16 憂鬱のメイハ
織田明羽とはどんな人物なのだろう。
私が私に問いかけても、答えるのは私で答えないのもまた私で、そこには嘘も誇張もなくただの薄っぺらな真実しかない。そんな真実さえも知るのが恐ろしいアタシは、耳を塞ぎ目を瞑る。
真っ暗な淀みの中を漂うように。
風邪を引いた。
環境の変化に身体がついていかなかったのか、単に私生活の不摂生さが祟ったのかは分からない。もしかしたら昨日きちんと髪の毛を乾かさずに寝てしまったことが原因かもしれない。
長いほうがアレンジしやすくて可愛いけど、たまに鬱陶しいときもある。夏も近いし、そろそろ短くしようか。
「おかあさーん」
部屋から出てフラフラしながら台所や茶の間を覗く。
なんだ、もう出掛けたのか。
学校へ休みの連絡は入れてるって言ってたからいいか。
「おもっ」
肩に何か乗っかっている気分。思考回路もマイナスな方向にしか回らない。
ここは自分だけ休めることを素直に喜ぼう。
「…………」
ただの休日でもない今日という日。
何もやることがない。
出掛けようにもカラダが言うことを聞かないし、チャットしようにもみんな授業とかで相手してくんないし。
スマホのソシャゲに没頭してみても、ろくにレベル上げもしてないのでスタミナもすぐに底を尽き、また暇になる。
漫画アプリで自分好みじゃない作品も読んでみる。あ、これ意外と好きかも。
寝てはスマホいじって、また寝てはスマホをいじる。
「休みの有り難さがないなー。あ、またスタンプ増えてるじゃん」
自撮り用のアプリで滅多に使わない機能を試しに試して、気付くともう夕方。
玄関の鍵を開ける音がした。
「ただいま」
この低い声、アタシの気分はまた落ちた。
「明羽、大丈夫か?」
ノックをして部屋を開けるアタシの父親。
「なんで今日早いの?」
いつもいつも残業で、飲んで帰って来た時なんかは玄関で倒れたりゲロったりと最悪でしかないこの男。
「なんでってお前、具合悪いんだろ。だから薬とか買ってきたんだ」
レジ袋を揺らしながら笑顔を見せるこの男を、アタシは嫌っている。
「つか勝手に部屋開けんなよ」
「すまん」
父親としての威厳なんてあったものじゃない。お母さんの方が芯が強い。それを間近で見てきたアタシも影響されてか、性格が荒々しいのは自覚している。
「お昼何も食ってないんだろ? 父さん作るから、出来たらおいで」
「……わかった」
冗談じゃない。
なんであんなやつと二人で食事なんか。
ただでさえ味とかよくわかんないのに、これじゃごはんが不味くなる。
いや、でもあいつの料理が不味いとかではなく、普通に食べられる。
「ちっ」
アタシは台所で晩ご飯の支度をする父の目を盗んで、家を飛び出した。
「んー」
外に出て伸びをする。
やっぱり外の空気は気持ちがいい。
別に家出をしようなんて考えちゃいない。アタシ1人だと何も出来ないなんて、少し考えればすぐに分かるし。何より勝ち目のない抵抗が嫌いなのだ。
「どーしよっかな」
すっぴんだし、ほとんど部屋着のまま家出てきたし、どこに行くあても無いんだよね。
仕方ないので川辺をかるく散歩する。
犬の散歩をする人。遊ぶ小学生。お年寄り。
「?」
誰か倒れてる。
仰向けになって、見覚えのあるカバンを枕代わりに頭の下に敷いている。あの制服姿は海星高校のものだとすぐに分かった。
しまった。
もしあそこに寝転がっている生徒がアタシの知り合いだったらアタシがズル休みしてるんじゃないかと疑われかねない。自慢じゃないけど学校ではそれなりに態度が悪く、何かと目を付けられやすいというのに。
考え事をしていると、不審がった生徒が起き上がりこちらを見た。
目が合った。
「立川」
自然と声が漏れた。
向こうは顰めっ面でこちらを見ている。面識がないから当たり前か。
踵を返そうとすると、立ち上がりこちらへ歩み寄ってきた。
「なんだよ」
目の前まで来てマジマジと見つめられる。顔だけは悪くないのが、またムカつく。
「席が後ろの人だろ。風邪で休みって聞いてたけど、元気そうだな」
つまりアタシがズル休みしたんじゃないかと、そう聞きたそうな眼だった。
「何か」
文句あんの?
そう言おうとしたのに、言葉の途中で立川はアタシに背を見せて同じ位置に戻ってはまた寝転んだ。
「変なの」
ダサい格好も、すっぴんも見られたしもうどうでも良くなっているアタシがいた。
今はとにかく、話し相手が欲しかったのかもしれない。きちんと悩みを打ち明けられる誰か。
あろうことかアタシは立川に近づいて、隣に座ったのだ。
「何してんの」
「病欠なハズの人が、それ聞く?」
むしろ何してんの、は自分に問いたいくらいだ。
今の心が弱っているアタシは多分、なんでも話してしまえる気がした。
「バイト辞めた」
立川はまるで独り言のように呟いた。
「ホントは高校卒業までやってやろうかと思ってたけどさ、高校上がると今度は勉強が追いつかなくなるんだ」
「バイトって、あのファミレス?」
あの時はキッチンから覗く横顔だけ見ていたので確証はなかった。
「アンタらがよく無駄に過ごしてる、例のファミレスな」
「やっぱり気付いてたんだ」
「この前覗いてただろ」
侮れない。というか、通りかかってたまたま見付けただけだし。
「秘匿事項だけどブラックリスト入ってるからな?」
アタシはあはは、と乾いた笑いでなんとか誤魔化そうとする。まぁ、騒がしくしてたし、店員も困惑した顔してたしそんな気はしてたけど。
「脈絡のない会話や恋バナだとか、気楽でいいよなホント」
その言葉には棘があった。
あぁ、ほかの真面目で硬っ苦しい生徒とか教師が向けるようなその視線。
こいつもアタシを侮蔑してるのか。
「アタシだって周りに気くらい遣ってるっての」
「あれで? だとしたら何の効果もない無駄な気遣いだな」
「なにその言い方」
こいつ、ひねくれてる。
アタシみたいな落ちこぼれとはまた違うタイプの落ちこぼれ。孤高でいることがカッコイイとか勘違いしてるめでたい馬鹿野郎。
「気を遣うのは学に対してが正解なんだよ。自分の人生に意見してくれるような人に敬意という気を遣えなきゃ、やるだけ損だろ」
アタシは自分とその友達共々馬鹿にされてちゃ、黙っていられない。
「友達だって大事でしょ」
「普段から気を遣ってるのが友達か? それって友達じゃなくてただの他人だろ」
アタシは返す言葉を失った。
まるでアタシの心を読むように、今の悩みを一蹴した。
学業からはぐれた者たちの集まり。ただの寄せ集めで、アタシが逃げた先に居場所なんてものはない。
「あんたに何がわかんの?」
すべて自分の想い描くとおりになんてならない。勉強も嫌になって成績も年々落ちて、だけど周りにアタシよりももっと勉強できない子がいるからと甘んじて。その子らと仲良くなることでアタシの汚点を誤魔化して。
けれど勉強ができないヤツらは、そいつらなりの世界があって。危ない関係を持つ友だちもいるし、今度はそっちについていかなきゃならなくなってしまった。
「居場所がないって顔してる」
「なんであんたなんかにそんなこと…………」
ダメだ。
なにか早く言い返さないと。
今にも溢れそうな涙を、止めないと。
無理してきた部分を、多少なりとも誤魔化してた自分が崩れてしまう。
「そんな格好でこんな時間にそのへん歩いてるやつなんて、居場所がないヤツばかりだろ」
「じゃ、もしかしてあんたも?」
「俺は違う」
即答。
「あんた馬鹿にしてるでしょ!」
立川はまた笑う。人目もはばからない大きな声なので一緒にいるこっちが恥ずかしい。
「居場所はあるけど、それが辛いときだってあるさ」
「どういう意味?」
疑問に思うアタシの顔を一瞥して、立川は上体を起こした。まるで何かを決心したように見えた。
「まぁ、父親が死んでから俺は高校に行くかどうか悩んでた」
「……そっか」
立川がどこか大人びて見えた理由がほんの少しだけわかった気がした。
「生命保険とか手当てとか、降りるには降りたけど手続きだったり葬儀だったりでバタバタしてな、みんな疲弊するんだ。今の世の中は死を悲しむ暇も与えてくれない」
大切な人を失ったそれからの日々を少しずつ悲しみが追いかけてくる。到達する頃には、霞になってしまう。
「それからアルバイトとか色々やってきたけど、幾つも器用にはこなせなかった。俺が家族を支えるつもりだったのにな。勝手に全てを背負おうとして、荒れただけの自己破産者なんだ」
立川は、まともに話したことさえないアタシに弱みを見せた。それはアタシが風邪で弱っているからなのか、部屋着だからか、すっぴんだからか。
きっとアタシと同じで誰でもよかったんだ。
「笑っていいぞ。俺はアンタらを見下してた、けど結局はみんな同じだった。俺は自惚れてたんだ」
「同じじゃない」
冗談じゃない。
「アタシの悩みが馬鹿みたいじゃん!」
完全に出オチだ。
自分の小ささが嫌に染みる。こいつの不幸さがアタシを上回って見事に食い散らかされた。
恥だ。面識もない奴に恥辱を受けたようだ。顔から火が出そうになってしまう。
「元気になったな」
「……」
「家族だけは裏切るなよ、じゃ」
立川は枕代わりにしていたカバンの土を払い徐に立ち上がった。
「Signalっ!」
「ん?」
「ID教えて」
自分から聞くことなんて滅多にない。だけど、この機会逃してしまえば恐らく一生知ることなんて無い。
そう思うとアタシは考えるより先に言葉を発していた。
立川は答えなかった。
けど、応じてはくれたみたいでスマホを取り出してプロフィールを見せてくれた。
「普段があれだから、学校とかで……えーっと、織田と話すこととかあまり無さそうだけど」
そう言われると確かに、躊躇してしまいそうになる。本来なら接点などない。性格も趣向も全く合わなそうだし、ぶっちゃけて言うとアタシの中では立川は根暗そうな印象しかない。
でも、今日それが少しの憧れに変わったことは確か。
「でもこれなら少しは話せるだろ。適当によろしくな」
アタシのID検索結果に1つだけヒットした名前を画面上で確認すると、立川は手をかるく振りながら帰っていった。
「色んなこと有耶無耶にされちゃったなぁ」
もしかしたら、アタシの中の靄を晴らしてくれるのではないか。何かのきっかけになってくれるのではと思っての行動だった。
なんて、期待とかしてないけどね。
立川の話を聞いてから、アタシは意味もなく父親にイライラする事は無くなった。未だに無神経なところはあるけど、それをきちんと本人に言うことでストレスは貯まらなくなった。
「俺お前のこと大切にするから、みたいなアピールほど冷めるものもないんだよね」
「嫌ならハッキリ断ってやれよ。思わせぶりばかりだと痛い目見るぞ」
「だから、グループの男子だからもっとナチュラルに避けたいワケ。わかる?」
夜。布団の上で横になったアタシはイヤホンを付けて通話していた。
相手は立川。
「女にグイグイ行くこととかやったこと無いから分からん」
「うわ、何それ自分モテてましたアピール? それも痛々しい」
「男女の交際って何が目的でするんだ?」
え、マジ?
男ってだいたいカラダが目当てだと思ってるんだけど、これ正直に言っていいやつ? まさか試されてる?
「あんた好きな相手とかいないの?」
悩んだ挙句、話の論点をすり替えることにした。いくら何でもいいなと思う女子の一人や二人いるだろう。
「うん」
えー即答って。
「あーっもう。相談役にもなりゃしない」
そう言ってアタシは電話を一方的に切った。
少しくらいアタシを意識しろよ馬鹿。
アタシの周りのヤツらがガツガツし過ぎてるのか、アイツが草食なのか。
「アタシってそんなに魅力ないのかな」
小さいため息が余計に虚しさを感じさせた。




