雪が溶けたら
疎らに残る木陰の下の雪の上に、真っ白い小さなウサギがいた。
手のひらに収まる小ささで、頭の上には、緑の細長い葉っぱが二つ、顔に赤い実が二つ付いている、可愛らしいウサギだった。
ぼくはただ立っているのも暇なので、ウサギに声をかけた。
「やあ、ウサギさん、今日は天気が良いね。」
空は快晴。暖かい陽射しが僕らを照らしていた。
初対面には天気の話題がぴったりだと、サラリーマンが言っていたので、同調も出来て仲良くなるには、まさにうってつけの天気だった。
「私、太陽は嫌いなの。」
表情を変えずにウサギは呟いた。
これは嫌われてしまったかもしれない。焦るぼくにウサギは続けた。
「私は雪で出来てるから、暖かいと溶けてしまうの。」
「そうか、それは悲しいね。」
申し訳ないことを話題にしてしまったな。何か別の話題で挽回しなくては。
「き、綺麗な瞳をしているね!君を作った人はセンスがいい。」
「あら、ありがとう。あなたのマフラーも素敵ね。」
お気に入りのマフラーを褒められて、ぼくは有頂天になった。
「友達からもらった大切な物なんだ。ありがとう。」
はしゃぐぼくの声に、ウサギは「ふふふ」と笑った。それが嬉しくて、ぼくはたくさんウサギに話しかけた。
そのうちに夜になった。綺麗な星が空一面に広がっていた。ぼくたちを暗闇から守るように月がぼうっと輝いていた。優しい優しい夜だった。
「ぼくばかり、たくさん話してしまったね。」
「いいのよ。楽しかったわ。」
月に照らされるウサギは、何だかとても美しくて、それでいて、とても、寂しそうだった。
「今夜はこのまま、きみとお喋りをしていていいかな?」
どうにか、ぼくの拙い話でもいいから、寂しそうなウサギを楽しませたかった。
「ありがとう。優しいのね」
それからぼくは、また話を始めた。
ここにくる子供の行動や、ベンチに座って休むサラリーマンの話や、主婦たちの井戸端会議を遠くから盗み聞きした話。これからぼくがやってみたいこと。
ウサギは、ぼくの話を聞く専門だったが、所々で自分の話をすこししてくれた。
「一人は寂しいわ。」
「私が最後の1つ。他の子達はみんな流れてしまったわ。」
そう呟いたウサギに、ぼくはかける言葉がなかった。
ぼくらは、知っていた。これが最後の夜だと言うことも、さよならが近づいていると言うことも。
ーー朝が来たら、春がくる。
空が段々と薄い青に染まっていく。夜色の絵具に水がすーっとゆっくり流れてくるように、優しく夜が明けて行く。
「そろそろお別れね。」
ウサギは赤い瞳を空に向けて言った。
太陽が空を割って、光を射し込み始めた。空は快晴。
ぼくは、最後に勇気を振り絞って、ウサギに伝えることに決めた。
「実は、ずっと前から君を知っていたんだ。雪が積もり、君たちがキレイに揃って並んでるのを初めから見ていた。」
「私もあなたを知っていたわよ。」
彼女は笑っていた。
「君を初めて見たときから、綺麗だな、話しかけたいな。そう、思っていたんだ。」
「でも、勇気がなくて話しかけられなかった。」
嬉しいわ。もっと前から話していれば、もっと仲良くなれたのにね。とウサギは嬉しそうに話した。
後悔と喜びが、一緒にぼくの胸を襲った。相手を思う気持ちは苦しい物なんだな。と、ぼくは初めて知った。
「なんだか恥ずかしいや……。」
ぼくの頬を滴がつたった。もしかしたら赤面しているかも知れない。なんだか言葉を続けることに、緊張してきてしまった。
「その、それでね、ぼくはね。」
ウサギは微笑みながら、どもるぼくの言葉に「なあに?」「うんうん。」と相づちを打ってくれていた。
いつの間にか、暖かい陽射しがぼくらを照らしていた。
言葉を続けられないぼくに、ウサギは言った。
「今日は良いお天気ね。」
「え?」
ウサギを見ると、身体が溶け始め、周りに水溜まりが出来ていた。
「あなたが話しかけてくれた天気だもの、いい天気だわ。」
どんどん溶けていくウサギ。緑の葉っぱは地面に落ち。赤い瞳も歪んだ表情を作っていた。
「ちょっとまって!ぼくは、ぼくはね、きみの事が好きだったんだ!」
これがぼくの精一杯。ロマンチックな台詞も、気の効いた告白も出来なかった。
ありがとう、素敵な雪だるまさん。
そう言って、雪ウサギは溶けていった。
「もう少しだけ待っていてね。もうすぐ溶けて、1つになれるから、もう寂しくないよ。一人ぼっちじゃないよ。」
そしたら、どうか、ぼくの告白の答えを聞かせてほしいーー。
空は快晴。暖かい陽射しが小さな公園を照らしていた。
辺りは、春一番が吹き付けていた。
ありがとうございました。