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送信後、その人のプロフィールに行って、性別を確認した程だもの。
私が返信したのは、『ありがとうございます』ただこの一言だけ。だけど、十分の間があって、
『桜がお好きなのですか?私は桜がとても好きでして、近所にとても大きな桜の木があるのですよ』と返信があった。
私も桜が大好きだったし、桜が嫌いな人っているの?と思いながら、
『はい。私の住む場所の近くにも大きな桜の木があるんです』と返信した。
彼はそれからも私の素っ気ない返信に対して、うまく話題を拾って、あるいは広げて、返信を返してくれた。
桜の話をしていたのにいつの間にか映画の話へ、食べ物の好き嫌いの話へ、彼はPCユーザーなのだろう。とても返信が早い。比べて私は携帯だから、返信を打つのにも時間がかかるし、十通くらいやりとりが続いたなら、携帯電話を握る手が汗をかいていた。
話題が一区切り着いたところで彼が、
『何かされているのですか?』と突拍子もないことを聞いてきたので、『どうして?』と私は返信した。
すると、
『返信が時々遅い時がありますから、もしかしたら、何かほかにされているのかと思いまして』と彼からの返信があり、『携帯でやっているので、打つのに時間がかかります』と送ると、少しの間があってから、
『携帯電話ではメッセージを打つだけでとても大変だろうと思います。てっきりPCユーザーさんかと思っておりました。少し配慮に欠けておりましたね。今宵はもう遅いですから、このメッセージを最後としたく思います。お話できてとても楽しかったです』
そんな一方的なメッセージが送られて来た。
悪い気持ちにはならなかった。たわいない文面でありながら、ちゃんと私のことを考えてくれているように思ったから。それに、すでに深夜の1時を回っていたことも事実だし…………
その後、お風呂に入って、もうメッセージが来るはずがないのに、SNSに接続してみる私が居て、ベットに入って天上を見上げてみると、「楽しかったなあ」と思う私も確実にいて…………つもるところ、私は久方ぶりにお喋りを楽しんでいたのだと思う。それも異性と。
楽しかったから、悪い気持ちにはならなかったけれど、どこか腑に落ちないモヤモヤとして感じが残ったのだと思う。
人と実際に会って話す以外、こんなに長く会話が続いたことのなかった私だから、余計に楽しく感じられたのかもしれない。そんなこんなで、深夜の2時をすぎていたのに、今夜の会話を一件一件もう一度読み直して、まだ記憶に新しい言葉の数々を噛み締めて、彼の言葉遣いに対して、私の言葉遣いは雑だなあ。と思って軽く凹んだ。
彼は年下だし、なのにそんな彼よりも言葉遣いの荒い私って……それに、女の子として、男性よりは綺麗な言葉を使いたい気持ちは絶対あると思うもん。
○
もちろん、女の子らしいところもあって、好きなブランドはないけれど、気に入った物は買うようにしている。だから、いつも行き当たりばったり。
でも悲しいのは、それを着て行く機会が少ないこと…………だから、一人で旅行に行くようになった。
きっかけはとにかく小さくって、それを思い出すたびに自分で自分が可笑しい。
通勤にそんなお洒落をしてどうするの?と思っていた。だから、いつも同じスーツに地味なシャツにそれらしい靴で、ぼんやりと電車の中で立っている。
誰が見ているわけでもないしね…………
そう思って、少しもお洒落をする気がなかった。
『たとえ通勤でも通学でも、少しお洒落をしている人は素敵だと思いますよ』
だけど、彼がそう言ったから、次の日、はじめてお気に入りのワンピースにピンクのヒール、頭には右端に小さく紅色のリボンがあしらってあるカチュウシャをして、少し寒かったから、肌色のカーディガンを羽織って、初めて通勤電車に乗った。
すると、とっても不思議。
いつもと同じ時刻の同じホーム、同じ車両の同じ位置に立って窓の外を見ているのに、早朝の青白い風景が今日に限っては随分と色鮮やかに見えてしまうのだから…………そして、心なしか周りの視線も気になった。いつも、私の立っている場所の斜め向かい側に立っている人は今朝は音楽を聴いていない…………いいえ。それを言い出すと、いつもは新聞を広げている男性も今朝は新聞を読んでいないし、文庫を読んでいる女性も今日はゆらゆらと暖房風に揺れている中吊り広告を見上げている。
いつもと同じに見えて、全然違う。そんなこと、今まで気にも止めなかった。
○
さてもさても、羽に衣着せぬ物言いとはいかに。彼女は私よりも2歳年上であると教えてくれた。年上の割には、随分な物言いだと私は思ってしまった。
私は、一人暮らしをはじめてすぐに、友人からの誘いでとあるSNSを始めた。つれづれとその日の出来事や文句やら弱音やらを吐き溜める、ある種のストレス発散の場所として活用していた当初は懐かしい。
現在では、私には似つかわしくない真面目なネット上の友人が数名できたがゆえに、私の私による自虐と暴挙は差し控えて、地味に地味に真面目な一般人を装っている。付け焼き刃の『真面目』がいつ剥がれ落ち、私の本性がのみ露出しまいかと懸案していたのだが、真面目を気取って数年が経ち、それでも剥がれ落ちていない限りは、案外私の性根は真面目であったらしい。
罵詈雑言を並べられないがゆえに新しい吐き溜めを探さなければならなくなった以外はとにかく良い方向へ向かったと言って過言ではない。その中でも、一番喜ばしかったのは、年齢の近しい女性と知り合いになれたと言うことであろう。
確かに、ネット上で女性の友人は何人かできた。しかしながら、全てが全て私よりもずっと年上であり、大凡、尊敬をもって接しなければならないのである。
下心が無かったかと言えば嘘になる…………そうだ!堂々と言おうではないか!!
そうとも、私は歳が近ければ、もしかしたなら、恋愛関係をも築けるかもしれない。などと阿呆な事を考えて舞い上がったのだ!!
笑うなら笑うがいい! 寂しい男とさげすむが良い!
本当に思ったのであるからして、むしろ私はふんぞり返って悔し涙を流すことだろう!
さて、十二分に叫び終えたところで閑話休題をしたいと思う。
きっかけは私が彼女のプロフィールに使っていた桜の写真を褒めたところからメッセージの交換がはじまった。
歳が若ければ、プリクラやらわけのわからない写真をプロフィールに貼る昨今において、桜を愛し、それをプロフィールに用いる女性はきっと大和撫子に違いない。私の望む慎ましくも穏やかで黒髪美しく、愛情溢れる乙女に違いないと確信したわけだ。
だが、いざメッセージを交換してみると、初日こそ、平均的な会話であったのだが、その後はずけずけと私の胸の中に靴下で入り込んで来ては、心を揺さぶると言うとても変わった人間であった……………やはりパンドラは箱を開けるべきではなかった。
『携帯での返信は大変ですね、指がつかれませんか?』と送ると、
『疲れたら返信しないわ』と返信があり、
『携帯ユーザーは長いのですか?』と送れば
『いいえ。最近はじめたばかりです』と返ってくる。
こんな会話がずっと続くのである…………
お気づきだろうか。彼女は決して、話を広げたり質問をしたりはぜず、決まって私が頭をフル回転させて会話を広げ、あるいは話題を提供し、そして質問するのである。
だから、
『えぇ、質問攻め』と返事が返って来たときは、正直にぐだあっと疲れてしまった…………
「(だったら、話題をください……)」と私は声に出さずに懇願したことは言うまでもない。
そんなだから、メッセージは長く続かないし、私もメッセージを送る気がだんだん失せてきていた。
そのせいか『これでもがんばって、話題を考えてるんですよ』とメッセージを送ってしまい。しばらくして『がんばらないでください』と返信があった。
このメッセージに関しては私が反省すべきであろうと思う。その日はそのメッセージを最後に彼女との会話をやめた。
次の日はきっと彼女も気を悪くしているだろうから、ここで下手にメッセージを送って返信がなければ、頸皮一枚の関係が完全に断絶してしまう。私なりに熟慮してメッセージを送らなかった…………と言えば聞こえは良いが実際には提供する話題がなかったと言うだけの実に身も蓋もないお話である。
すると、珍しく彼女の方からメッセージが届いた。
『私は会話と言うのが苦手で、だから、話を広げたり話題を提供できないんです。だから、メールで嫌われます』
このタイミングでこの告白か。と思う単文にして、どう返信したらいいのか、処理に困る文面であった。
同姓にであれば、「そんなこと知ったことか」と足蹴にするところであるが、相手が女性とあれば、ここは愛情をもって接するのが私の紳士道であるから、
『言葉だけのやりとりは、言葉足らずで何かと誤解を生じやすいですから、たとえ顔も声も知らずとも、いいえ。知らないからこそ、愛情を持って文面を書かなければいけませんね』と返信した。
我ながら、良く書けたし、自分で書いていて私も見習わなければとも思った。誠に変な話である。
さて、次はどんな返事がくるだろうか。これまでの返事の傾向からして私なりに、色々と考え、それぞれに対応した話題の振り方を想定していたのだが…………
『あなたは何をしている人なの』
予想や想定を逸脱した誠に突拍子もない返事が届いたから、思わず「はい?」とつぶやいてしまった。
『私は大学生ですよ。制服がありませんから毎日の服選びが大変です。個人的には汚れていても、2~3日は同じ服でも良いのですが、それを許さないのは一重にモテたいと思う男心ですよ(笑)』
的確に、質問に答えつつも、さりげなく次の話題を織り交ぜ+α冗談も含めると言う気の利きようである。我ながら上出来である。
私にはそんな自信があったと言うのに。
『モテたいんだ』
この返信には困った。食いつくべきは『毎日の服選びが~』の部分であり、期待していた返事は【私はいつもスーツだから~】もしくは【私も通勤は私服だから~】のような文面であった。もちろん、彼女が就労していることを知った上での話題のつもりだったのが…………ここは私の修行が足りなかったと思う事にして、気を取り直して、『通勤はスーツなんですか?』とダイレクトに軌道修正を試みた。
『通勤はスーツなんですか? はい。スーツです。通勤にお洒落して行く気にはなれないもん』
彼女にはして珍しい回答であった。もしも前半だけであったなら、また頭の回転数を上げなければならないところであった。
さて、次はどのように話題を誘導しようか。ディスプレーのメッセージ作成ページを見つめながら、キーボードの上で指を泳がしていると、ふっとある記憶が蘇った。
毎朝のことであるからして、蘇ると表現するの些か、おかしい気がするのだが、そこは読者諸賢明晰にて雰囲気だけでも理解してもらえるとありがたい。
毎朝、同じ電車両に乗る女性がいるのだが、その女性は決まって同じスーツに同じような地味なシャツを着て、リクルートシューズのようなそれらしい靴を履いて、私の定位置とは斜め反対側のドアに立つのである。
私と同じような年代でありながら黒髪であるのが珍しくて、毎朝一度は憂鬱そうなその姿に視線をくべる。ひょっとしたら年上なのかもしれないと思いつつもどちらかと言えば幼い顔つきの彼女は年下と言われても、一片の疑念も生まれまい。
そんな彼女であるからして、そんなくたびれたスーツでなく、少しでも華やかにお洒落でもすればきっと見違えて、可憐な乙女となることだろう。そんな風に思いながら、彼女の事を見つめていたことも何度かあった。
彼女が私服で出かける姿を見てみたい。好奇心からそんな阿呆なことも考えたりもした。
それを思い出した私は、
『通勤でも通学でも、少しお洒落をしている人は素敵だと思いますよ』と誠に申し訳ないが、私の好奇心にのみ従った文面を送信してしまったのであった。
『誰が見てるわけでもないし、お洒落したって意味無いよ』
確かに彼女の言うこともわかる。これから遊びに行くわけでもなし、お洒落をする意味はないと言うのも納得できるが、たとえ誰も見ていなくとも、お洒落をするのが乙女の嗜みであり、清潔にするのが男子の勤めであると私は言いたい。
しかしながらそんな私の論は彼女には話さず、その後はそれなりにお茶を濁しつつ、いつも通り、話題切れの折りに質問攻めにしかねなかったので、私の方からメッセージの終了を告げ、パソコンの電源を落とした。
私としては彼女との……と言うよりは女性とメールをしていると言うのが楽しいのだろうな。暗幕をおろしたディスプレーを見つめて、「ふぅ」と自然にため息をついてしまっていたのには自分でも驚いた。
相変わらず話題は底をついている。ゆえに彼女とのメールも彼女が送って来るか、私が話題を見つけるまでは、お預けとあいなるだろう。多少は寂しくもあるが、メールをして疲れるのも馬鹿げたお話であろう。
だから、次の日の早朝、向かい側にワンピースに可愛らしいリボンのあしらわれたカチュウシャをした彼女を見た瞬間は思わず、私は驚嘆しつつも口元をほころばせてしまった。
何せ、話題ができてしまったのだから!
ホームで電車を待っている時から、いつも私の二人ほど前に並んでいる『スーツの乙女』の姿がない。と思いつつ、見慣れないワンピースの乙女を見つけて、彼女もあれくらいお洒落をすれば良いのに。と思っていたので、横顔を見て彼女だと気がついた時は、本当に驚いた。
早く一人暮らしを、うっとおしい家族の居ない一人だけの自由を…………そんな風に意気揚々としていた頃が懐かしくすら思えてくる。
そして、ふいに寂しくなるのだ。
実を言うとSNSで知り合った彼女は、私と同じ市内に暮らしているかもしれない。彼女自体はそんな個人情報を公開してはいないのだが、彼女の友人設定されているユーザーが、『同じ市内に住んでる友達』と彼女のことを日記に書いていたのである。彼女はその日記にコメントをしていなかったが…………
半信半疑ではある。嘘か誠か、これで彼女が明言とコメントでも残してさえくれていれば、確信の域に踏み込むことができるのだが…………とりあえず、私はそのユーザーに真意を確かめたく思い、自分も同じ市内に住んでる旨をさりげなく書いたメッセージを送信したのだが……むろん、そのユーザーと仲良くしたかったのではなく、彼女が本当に私と同じ市内に住んでいるのかどうか。それを聞きたかったのである。
結局、返事はなく、私がメッセージを送った後にその日記は削除されてしまった。
いずれにしても、私の思った通り、彼女は可憐であった。その変貌ぶりと言ったら、サナギと蝶ほどの差があると言いたい。
私の変化と言えば、今朝はいつも耳のお供にしているウォークマンを忘れてしまっただけだと言うのに!!
○
朝から心地よい驚きがあれば、その日一日はそれなりに気持ちよく過ごせるものである。
だから私はその日一日を至極すがすがしく過ごす事ができた。
ただ、早くこの話題を彼女にメッセージしたくて、大学にいる間中そわそわとして仕方がなかったことだけは、清々しくはなかった。一時も早く、この感動を伝えたかった。
私は落ち込んだり、何かあると、この桜の下へ来ては桜の雄大さとなぜか優しさに抱かれて気持ちを穏やかに、心身を癒して、ふて寝のために下宿先へ帰るのだ。もう何度ともなく繰り返して来たことであるが、今度は様子が少しばかし違う。
違うと言いたい。
すっかり紅葉した桜の大樹は緑一色の様相から、赤や黄色と葉の色を鮮やかに色直しをしていた。この葉がそのうち、ただの落ち葉となってしまうのかと思うと少しもったい気もする…………これは必ずや焼き芋などに有効利用しなければなるまい。
阿呆な発想はほったらかしにして、それにしても桜とはとても良い木だと思う。
話したいと思う一方で、彼女は社会人であるからして、SNSであろうともメッセージをすることは憚からねばなるまい。それに、真面目で通している、私が朝一番からフラフラとSNSにログインし、訳のわからん個人的な感動をつらつらと書き並べたところで、彼女はきっと、頸をかしげるに違いない。
ここは、最低限のマナーをわきまえ、夕暮れすぎた頃にメッセージをするのが、よろしかろう。それに、私はまだ彼女と言う人間が今ひとつ理解できていない。今まで私が出会って、あるいは知り合いになった人間のいずれにも該当しない、言うなれば新種の性格であり、ゆえに、慎重の上に慎重を重ね、石橋を叩いて壊すくらいでなければ、たちまち、彼女とのこの不安定な関係は終演を迎えてしまうことだろう。
それはあまりにもあっけなさすぎる。
たとえ、顔も声も知らぬ相手と言えども、尊敬と愛情をもって接しなければならない。 だから、私は己が紳士道に従い、大学からの帰り道、すっかり日が暮れた頃合いになってから、講義中にせっせと作成しておいたメッセージを彼女に送信した。
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めっきり夕暮れが早くなった。秋の日はつるべ落としとは良く言ったものだ。
今年は夏の激暑にて、残暑猛烈に厳しく秋なくして冬へと季節が移り変わる。そんな風にテレビで気象予報士が話していた。
だが、季節は確実に秋を迎え、そして冬へと向かおうとしているのである。すでに秋の心地よき気候は過ぎ、朝夕の冷え込みは冬の足音を感じさせるに十分であろう。
夕暮れを背に私は歩いていた。帰路ではなく、川沿いの堤防道を…………一人暮らしにはまだ慣れていない。とりわけ、家に帰ると誰かが居た実家の感覚がまだ抜
いた…………もどかしい。
私自身自分の気持ちに理解はしている、けれど、これは口に出しても、文字に起こしてもいけない。
だがしかし、もどかしい。
なので、私は千年桜の元へと向かったのである。