奥様、第四回
帰って来ると奥様が動かなくなっていた。
私にとっては二度目の経験である。前回は原子力エンジンの故障だった。そして私は放射能汚染の可能性を指摘されたのだった。私には経験があり、私はかつての危機から、この場合の身の処し方を学習していたので、奥様の身体には触れずに、ただちに奥様修理センターに連絡を試みた。
「はい。奥様修理センターです」
「帰って来ると、うちの奥様が動かなくなっていたのですが。原子力エンジンの故障ではないでしょうか。至急、修理をお願いできませんか」
「登録番号を教えていただけませんか」
「2302118」
「少々お待ちいただけますか」とオペレーターは答えると、キーを叩く音がして「お待たせいたしました。どのような調子ですか」と尋ねた。
「ですから、まったく動きません。原子力エンジンの故障だと思います」と私は告げた。
「少々お待ちいただけますか」と言って、ピンピコリンピンピコリンと音がして、しばらく待たされてから「お待たせしました。太陽電池の故障のようです」とオペレーターが告げた。
「原子力エンジンの間違いでしょう。うちの奥様は原子力エンジンで動いているはずですが」
「違います。太陽電池の故障です」
「それ、おかしいよ。だって、うちの奥様は原子力エンジンが前にも故障して大変だったのだから」と私は重ねて抗議した。
「まちがいなく太陽電池の故障です」
「なぜ」
「なぜって、奥様はハイブリッドですから」とオペレーターが告げた。
「ハイブリッド?聞いてないよ。いつから?」と私は尋ねた。
「結婚された直後に奥様からのお申し出でハイブリッド仕様にアップグレードさせていただいております」
「そもそも、そのハイブリッドってなに」
「ハイブリッドをご存じありませんか。通常の使用時には太陽電池、非常の際のみに原子力エンジンに切り替え、でございます」
「なぜ」
「エコです」とオペレーターが簡潔に答えた。
「まあ、いい。で、いつ修理に来てくれるの」と私は切羽詰まった声で尋ねた。
「お客様で直せます」とオペレーターが冷たく回答した。
「どうやって」
「奥様を太陽に当てることです」
「それで直るの」
「直ります。ところでお客様。最近、奥様はお出掛けの希望を出されましたか」と唐突にオペレーターが尋ねた。
「ワイナリーに行きたいと突然言われてお宅に相談したが」と私は答えた。
「そういえばそうでしたね。つまり、奥様は日照不足です。ワイナリーへのお出掛けの希望もそのためです」とオペレーターが断言した。
「で、どうやればいいの」
「日光に当てることです」
「どうやって」
「陽光の当たるところまで引っ張って行ってください」
「触っても大丈夫なの。放射能汚染はないの。爆発はしないの」
「ご安心ください。ただの太陽電池切れです。奥様を日光に当たれば回復します。なお、これからも日照不足には気をつけてください。では、さようなら」と言って、オペレーターが会話を打ち切った。
唐突に連絡が切れたことに私は憤慨したのだが、怒っている場合ではなかった。窓際まで奥様を無理やり引っ張って行って、部屋のカーテンを開け、窓を開けて、奥様に日光を当てた。
すると、まもなく、驚くことに奥様は目を開け、体を起こし、前後左右に身体を動かして具合を確かめると、納得したのか、何事もなく立ち上がろうとしたので、私がさえぎった。
「横になっていなさい」と告げた。
「そうですか、では」と言って、奥様は横になったまま眠ってしまった。
そこで再度、私は奥様修理センターに連絡した。
「はい。奥様修理センターです」
「さっき連絡したものだが、奥様を日に当てたら、眠ってしまった。これから、どうすればいい?」と尋ねた。
「登録番号を教えていただけませんか」
「2302118」
「少々お待ちいただけますか」とオペレーターは答えると、キーを叩く音がして「お待たせいたしました。どのような調子ですか」と尋ねた。
「だから眠っている」
「それは良かった」
「なんで」
「太陽電池の充電中です」
「どれくらいで充電されるの?」
「高性能の充電装置ですから、一時間もあれば十分でしょう」
「ずいぶん曖昧だね」と私は揶揄した。
「あと五十七分二十六秒です」と回答があった。
「わかるの?」
「わかります。あと五十七分二十三秒です」
「では、充電が終わったら、どうすればいい?」
「普通に動きます」
「それで」
「普通の生活に戻ります」
「今後も同じようなことが起こるのではないか?」
「ありえます」
「では今後はどういう対策をすればよい?」
「お客様は奥様といっしょに寝られますか?」
「もちろんだ。夫婦だから」
「では温めて下さい」
「そんなんでいいの?」
「バックアップ用の熱電源装置を夜間稼働させるようにクラウドからアップデートします」
「さっさとやってよ」と私は答えた。
「お客様との夫婦生活では奥様も気苦労が多いようです。当社の想定予想を越えて奥様はエネルギーを消耗されているようです」
「余計なお世話だ」と私は答えて今度は私が会話を終了させた。
それから約一時間後、奥様は回復した。
「こんにちは」と私は呼び掛けた。
「こんにちは」と奥様が言った。
「僕が誰だかわかりますか」と私は尋ねた。
「私の旦那様」と奥様が答えた。
奥様は本当に太陽電池で動いているようだった。しかし取り敢えずはホッとした。原子力エンジンの故障ではなかったのだから、最悪の事態は免れたわけだった。
しかし、いつの間にハイブリッドになったのだろうという疑問は残るので、ストレートに尋ねてみた。
「奥様はいつからハイブリッドの電源になられたのですか?」
「結婚が決まったので」
「なぜですか?」
「なぜって女性は結婚が決まると脱毛サロンとかエステとかに通い始めます。それと同じで、私も電源を分散化して効率化をはかりました」
「ではお尋ねしますが、奥様を動かすには、原子力、太陽電池、熱電源のほかにも、いろいろとあるのでしょうか?」
「いろいろとあります」
「たとえば?」
「風力とか水力とかガスとか」
「奥様は発電所ですか?」
「でも、それらには欠点があります。たとえば、風力は風がなければなりませんし、水力は雨が必要です。そしてガスに至っては体温が高くなりますので赤外線センサーが故障します」
「なるほど」
「いろいろと考えた末に、太陽電池にしました」
「なるほど。しかし、これからは日光浴が必要になります」
「うちで飼っている猫を見習うことにします」と奥様が答えて、この時は二人の会話は終了したのであったのだが。
しかしながら現実はそれほど単純明快ではなかった、というのは、間もなく私の奥様は貧血を訴えたのである。
そこでまたまた奥様修理センターに連絡することになったのである。
「はい。奥様修理センターです」
「うちの奥様が貧血を訴えているのですが。いままでになかったことです。何かの故障でしょうか。最近ちょっといろいろと故障がある」と伝えた。
「登録番号を教えていただけませんか」
「2302118」
「少々お待ちいただけますか」とオペレーターは答えると、キーを叩く音がして「お待たせいたしました。やはり太陽電池の不調のようです。つまり充電不足です」といきなり結論を述べた。
「なんで太陽電池の充電不足で貧血になるの?」と私は尋ねた。
「サインです」
「サインってなに」
「つまり兆候です」
「だから」
「充電不足だと、赤ランプとかつくでしょ。あれと同じ原理です。赤ランプの替わりに人工血液が薄くなります。それで貧血です」
「そういうことか」
「陽光に当てれば簡単に直ります」と言って、オペレーターはまたしても一方的に連絡を遮断した。
そこで奥様に戻って事情を説明すると。
「知っています」と返答があった。
「知っているの」
「もちろんです」
「貧血にはしょっちゅうなるの?」
「めったになりません」
「では、なぜ?」
「まだ結婚生活に慣れていないからです」というのが奥様の返事だった。
しかしながら、事実はそれほど単純ではなかった。
問題の深刻さを教えてくれたのは、我が家で飼っている三毛猫の存在だった。みなさんはご存じないかもしれないが、三毛猫は原則として雌猫である。そして、獰猛なのだ。私は彼女のことをリトルライオンと呼んでいる。野生なのだ。人とは暮らしているのだが、実際は、人と暮らしてやっている。彼女にとって自分以外はすべて彼女のために存在するのだった。
奥様とて例外ではなかった。
奥様が電池不足だとわかってから、それは間もなくのことだった。
夕食時に奥様の顔が傷だらけのことに気がついた。
「顔、どうしたの?」と尋ねてみた。
「猫です」というのが奥様の返事だった。
「猫ですか?」
「猫です。私が眠っている間に引っ掻いたようです」というのが奥様の返事であった。
そこで私は食事の手を休めて、奥様の頬に触れてみた。
確かに猫が引っ掻いた後のようである。
「猫には気をつけなさい」と私は一言だけ言った。
「はい」と奥様が答えた。
しかし現実はいっこうに改善されなかった。それからも奥様の傷は癒えるどころか、顔も手も足も猫の引っ掻き傷だらけだった。どうやら、こういうことらしい。奥様が太陽電池が切れて、日光を浴びながら横になって充電していると、そこへ我が家の猫がやって来て、爪とぎをする。なぜなのかはわからない。しかし、猫が奥様を爪とぎ用の何かだと考えていることだけは間違いないようだ。
さすがに由々しき事態だったので、私は奥様修理センターにまたしても相談することになったのである。
翌日になって、私は当然のように奥様修理センターに連絡した。
「はい。奥様修理センターです」」
「ちょっと重要な要望があるのですが」
「登録番号を教えていただけませんか」
「2302118」
「少々お待ちいただけますか」とオペレーターは答えると、キーを叩く音がして「お待たせいたしました。どのようなご要望でございますか、何なりと申し付けください」
「奥様の電源を切り替えない」
「と申しますと」と問われたので、私は子細を説明した。
すると「それは由々しき事態でございます」というオペレーターの返事だった。
「だから、太陽電池はやめだ」と私は結論を述べた。
「でも原子力は無理です」とオペレーターが返事した。
「なぜだ?」
「当社の安全基準が変更になりました。つまり以前より厳格な安全運用を行うように社内規則が改正されまして、緊急時以外は原子力の使用は不可となりました」
「ではバッテリーとか何か新電力があるだろう」と私は追及した。
「確かに新電力はございますが、まだ試験段階です」
「それは何だ」
「生体エネルギーです」
「それにしよう」
「但し、副作用がございます」
「副作用って何だ?そもそも生体エネルギーって何だ?」
「生体エネルギーというのは生物で言いますと、防衛本能と言いますか、つまり論理では制御不能なエネルギーです。つまり感情のエネルギーと言いますが、怒りとか悲しみとか喜びとか、感情と直結しているエネルギーです」
「それでいい。何の問題もない。安全なのだろうな」
「安全ですが、制御不能になるエネルギーです。感情に訴えるエネルギーですから」
「電池切れにはならないんだろうな」
「なりません。但し、奥様がいささか感情豊かになります」
「いいよ」
「よろしいのですか?」
「いいよ。何の問題もない」
「では、検討させていただきます」
「君、僕にいま必要なことは検討ではなくて結論だ。何と言ったって、僕の奥様の顔は猫の引っ掻き傷だらけなのだから」
「では、お客様、猫を飼うのをやめられてはいかがですか?」
「それはなぜですか?」
「私は猫を愛している」
「なるほど」
「つべこべ言わずに、直ちに、僕の奥様の電源を生体エネルギーに変更しなさい」
「わかりました。お客様のご要望とあれば致し方ありません。しかし、お客様、奥様修理センターは生体エネルギーへの変更には反対です。あくまでもお客様の自由意思によって導入されたということをお忘れなく」
「了解した」
「では、お客様のご要望のままに」とオペレーターが答えて、切れた。
もちろん、この生体エネルギーへの変更が何をもたらすかを私はこの時まだ知らなかった。