28 いとめいは「海」
誰を懐柔しているかは正直のところ分からずじまいではある。塚本麻衣が間違いなく危険人物だと断定できる根拠は今のところない。明羽の話を全く信じていないわけじゃないけれど、まだ何かを隠している、もしくは嘘をついている部分があると私は睨んでいる。
明羽に惚れているはずの矢武を取り込み、心を煽り、めぎゅるんを襲わせた。その意図は? どうしてそんなことをする必要があった? 一部の情報だけを牛耳るならば恨みを持っていて、自分の手を汚さずに殺したかったとするほうが幾らか自然に処理ができる。けれどその矛先が明羽に向かう意味が分からない。あの子の口ぶりからすると塚本麻衣はめぎゅるんに恋心を寄せていた。それに過去に遭ったことがある素振りも見せている。
だけど、当の本人は気付いていない。だから逆恨みした…………。
「うん、落としどころとしてはこんな感じにまとまるね」
B4サイズのノートに走り書きしてまとめてみた。
「ということは掲示板事件で明羽、めぎゅるん、塚本麻衣の三人が撮られていた写真も偶然とは考えづらいのか」
私みたいな興味本位で探ろうとするやつに対するカモフラージュのつもりか、自らをも被害者に仕立て上げたのは逆に失敗だったかもね塚本。
「明羽すら口封じできなかったのは誤算だよね」
ただ、もう戻れないところまで踏み込んでしまっているのは事実。
めぎゅるんに興味本位で、必要以上に絡みすぎたせいで私も塚本麻衣のターゲットになっていることはほぼ確定。
「あとはこの話をめぎゅるんが信じてくれるか、なんだよね」
きちんとした証拠があれば確実性になるんだけれど、万が一にも冗談で済まされたら?
そして一番最悪なのは、その話が塚本自身の耳に入れば?
こちらにとっては冗談では済まされない。明羽がバラしたことも露呈するし、最悪二人同時に矛先を向けられるかもしれない。
一介の女子高生にできることなんて限られているはずなのに、塚本麻衣だけは際限がないように感じた。それはどうしてなのか。
「塚本が転校する前に住んでいた県!」
ノートに書き綴る。
T県。
その県で起きた凄惨な事件。
「舌切り雀事件、花咲じじい事件」
ここ一、二年の事件。その中で最も残忍かつサイコな事件がこの二件。
どちらも二つ隣りのT県で起きていた。
花坂じじい事件に関しては今年のうちに発覚した事件で校庭の奇病にかかったソメイヨシノを撤去しようと業者が土を掘り起こしている途中で白骨化した遺体が見つかった。
遺体の状況から見るに四、五年は経過していることから当時その中学校に通っていた生徒、勤めていた教師各位関係者から聞き込みを行うも、解決の意図は未だ見られない。
「白骨化していたのは当時、清掃員だった沖田典久(52)。実家に一人暮らしでご近所との付き合いも頻繁ではなかったため、行方不明扱いになったのが今からおよそ三年前と死亡推定時期から遅れての捜索、今回のDNA鑑定により発見に至った」
昨年の舌切り雀事件が起こった高校と近い場所に位置していたため、その後は花咲じじい事件と縁起でもない謂れをするのだけど。
「そのT県から今年度転校してきた塚本麻衣」
いけないことだとわかってはいても、私は頬の筋肉が緩んでしまっていた。
俄然、興味を抱いてしまっていたのだ。
***
夏休みに入っても学校自体は平日であれば解放してあるところが多い。私たち生徒は長期休暇だけど教師陣は夏休みなど存在し得ない。
けど全く生徒が学校に訪れないわけじゃない。
夏期講習などで図書室を利用する生徒、先生に質問をしに来ることもある。
あとは学期末に行われた期末試験にて赤点候補生への補習などで夏休みにも拘らず駆り出される不幸な生徒たち。
あとは部活などで、が大半を占めるだろう。
私はそのどれにも該当しない。
「なんで夏休みだってのに制服なんか」
私の隣でぶつくさ言う彼女もまた、今言ったどれにも該当はしない。
「まぁまぁ、どうせ全体登校日だって近いんだから堅いこと言わないの」
「てか、あんた部活は?」
「ハテ、ナンノコトカナー?」
ほんとは私だってスポーツではなくミステリー研究会みたいなな部活に入りたかったんだ。
けど生憎とそんなフィクションのような部活は簡単にあってはくれないらしく、どうにも実績を体現しづらい部活は容認されないらしい。
放課後の時間が惜しい私は帰宅部であろうとしたけれど両親がそれを良しとはせず半ばしぶしぶ中学の頃から続けていたバスケ部に身を置くことにした。幽霊部員もいいところだけど。
「明羽は割と自由が利くところが昔から羨ましかったな」
「ん」
「いや、部活のこと」
私は明羽の家庭事情を大まかにだけど知っている。そして明羽もまた私の家庭における厳格な点も承知している。
「あんたの家に比べたらうちの問題なんてかわいいもんよ」
明羽の父。
今でこそ穏やかな姿ではあれど昔は家庭内における暴力が際立つ部分があった。酒に入り浸ると普段から溜めている不満を爆発させるかのように家族に暴力を振るう。物に当たる分にはまだ良かったけれど明羽の母に手を上げた時、壁に頭を打ち付け倒れた。
明羽が即座に救急車を呼んだおかげで後遺症も残らず退院は出来たものの、明羽は父親のことを目の敵にしている。それでも離婚しなかったのは母親がその後に交わした誓約があったからだと聞いた。
『娘が成人するまで酒類を断つこと。その誓を破り再び暴力を振るう素振りが万に一つでもあれば賠償金、慰謝料、養育費を全額負担する』
詳しい内面は知らないけれど、こんな感じだった気がする。
明羽の母は生活面に対してはちゃっかりしている部分がある。
さすがは元ヤンママ。
「はは」
それに対して私の家はそういった事件が起こらない代わりに、様々な面で縛られていたりもする。
厳格、寡黙、風習、家訓、プライドの塊な一族に私は肩がこりそうになる。
私自身、出来れば疎い人間でありたかった。周りを羨ましく思うこともきっと無かっただろうから。
「暑い時に変なこと考えてイライラするのも癪だから、さっさと終わらせに行こうか」
急ぎ足で校内へと入る。
「終わらせるって何?」
少し遅れて明羽が靴から上履きへと履き替える。
「1度やってみたかった舞台があるんだよ」
「答えになってないし」
るんるんと階段を上っていく私を他所に明羽はどこか上の空。それもそうだろう、彼女には今日ここで行う事の説明をまだしていないのだから。
自分たちの教室がある廊下を鼻歌交じりに闊歩する私と、そして基本的に夏休みの夏期講習等がある3年生の教室も含まれる特別教室棟に人は集中するのでほぼ無人のこっちは誰も窓を開けるなどの換気をしないせいでジメジメとした暑さが苛立ちを感じ始める明羽。
「ん」
明羽の教室の隣。
私、めぎゅるん、そして塚本のクラス。
その教室だけ窓とドアが開いている。そのことに違和感があった明羽が僅かに声を漏らしたけど百聞は一見にしかず。私に尋ねるより己の目で確認することを選択した明羽は私の横を通り抜け、教室に入った。
「え」
ビクン。
驚いたのは明羽……、ではなく先に教室に居た生徒のほうだった。
「ん?」
その生徒に明羽はピンときていないようで、怪訝な顔付きはより一層色濃くなる。
それに対して先に居た女子生徒4人。突然教室に入ってきた明羽に過剰反応するようにビクビクしている。
「やぁやぁ遅れてすまない……、じゃなかった。ムウォッホン、これで役者は揃ったようですな」
「なにそれジジくさ」
「ぐふっ」
内心傷ついたけども、気にしない気にしない。
「あの、わたしたちに何の話が……?」
「は? 話って何よ」
おずおずと手を挙げながら控えめな生徒が明羽に訪ね、暑さで虫の居所が悪い明羽は普段の3割増しで口調がキツい。
「っ」
傍から見ているとそうでもないけれど、正面に立つ彼女たちからすればまるで恫喝でもされてる雰囲気にもなるのだろうね。
「どうどう、落ち着き給え。私が明羽の名前を使って呼び出したんだよ〜」
このまま黙って見守るのも私の良心に響くから間に入って明羽を押さえつける。
「へぇ、アタシをダシに使ったわけ?」
表情が一変。途端に口の端を吊り上げ笑う明羽がある種、塚本麻衣よりも恐ろしく感じた。
「それでずっとあんな端っこでビクビクしてるわけ? ていうか、誰よ」
「川名です」「私は松永です」「枚方、です」「湊」
私から見て左から順番に名乗り、一人一人がお辞儀をする。
「オーディションか!」
うがーっと唸る明羽に4人は肩を震わせる。
「芸人バリバリのツッコミはこの子達には刺激的だよ、やめなよ?」
こちら側があまり高圧的な態度でいるのも正直よろしくはない。後々学校側に訴えられることで普段の生活態度からこの子達が出す情報が例え嘘であろうと学校側は配慮をする。
私は一度深く息を吐き、前髪をいじる。
つまりこの場を設けた時点では既に分が悪いとも言える。
そして彼女たち、塚本組の4人がどれだけ彼女に染まっているか。
めぎゅるんのようにやり直しがきかない、一発勝負の賭けだね。出し抜ければ勝機が見える。先回りされていたら詰み。
さて、君たちは健全な被害者であってくれよ。
「まだ君たちにも説明してないね。今日暑い中集まってもらったのは塚本さん関連だからさ」
毛先をいじることをやめた私の目に映る4人は、誰が見ても明らかな動揺を見せた。
「か、帰ります!」
一人、即座に動いた松永さん。
暑さとは異なるタイプの汗が首筋を伝う。
走ろうとはせず、あくまで早歩きの要領で教室から出ようとする松永さん。それに続こうと残る3人も遅れながら付いていこうとする。
なるほど。4人の中でまだ動けるのは松永さん、ということが分かった。残った3人は恐らく松永さんが帰ろうと動かなければその場で動けずにいたはず。
ガシャンッ!!
大きな音が響いて松永さんを筆頭に誰もが足を止める。
「戻れ」
明羽だった。
その場にあった机を蹴り倒して場を支配するような圧をかけた。
夏休み期間中でその机の持ち主は置き勉をしないタイプだったから意図も簡単に倒れたんだろうけど、友としてはあまり感心できない行為だね。
けど、
「タイミングはバッチシ」
人は極度の緊張時に大きな衝撃が伴えば大半以上が動けなくなる。
例え災害時であっても万全の備え、シミュレーション、それらを行えども災害は人災だろうと天災だろうと予想外の動きを見せる。だから大半の人は、咄嗟の判断が極端に難しくなる。
「今の明羽の言葉は、この4人にとって心のどこかに訴えかけてくるんじゃないかな」
明羽は僅かに眉根をピクリと動かした。
「それってどういうこと?」
4人が私の顔を見た。そうだね、君たちの言いたいことは分かってる。
だけどね、この時点で君たちは加害者側の人間でしか無いわけであって情状酌量の余地もまた無い。
私は口の端をニッと吊り上げた。
「掲示板事件の実行犯は、この4人ってわけさ」
明羽は松永さんに殴りかかった。
その手を既のところで掴み引き離す。
「行動起こすの早すぎじゃない?」
「勿体つけるから、なんとなく予想できた」
「なるほどそれは私が悪かった」
かと言って私が手を緩めれば明羽は松永さんを恐らく殴る。そして残る3人にも何らかの危害を加えるだろう。
「離してよ、いと」
「インドアでサボり魔だけど、これでもスポーツやってるからさ。本気になれば明羽は私に勝てないよ」
念には念を入れて、一言そう釘を刺してから手を離す。
「ちっ」
仕方なく明羽は距離をとる。
松永さんも突然の行動に涙目になりながら震え、その場から動かなかった。けど、その静寂を破ったのは、4人の中で一番大人しく、抵抗力の無さそうな湊さん。気づいた時には教室を飛び出して廊下を駆けていた。
「あいつっ」
追いかけようとした明羽の肩を掴み、忌々しげに私の方へ振り返る。私は静かに首を横に振った。
「大丈夫、逃げたわけじゃない」
チラリと見たけど、湊さんは泣きながら片手で口元を覆っていた。
私は教室を出て廊下を湊さんが走った方向に歩いた。後ろに明羽、松永さん、川名さん、枚方さんがついてくる。
その先には女子トイレがある。幾つかある個室の1つが開けっ放しになっていて外から見ると湊さんの足が見えた。
泣きながら、彼女は嘔吐していた。
私と明羽は恐れていた。
塚本によって、彼女たちは壊されたのだと悟ったから。
「うっ……ひっ……」
松永さん、枚方さん、川名さんも声を漏らさまいと泣いていた。
私の道化が、果たしてあの女にどこまで通用するだろうか。




