
塚本さんは今にも飛び掛かってきそうなほど剣幕な松永さんを鼻で嗤った。
「だって雨が降っているのにこんなところまで来ちゃったら、滑って怪我もするでしょ?」
「は……」
「湊ちゃんも運が悪かったなぁ。女の子にとって大事な大事な顔を打ち付けるだなんて」
湊ちゃんは顔を殴られた、あの男に。
痛みと恐怖で気を失っているのか、呼吸はしていても起き上がろうとはしない。降りしきる雨を全身で受け止めている。
「あんた、この状況で、なんでこんな……、バカげてる」
「そうかな? むしろグッドタイミング過ぎて少し不審かなって思ったくらい。邪魔者を消せて、おまけに仲間をゲットゲット」
余裕といわんばかりのピースサインをこちらへ向けてくる。
仲間? 友達になりかけていた、いやもう友達だと思えたくらいの塚本さんがそれらをかなぐり捨ててまで欲しがる仲間って何?
「私たちはみんな襲われた。四人が四人とも証言すれば、それが何よりの証拠にならない? あなた一人がデタラメを言っているって証明するには、それだけで充分な気もするけれど」
川名さんを見た塚本さんは嬉しそうに手を付く。
「お、そうだね。でもそれをどう証言しようっていうの? 私が仕向けたって馬鹿正直に言う? まあ幾ら取り繕ってくれてもかまわないけれど所詮は未成年の発言、それで警察が私を疑ったとしても大の大人をそんな操るように出来ると思う? それも所詮は未成年の行動、下手したら両方疑われる」
「…………」
「私を追い詰めようとすればするほど、自分たちの発言に信憑性が無くなっていくことを忘れないほうがいいよ。それにもう証拠は残させてもらったから」
川名さん、松永さんが表情を曇らせる。
「証拠?」
「そ、証拠を隠蔽したという証拠」
「あ」
私は思わず声を漏らした。
それと同時に鳥肌が立った。
あの一瞬、あの時点では立証が可能だった。男は単に頭を打ち付けただけ、それに対して私たちは満身創痍に近い。人を殺めたことは免れないにしても情状酌量の余地はあったし、それこそ未成年なので少年法で重い罪には問われなかったかもしれない。それが一番賢い選択であることは、誰にだってわかる。
けれど、それでも人を殺したレッテルや、家族やほかの友人に迷惑をかける。マスコミやネットでは少なからず叩かれる。
自身に降りかかる僅かな汚点でも拡散され、ただでさえ生きづらい世の中で罪を犯すというのは社会的死だけをもはや意味しない。情報社会においても死を意味してしまう。
それを想像するだけで私たちは罪を告白する機会を失ってしまう。
殺したくて殺したわけじゃない。自分が、ほかの人が傷つくのを止めたかっただけ。
「根っこが慎重な枚方さんには分かってもらえたみたいだから、それで良しとしようかな。死体を隠蔽したという事実、これが大事なんだよ。ダメ押しばかりの保険として外傷を与えたから万が一に死体を見つけたとしても正当防衛ってのを証明できなくするって筋書きね」
みんなが言葉を失った。
疲労とこの状況に脳が追い付かないことでもはや反論する気も起らなくなっていた。
「あ、そうだそうだ。ダメ押しってのは早まったね、こっちだったよー」
塚本さんがスマホを取り出し、何やら操作している。誰のモノともない、恐らく塚本さんのスマホなんだろうけど、私は見覚えがない。
「ほら」
画面をこちらに向けた、その画面を見て私たちは音もなく声を漏らす。
「なんで」
動画だ。そこに映っているのはさっきの男、が松永さんと川名さんに押し倒され転がっていく映像。そして木に頭を打ち付けるところまでくっきりとそこに映し出されている。
そっか……、そうなると私が到着するより早く塚本さんはこの場に着いたということになる。幾ら体力のない私が遅く辿り着いたとしても、道はほぼ一方通行。ならば私に気付かれないギリギリ後ろを尾行されていたということになってしまう。私がみんなを探すため、林に入ったところで先回りをしていた。
「私のいないところで示し合わせようとしても出来ないように。動かぬ証拠だねぇ、動いてるけれども」
「くそっ!」
松永さんが塚本さんに向かって走り出した。
「動かないほうがいいのに」
塚本さんは呆れたように身を翻し、松永さんの片手を両手でつかみ地面に倒す。
「っ」
「私に傷でも付けてごらんよ。それこそ殺人現場を目撃した口封じに~、だとか言えちゃうんだよ? この映像と一緒に付ければもれなく立証100パーセント! いい加減もう高校2年生なんだから節度ある行動を、ね」
もがくたび、痛みに顔を歪ませる松永さん。
「おっと、私もあまりみんなに触れないほうがいいね。余計な情報を与えちゃう」
パッと手を放し松永さんから2、3歩距離をとった。
「と、いうわけで今日のところはこれで失礼しようかな。みんなでお肉をつつき合うのもそれはそれで魅力だったけれどね。目的は達成したよ、近いうちに連絡すると思うけれど私をブロックすることはオススメしないかな。それじゃ、また学校で」
言い切るよりも早く踵を返して瞬く間に見えなくなった。
まるで嵐のようだった。突然やってきて状況を理解する間もなく去ってしまう。厄災のような人だと私は思った。塚本さんの謎めいた行動にはまるで一貫性が無く、どうして私たちを陥れるようなことをしたのか全く分からなかった。
私たちに何か恨みがあったのか、最初はそう考えて今まで……といってもほんの少しの思い出を振り返ってみる。それでもわからない。思い当たらないだけで何か粗相をしたのだろうか、それとも元から彼女がそういう人間なのか。
人の心は広く深い。それこそ深層心理という言葉があるくらい。
その後、私たちはどうやって雨しきる林の中から抜け出せたのか覚えている人はいなかった。
炭を熾す前のバーベキューコンロ、無くなった一人分の荷物、室内のテーブルに綺麗に並べられた全員のスマホ。
「そんなに慌ててどうしたんですか?」
「どうしたもねぇよ! 連れの一人と連絡が着かなくなったんだよ!!」
受付での言い合いが聞こえてきたとき、私たちの心臓が跳ね上がった。川名さんの叔父さんが対応をしている最中だったのでSignalにメッセージを残して私たちは帰りのバスを待った。
松永さんは未だに痛む肩を抑え、湊ちゃんは大きなフードがついた服で顔を覆い、川名さんは静かに涙を流しながら時折肩を震わせ、そして私は――――――――。
「………」
曇天の中をぼうっと見ることしかできない。
どこかの空はきっと清々しいほどに晴れ渡っているのだろうと考えれば考えるほどに段々と惨めに感じてきてしまい、脱力感に苛まれる。
空はどこまでも遠く、そしてお日様からも私たちは遠ざかってしまった。




