第四十一話:刃を収めた訳
こういう長い過去話などをやっているときに限って時間の進みが遅いもので、まだ楓とブルードールは拳をあわせてはいなかった。
ご都合主義という奴である。
「恥ずかしい話ですが、その時の俺は何も怖くなかったし、誰にも負けはしないと思ってました」
語る廉の表情は平静そのものである。しかしそれは今から話すことを現実として認識しきれていないことの表れだった。
いま現在その事件を語るものはなく、廉から触れようとしない限りそのことを思い出すことすらなかったのだ。
「――でもそれは、俺がそう思っていただけだったんです」
「……ただいま」
あの後楓を家まで送った後、廉は自宅に戻っていた。
今とは違って廉は親と同居しており、家も団地内の一軒家だった。
この頃の廉は、それほど親と疎遠にはなってはいなかったが、かといって仲が良いわけではなかった。無論、反抗期真っ盛りの中学生にしては仲が良いとも言えるかもしれないが。
廉の家族構成は、父と母、それに一つ下の弟の四人家族である。
父の名は金城裕司。寡黙な男であり、声を荒げたところなど見たことは無い。
母の名は金城綾音。典型的な箱入り娘であり、穏やかというかむしろ臆病の域まで行ってしまっている女である。
弟の名は金城裕次郎。名前に関連性が無いのは、廉を名づけるときに父が裕太郎で、母が廉と二つの意見が出てしまったためである。
結局母の意見が通ったものの、父のほうがどうしても諦めきれず、弟が生まれたときに半ば無理矢理名付けてしまったのである。
廉と同じ遺伝子を継いだため、二人は性格も外見も非常に似ていた。一歳の差など、中学生くらいになれば無くなって来てしまうため、同じ格好で二人並んだときは両親でさえ見分けがつかないときがあった。
ただ、一つ違う点は――とはいえそれが二人の人生を大きく分けたのだが――幼馴染の存在である。
楓によって様々な事件に巻き込まれてしまった廉は、素直に育った裕次郎とは違って捻じ曲がって育ってしまった。
とはいえ寡黙な父と臆病な母を持つ廉にグレる要因は無かったらしく、表面上は比較的普通の少年だった。無論、見えないところではいろいろやっていたのだが。
両親もそのことを薄々わかってはいたのだが、廉は好んで騒ぎを起こすような少年であることもわかっていたため、あえて何も言わなかった。
ちなみに、この頃は廉も陸上部に入っており、短距離長距離ハードル等で望まなくとも鍛えられた脚力を存分に振るっていた。
裕次郎も廉にあこがれて陸上部に入ったが、さすがに命を懸けた走り込みを幼少時からこなしていた廉に比べるとやはり劣っているといわざるを得なかった。
とはいえ元々足の速い家系だったのか、裕次郎も短距離に限っては廉以上の瞬発力を誇っていた。
「お、兄貴。今日はずいぶん遅かったね」
一直線に自室へ向かう途中、部屋から出てきた裕次郎とばったり出くわした。
多少の差はあるものの、同じ部で練習していたために二人の帰宅時間はそれほど違わなかったはずである。
……だが、遅れるのは今に始まったことではない。無論、裕次郎もそれをわかって訊いているのだが。
廉は分かりやすい裕次郎の態度に呆れるように笑い
「……あのなぁ。俺は町の不良さんたちと望まない練習をさせられただけであってだな……」
「楓さんと一緒だったんでしょ?」
そしていつもの定型句を最後まで言わせてもらえない。
「別に俺は兄貴らしいことなんて全くしたこと無いけどな、この助言だけは聞いとけ。お前が楓と付き合ったら破滅する」
「……僕が誰を好きになっても兄貴には関係ないはずだけど?第一、兄貴が言っても全く説得力ないし」
――そう、何をトチ狂ったのか、この少年は楓に恋慕を抱いているのである。
廉がその事を最初に気づいたのは小学校三年のとき、やけに裕次郎が突っかかってくるようになったことからである。
そのときは違和感だけですんだのだが、後から考えてみるとそれは嫉妬だったのだろうとわかった。
まあ、それも仕方ないことだろうと思う。なにせ、自分の思い人が文字通り廉にべったりなのだから。
恋は盲目というか、楓のトラブルメーカーっぷりでさえ、裕次郎は『刺激的な人だ』らしい。気が狂っている。はたまたただのマゾヒストか。
そんな裕次郎は廉が楓をつれて(と思い込んでいる)喧嘩三昧だということを快く思っていないらしく、ことあるごとに文句を言う。
「兄貴は超人じゃないんだよ?別に兄貴がどうなろうと知ったこっちゃ無いけどさ、楓さんを巻き込むのだけはやめてよね」
「ちょっと待て。俺とお前では状況の認識に大きな齟齬がある。大体トラブルを引っ張ってくるのはいつも――」
「シャラップッ!!」
廉としては至極真っ当な反論をしたつもりなのだが、一喝されてしまう。
「その上、僕まで不良に目をつけかけられてるんだから……。勘弁してよもう」
ため息を吐く弟の姿に廉は少しは申し訳なく思ってしまう。
きっかけはどうあれ、今現在はもう人を殴ることに躊躇は無いため、巻き込まれただけという免罪符は使えない。
――もっとも、勝つことの甘美さに気づいてしまった廉が自重することは無いのだが。
今は適当に謝ってはいるが、一度敵に出くわしてしまえばこのことなど忘れてしまうだろう。
今も昔も廉は、馬鹿なのである。それは、思考能力や記憶力といった点ではない。
――学習を、しないのだ。
「……なんであんたが家の電話番号を知ってるんの?」
『ははっ。さすがに電話帳に乗せといてそのセリフは無いと思うがね』
その頃、楓は望まぬ相手からの電話に不機嫌どころではない怒りすら感じられる声色で答えた。
相手は、廉が潰した不良グループのリーダーで、名前は……どうでもいいか。
リーダーは未だに廉に対する復讐をあきらめてはいないが、それより何より優先すべき事柄があった。
『そんな照れないでくれよ。僕と君は運命の糸で――』
「ストーカーって言葉知ってる?」
気持ち悪い程に気障な声色でリーダーは(彼の主観で)甘い言葉をささやく。
……そう、ここにも金城裕次郎の同類がいたのだ。
楓にも、何でこの男が自分に執心するのかは全くわからない。勘違いされるような行動どころか、接点すらなかったはずなのだ。
彼曰く、ビビっときたらしいが、それは恋の予感ではなく電波であろう。
もしくは、楓のような幼児体形を好むペドフェリアか、そんなところだろう。
高校生ともなればそれなりに発達もするが、中学生の楓はそれはもう……未だに一人でメリーゴーランドに乗ってたとしても違和感を覚えないほどなのだ。
うんざりとした表情を浮かべながら、何とかこの変態にお引取り願えないか楓は頭を巡らす。
ここで電話を切るのが一番容易い対処だが、その場合家にまで押しかけかねない。さすがにそうなった時穏便にことを済ます自信は無い。
――と、そんな楓にある案が浮かんだ。
まだ幼い彼女に、その案が最悪どんな事態になるかの予想を考えることはできなかった。いや、考えたとしても『有り得ない』と一蹴しただろう。
誰も止めるものは無く、楓は無邪気に口を開く。
「――廉に勝てたら付き合ってあげるわ!」
……今後の展開をばらす事になるが、この発言によってリーダーは間違えて廉の弟を襲撃してしまう。
楓は何も条件をつけなかったのだ。一対一で、とも素手で、とも楓立ち合いの下で、とも。そして、勝ちと断定する条件すらも。
故にリーダーは勝手に判断し、相手もあまり確認せず、間違ったらやり直せばいいという考えの下、裕次郎が被害を受けてしまったのだ。
結果、半殺しではすまないほどに怪我を負った裕次郎は病院送りになり、その凶報を聞いた廉は崩れ落ちた。
楓のやったことを知らない廉としては、自分に対する腹いせを弟に向けたとしか思えず、すべての責を自分で背負ってしまった。
楓は今でも思い出せる。いや、思い出してしまうといったほうが正しいだろう。
『う、あ……!!畜生、畜生――!!』
父親に殴られたのだろう。赤く腫らした頬を気にする余力も無く打ちひしがれる廉の姿を、泣き崩れながら怨嗟の声を呟く廉の母の声を。
『悪いのは俺だッ!!だってのになんで、なんで……!!』
当時の楓に、その罪を背負うほどの強さは無かった。ここで楓が真実を語れば廉はいくらか救われただろうに。
廉は逃げるように一人暮らしをはじめ、そして転校し、廉が心配だからという名目で楓も逃げ出したために、その後裕次郎がどうなったのかはわからない。だが、少なくとも重度の後遺症が残るであろう事は前々に知らされていた。
今現在、すべてを知って尚楓と共にいる廉は苦笑を交えて呟く。
「流石に、黙っていることの重さに耐えられなくなった楓は、一年ぐらいたった頃に打ち明けました」
廉が戦うことを嫌うのは、生来の性格のせいか、はたまた信念によるものと思っていた東子は言葉を失ってしまう。
「頭に血が上った俺は咄嗟にぶん殴ってしまいました。それこそ、しばらく跡が残るほどに」
だが、故に解せない。なぜ、間接的にとはいえ弟の敵とも呼べる楓と共に居れるのか。
「でも、それ以上責めようとは思えませんでした。なぜだか、今でもわかりません」
かっこいい理由をつけるのなら、『一年も耐えたことにより十分に罰を受けただろう』とでも言っておきますかと廉はそういって過去の話を締めた。
実際のところは、もう怒りが風化してしまったためだろう。楓が真実を語るまで、廉にとって楓はかけがえの無い仲間だったのだから。
絶望に打ちひしがれる廉を献身的に励まし、日常を遅れるまでに復帰させたのは、他でもない楓なのである。
それ以降楓は日常の再構築に尽力し、二人の家族がいないこと以外はすべて変わらないまでに再生したのだ。
廉が望まないあわただしい部分まで戻ってしまったのは、まあご愛嬌だろう。
とはいえ、同じ轍は踏まない。そのために楓は努力を惜しまなかった。
氷雨を嫌うのも、ようやく構築できた二人の世界のイレギュラーになりえたからなのだ。
と、なると東子は危機感を覚えてしまう。
「(もし、かして……私も楓ちゃんの敵になりえちゃうのか、な?)」
今は目的が同じであるために敵にはならないだろうが、この戦いが終わった後に妨害を行わない道理は無い。
無論、楓は東子が廉の世界に入ることを了承しているのだが、そこは恋する乙女、不安な材料しか目に入らないものなのである。
一番被害を受けるのは伊集院なのだろうが、彼女は楓並みの妄執を持っているので大丈夫だろう。
「――だから、楓は負けない。こんなにわかりやすく世界を壊そうとする奴らに、負けるはずが無いのです……!!」
ちょっとした興味で聞いた忍は思わぬ薮蛇をついたとばかりにばつが悪そうに頭をかき、頭を下げる。
「……すまない。下劣な興味本位で大事なことを聞いてしまって。」
「気にしないでください。俺も、一人でこの問題を抱えるのは辛かったんですよ」
しかし、廉は笑い飛ばす。弟のことを考えるのなら笑ってはいけないのだろうが。
廉は楓を見上げ、呟く。
「――さて、安心してみるとしましょう。楓なら、もしかしたら――」
舞台の上に視点を戻すと、ようやく楓が舞台の上に登りきったところだった。
見よう見まねでボクシングのようなステップを踏み、アームズを構える。
「(さてと……。あそこまで大口はたいて負けたら格好悪いことこの上ないでしょうね)」
楓が舞台に上りきったのを見計らってからブルードールは一足飛びで舞台に飛び乗る。
無機質な、しかし隙の無い立ち姿に楓は先が思いやられるとため息をつくが、一度火の付いた闘志の炎が消えることは無い。
楓もアームズを発現させ、射程範囲内の中に適当に障壁をばら撒いておく。
これは所謂センサーのようなもので、そこに敵の体が触れればその情報が感覚として楓に入る。故に強度は一切無い。
単純な能力であるフォーミー・ザ・ワールドでは(楓の思いつく限り)これ以上の布石をおくことはできない。後は開始の宣言を待つのみだ。
少年ももったいぶることなく立ち上がり、右手を上げ
「第二戦、唐傘楓VSグレーシャーブルー――開始!!」
開始の宣言と共に振り下ろした
廉:はい、どうでもいい過去話が終わってようやく楓VSグレーシャーブルの幕が今度こそ切って落とされました。
楓:どうでもいいって……。ねぇ廉。流石にそれは無いんじゃない?
廉:だって本編の俺とここの俺は別だからな。所謂パラレルって奴さ
楓:あたしはそんな認識ないけどなぁ……
廉:それはここでの出番の差かな。俺は散々な目に合わされてきたから、キャラ崩壊も激しいんだよ
ユーディット(仮):キャラ崩壊といえば私のことね
廉:ひっ!?
楓:あのさー……。いくら廉でもあたしの後ろに隠れるのは抵抗あるんじゃないの?
廉:生きたまま食われてみろッ!!そうすれば俺の気持ちもわかる!!
楓:……そういうもんなの?
ユーディット(仮):気にしないで良いわよ。廉と同じように私も本編とは別人なんだから
ユーディット(真):そのとおりよ〜。ほらこのとおり。
楓:……だからさー。今のだってただ口調変えただけじゃん
廉:アホ言うな!ここが人前でなければ泣くほどの恐怖を味わってんだよ俺はぁッ!!
楓:……筋金入りね。廉ってそんな臆病だったっけ
廉:死の可能性がなければな。あった場合俺は必要以上の臆病になるんだよ
楓:なんて内弁慶。東子さんが聞いたら幻滅するんじゃない?
廉:……なんでそこで東子さんの名前が出るんだよ
ユーディット:そうねぇ。私も気になるわ
廉:ヒッ!?
ユーディット:私が話しかけるたびにその反応するのやめてくれない?流石に傷つくわ
廉:そんな難題を突きつけないでくれ
ユーディット:難題、なんだ……
伊集院:廉様がおびえてるのを感じ取ったので来たのですが……
廉:いったいなんだそのセンサー。正直これ以上カオスにしないでほしいんだが。むしろ帰ってくれ、こいつら連れて
楓:え、ちょっ!?あたしたちまで!?
伊集院:了解いたしました。では……
(暗転)
廉:……さて次回予告をしよう
廉:どちらも比較的正統派の能力を持つ二人の勝負は均衡し、長期戦の様相を呈していた。
だが、一向に動きの衰えないブルードールに比べ、楓の動きは眼に見えて悪くなって行く。さあ、楓に一発逆転の妙手はあるのか!?
次回、『氷の刃と愛の盾』 お楽しみにっ!!