その3
紅と光は露天風呂の方に行ったらしく、浴室内には誰もいなかった。
入浴可能な時間終了まで残りはそんなにない。もう他には誰も入って来ないだろう。
今なら他人を気にせず話を聞ける。
「2人は何者なのかって、聞いてもいい?」
さんざんもふもふした私には分かる。2人のケモ耳や尻尾は本物だった。
アオイはリコの耳を狐耳と言っていた。だったらリコは狐なのだろうか。
人に化けた狐なのか、狐の力を持つ人間なのか。それは分からないけれど、少なくとも普通の人間ではないのだろう。
「私から話すわ。失言したのは私だもの」
「葵……」
まだどうしようか悩んでいるリコとは違って、アオイはすぐに決心がついたみたいだ。
「水蓮なら誰かに言いふらしたりしないって、信用して話すわ」
信用しているというより、釘を刺しているのほうが近そうだ。
人においそれとは話せない内容なのは聞かなくても分かるし、そこに不満はない。話してくれるなら聞きたいけど、話せないならまぁ、それでもいい。
「もう分かってると思うけど、私は人間ではないわ。妖術を使える狼の一族。その最後の生き残りなの」
狼……!? この国ではだいぶ前に野性個体が絶滅していると言われている動物じゃん。いや、妖術を使える一族ってことは動物というより妖怪みたいなもの?
「不思議な力と人並みの知能を持つ動物って認識でいいと思うわ。私が話せるのは私についてだけ。莉子や他の人にも関わるような内容は私の一存では語れないわ」
それは気にならないこともないけれど、聞いても理解できなそうだ。アオイ個人についてなら聞いてもいいみたいなのでそうしよう。
「じゃあ、どうしてアオイは人間の学校に通っているの?」
これくらいなら聞いても大丈夫だよね?
「詳しくは言えないけれど、あの学校でしか手に入らないものがあって、それを使って一族の復興を目指しているわ」
一族の復興。そういえばさっき最後の生き残りとか言ってた。でも1人じゃ子孫も残せないよね? 学校でそれを可能にするものが手に入るっていうの?
「……あ、伴侶を求めて来たってことか」
アオイは最後の生き残りらしいけれど、近い種族となら子をなせるのかもしれない。学校なら人がたくさんいるし、リコやアオイと同じような子が他にもいる可能性がある。
でも、狼と犬は交配できるのは知っているけれど、その子供に繁殖能力はあったっけ?
もし仮にアオイが別の種族との間に子供を産んだとしても、その子供に繁殖能力がないのなら一族の復興はできなくない?
「ち、違うわよ! 私はパートナーを探しにきたわけじゃないわ! たしかにいつかは考えなくちゃいけないことだけど、私にはまだそんな気は……」
「じゃあ、好きな人とかいないの? 未来のことはともかく、付き合いたいって思う人とか」
「す、きな人っ……!」
声が裏返ってるよ。こんなに動揺するってことはいるのだろうな。
視線がこっちを見たりあっちを見たり落ち着かない。もしかして私の知っている人なのだろうか。
「そ、そんなことどうでもいいじゃない。聞きたいのはそれだけ?」
む。逃げたか。
まぁ、いいや。これについてはまた今度で。
「アオイは人を害する気はないんだよね?」
ここが一番重要なところだ。大丈夫だとは思うけれど確認しとかなくてはいけない。
「ええ。ないわ。それに、わたしは生徒の1人としてあの学校に在籍しているの。行動は普通の人にもできる事だけに制限されているわ」
それなら安心なのかな。うちの学校は異能力者を育てる教育機関とかではないから、妖術とやらも簡単には使えないのだろう。あの学校における普通が世間一般と同様であればの話だけど。
まぁ、外国人みたいなものと思えばいいのかな。
ちょっと違うところがあるけど、学校では基本的には私たちと変わらないみたいだし。
あれ? でも合宿中の今は学校行事ではあるけれど、学校にはいない。この場合どうなるの?
リミッター解除されちゃってない?
「大丈夫よ。わたしの一族は山の守り神とも呼ばれていたの。人間の敵ではないのだからそんなに不安がらないで。そりゃ、得たいの知れないものは怖いかもしれないけれど……」
山の守り神? つまりは山の神。彼女の名字は山上。どうして音が濁らないのかと思ったらそのままになっちゃうからか。もしかして自分で考えたの?
でも山の神って人間の味方ってわけでもないよね。きっと山に災いをもたらす者には容赦ない。
一昔前はともかく、今の人間は山に災いをもたらしているような気しかしないのだけど。
「もともと人間とは仲良くなる気無かったんだけど、水蓮とは仲良くなったし。できたら、今まで通り……」
もしかしたら神様の一種かもしれない、なんて一瞬思ったけど、目の前にいるのは自分と同い年くらいのただの少女だった。
私に嫌われたんじゃないかと不安になっているのだろう。しりすぼみに言葉が消えていく。
難しく考える必要はないのかな。
「別に構わないよ。2人は人として学校に通っているんでしょ? 変なことに巻き込まれないんだったらそんなに気にしないよ。だからリコ。言いたくないことは言わなくていいから、1つだけ答えて。私たちは友達?」
そもそも私は考えることが面倒なのだ。考えなくてもいいなら難しいことを考えたくない。簡単な事だけで良い。
「……うん」
リコはまだ悩んでいる。きっと自分の正体を明かしたくはないのだろう。
たとえリコが伝説の九尾の狐であったとしても、私はできる限り今まで通りに接しようとは思う。だけど、リコもまたアオイと同じように不安なのだろう。正体を明かしたら私に嫌われるんじゃないかって。
私1人に嫌われたからといってそれがどうしたと言うのか。正直分からない。リコなら他にも仲良しを作れるだろうし、私が他の人にリコの正体を言ったとしても信じてもらえるとは思えない。
悩んでいるってことは、きっと言いたいという気持ちもあるのだ。
でも無理強いはしたくない。知りたいっちゃ知りたいけれど、それを知ったからといって何かが変わるわけでもないのだ。「えー、狐だったんだ。びっくり!」で終わらせてやる。
「じゃあ、それでいいよ。リコはリコで、私の数少ない友達。そうでしょ?」
こっぱずかしいことを言っているのは自覚している。でもいつものリコに戻すにはこれが一番だと思ったのだ。
正体がなんであれ、リコとアオイは私の数少ない友達なのは変わらない。難しいことは考えても分からない。だったら今まで通りでいい。
「……うん。ありがとう」
いつもの調子を取り戻すまで、まだちょっと時間がかかりそうだけど何とかなりそうかな。
「もちろんアオイもね。アオイが今までと変わらないなら、私も変わらないよ。ってか今まで通り仲良くしてくれないと私孤立しちゃうから」
ユウリとユリアは2人の世界を作っちゃうから私はそこに居づらい時があるんだよね。
「自由時間も残りは少ないだろうし、さっさと着替えて部屋へ戻ろうか」
私から始めといてなんだけど、この話はいったんここでお終い。就寝時間前に部屋に戻らなくては。
入学そうそう先生に目をつけられるのは勘弁したいので急いで脱衣所へ向かう。
その後、ちょっと夜風を浴びたいと言ったリコと別れた。
風邪ひかないうちに戻るんだよとだけ伝えてアオイと先に部屋に戻った。たぶん少し1人で考えたいのだろう。
だけど就寝時間を過ぎても、リコは帰ってこなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私とアオイは人目を盗んで宿泊施設の外に来ていた。もちろんリコを探すために。
何かあったんじゃないかと心配する私をよそに、アオイはリコが事件や事故に巻き込まれた可能性は低いと言う。なんでも、たいていのことなら1人で対処できるらしいのだ。
付き合いの長いアオイが言うのならそうなのかもしれないけど、思いつめたリコが変な行動に出ないとも限らない。早く見つけた方が絶対いい。
でも手がかりもなしに探しても見つかるだろうか。こんな土地勘のない、木々に囲まれた見知らぬ山で1人の少女を見つけ出すのは容易ではない。
っていうか、リコも迷って帰って来れなくなってるんじゃないの?
もし入違ってリコが帰って来ても良いように、ユウリとユリアには部屋で待機してもらっている。
探しに出かける前に1度先生が見回りに来たけれど、もう来ないとは限らない。その時に何とか誤魔化してくれるように無茶を言ってしまったけれど大丈夫だろうか。
「ねぇ、アオイ。妖術とやらでリコの居場所を探すこととかできないの? 狼なら鼻もきくんじゃない?」
「難しいわね。今は力のほとんどを封じられている状態だし、もともとそうゆうのは得意じゃないの。お風呂に入ったばかりだから匂いもたどれないわ」
「大声で呼びかけようにも先生に聞かれたらめんどうだし、リコはスマホを持っていない。やっぱ手当たり次第に探し回るしかないか」
リコとアオイはスマホなどの携帯電話を持っていない。だから電話のしようがない。
「それよ! 大声で呼びかければいいのよ」
「でも、先生にばれない?」
自分たちだけじゃどうしようもなくなったらさすがに先生に相談するべきかもしれないけれど、怒られそうなのでまだ遠慮したい。
「大丈夫。使うのは人の声じゃないわ。遠吠えを使えばいいのよ。莉子が返してくれないとこちらからはどこにいるかは分からないけど、莉子が迷子になっているならこっちの場所を教えることができるわ。人が聞いたところで意味は通じないし大して気にしないわ」
言うや否やアオイは吠えた。夜空に向かって長く響く声だった。
リコからの返答がないか耳を澄ましてみたけれど風に揺れる木々のざわめきしか聞こえてこない。もう一度吠えても結果は変わらなかった。
遠吠えはだいぶ遠くまで聞こえるものだ。さすがに聞こえないほど遠くに行ってしまったということはないだろう。
ということは、遠吠えを返せない状態なのか、何らかの理由で聞こていないということだろうか。
……ってか狐って遠吠えするっけ?
いや。まぁ、それは置いておこう。
あとは、
「もしもリコが私たちから逃げようとしているなら逆効果だよね」
それはないと思いたいところだけど。
「……そうね」
そこで肯定しちゃうの?
ここは否定して欲しかったんだけどな。
「うわっ!」
「何!」
びっくりした。いきなりポケットに入れていたスマホが振動した。ユウリたちかな?
スマホを起動させると一件のメールが届いていた。
差出人はblue lightと書かれている。いや、誰?
アオイに聞いてみても思い当たる人はいないらしい。
件名は金の狐。本文は無し。添付ファイルがついているけれど、開けても大丈夫なやつなんだろうか。ウィルスに感染したりしない?
でも、金の狐ってリコのことっぽいし、迷惑メールにしてはタイミングが良すぎる。
悩んでいると、今度は電話がかかってきた。登録していない番号だ。
「も、もしもし?」
いつもだったら知らない番号からかかって来た電話にはでない。だけど、この電話には出た方がいい。そんな気がしたのだ。
『……添付ファイルは地図よ。……印をつけておいたからそこへ行きなさい』
それだけ言って切れてしまった。だから誰なの?
電話の主は女の子のようだった。おそらくメールを送ってきた人と同一人物。
「誰からだったの?」
「女の子ってことぐらいしか分からなかった」
なんか怖いけど、リコの居場所を知っているみたいなのだ。
脅迫ではないよね? お金とか請求されてないし、大丈夫だよね?
怪しいけど、今はこれしか手掛かりがない。
思い切って添付ファイルをタップする。それは1枚の画像だった。
この辺りの地図が手描きで簡単に表されているようだ。
中心に大きな建物があり、その回りは薄い緑色で囲まれている。
建物が合宿施設で、緑色で表している部分が森なのだろう。
私たちがいるであろう場所には灰色……いや、銀色で狼の顔が描かれている。かわいい。
で、建物を挟んで真逆の所に黄……恐らく金色で狐の顔が描かれている。こっちもかわいい。
近くに水色の丸が描かれている。これは池かな。
どうやらこの地図によれば私たちは検討違いな場所を探索しているらしい。これは見つからないわな。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
地図の情報を頼りに進んでいると、アオイが何かに気付いた。
警戒するように足を止め、そして呆れた。
「何? どうかしたの?」
「莉子はこの先にいるわ。わたしはここにいるから2人で話してきたらいいわ」
どうやらリコを見つけたらしい。
アオイの様子を見るに深刻な事態ではなさそうだ。
頷きを返してアオイが指してくれた方向へ進む。夜目に馴れてきたとはいえ人の目には見えにくい。転ばないように慎重に足を運ぶ。
少し行くと視界が晴れた。森を抜けたのだろうか。
満月の光が照している大きな池の畔。そこにポツンとたたずむ1人の黒髪の少女。
泣いているのだろうか。近づいても膝を抱えたまま動かない。
「リコ」
声をかけても反応がない。そこで正面に回り込んでみた。
すると、
「もう……食べられない」
寝ていた。
人が心配して探しにきたというのに起きやしない。ベタな寝言を呟きながら幸せそうに寝ている。
なるほどねぇ。それで就寝時刻を過ぎても帰って来なかったのね。リコは時計もしてないし、時間も分からないから気にしていなかったのかな?
よし。もふもふの刑だな。
「殺気!?」
手をわきわきさせながら襲いかかろうとするとリコが飛び起きた。
殺気だなんてひどい。もふもふは快楽だよ。気持ち良すぎてそれ以外考えられなくなるだけじゃない。
「え? 水蓮? あれ? わたし、寝てた?」
「まったく。心配して探しに来たのに……。で、答えは出たの?」
もともと1人で考えたいから外に出たんじゃなかっけ? なんで寝てるのよ。考え事しながら寝むるタイプなの?
「ごめん。まだ出てない。葵はすぐに話すって決めたのに、なかなか決められないの。話したい気持ちと話したくない気持ち、どっちを優先するべきなんだろう」
無理に言わなくていいって言っているのに。
「知られたくないことがあるなら言わなくていいんだよ。誰だって人には言えないことを持っているんだから」
「ううん。たぶん言いたいっていう気持ちの方が大きいの。でも不安なんだ。だって、今までの関係が崩れちゃうかもしれないんだもん。でも、言わなくてもきっと気まずいままなの。だから先に聞かせて。うすうす分かっているかもしれないけれど、水連は私の正体が何であっても今までと変わらない?」
「九尾の狐だって言われても受け入れられる程度には覚悟してるよ。それでもたぶん変わらない」
「ふふっ。そんなたいそうなものじゃないよ。わたしはただの妖狐。人を化かす狐だよ。あー。やっと言えた」
「知られたくなかったんじゃないの?」
「そうだね。でも水蓮だけならいいかなぁって」
なんだそれ。
「じゃあ、狐の姿になれるの? っていうか、そっちが本当の姿か」
「うん」
リコの髪色がまた金色に変わっていき、ケモ耳と尻尾が出て来た。満月の光を反射して、きらきらときれいに輝いて見える。
「全身を狐にしちゃうと人語を話せないから今は耳と尻尾だけね」
おおー! もふもふだ! なんだこのあざとい生物は!
しかし今は空気を読んでもふるのを堪える。
「水蓮の狐ってどんなイメージ? 正直に答えていいよ」
「ん? そうねぇ。やっぱ人を騙したり悪戯好きでずる賢いとか? あとは神の使いでもあるし神秘的かな」
リコを見ているとどっちのイメージにもまったく当てはまらないけど。
「そう。狐って人をたぶらかす邪悪なものや神の使いとして神聖視されたりしてきたの。でも最近はほとんど神聖視されてなくて、邪悪なものって見方が多いの。だからね、狐ってことがバレるのが怖かったの」
「でも、最終的には自分で言ったよね」
「水蓮は狐だって知っても本当に態度を変えないんだろうなぁって思えたから。よくよく考えたら、葵が狼だって言ってもそんなに態度変わらなかったし」
だって狼ってかわいいしカッコいいじゃん。むしろアオイのこともっと好きになったかもしれないよ。
「だって狼って肉食動物だよ? 普通は怖がるものだよ。しかも妖術なんて得体の知れない力まで持ってる。なんで距離を置こうとか思わなかったの?」
「……まったく考えてなかった」
そもそも妖術って何よ。見たことないから実感わかないし。
あ、人に化けているのも妖術の一種なのかな。
「ぷっ。何それ」
「でも、アオイはアオイでしょ? 狼だったからといって今までと変わらないなら距離を置く必要なんてないじゃん」
それに、そんなことしたら私がぼっちになる。それは避けたい。
「うん。さっきもそんな事言ってたよね。だから私も言ってもいいかなって思えたの。それでもなかなか言い出せなかったのはね、昔ある女の子を狐憑きにしちゃったかもしれないからなの」
ん? 雲行きが怪しくなってきたぞ。このままこの話題は終わりの流れではなかったのか?
「もちろん私が憑りついたとかじゃないよ。実際はその子には何も憑りついていなかったしね。ただ、ちょっと仲良くなっただけ。それだけのことだったの」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
リコが幼いころ、住んでいた山では病が流行った。
その病はいろんな動物に感染し、病んだ者は凶暴化したらしい。咬まれることで伝染し、瞬く間に広がって行った。
リコは理性を失った感染者に追いかけられて、山から転げ落ちた時にたまたまその女の子に出会った。
女の子は幼いリコを子犬とでも思ったのか家に連れて帰った。持っていたタモ網に入れて。どうやら動物に触れるのは怖かったらしい。
幸い大した怪我は無く、しばらくしたら無事に歩けるようになった。
その間、リコの世話をしてくれたのは女の子の母親だった。女の子は遠くから見ているだけであまり近づいては来なかった。
怪我が完全に治ると、リコは1度その家を出て行った。子狐とはいえ野生動物だからそれは仕方ないことだろう。女の子の母親もリコが狐である事には気づいていたらしく探すことはしなかった。
でも、女の子はどうだろう。あの子はそもそもリコが狐だということに気付いていたのだろうか。ずっと遠くから見ているだけだったけど、リコがいなくなったことを気にしているのだろうか。
気になったので、その子の家に戻って来てみた。
少しは悲しんでいるのだろうか。
そっと覗いてみると、女の子は窓辺から庭を見ていた。リコを失った喪失感を感じているのだろうか。命を助けてもらったのだから少しくらい遊んであげても良かったかもしれない。そう思って姿を見せた。
しかし、リコを見ても女の子はあまり反応を見せなかった。ただ遠くからジッと見ているだけ。気づいてないわけではない。
思い切って窓越しとはいえ女の子にこちらから近づいてみる。
女の子の様子は変わらない。
ジャンプしてみる。
変わらない。
走り回ってみる。
変わらない。
二足歩行。
変わらない。
何をしても変化なし。女の子の母親に見つかってしまったので退散する。
女の子より母親の方が世話にはなったのだけど、彼女はすぐにかまってくるのでこれ以上関わりたくなかった。世話されていた間はお礼として好きにさせていたけれど、今はもう世話されているわけじゃないので迷わず逃げ出したのだ。
それから何日か、山はまだ病が蔓延していて帰れないので女の子の家に毎日通った。
たぶん意地になっていたのだと思う。どうにか気を引けないかいろいろ試してみた。
玉乗りをしようとして失敗した時も無反応で心が折れかけたけれど、何とか反応させてやろうと頑張った。
通い始めて数週間。女の子はリコを見ると庭に出て来るようになった。
相変わらず冷めた表情のままだけど、興味がないわけではないらしい。大きな進歩だ。
さて、今日は何をしよう。女の子の家に向かいながら考えていると人の気配を感じたのですぐに隠れる。
何やら立ち話をしているらしい。
「ねぇ、知ってる? 最近犬飼さん家の庭にが狐が出るんですって」
「知ってる知ってる。娘さんと庭で遊んでいるらしいわよ」
「あのとっても大人しい子と?」
「そう。狐よりも大人しい子よ」
「それって狐に憑かれてるんじゃないの?」
「そうよねぇ。こんなこと言ったらあれだけど、ちょっと気持ち悪いわよねぇ」
「うちの子にも気を付けるように言った方がいいかしら」
狐憑きとは精神が錯乱している人に疑われる症状だったはずだ。昔、おばあちゃんに聞いたことがある。この人たちはリコがあの女の子の感情を奪ったとでも考えているのだろうか。
きっとそうなのだろう。真実がどうであれ、他人の目にそう見えてしまうのならそれが噂となって広がり、真実のように語られる。それが人間社会だ。
やっと仲良くなってきたのに。
もう少しで打ち解けられそうだったのに。
ここにはもういられない。
これ以上リコがここに居れば、あの子の立場がどんどん悪くなっていくに違いない。
命の恩人を酷い目に遭わせるわけにはいかない。
あの子のから反応を引き出すのは諦めよう。
あなたのことはずっと忘れない。
いつかまた会う日を楽しみにしているよ。さようなら。
こうしてリコは女の子のもとへ通うのを止めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それから私は人に化ける術を必死に身に着けて、その子に会いに来たの。周りの人に狐だってバレたら、またその子が狐憑きじゃないかって疑われちゃうから」
それで狐だっていうことを隠していたかったのね。
いまどき狐憑きとか珍しいような気もするけどなぁ。
「もうずっと会ってないから、見ても分かんないかもしれないけどね。あの子が元気にしているかだけでも知りたいの。人間界に興味が出たのもこれが理由だよ」
「まぁ、元気だと思うよ」
なんて言ったらいいんだろうね。リコの言うあの子ってこの前言ってたスイちゃんだよね?
「え?」
話を聴く限り、それって私じゃん。
そう言えば幼いころに動物を拾ってきたことがあった。
そのころはまだそんなに動物好きではなくて、母親が世話していたその動物を遠くから見ていた。
治療が終わってもちょくちょく家に現れては構ってアピールをしていた気がする。母親がそれに気づくと直ぐに逃げて行ったけれど。
その動物が狐だと知ったのはその子が来なくなった前日くらいだったかな。テレビで動物の特集か何かがやっていたんだけど、それで子狐が出てきて幼心にマジかって思った。
普通は懐かない動物が私のことを好きらしいと思って好意を抱いたのもこのころだ。
好きになったら来なくなったのだけど。
「嘘っ! スイちゃんって水蓮だったの!?」
「たぶん」
「たしかに感情表現が乏しいところは似てるかも」
失礼な。これでも感情はちゃんとある。表面に出ているかどうかは知らないけれど。
「そうだお礼! 恩返ししたかったの! 狐の恩返し!」
それ最後に銃で撃たれるとかないよね? いや、それは恩返しじゃなくて罪滅ぼしか。
「べつにいいって。私はほとんど何もしてないし。友達でいてくれるだけで十分だよ」
「話は終わったのかしら? そろそろ戻らないと寝ずに待ってくれている結梨たちが可哀そうよ」
しびれを切らしたのか、アオイが割って入って来た。たしかにリコを見つけたのにあまりここに長居するのは2人に悪い。
「そうなの? それは早く帰って謝った方がいいね」
「その前にその耳と尻尾戻さなくていいの? 狐だってバレバレじゃない?」
「ふぅあ! そう言いつつもふらないでよ、水蓮! だからそこは……あんっ……敏感なんだって、言ってるじゃん」
それは仕方ない。だってそこにもふもふがあるのだから。
「何してるのよ莉子。早く戻るわよ」
「だったら逃げてないて助けてよ!」
そんなに距離を取らなくてもアオイはもふらないよ。耳も尻尾も出てないんだから。
でも、1人だけ先に帰ろうとしているのはいただけないなぁ。
ちょっとからかってやろう。
「そういえばアオイの好きな人って誰?」
「いいいい今その話はいいでしょ!?」
真っ赤になっちゃって、アオイって反応がかわいいよね。
リコの直ぐに反応を返してくれるところもかわいい。
ああ、人じゃなかったっぽいけど、こんなかわいい2人と仲良くなれてほんとに良かった。
この後騒ぎすぎて先生に見つかって、大目玉食らったのは言うまでもない。
ここでいったん終わりです




