26.5 嵐の前に
「もういい」
いとはアタシの両肩を掴み、止めさせた。
「私がこの先を知れば、真っ先にあの女を殺してしまいそうだ」
怒気の籠った低い声は、アタシ自身でさえも軽く身震いしてしまうほど恐かった。
表情に余裕がなく、今まで一緒に居るときには絶対見せなかった顔つきをしている。
「別に気にしなくていい、これはアタシとあの女の因縁みたいなものだから。過ぎたことは気にしても仕方ないじゃない」
「仕方ないって。それが事実なら…………」
それでも一向に食い下がろうとはしないいとにアタシは軽く息を吐いて肩に置かれていた手を掴んで下す。
「正確にはやられてないのよ」
呆れたアタシの様子を見ていとの表情筋が和らぐのが分かった。
「それってどういう?」
「あの女の作戦か何かだろうけど、確かにレイプ紛いなことはされた。誰のかもわかんないモノを咥えさせられたし色んなところ擦られたりもしたけど、肝心の部分には手は出さなかったの」
近くに人が居ないことを確認しつつ、それでもアタシは小声で話す。
「そ、そうなのか?」
「そ。だからって話すほうも楽しいもんじゃないし、この話はこれで最後。わかったらあの女に関わんないほうがいい」
いつの間にか空になっていたグラスを手に持ち、ジュースを注ぎに席を離れる。
いとだったら本当にアタシのことを守ってくれそうなんだよね。
あの女の本性を知った経緯が巡瑠によるものだと言っていたけど、やっぱり悶着するか。アタシの唯一の楽しみすら、あの女はこのために利用したんだ。
全てがあの女の手の上。そう思うと絶対に逆らってはいけない相手というのが身をもってわかってしまえる。アタシに対する口封じは既に完了していると思い込んでいる辺り、誤算だったけど。
中途半端にバラしてしまったけど、いともあの女に何かされたってこと? それを訊くのが怖かったから何も尋ねずじまいだったけど、最近あいつとも仲いいみたいだし。
「はぁ」
それにしても、アタシも随分と嘘が上手くなったもんよね。
今日の収穫といえば、あの女に対する絶対的な殺意が増しに増しただけという結果に終わった。
そして、明羽もまだ何かを隠している。というよりはこれ以上は関わってほしくなさそうな態度だった。私のことを心配してか、もしくはあの女にバレた時に巻き添えを食うのが怖いのか。きっと両方。
「はぁ、めっっぎゅるんには教えられないな」
明羽の出まかせだと跳ね除けるか、逆上してあの女に飛び掛かるか、だもんな。
今の彼は冷静さに欠いている、もし父親が事故じゃなく殺害されていて、その犯人が近くにいるなんて知ったらきっと後先考えずに動いてしまう。
家族想いというか執着みたいなところがあるね。ファミリーコンプレックス、ファミコン野郎と今度呼んでやろう。
そんなファミコン野郎だけど、今日一つ余計な気がかりができたのも事実。
明羽と二人でファミレスに居た時、学校を休んでいるハズのめぎゅるんが居たんだよね。
「ファミレスにファミコン野郎」
非常にファミファミしているけど、やはり不可解だ。
客として来たわけではなく、何故か厨房奥のほうへ入っていったのだから。
知り合いでもいるのだろうか、それともアルバイトか何かをしていたのか、そんな情報は知らないけど昨日の今日で話しかけるのは気まずい感じがした。それに明羽と居たから、もしあの子が気付きでもしたらまたややこしくなるのは明白。
「…………」
思い直してくれたのだろうか。
私の決死な説得大作戦。
はじめはウソ泣きのつもりだったけどまさか本当に出るとは、思い返すと結構恥ずかしいぞ。けどそれがプラスの材料になってくれたし、めぎゅるんのサブい恥ずかしい本音も聞けたからそれでチャラにしよう。
「しかし、仮説は正しかったわけか」
ただの興味本位で首を突っ込んだめぎゅるんと明羽の掲示板事件。文字通り謎の転校生、塚本麻衣。図らずもすべての事件においてあの女がトリガーになっているらしいが。
「いけないな、ダメなのに」
あの女、塚本麻衣のそのカリスマ性はどこで培われたものなのか。どうしてもその権化、根拠、過去が気になって仕方ない。首を突っ込みたがるこの衝動はいい加減に抑えるべきなんだろうけど。
あー。
めぎゅるんのループ話といい、塚本麻衣の悪女といい、どうしてこう内容が濃いんだ。
「スリルを越えてもはや災害だ」
悶々として眠れない私は、案の定次の日も寝坊して遅刻すれすれの登校をするのだけれど、すでに教室に居た担任からは渋い顔をされつつ「席に着きなさい」と一言促され、そそくさと着席。
そして。
「今日の朝、緊急で職員会議が開かれた。昨夜、1組の矢武侑史が殺人未遂で現行犯逮捕されたそうだ」
私の心臓がドクンと跳ねた。
前の席は、昨日と同じく空席のままだ。
***
「悪かったね、ひどい目にあった直後だというのに」
「いえ、これでやっと安心できるので全然」
夜中、俺の家の前で母さんと沙希に軽い事情聴取を行った警察。詳しい事情は俺が知っていると話すと翌日、搬送された矢武との本格的な事情聴取が取り行われた。周りの家庭に怪しまれない為の配慮か、警察の人が私用車で迎えに来て、警察署へと連れていかれた。面会室の向かいにいる矢武は頑なに口を閉ざし、俺の説明に反論もしなかった為、そのまま進行された。公園に隠されていた放火道具の一式も俺の情報通りに警察が回収し、話はスムーズに進んだ。そして昼を迎えたころ、俺の話に何ら矛盾や不審な点がなかったことからすぐに解放されることとなる。
家の前まで、私用車で送ってくれた警官が申し訳なさそうに言った。
「ありがとうございました」
「また何かあったら遠慮なく通報していいから」
お礼を言って車から降りると敬礼してくれたので、こちらも敬礼で返してしまった。
「はは」
心から安堵したせいで、笑いの沸点が今はかなり低い。
警官の車が見えなくなるまで家の前で待ち、そして自宅の敷居を跨ぐ。
守った。
守れたんだ。
叫んで思いっきりガッツポーズを決めたいくらい、胸が躍っている。だが、そう素直に喜んでもいられない。
玄関を開けると、きっと。
「いったい何があったのか、話してくれるよね」
二人が待っていた。
何も言わずに家を出たからか、少し機嫌が悪い。というよりは、不安かな。
知らないところで死にかけた恐怖と、俺の身に何があったのかという不安、それらを早く知りたいという焦燥。
「話すよ」
それが俺の責務だ。
巻き込んでしまった俺への罰。
何を言われようともそれらをすべて受け止めるつもりだった。
リビングへ移動しテーブルに着く。
俺の正面には母親の顔が、母の隣には沙希が座っている。
いつもは食卓を囲む和気あいあいな空間も、今ばかりは沈み切っている。そうさせたのは俺だ。家族を危険な目に遭わせた、それが事実。
俺はすべて包み隠さず話した。
「巡瑠……」
母は席を立ちあがり俺に近づく。
「っ」
俺はきゅっと目を瞑った。
母さんは俺をそっと抱き寄せていた。
「あんたは悪くない」
あぁ、あったけぇなおい。
そんなに諭されるほどもう子どもじゃないってのに、母さんはどこまでいこうと母さんでしかないんだな。久しぶりに涙が溢れそうだ。
「ぶぁあああ兄ちゃんんんっ」
母に続いて沙希までも顔をぐしゃぐしゃにしながら俺の膝に泣きついてきた。こらズボンにべっとりだわ。
「沙希も、怖かったよな」
優しく妹の小さな頭を撫でてやる。すると突然ばッと顔を上げたので一瞬ビクッてなってしまった。
「ぶわあああちょうどいいポジションをお母さんに取られたからあたしはこんなポーズだぁああっ! 童話の女の子みたいなベタな泣き方だぁああんんっ」
こいつほど空気をぶち壊す人間を俺は他に知らない。




