18 殺意の先
もう少しで夏休みに入ろうかという7月上旬。大半の学生は大いに浮かれている。3年生は就職や進路といった方向性も固まりつつあるのか、センター試験などに向けての夏期講習やインターンシップに精を出すのだろう。
2年生の俺もこの状況に「まだ来年」と考えるか「もう来年」なのか気持ちの入り方次第で未来は大きく分かれることになりそうだ。
「未来」
今度こそやっと平穏な日々が舞い戻ってきたと、そう実感ができる。
部屋の灯りを消して横になる。近頃はまともな睡眠をとっていなかったから今日はぐっすり眠れそうだ。
目を閉じてからすぐに深い眠りについた。
だが、異変は突如としてやってくる。
「はっ…………はぁ、げふっ」
なんだ、息が苦しい。暑い。
体が動かない。金縛りにあっているかのように重い。
五月蝿い五月蝿い。臭い。眩しい。
なんだ、これ。
何が起きてる?
「あ……」
そうか、この五月蝿いサイレンは聞き覚えがあった。
火事か。
でも、どこの家が燃えているんだっけ?
わかんない、だけど多分、近所なんだろうな。
「いたぞ! 早く運び出せ!」
誰だ?
俺の体を抱えているのは、どこへ連れていく気だ。
あ、やべ。声が出なくて息苦しいし、抵抗しようにも動けねぇ。
あぁ、明るいなぁ。
「っ!?」
慌てて起きた時、周りを瞬時に確認するが真っ暗な自分の部屋なままだった。枕やシーツがしっとりしていること以外に自分の部屋に違和感はない。ベッドから起き上がり部屋のカーテンを開けて外を見る。夜中だから街灯以外の灯りはほぼない。
「悪夢だ、な」
まだ安眠するには早いってことか……。
俺はベッドに項垂れるように再び眠りについた。
***
何気ない1日の始まり。
朝日を浴びるためにカーテンを開け放つ。ひどく寝汗をかいたせいで枕カバーとシーツを変える羽目になってしまった。
「兄ちゃんおねショタ?」
「それを言うならおねしょな。おねしょじゃねーよ!」
シーツを洗濯機に放り込んでいると、洗面台の前で歯磨きしながら洗濯機の中を覗き見する妹と鉢合わせ。
「ほら汚いからお口閉じなさい」
母さんに頭をチョップされた沙希は「ぅへーい」と鳴き声を発しながら鏡の前に戻る。
「ざまぁwwww」
「アンタも早く用意しなさい」
母の愛あるチョップをひらりと躱してリビングへと向かう。
「あれ、今日も同じメニューか」
まあ別に珍しくないし、期限が近いものから消費しなきゃいけないから黙って食べるけども。
「うましうまし」
朝ごはんを食べてダラダラと学校の準備をして制服に着替えてから朝のニュースを観る。
「なーんかデジャブ」
観たことのある内容な気もする。けど大きなニュースなんて何日何週とかけてトピックスしているから断定もできないし。
嫌な予感がする。スマホを開いて日付を確認。
「悪夢だな」
今日は昨日と同じ水曜日。
勘違いじゃなければ今日の夜中、俺は死んだ。
「……火事」
夢、の続きと仮定するならおよそ死因は一酸化炭素中毒死ってとこが妥当かな。
「なぁ母さん」
「なに?」
洗い物をしていた母の方へ振り返り俺は一言。
「火の用心」
「頭おかしいんじゃないの?」
通学路を歩きながら、体感昨日の出来事を思い起こす。何か変わった点はなかったか。誰とどんな話をしたか。
「おはよう!」
チリンチリンと鈴の音が聞こえてからの挨拶、塚本だ。
「朝から元気だねー」
元気じゃない日が少ないんだよなこの子。血圧高くない俺はそこそこ堪える。
「朝から鬱になってても仕方ないからね。毎日ってのは嫌でもやってくるんだし」
「ま、普通はそうなんだろうけどね」
当たり前に訪れるのが次の日で巻き戻ることなんて決してありえない。
「ん?」
「いや、なんでないよ」
塚本の表情が曇ったのではぐらかす。
こんな話、どう考えても面白半分人間の納富いとしか信じないだろうね。
試しに起こった出来事を話して万が一それが百発百中だったとしても気味悪がられるだけ。
「いつもだけど、たまに変なこと言うよね」
「それはいつも変なこと言ってるってことにならない?」
ショックを和らげるためにそんな言い回しをしたのかもしれないが、雑すぎてまったくフォローになってない。
「あははは」
その苦笑いが余計に心深く傷を与えてくる。
「やあ、おはようお二人さん」
校門前、反対側から来た納富いとと偶然にも出会ってしまった。
いや、一度体験した1日だし、昨日のことを思い出すようなものだからこの展開は当たり前、の筈だった。
「なんでお前が? 朝練は?」
「ん、いやぁ寝坊しちゃってさ。チームメイトに怒られちゃうね、こりゃまいったまいった」
照れ笑いしながら誇らしげに胸を張る納富。
俺の記憶力が乏しくなければ今日は寝坊なんてしていなかったはず。ホームルーム前に本人がそう言っていたし、それがウソだったとしてもこんな時間に会うはずない。
だって毎日ほぼ寸分狂わず登校している俺は、納富に会っていないのだから。
「……立川くん?」
「やだなぁめぎゅるん。そんなに恐い顔しないでよ」
…………。
「いや、そんなつもりはなかった。ごめんな」
俺は謝りつつも、不気味に笑顔を見せる納富を睨みつけた。
何かを企んでいる。もしくは俺が本来とは違った動きをしたことで変わってしまった、とか。
妙な胸騒ぎがしてならなかった。
塚本と納富が駐輪場に向かったので俺は一足先に教室へと向かう。
今すぐにでも問い詰めたいところだけど、塚本もいたのでこの場では平静を装った。校門前での俺の反応を見てから恐らく何か確信したはずだ。
あのとき、もっと慎重になっていれば少しは腹の中が探れたかもしれないのに。この1日で納富の変化と火事の原因を調べないと。
もちろん、あとから教室に来た納富とは顔を合わせない。
たとえあの火災が我が家の不注意だったとしても、俺は疑わなければならない。
もしかしてあれは放火なんじゃないかと。もし犯人がいるのなら、捕まえる。その為には出来る限り同じ行動を続けないと、もし未来が変わって犯人が現れなかったらオチオチ寝ていられない。
「あんまり出し惜しみしてるとお互いに勘違いしそうだよね」
机の横にカバンをかけ、俺は後ろに向き直る。
「納富、お前は何者だ?」
「イトチンとは呼んでくれないの?」
「ふざけるな」
ダメだ。またペースに乗せられている。
犯人は納富か?
1番疑わしいのは矢武だったけど、無差別事件に巻き込まれた可能性も少なからず視野に入れなければならない。
「私ね、常に同じ行動をとるのって苦手なんだよね」
「何の話だ?」
「めぎゅるんさ。死んだ?」
冗談みたいなその言葉に、俺は何も言えない。俺の心に余裕があれば「じゃ、ここにいる俺はなんなんだよ」とかツッコミいを入れられたのかもしれない。
しかし納富がそれを真剣な顔で言うなんて、誰も思わないだろう。
だから俺は疑う。
もしかして納富も同じ日を繰り返しているのでは?
「死にかけたか、死んだか。とにかくどっちかなんでしょ?」
「……違う」
「この前は夢を見ていただけとか言って終わらそうとしてたみたいだけど、まだなんでしょ?」
なんで、普通は誰も信じないような話をお前は平気で当然のように語れるんだ。
「どうしてそう思う? 俺が死んだって」
「1日で顔つきが変わった、校門前で君は私に不審な目を向けていた。夜中にカーテンを開けた」
たったそれだけで?
いや、待て。
「ひとつだけ聞き捨てならない項目があるぞ」
「はい?」
「夜中にカーテンを開けたってなんだよ」
いや、確かに開けたけど。
「あー、暇だから見張ってたんだ〜」
「こわっっ!」
俺の後ろの人ストーカーだった!
やだもう背を向けたくない。
「弁解とか、申し立てはないのかよ」
「さぁ? 君が面白い話を途中で投げ出したのが気に食わなかったからね。今月いっぱいまで粘って何もなさそうなら辞めようとしていたさ」
とてもじゃないが信じられない。
ますます犯人に近付いた、というかもう犯罪だそれ。
「言っておくけど私は敵ではない。それを伝えたかっただけなんだけど、どうやら逆効果だったかな」
「信じられるかよ」
「私は君の話を信じているのに? ふふ、悲しいなぁ」
机に肘をついて手を組みながら笑われたところで悲しさが微塵も感じられない。
「で、どうやって死んだのかな?」
「教えない、というか死んでない」
俺は腕を組んで荒々しく鼻息をする。
生きてることをアピールする。意味ないけど。
「ふぅ……。まぁ教えてくれないならこっちは勝手に調べさせてもらうけど、いいかな?」
白々しく許諾を得ようと企む。公認のストーカー誕生に花を手向ける気はない、だけど。
「ダメって言っても、隠れてするだろ。だからこれは宣戦布告だ。俺の日常を著しく害するようなら容赦なく叩き潰す」
俺はまだ納富が犯人の線から外れたなんて思っちゃいない。
自分から怪しまれるような情報をあえて俺に与えたのは疑いを晴れさせたいからか、もしくは自作自演のスリルを味わっているのか。
「あくまでめぎゅるんが解決する気なんだ? 確かに人生やり直せるなら君は人類最強かもね〜」
余計な相談をしたことが仇になった。
どれだけ忠告したところで納富の興味対象は俺から失せることはないみたいだ。
その日、俺は矢武の跡を尾行した。
バスケ部を自ら退部した矢武は織田たちのグループにも関わらなくなり放課後になるとサッサと学校から出て行く。周りの人間も矢武の人となりを知り、あいつから距離を置き目も合わせない。
俺と同等か、それ以上に悪目立ちというか浮いていた。
いや、俺にはまだ話しかけてくれる人がいるからまだマシか。
「どこへ行く気だ?」
家に帰るわけでも、ましてやどこかへ遊びに行くわけでもない。
ただ、矢武が歩いている道は俺の通学路というわけなのだが。疑惑が益々深まる。
そういえば矢武がどこに住んでいるとか、俺はまったく知らない。もしもただの帰路だったら、でもそれなら何度か鉢合わせしてもいい筈だけど。
そんな疑惑も杞憂だったようで、俺の家が見えてきた辺りで周りに目もくれず、道なりにただ真っ直ぐ歩いて去った。
そもそも通り過ぎた此処を俺の家だと認識すらしていないような、そんな素振りだ。
「念の為ってのもあるよな」
矢武がこの先にどんな用があるのか。それを最後まで見極めてからでも切り上げられる。
「は?」
尾行を続けた俺は、矢武の向かう先に唖然とした。矢武は、ガソリンスタンドへと立ち寄ったのだ。
一体なんの目的があってこんなところに。
そして俺は、スタンドの店員とやり取りを交わす矢武の様子を遠巻きで眺めそこで理解する。
ガソリンスタンドから出てきた矢武の両手には2つの青いポリタンクが見えた。見えてしまった。
いや、明らかにおかしいだろ。
今の季節は夏だ。
ストーブやヒーターくらいにしか使用用途があまり無いこの時期に灯油なんて買うだろうか。
俺の家から近いガソリンスタンドで、わざわざ?
「何を考えてるんだ」
本当は既に最悪のシナリオが頭の中で完成してしまっている。
それでも、もしかしてなんて一縷の望みくらいは掛けたかった。
18ℓの容器が2つで36ℓ分の灯油。それをどこに持っていこうというのか。
次に矢武が向かったのは小さな公園。
今の時間は子どもが4、5人遊んでいるくらいか。そんな公園に青いポリタンクを持った高校生の男が茂みにそれを置く。当然周りの子は不思議そうに様子を伺う、けど矢武は何にも動じていない。黙々と何かの作業に没頭している。俺の尾行にも気付かないほどの集中力。
早足で公園を後にした矢武に最後まで見つかることは無かった。
かなりの収穫を得たと手応えを感じた俺は矢武がポリタンクを隠した茂みへと歩み寄る。
「無いな」
おかしいな、確かにこの辺りで何かをして…………。
「あぁ、なるほど」
僅かに地面の色が変わったところがある。でこぼこしていて明らかに人の手が加わり固められている。
さすがに地面を掘り起こすのは手間なので表面だけを取り払う。
ビニールに包まれた青のポリタンクが2つ、白い軍手、懐中電灯が見えた。その他にも小物が幾つか入っているようだがこれ以上は掘り起こしでもしないと確認できない。
「グレーというか、確実にクロだな」
しかし、これだけの穴を掘っていたなら計画的なのが妥当か。
「兄ちゃんたちいつも何してんの?」
振り返ると遊具で遊んでいた子どもの1人が俺の後ろに立っていた。
「君はいつもこの公園で遊んでるの?」
「いつもじゃないけどよく来るよ。兄ちゃんたちもだろ?」
やはり数日間で用意したと考えて正しいな。
「残念だけどもう1人の兄ちゃんとは関係ないんだ。だからここで何をしてるのか、俺にはわからない」
「なーんだ。いつも怖い顔してるから今日こそ聞けるって思ったのになー」
まぁ、矢武の見た目は不良そのものだから威圧感は確かにある。見た目と中身が釣り合っているのがまた最悪だ。
「あ、そうだ。帰ったらあの兄ちゃんがいつも何してるのか父ちゃんや母ちゃんに話してみてくれ」
俺の提案にその子どもは眉根を寄せた。
「え? まぁ、たまにその兄ちゃんの話するけど関わるなって怒られたことあるんだよねぇ」
まぁ、見るからに不審者だから親の判断は適格だろう。
「見ろ、あの兄ちゃん公園にこんなもの隠してるんだ」
土を払ってビニールの中身をよく見えるようにする。少し酷かもしれないけど、これでこの子どもはしっかりと脳裏に焼き付いたはずだ。
これから起こりうる事件、その容疑者の像が。
もちろん、そうならないように努力はするけど万が一という事態のために保険はあった方がいい。
その後再びビニールを土の中に埋め、子どもたちに手を振りながら公園を去った。
それから家に帰り、夜に備えるため少し眠ることにした。
「それじゃおやすみ」
「早いね? おやすみぃ」
「おやすみなさい」
夜10時。
母と妹が寝静まるのを待つ為に部屋に篭もり時間を潰した。しばらくログインしていなかったアプリも開き、一度読み終えた本も流し読みする。
そして日付が変わる少し前に電気を消して部屋から出る。
電気は消えているが、隣の部屋から話し声がした。ということは妹の沙希はまだ起きていて、誰かと話しているのだろう。独り言だったら怖いけど。
できるだけ物音は立てずに玄関で靴を履きゆっくりとドアを開けて外に出た。
きっちりと鍵も閉めてから俺は例の公園へ向かった。
本来は家の敷地内で待つのが万が一にも対応しやすい場所だが、少し早めに外に出た俺は行動に余裕があった。もし火災の原因が放火なら準備をする時間が必要であり、もし公園に誰も現れなければ急いで家に向かえばいいと考えていた。
「寒いなぁ」
夏といえどさすがに夜は冷え込む。
公園内を僅かに照らす街灯から聞こえてくるジーッと言う焼けた音。カエルや蝉の声も時折聞こえてくる程度で何ら変化はない。
巡回する警察官に見つかればたちまち補導されてしまう。ビクビクする割には、意外と出くわさないことが多い。
電気がついてる家もあるけど住宅街そのものはしんとしている。
国道沿いであるならば車の音が絶え間なくするけど、近辺に大きな道は存在しない。
だからこそ、その静寂がより不気味に感じる。
「そろそろ時間かな」
スマホで時間を確認、滑り台の陰に隠れて例の茂み方面に意識を向ける。
ビンゴ。
人影が現れた。
サングラスにマスク、上下とも黒めのウィンドブレーカー。既視感ある姿だったことは確かだ。
「ワンパターンなヤツめ」
案の定、茂みに入り地面の中から道具を掘り起こしている。
俺は息を殺しながらその男に近付く。体勢を低くしながらポケットからスマホを取り出し、あらかじめ消音撮影機能に設定していたカメラで犯行現場を押さえることにした。
だが、侮っていた。
「誰だ!」
茂みからポリタンクを掘り起こす男が不審な光に反応してしまったのだ。
フラッシュ機能をオートにしていたせいで、それが作動してしまった。
詰めが甘かった。そのせいで予定が大幅に狂ってしまった。
「よう矢武。こんな時間に奇遇だな」
「……立川」
驚いたことに矢武は、俺に気付いても尚冷静だった。
「そこで何をしてたんだ?」
「…………」
俺の質問に矢武は答えない。まぁ、そうだろうな。答えられるわけがない。この事態を想定なんてしていなかっただろうからな。
「灯油が入ったポリタンク2つ。これで何するんだって聞いてんだよ」
矢武は自分が掘り起こしている途中の物を一度見やった。ここにきてようやく心底驚いた表情をしていた。
「気付いてたのかよ」
「あぁ、今日たまたま見掛けたんだ」
もちろん嘘だ。だけど最初から疑いを掛けていたような素振りを見せると、あとからまた余計な警戒をするに違いない。もしまたこのような事件を企てたとして知恵を付けられたら困る。
もちろん、これも保険だ。詰めは甘かったが、証拠はスマホの写真フォルダにしっかりと入っている。
今の時点では既に俺の勝ちだ。
会話をしている今この段階も手元のキーパッドで【110】と打ち込んでいる、どんな行動を矢武が取ろうと既に詰みだ。
「計画が狂ったな」
矢武がゆっくりと立ち上がり、こちらへ1歩。
呼び出しマークに親指を掛ける。俺の手は微かに震えていた。
「お前がこれからしようとしていることを俺は知っている。だが今ならまだ見逃してやるから」
「立川、お前は何も分かっちゃいない」
矢武はマスクとサングラスを取り、ポケットへと無造作に仕舞い込む。
「何を言って――」
声が掻き消えた。
喉が熱い、息が出来ない。
何をした、矢武。
声が出ない代わりに矢武の顔を睨む。だが、奴の顔は涼しげだった。もしかしたらその遥か上で、凍てつくような眼差しだったかもしれない。
「立場が違うな、俺の方が上だ」
歪んでいく景色の中で、俺は矢武の手に握られた鮮血に染まるマチェットから目を離せなかった。
地面に零れた真っ赤な水溜りの正体に気付いたとき、俺は既にその中に倒れ込んでいた。
あれ、おかしいな。
なぜ、矢武は人を殺し慣れてんだ?




