11 プリコグ
人が最期に失うものの質量はおよそ21グラムだという。
アメリカの医師ダンカン・マクドゥーガルが魂の重量を測る実験を行ったことからこういった説があるのだと。しかし、死の瞬間に測定が出来ているのか正しい数値がハッキリとしなかったことから本当に魂の重さが21グラムなのかは定かではない。それどころか、死後の発汗による水分の蒸発とさえも言われているのであくまでトリビア程度にしか捉えていなかった。
頭の四隅にあった、合っているのかも分からないこの知識を思い出したのは父が溺死した中学3年生という受験期間の真っ只中。
あの日は台風が近付いたせいもあり、風も強く雨もひどかった。帰りが遅く、連絡もないことで家族の不安はより大きく膨れ上がっていたことを鮮明に覚えている。
一晩明けるまで俺たちはただ待つことしか出来ず、流石に警察へと電話を掛ける母の背を俺と沙希はただじっと見ていた。
学校も臨時休校になりテレビを付ければ古いドラマの再放送が流れ、その下に字幕スーパーで被害状況や波浪警報の地域振り分けと細々した情報が目に映る。
結局、きちんとした捜索が行われたのは台風が過ぎた後での事だった。被害状況から床下浸水や土砂崩れ、地面のヒビ割れと復興作業に追われ何も行方不明者は父だけではないのだと知った。それ故に時間を要した。
もし、見つかった時は最悪な状況だと知りつつも本当は見つからないことを俺は願っていた。
そして最悪な報せは、授業中にも拘らず校内放送に名指しで呼び出しを受けた時、どうしてか腹を括ってしまっていた。
心のどこかで諦めていたのだ。そして、俺が家族を支える絶対的な存在になると同時に決めていたのだと今にして思う。
だから、死ぬわけにはいかない。
そんな願いも虚しく真っ暗闇な景色がしばらく続いた。不思議と体が軽く、さっきまでの痛みも無かった。
だが思い出すと背筋が凍るように悪寒がはしった。
自分は死んだのか、意識不明の重体なのか。
すると不意に、無重力感が無くなり体に負荷がのしかかる気がした。エレベーターに乗った時のなんとも言えないあの気持ち悪い感じに近い。
それを確かめる術もなく無抵抗で落ちていく。
「地獄にでも落ちているのか」
ふとそんな皮肉を言ってみる。
「何言ってんだ兄ちゃん」
突如、真っ暗闇だった景色がフェードアウトしていくように見慣れた一室が視界いっぱいに広がった。眩しさで最初、目も開けていられなかった光を少しずつ体内に流し込んでいく。
「あーも! 何急に立ち止まってんだよバレたじゃないかー」
手にはゲームのコントローラーが握られており画面ではTPSの自キャラが銃撃されている状態が映し出される。
「沙希か」
俺の部屋で俺と妹の沙希がゲームをしていた。
「やっぱりまだ本調子じゃないね、腕を磨くよろし」
Player killという表示が出てゲーム終了。つまらなそうに沙希は電源を切り立ち上がる。
「さてと、これ以上遊んでるのがバレたらお母さんになんてどやされるか考えるだけでビビリションしそうだからアッシはドロンで」
「死語じゃねぇか」
死。
俺は自分が死ぬ夢でも見たのか、でもゲーム中にほんの一瞬で寝ることはありえないし、白昼夢ともまた違う。
ドタバタと俺の部屋から退散していった沙希にさっきの状況を事細かに聞こうとも思ったけど、それほど気にするような事でもないと考えが行き着いたので大人しくベッドに倒れ込む。
スマホを取り出して日付の確認をしてみる。
「5月21日の日曜日で16時31分、と」
目の腫れは今も色濃く残っている。今は家だから眼帯を外しているが、学校ではさすがに塞いでおかなきゃならないだろう。
いや、俺はそうしていた。
明日のことを夢に見たとしても、あんなに生々しいことがかつてあっただろうか。
予知夢?
「よく出来た夢だ」
もしや今の状態こそが夢なのではないかと思った俺はグ二グ二と自分の顔を触る。
漫画のようにつねったりしてみるわけじゃない。そうすると痛いじゃないか。
「はぁ」
恐らくかなり疲労が溜まっていたのではないかと思う。心の不安とかよく無意識のうちに夢で思い起こさせられたりする話も珍しくはないし。
たしかに、最近はとくに意識せざるを得ない出来事が続いたのがネックだったに違いない。
不安を消し去るように俺は静かに目を閉じ、夕飯の時間までぐっすりと眠ってしまった。
***
「眠い」
微妙な時間に寝たせいで夜は寝付くまでに時間が掛かってしまった。
これは授業中もたないかもしれないな。
ただでさえ生徒や教師から注目を集めているのにいちばん前の席ときた。夢の話ではないが、今日という日は正念場だ。
クラス内がざわついているのにもいい加減慣れてしまった。そんな熱視線を送られたところで俺は何もしてやれないのだけど。
「おっはよーてか眠そー」
そうだった。
俺の後ろの席は納富いとだった。
時代劇の言葉を借りるならまさしく風来坊の如く、仲のいいグループというのを持たない女子の中では珍しい部類の生徒。好奇心旺盛で興味のある事柄以外はてんで無関心のイヌ女子である。
今の対象はどうやら俺らしいが、そこに好意もへったくれもない事だけは分かる。
「変な夢見たからな」
「なになにどんな夢?」
興味を持たないだろうから正直に言ったのに、全くの逆効果だったようだ。
「未来予知」
「それは夢って言うの?」
「いや普通は未来予知の方を否定するところだろ」
ハナから未来予知なんて信じちゃいないってことなんだろうな。誰だって真に受けたりはしない。
「まあまあ。いいからその未来とやらを語りなさいな」
まるで絵物語を楽しみにする昔ながらの子供みたいな無邪気さを装いつつも実際のところはどうでもいいのだろうな。
納富いとにとって俺はただ喉の乾きを潤すためだけの飲み物、それも新発売のジュースに手を出すくらいの気軽さ。どうせすぐに飽きられるのだろう。
「どうやら俺は今日死ぬということらしい」
わざと他人事のように語ったのは自分の夢が誰かの予言であると仄めかしたいが為だった。所詮は夢オチなので自分の死についても熟考したりすることもなく滞りありませんよとアピールするくらいにしかならないのだけど。
「なんだ、よくある事じゃん」
え、よくあるの?
「要はあれだよ。自分がひたすら落下する夢を見てカラダがビクンってなって目が覚めるのと同じ現象じゃないの?」
「それは骨の成長に通じてるとかそんな説が無かったっけ?」
たしかにそういう夢も見たことはあるけども......。いやここで夢の内容がやたらリアルだったと言おうとしたところで、それは心象心理として捉えられてピリオドを打たれる。
ま、そういうことにしておこう。
俺としても思い出したい話というわけじゃないからな。
そして予想通り、眠気が勝りすぎて授業内容が知識として入ってくることは一切無くあっという間に休み時間。
やはりクラス全体にどこか落ち着きはない。
表向きは悟られないようにしつつ俺の方をたまにチラと見る生徒も少なからず存在する。
ただそういう生徒に留まらず、俺を余所にざわついていることに対しても多少の違和感を覚えわけだが。
「もしこれが密室だったら集団パニック状態にでも陥るのかな?」
「よくあるホラー作品とか、あれ?」
なんとなく既視感ある光景に突如思考が止まる。激しいデジャヴュ、発音しづら。
「ん? どしたの?」
納富の問いかけに俺はただの偶然か、もしくは過去に話したことをもう1度話しているのだと思った。
「いや、イトチンの方がサイコホラーだなって」
「なんでそこでサイコを付け足したの? あかんでこれ、悪口のミルフィーユや!」
どうして関西弁なのか、そしてそのギャグセンスの無さは何なのか。
ところ変わって昼休み。
食堂の賑わいはこの日最高潮で早く来ないと席を確保するのにも困難が生じそうだったので。食券買う側と席を確保する側で分かれたおかげで場を制した。
「最近納富さんと仲良さげだよな」
マコっちゃんの一言に俺は噎せた。
「まだそれを言うか、死ぬっ」
反論しようとして喉の奥で米粒たちが右往左往したことでさらに息が苦しくなりお茶を一気に飲み干す。あーうまっ。
「んだよ、まだ話題にしたことなかったぞ?」
「まさか誤魔化そうとしてるのか」
マコっちゃんと戸田が向ける疑惑の眼差しに俺はどうしても違和感があった。
「だから別に何もないって」
「本当かぁあ? ひっそりとハーレムでも計画してんじゃないだろうなー」
冗談で言っていると思っていた戸田の表情は侮蔑的なものになっていた。
「そんなこと日本人男子には未開の地だろ」
諸外国の法律でしか適応されない上に、俺は富豪というわけでもない。
「そうだよな、お前見た目以外は大したことないもんな」
「ま、それも掲示板の一件で地に落ちたようなもんだけどな」
2人からの容赦ないダメ出しに心をブレーンバスターされながらも食事を終わらせる。
「満腹満腹」
戸田が爪楊枝でシーハーハーしながらお腹をポンポン叩く。
「ジジくせっ」
吐き捨てるようにマコっちゃんが言う。
俺はここで、前々から気にしていたことを2人に問うてみる。
「なぁ、2人はなんで俺のこと避けないんだ?」
少なからず食堂で今もこうしている間にも俺という存在はどうしても浮き彫りになってしまう。
片目を塞いでいる怪我の状態も目立つことながらおそらく全学年の生徒が事件の一端を知っている。校内じゃどこへ行こうが腫れ物扱いだ。
そんな状態の俺に変わらず接する戸田圭吾と原町誠も多かれ少なかれ好奇の目に晒される。
「ん、そんなこと言われたってなぁ」
「急に態度変える方が神経使うからだな」
戸田は唸るように答え、マコっちゃんは面倒くさそうに言って除けた。
「だいたいお前自分の事に昔から無関心なんだから気にしてないんだろ? 当事者がそれじゃ騒いでる方が馬鹿みたいじゃないか」
さすがの腐れ縁というか、俺の事を分かっているという風に語ってくれる。
「心外だ」
無関心とまで言わなくても、客観的と言ってほしいね。
でも敢えて「友達だから」と言わなかったのは友達という言葉の軽薄さをマコっちゃんたちは理解していたからなのだと思う。
友達関係にある人同士でもちょっとした無茶によく「友達だよね?」「友達じゃん」と引き合いに出したりする事が多い。
立場の利用、これが未成年じゃなかったら脅迫とまで取られるように言葉には注意しなければならない。悲しいことにこの脅しは小学生の時の無意識下から既に使われてきた常套手段でもある。
血の繋がりもなく損得勘定もなく接してくれる友達というのは、とても輝かしく見えてしまう。
「改めてお前らっていい奴なのになんで女にモテないんだろうな、とくに戸田」
「ンだとてめぇ!」
胸ぐらを掴まれ、ぐわんぐわんと激しく揺さぶられる俺をマコっちゃんは腹を抱えて笑っていた。
教科書を持って帰ることの無い俺は帰り支度が早く部活動にも所属していないので余計な荷物も無い。比較的に身軽で帰りやすい置き勉スタイルだ。
「イトチンって部活とかやってる?」
今までこれといって気にしてこなかったけれど荷物が1つ多いことに単純な質問をぶつけてみる。
いつもは逃げるようにサッサと教室を出ていくので伺う機会が無かったのだが、ふと気付けばホームルームが終わったあとも珍しく席に着いている。
「うん、言ってなかったっけ? こう見えて女バスやってんだ」
女バスというと、女子バスケットボールの略か。
バスケ部と聞くとあまりよろしくない思い出が蘇ってくるようだ。
「矢武くんのことだけど評判は良くなかったみたい」
俺の表情を読み取ったのだろうか、俺の目が腫れぼったくなった元凶となる男の名前が上がった。
「体育館もたくさんの部活で賑わうから男バスの練習風景はあんまり見たことないけどね。どうも積極性に欠けてる感じ」
そして支度を終えた納富は席を立ち上がりヒラヒラと手を振りながら教室を出ていく。
「さてと」
納富に手を振り返し、俺も教室を後にする。
教室を出る際、離れた席からひとつの視線を感じてはいたが俺はそのまま生徒玄関へと向かう。
「今帰り? 一緒に帰ろうよ」
靴箱から靴を取り出して、履こうとしたところで声のした方へ視線を向ける。
「久しぶりに帰るな」
俺は靴を履き終え塚本が自分の靴箱に上履きを入れ靴に履き替えるのを待った。
「あ、私自転車だから先に行ってて大丈夫だよ」
「まぁ、もののついでさ」
この時、塚本が言うように先に行ってても良かったのかもしれない。けど俺は何かの予感を懸念して思ってもみなかった台詞を口にしたのだと悟った。
昨日見た夢の影響であることは言うまでもない。正夢になるわけがないとは分かっていても、不安じゃないわけではなかった。
もし、あの夢の続きを見ていたら目の前を歩く塚本麻衣がどうなっていたのか。
「や、お待たせ」
駐輪場の前で待つこと十数秒、自転車通学をしている生徒は多く競争率が激しい。
俺も自転車が盗まれるまではここを利用していた身としてはいつも遅めに来るため、近辺はすぐに埋まり連なった奥の方へ止めなければならなくなる。
塚本は比較的に早く登校する事が多い為、いつも近場になる。
「あーあ、俺も自転車があればな」
「盗まれたんだっけ? 乗り捨てられてたら登録照会で連絡とかいくのにね」
それが未だにないってことは余程人気のないところに棄てられたか、乗りこなしているのかになるが。
「過ぎたことを気にしても仕方ないさ」
徒歩に慣れてしまった今ではどうでもいい事となってしまっている。
「ものすごく他人事みたいに言うよね」
それは今日の昼食時に言われたことだからさほどショックも受けていないが、とうとう知り合って二ヶ月を過ぎた塚本に言われたか。
「良くも悪くも変わり者なんだろうね」
また他人事だ、という表情を向けられていてもお構い無しに俺は歩く。
「ん?」
僅かに声を漏らした塚本の方を振り返り、俺は思わず背筋が凍った。
「......どうかした?」
「多分気のせいだと思う」
まさか、いやそんな筈は。
俺は昨日の夢がどんな内容だったか、思い起こせる限り手繰り寄せる。
俺が刺されたのは塚本と一緒に帰っている時、橋に差し掛かったところで背後から迫ってきた男に刺される。
腰に刺さった柄から察すればどこにでもある出刃包丁というところか。
「いやに鮮明じゃないか」
俺の頬を汗が伝う。
「え、どうしたの?」
明らかに様子がおかしい俺を心配したのか、塚本が横から覗き込む。
「なぁ」
俺は塚本と向かい合い、ガシッと肩を掴んだ。
「え、なに。どうしたの?」
塚本が僅かに肩を震わせ、動揺しているのか怯えているのか分からない。
それもそうだ、俺は誰かに対してこんな事をするなんてなかった。
ただ俺の勘違いで済むなら、その方がいいから。
「今から俺の言うこ......とっ」
俺の考える嫌な予感というのは実のところ正しく、ひとつだけ誤算があったとするならばそれはここがまだ橋の上じゃなかったと油断した事にあった。
橋の上で刺されたとき、目撃者は塚本麻衣ただ1人。そして今の状況、周りに通行人はおらず車通りもなかった。
だから、人気のないところで刺されるのは必然であり焦りから注意力が散漫になっていた事なんて後になってからしか気付けない。
俺は背中を刺されていた。
男は俺より背が高くサングラスにマスク、そして真っ黒なウィンドブレーカーのような服装でフードを被っている。
けど、全く予感していなかった時とは違う。
俺は全身の力が抜け落ちる前に振り返りざま、男の顔面に全身全霊の拳を見舞った。男が倒れると同時に足元から俺はくずおれる。
「ひっ」
恐怖から声が出ないのか、塚本が短い悲鳴を漏らす。
「逃げろっ!」
頼む、逃げてくれ。
俺は腹から精一杯叫んだ。
早く誰か、駆けつけてくれ。この状況を変えてくれ。
塚本を救ってくれ。
もしも、これがまた夢であったなら。
覚めてくれ。
頼む。
お願いだ。
寒い。
痛い。
死にたくない。




