27 悪の課題
某日。
平日なので級友は今日も今日とて勉学に身を粉にして頑張っているというのに、ワタクシこと立川巡瑠は自宅の自室、ベッドに横たわっている。
ただ学校をサボっているわけではない。むしろ学校側のちょっとした計らいというべきか、混乱を避けるためのひとつの手段だったと思う。
海星高校二年、矢武侑史の殺人未遂及び家宅侵入罪による逮捕。少年法によって裁かれるため重罰とはいかないだろうけど、長い期間に渡る拘留は避けられないだろう。学校側にもマスコミが押し寄せ登下校にも僅かに支障を来すこととなった。
そんな中、平然と学校に渦中の俺が現れればどうなることか。
被害者生徒へのケアのずさんさ、事件の裏付け、学校側の管理不足などと負のレッテルをおいそれと貼らせる訳にはいかないと感じたのだろう。だが全ての事情に口止めをするには、浸透された情報社会には処置が間に合うわけでもなく、生徒の口からや過去のSNSから事件の要因とされる恋愛絡みのトラブルと世間は公表したのだ。
校内でちょっとした有名人から全国ネットにまで俺の名が知られてしまった。
そんなこんなで結局、精神的療養期間と夏休みが重なり、俺は誰と会うこともなく長期休暇に入ったのだった。
「誰よりもひと足早い夏休みだと思えば、少しは気が楽になるかな」
ベッドに敷いたひんやりマットをパンツ1枚で仰向けになり全身で体感。至極。
玄関チャイムが鳴る。
「沙希っ、お兄ちゃんは今忙しいから出なさーい」
壁をドンドン平手で叩きながら絶賛夏休みで引きこもりで家族内悲喜こもごもの妹に鼓舞する。
「るせっ、何が忙しいだオナ禁しろ!」
廊下を駆けて階下に向かう妹。今聞き捨てならない言葉が聞こえたけれど命令通り忠実に動いてはいるので俺はそっと下唇を噛む。瞳孔はガン開き。
「はー、極楽極楽」
しばらく静かになる。
と、思いきやドタドタと階段を上がる音がする。
ん、足音が2つ?
「お邪魔しまーす」
「お客さんだぞーん」
あら。
どうやら学友の塚本麻衣が降臨したようだ。
素っ裸じゃなかっただけ神さまありがどぉって気分だけど、パンツ1枚で仰向けもなかなかにやばい。
「史上最低の兄、パンイチ!」
沙希が俺をビッと指さして叫んだ。
ケン〇チみたいな言い方はやめてほしい。
「オレハワルクネェ-」
とりあえず着替えるために一旦廊下で待ってもらうことにした。
何故か終始笑顔の塚本はいやに不気味だったけど、用もなしに来る女ではないだろう。
何気にこうして会うのも久しぶりな気もするし。
「どうぞ」
パンイチからラフな部屋着に着替えて塚本を招き入れる。
「ごめんね、リラックス中に」
にへらーと、表情筋がユルユルな笑顔を向けられ俺はひと安心する。どうやら俺の痴態に不審感を抱いてはいないようだ。そこだけは口を酸っぱくしてでも否定しておかなきゃならなかったからな。
「麦茶でも飲む?」
「あーお構いなくー」
両手を横に振ってはいるものの、この暑さの中でわざわざ家に来た塚本に何も出さないのはさすがに申し訳なさすぎる。
汗をかいてるせいで制服が肌にピッタリ吸い付いていて目のやり場にも少し困る。
「扇風機に当たってて」
そう言い残して階段を降りてキッチンへと足を踏み入れる。
ボトルに入った麦茶とコップを2つ、おぼんに乗せて持っていく。
「ちょい待ち」
出入り口を足で塞ぐ沙希が、そこにいた。
「……行儀悪いぞ」
百歩譲って裸族は許しても、いやそれもダメだけどもお客さんを待たせるという行為にも繋がるので、ここはビシッと叱らねばならない。
「私だって人前とのメリハリは付けてる。でもそのメリハリを付けれてないのは兄貴の方じゃない?」
っ。
「急なシリアスムードで、何が言いたい?」
沙希らしくない、といえばらしくない。冗談を言うわけでも、ましてや悪ノリで通せんぼしているわけでもなかった。
真面目だった。
「簡単に通した私も悪いけどさ、女関係は線引きしておいた方がいいんじゃないって話。私らをまた危険な目に遭わせるわけ?」
「塚本はそういうのとは違う」
ズルいな。
今ここで家族の話を持ち出されるとは、胸が痛い話だ。
「次のフラグ行く前に折っとけって話なんだよ。私が言いたいのは」
溜息混じりに上げた足をゆっくりと降ろす。
「私はそこまでだけど、母さんはショックがまだ大きいんだ。父さんの時みたいなことが兄ちゃんに起きたら、もう、どうしたらいいか」
俺は話しながら段々と俯いていく沙希の頭をそっと撫でる。
「大丈夫。俺は死なない、もうあんな事は起こさせない」
顔を上げて涙を溜めている沙希に向かって俺は笑顔で答える。
「俺にはやり直しが利くからさ」
「お待たせ」
部屋に戻ると塚本は何故か俺のベッドに座っていた。
「あ、ごめん。でも大丈夫だよ安心して。スカートは汗ついてないから汚れてないから」
別に何も言ってないんだけど。そう思いつつ塚本の足元につい目がいってしまう。
闘え理性。
テーブルにおぼんを置いてボトル麦茶をコップに注ぐ。
「ありがとう、優しいね」
「いや別に普通だろ」
麦茶で満たされたコップを手に取り、ぐいっと飲み干す。やっぱり喉乾いてたんじゃないかよ。
「ぷはーっ、んまいっ」
「オヤジくさっ」
今どき誰もやらなそうな古典的ネタである。
そして、さっきから気になっていた質問を俺は塚本に投げかけてみる。
「で、今日学校は?」
塚本は制服姿。今はお昼。普通は学校にいなきゃならない時間だ。ひと足早い夏休みがまさか俺だけの特権じゃなかったとか?
それはないだろうな。
不真面目生徒の納富と違ってまさか塚本が授業をサボるわけじゃあるまいし。
「そっか、ずっと休んでるから分かんないんだっけ? 今日終業式だったんだよ」
「あー、なるほど」
どこもだいたい午前中で終わる終業式が今日というのなら、今の時間に我が家にいる塚本の存在、格好に関しては謎が解けた。
さらに問い。帰り道ではあるものの、どうして家に?
「単純に会いたくなった、ってだけじゃ納得出来ない?」
「うん」
疑問を浮かべつつジーッと塚本を見ていた俺に気付いた塚本は俺が問いたいことの本質を見抜き答える。そしてその答えも、また完璧とは言い難い。
「届け物。学校で配られたプリントと、夏休みの課題」
「えーマジ?」
こんな状態でも課題やんなきゃダメか? 県立高校さんよ。
そしてそれを持ってきた塚本が俺には悪魔にしか見えなくなった。
「もうちょっと物思いに耽る暇とか与えてもらえんのかね」
「もらえんのだ」
笑顔で制される。
なんとも魔性なその笑みは部屋に二人きりというシチュエーションにさらなる刺激を与えてくる。加えて夏だ。
暑さというのは人の感覚を狂わせる力を持っている。肌の露出も増え目のやり場にもかなり困る。
グラスの氷が鳴る。
蝉もまた鳴く。
「くそ、あちぃな」
「ね」
心の焦りを知ってか知らずか、小首を傾げこっちを見てくる。
「課題やろっか」
鞄の中から自分の課題を取り出した塚本。誘い自体には甘い誘惑めいたものがあり本来ならばそれ相応の魅力というものを感じたのだろうが、内容にマイナス部分が混じったため半減、いや激減。
「誰かとやって捗るもん?」
こういう課題ってものは一人で黙々とやってサッサと終わらせるのが定石だろう。
分からないところを教え合う勉強会ならいざ知らず、課題なんてものは解答と手引きが付いてるものが多い。面倒な人はそれを見て終わらせるケースも多いが、新学期に行われるテストに左右されたくなければ、大人しく考えて解いたほうが身のためだ。
「捗らなくても辛い時間を楽しくできたらよくない?」
「まるで聖者のような思考回路してんなぁ」
俺にはそれほど強引な真似は出来ない。塚本だからこその踏み込みと許容がアドバンテージになっているのかと思うと羨ましくある。
「聖者だなんてそんなぁ、ぜんぜんだよ」
にへらー、と笑いながらページを捲る。
カチカチとシャーペンの芯を出してスラスラと書き始める。
「…………」
普段と変わらない感じだったが、どこか含みを持たせるような雰囲気ではある、ような気がした。
「さ、早く課題を終わらせて夏休みは遊びまくるぞ〜」
机に齧り付くようにペンを執っている塚本に合わせて俺も机上に課題を置いて冊子を開く。
うん、まあさほど難しくは無さそうだ。だいたいは復習だから、休みで遅れた分の勉強の範囲は影響してこない。
グラスの氷がまた鳴った。
「夏は楽しいことがたくさんあるから……ね?」




