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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

呪われた姫君

作者: うさぎと猫

「姫様、早く! 早くこちらへ!」


 私は侍女に手を引かれ、騎士達に守られながら必死に逃げていた。見知った城内のはずなのに、空気も匂いも全てが恐怖で包まれていてまるで知らない場所へ放り込まれた様だ。背後から多くの悲鳴や叫び声が聞こえてきて、恐怖と罪悪感で涙が溢れてくる。走るなんて事殆どしていなかった私の体力はとっくに尽いていたが、今は恐怖から逃れる為に必死で足を動かしていた。

 狂気染みた叫び声が近づいてくる。あの悪魔のような男がもうそこまで迫ってきている。

 

 恐い、恐い、恐い!


 なぜ、こんな事態に陥っているのか分からない。否、きっとこの城にいる誰もが分かっていないに違いない。

 悪魔は突如我が城に現れた。門兵達を皆殺しにし、城内に侵入した悪魔は目に入った全ての者達を一人残らず殺した。私達は久しぶりに家族全員が揃って夕食を食べていた時で、その知らせを聞いた時にはもう悪魔は目の前までやってきていた。悪魔はボソボソと何か呟きながら近づいてくると、私の目の前でお父様とお母様、そしてお兄様達が殺された。笑いながら、あっさりと。どんな魔法を使ったのか分からなかったが、勇猛果敢な城の騎士達も優秀な魔導士も虫を殺すように何の感情もなく呆気なく殺された。こうして逃げている間も、城中の者が犠牲になっている。悪魔に慈悲などは欠片もないようで、私達を皆殺しにする気だ。


「さぁさぁ、早く逃げないと殺しちゃいますよ~。ぎゃはははははは!」


 悪魔は私達との虐殺という名の追いかけっこを楽しんでいるようだった。このままでは、追いつかれてしまう。徐々に悪魔との距離が縮んできているというのが分かるが、これ以上速度を上げられない。

 私の前を走っていた騎士団長は、速度を落とし彼の部下達に目を向けた。


「お前達、姫様を頼む」

「……はい」

「姫様……どうか、ご無事で」

「……っ」


 私は何も言えなかった。ただ……いつもしかめっ面で武骨な男のらしくない程の綺麗な笑顔を目に焼き付けた。団長が一人私達から離れていくのを視界の端で確認するも、私は振り返らずただひたすら前を向いて走った。


 ごめんなさい、ごめんなさい。


 自分を守る為に多くの臣下が騎士達が死んでいく。けれど、私は必死で逃げている。最後の王族だから、とかそんな誇り高い理由なんかではない。死にたくなくて、殺されたくなくて逃げている。こんな守る価値すらない愚かな姫を守って死んでいった者達が知ったら、どう思うのだろうか。



 私達が逃げる道はたった一本、屋上へ続く道しか残されていなかった。屋上へ出て、その後はどうすればいいのか分からない。地上へ逃げることが出来ない以上、既に私達の運命は決まったも同然だ。

 絶望に纏われながらも、私達は階段を上りやっと屋上へと出る。冷たい風が頬を撫で、火照った体を冷ましていく。真っ暗な闇に染まる夜空に輝くのは、血のように真っ赤に染まり妖しく輝く満月だった。

 騎士の一人が笛を鳴らすと、遠くから甲高い鳴き声が笛の音に応えるように返事が返ってくる。すると、城から東側にある山の方から何かが飛んでくるのが遠目でも見えた。こんな暗闇でも僅かな月の光を反射し、銀色に光輝くそれは我が国固有の希少種であるドラゴンだった。調教してあるドラゴンであれば、私達を背に乗せてこの場を離れることが出来る。あの悪魔から逃げられる。


「おやおや、随分と立派な援軍をお呼びになった様で」


 ドラゴンがこちらに着くよりも早く、私達の前に悪魔が追い付いてしまった。これまでローブを身に纏いフードですっぽりと顔を隠していたので顔を見ることが出来なかったが、月の光が悪魔の顔を照らした事で垣間見ることが出来た。しかし、見ない方が良かった。


「い、いやああぁぁぁぁ!」


 私の手をずっと引いて辛うじて正気を保っていた侍女は、恐怖で悲鳴を上げ力なくその場に座り込んでしまった。私も悲鳴を上げたかったが恐怖で声が出ず、体がガタガタと震える。私の目にした悪魔の顔は、皮膚が爛れ口の一部は腐ってしまったのか崩れ落ち歯が見える。瞳孔が開きギョロギョロと動く眼は、狂気に染まっているのが一目で分かる。これを見て恐怖を抱かない者はいないだろう。


「ぎゃはははは! 逃がさないぞ! ようやく見つけたのだからな!」

「姫様! 姫様はお下がりください!」


 私は震える足でふらつきながらも後ろへ下がると、残っていた数人の騎士達が前に立ち悪魔へ剣を向けた。すると甲高い鳴き声が聞こえ空を見上げると、黒く禍々しい不気味な霧のようなものが近くまでやってきたドラゴンの体を包み込んでいた。悲鳴をあげているのはドラゴンで、その霧から逃れようと動き回るが纏わりついて離れない。よく見ると美しい銀色の体がどんどん黒く変色している。そして、弱ったドラゴンは真っ逆さまに地上へと落下していった。ドラゴンはこの世界で最も強く孤高の生き物と云われている生き物だ。そのドラゴンまでもがこうも一方的に攻められ手も出ない状況になるなんて。


「くそ、ドラゴンまで! お前は一体何者なんだ!」

「私、ですか? 私は……何者なんでしょう。名は忘れました。記憶も殆ど覚えていません」

「何が目的だ! 何故、我が国を……王を殺した!」

「目的……? 私は繋ぐだけだ」

「訳の分からぬことを! もういい」


 そう言って、騎士の一人が悪魔に斬りかかる。しかし、ドラゴンを襲っていた黒い霧と同じものが突如現れその剣を弾き返した。他の騎士達も一斉に斬りかかるも、やはり黒い霧に阻まれる。


「さあ、お前達も贄となるのです」

「う、うわああああああああああ!!」

「ぎゃああああああああああ!!」


 悪魔がそう言うなり、黒い霧は騎士達と侍女を包み込んだ。その瞬間、皆悲鳴を上げて必死に霧から逃れようと暴れまわるが纏わりついたそれは離れることはなかった。


「た、助け……て……」


 そっと差し伸ばされた手を、私は掴む事が出来なかった。目の前でバタリと倒れた騎士から黒い霧はすーっと消えていく。そこに残ったのは真っ黒くなった遺体だけだった。気づけば皆真っ黒になって倒れていた。……皆、死んでしまった。


 どうして、なんでっ!


 つい先ほどまで平和だった。お父様とお母様、お兄様達と他愛もない会話をしていたのが、遠い昔のようだ。いつもなら城で働く侍女達や騎士達の話し声、足音が聞こえるのに、今は何も聞こえない。こんな静かな夜を、私は知らない。


 どうして、こんな事になってしまったの。一体、私達が何をしたというの。


 受け入れられない現実に私はなぜ、と問いかけるばかりだった。けれど、もう全てがどうでもいい。皆死んでしまった。私も彼らの後を追いかけるだけ。逃れられない死を受け入れるだけだ。

 そう覚悟していたのに、運命は残酷だった。


「ずっと探していました、貴方を。ようやく、ようやく見つけた」

「……なにを言っているの」

「さあ、時は満ちた! 今これより継承の儀を執り行う!」


 悪魔は両手を空に掲げると、城を覆いつくす程の巨大な魔法陣が空に出現する。赤く光る魔法陣は驚く程綺麗で、こんな時でなければ惚けて見とれていたに違いない。けれど、そんな余裕は私にはなかった。魔法陣に吸い寄せられるように、城から白く小さな玉のようなものが無数にふわふわと浮かび上がっていく。まるで蛍のような淡く優しい光を持つその玉はどんどん魔法陣に吸い上げられていく。その幻想的な光景は、美しいのにとても悲しくて気づけば私は涙を流していた。――そして、悪魔も。


「君には……すまないと思っている」

「……な、んで」


 どうして、そんな悲しい顔をしているの?

 なんで、泣いているの?

 なぜ、謝るの?


 分からない。分からない事ばかりで、私は余計に涙が溢れた。そんな私を辛さそうに見つめる顔を見て、やっぱり訳が分からなかった。


「絶望と恐怖に怯える魂達よ。憎しみと恨みを抱く魂達よ。我らが望みを叶えるための贄となり、新しい器の為にその力を捧げよ!」


 悪魔がそう叫ぶと、魔法陣に吸い寄せられるように浮かんでいた小さな玉は一斉に私を目がけて飛んでくる。恐くて逃げようとするも、いつの間に足に黒い霧が纏わりついていて動かすことが出来ない。黒い霧はあっという間に私を飲み込み、全身が覆われ痛みも全身に走る。


「い、いやあああああ! 痛い、痛い! うあああああああああ!」


 そして、無数の白い玉が私の体に飛び込んでくると、私の体の中にどんどん吸い込まれ消えていく。その感覚が気持ち悪くて、私は痛みと気持ち悪さにひたすら耐えざるを得なかった。体の中に白い玉が入る度に多くの声が頭に直接語り掛けてくるのに気づき、私はようやくこの白い玉の存在が何かを知った。それは、この城で共に生活をしていた皆だった。お父様、お母様、お兄様達の声も聞こえる。苦しい、痛い、恐い、辛い、憎い。恐怖や憎しみの感情がどんどん流れ込んでくる。多くの悲鳴が聞こえる。助けてと呼んでいる声が聞こえる。

 色んな感情が、色んな人の想いが一気に押し寄せ、私の心は悲鳴を上げ何も考えられなかった。痛みももう感じない。何も感じない。





 あれからどれだけの時間が経ったのだろうか。いつの間にか仰向けに倒れていた私の目に最初に映った景色は、赤い満月が輝く真っ暗な夜空だった。あの巨大な魔法陣は無くなり、周囲はとても静かだった。ゆっくりと体を起こすと、壁に体を預けて空を仰いでいる悪魔の姿があった。その姿がさっきまでの禍々しいものとは思えないほど、とても儚く今にも消えてしまいそうに見えた。私が起きたことに気付いた悪魔は、悲しげな笑顔を浮かべた。


「目を覚ましたんだね。体は大丈夫?」

「……何が、何がなんだか分からない。貴方は私に何をしたの! なんで、なんで私を殺さないのよ!」

「ごめんね。僕も本当は自分の代で終わらせたかった。でも、出来なかった」

「分からない。何を言っているのか分からないわ!」


 さっきまでとまるで別人のような悪魔に私は戸惑いを隠せない。そして、同時にこの状況に耐えられなくて苛立ちがこみ上げてくる。

 これ以上、訳の分からない事を言わないで欲しかった。もう、止めてほしい。これ以上、私を苦しめないで! もう死にたい。死んで皆の元へ行きたい。一人なんて……一人で生きていくなんて無理だよ。

 涙を流す私に、悪魔はまた悲痛な表情を浮かべる。そして、ゆっくりと優しい声で話を始めた。


「僕は、随分昔に……もうどれだけ前か分からない程昔に生まれた。ようやく思い出したんだ、自分の名前と昔の記憶を。……僕は貴族の家に生まれ、何不自由なく生きていた。でも、ある夜事件が起きた。奇妙な男が突然我が家を襲ったんだ。家族も使用人達も皆殺された。生き残ったのは僕だけ。そして、僕は継承者に選ばれた」


 急に自分の話を始めた悪魔に警戒しながらも静かにその話を聞いていた。驚く程優しい悪魔の声は、どこか悲しみを帯びていて不思議と心を落ち着かせた。


「その男は言った。継承者とは全ての憎しみや恐怖、絶望といった負の感情を背負う者だと。彼もよくは知らないそうだ。ただ、これは呪いなんだと言っていた。この呪いを解くには聖なる魂を持つ者、聖者に浄化してもらうしかない、と。けれど、その聖者は彼の代も、そして僕の代でも現れなかった。この呪いを受けると、不老不死に近い存在へと変わり永遠とも感じる程の時間を過ごさなくてはいけない。だが、所詮は人間の体だ。呪いに耐えられなくなり、今の僕みたいに腐り始める。だが、そのまま死んでしまうとこの呪いが解放されてしまうんだ。この呪いは世界に破滅をもたらす程の力を持っている。それだけは、阻止しなくてはいけない。だから、後継者を選ぶんだ。この呪いを継いでくれる継承者を」

「そ、それが私だというの? なんで私が」


 俄かに信じられない話だったが、こんな時にまで嘘を吐く理由はないはず。それに、体の奥から多くの魂の叫びを感じる。きっとこれまでに生贄とされた人々の声だ。でも、この話が本当だとして、どうして私なの。なんで……。


「継承者は誰でもいいという訳ではない。呪いを受けた者にしか感じない魂の気配というのかな、それを持っている者でなければならない。とうとう聖者に会えなかった僕は体の限界を迎えていたところに、ようやく君を探し当てたんだ。継承者にはこの呪いと一緒にその継承者を守る生贄が必要だった。生贄がなければたちまち器とされる体が呪いに負けて滅んでしまうから。だから、生贄は多ければ多いほど、継承者に力を与える」

「……だ、から……だから城の者を殺した、と?」


 そんな理由で皆が殺されたの? 訳の分からない呪いなんかのせいで。私が継承者に選ばれたせいで……。


「恨んでくれていい。僕は恨まれて当然の事をしたのだから。けれど、どうか逃げ出さずにこの呪いと向き合って、そしてこの呪いを解いて欲しい。世界を守る為にも、そして犠牲となった魂の為にも。生贄となった魂は、天に召されることはない。呪いが解かれるその時まで呪いと共にいることになる。だから、どうか呪いを解いて欲しい」

「勝手な事言わないで! 私にそんな事出来るわけない! ずっと城の中で育ってきて、外の事なんて知らないわ! なんで私なの、なんでっ!」

「気持ちは分かるよ。僕もそうだったから。でも、君に頼むしかないんだ。この呪いは早く解かなくてはいけない。僕も自分のせいで巻き込んだ家族を皆を解放してあげたい。勝手な事を言っているのは分かってる。けれど、どうかお願いだ。君にしか出来ないんだ」

「私一人でなんて無理よ! 貴方は……貴方はどうなるの? 手伝ってくれないの?」

「僕は……日が昇れば塵となって消えてしまう。でも、君を見守っているよ。僕も生贄の一人だ、傍にいる」

「い、嫌よ! 無理よ、無理だわ! どうして、どうしてっ!」


 一人でこんな重いものを背負うなんて、無理だわ。私に何が出来るというのよ! どうして、どうして私なの。私なんかよりもずっと強い人はたくさんいるはずよ。私より優しい人も、優秀な人もたくさんいるわ。なのに、なんでっ!


 顔に影が落ちた事に気づいて、ふっと顔を上げると悪魔がいた。こんなに優しく微笑む人を初めて見た。……この人は、長い間どれだけ辛い思いをして生きてきたのだろう。たった一人で、何を思ってどんな風に生きてきたのだろう。

 私は悪魔にそっと手を伸ばすと、悪魔は私の手を優しく握りしめてくれた。そして、私の体を抱きしめてくれた。こんなに温かく抱きしめてもらったのは、いつ以来だろう。幼い頃以来かもしれない。人の温もりがこんなに温かく落ち着くものだなんて、忘れていた。


「君は一人じゃない。僕が、僕達がついている。だから……」

「……貴方の……貴方の名前を聞かせて」

「僕は、ウィリアム・ヴォイストニー」

「私は、クリスティーナ・ローザンデリヒ」

「クリスティーナ……素敵な名だ」

「ありがとう」


 それから私はウィリアムのこれまでの話を聞いた。ウィリアムは、18歳の時にこの呪いの継承者に選ばれたそうだ。私と一つしか違わないのにこんな辛い運命をずっと一人背負って生きてきたのかと思うと、やっぱり自信がなくなる。話を聞いていて、彼は少なくとも300年以上は生きているという事が分かった。彼は途中でもう年を数えるのを止めたと言っていた。数えていると、無性に死にたくなった時があるからだと言っていたが、確かにそういうものかもしれない。

 こんなに人と話をして、心が穏やかになるのは初めてだ。ウィリアムといると初めての感情に出会ってばかりな気がする。こんな出会いでなければ……そう思ったりするけど、こんな出会いでなければ出会わなかった。


「なんで、こんな呪いが生まれたのかな」

「分からない。でも、この呪いが聖者を欲しているというのは良く分かった」

「どうして?」

「心に訴えかけてくるんだ。早く……早く聖者に会いたいってね。まるで、恋い焦がれているようなそんな想いをぶつけてくるんだ。ずっと待っているんだろうね、会えるのを。そして救われるのを」

「……そう。もし、呪いが解けたら私はどうなるの? 生贄になった魂は天へ還れるんでしょ? 私は?」

「分からない。けれど、生贄により呪いの器として強化された肉体だから、魂が離れてしまえば……肉体は滅んでしまうかもしれない」

「そっか……でも、私もそこでようやく解放されるなら悪くないわ」


 悪くない。否、それでいいと思う。

 ふと隣に座るウィリアムを見ると、とても苦しそうな顔をしていた。


「ごめんね。こんな恐ろしい呪いを君のような女の子に。気配を感じてこの城まで来たけど、まさか王女様が継承者だなんて思いもしなかった」

「……あの時の貴方は、とても恐ろしかったわ。悪魔だと本気で思った。城の皆は、恐怖の中死んでいったわ」

「あの時の僕はただでさえ精神が限界に来ていたから……正直言うとあまり覚えていない。でも、自分でも狂気に侵されていたのは分かっている。ひたすら君を求めていたんだ、継承者である君に早く繋がなくてはってね。本当に限界だったから……切羽詰まっていた。それに、生贄に出来るのは恐怖や憎しみを抱いた魂でないといけないんだ。そうでない魂は天に還っていくだけだ」

「つまり……私も体に限界がきたら、同じように人に恐怖を与えながら殺さなければいけないという事?」


 私の問いに、ウィリアムは頷くのを見て私は絶句した。私が人を殺さなくてはいけないなんて。しかも恐怖を与えてなんて……。さっきまでの恐怖を思い出し、私は体が震える。

 嫌だ。そんなの、絶対に嫌だ!


「僕はそんな事したくなかった。だから必死で探したんだ、聖者を。でも、ダメだった。約束したのに、果たせなかった」

「……約束って?」

「僕にこの呪いを継承した男と約束を交わしたんだ。名前はドクトルと言ってね、彼はずっと泣いていたよ。泣いて何度も謝っていた……すまないって。彼はその前の継承者と約束を交わしていたらしいんだ。『必ず自分の代で終わらせる。呪いを解いて皆を解放する』ってね。彼はそれを守ることが出来なかったと、泣いていた。そして僕にこの呪いを背負わせてしまった事を悲しんでいた。だから、僕は彼と約束したんだ。その約束は僕が果たすと。僕も皆を早く解放してあげたい。こんな悲しい思いをするのは、もう自分で最後にしたかったんだ」


 ウィリアムは、今にも泣きそうな顔をしていた。震える手を見つめながら、ウィリアムは「なのに」と辛そうに言葉を吐き出す。


「それなのに、出来なかった。どうしたら、どこに行けば聖者に会えるのか、分からなかった。だからひたすら探し歩いた。ずっと気の遠くなるような月日を延々と、探し歩いた。それでも見つからなかった。現れなかった。僕じゃダメだったんだ」


 こうやって、次の代へ次の代へと呪いが繋がれてきたんだ。悲劇を招く恐ろしい呪いなのに、なんて儚くも美しい絆なんだろうか。でも、この呪いのせいで皆が天に還れず恐怖に捕らわれたままなんだと思うと、一刻も早く解放してあげたい。こんな悲しい呪いから、皆を解放してあげたい。否、解放しなくてはいけない。


「私……自信ないけど、でも……頑張ってみるよ。私がウィリアムが果たせなかった約束、代わりに果たしてみせる」

「……クリスティーナ」


 ウィリアムは泣いていた。ウィリアムも人のこと言えないくらい、泣いてばかりだ。でも、それはきっと色々なものをたった一人で背負って頑張ってきた証拠なんだと思う。一人でずっと頑張ってきたんだ、約束を果たす為に。皆を解放してあげる為に。

 ならば、私も彼らの守ってきたものを守ろう。この世界と、呪いに捕らわれてしまった人々の魂、呪われた人達の心を。そして、彼らの繋いだ想いを、願いを私は叶えたい。





「そろそろ、お別れのようだ」


 暗かった夜空に少しずつ明かりが見え始める。もう夜明けを迎えるようだ。こんな悲惨な夜を迎えても、太陽は変わりなく昇る。世界は私達の気持ちなど関係なく、こうして無情にも進んでいくんだ。それがなんだか悲しいような、安心するような複雑な気持ちにさせる。


 ウィリアムはすっと立ち上がり、じき太陽が昇る空を見つめていた。その横顔を見て、彼は今何を考えているのかと気になり、私も隣に立ち同じように空を見つめた。


「ウィリアム……私は、貴方のしたことを許す事は出来ない。どんな理由であったとしても、私の家族や城の皆を殺された事実は変わらないから。……でも、私は貴方を恨んだりしないわ」

「……うん、それでいい。ありがとう」

「……最後に貴方の本当の顔を見てみたかったけど、残念だわ」

「僕の? ははは、僕の今の顔酷い事になっているからね」


 私はウィリアムの顔にそっと手を伸ばした。嫌がられるかもと思ったが、私の手はウィリアムの顔に優しく触れる。

 どうか、これまで頑張ってきた彼に安らぎを……。

 そう願った時だった。私の手から淡い光が溢れ、その光はウィリアムを包んだ。そして光がすーっと無くなった時、私は唖然としてしまった。そこには、爛れた皮膚が元に戻った綺麗なウィリアムの姿があった。


「ウィリアム、だよね」

「うん、そうだよ」

「……ようやくウィリアムの顔が見れた。ふふふ、思った通り素敵ね」

「からかうのは、やめてくれ」


 金髪碧眼の美丈夫へと姿を変えたウィリアムは、恥ずかしさからかぷいっと顔を背けていたが、その頬は赤く染まっていた。雰囲気から随分大人びていたように感じたが、そうやって照れている彼の年相応の反応を見れた事が嬉しくなったと同時に胸が苦しくなった。普通の若者にしか見えない彼が、どれほどの苦痛を苦悩を乗り越えて来たのかと思うと胸が痛んだ。あんな姿になるまで頑張っていた彼を思うと、涙が溢れそうになる。


「でも、どうして……これも呪いの影響?」

「いや、違う。これは僕の家族、そしてドクトルの力だ。彼らが君を通じて僕の状態を戻してくれたんだ。あの雰囲気……僕が彼らを間違うはずがない」

「愛されていたのね、ウィリアムは」

「うん……愛されていたよ。僕も皆を愛していた。だから……早く解放してあげたかったんだ。なのにっ……」


 ウィリアムは本当に泣き虫だ。ポロポロと溢れ出る涙を拭うこともなく泣いている姿は、なんだかとても綺麗で思わず手を伸ばしていた。涙を拭われた事に驚いたウィリアムは目を大きく見開いていたが、それは徐々に細まっていった。微笑んでいるウィリアムの顔を私は見つめた。もう見ることが出来ないと思うと忘れたくなくて、この笑顔が心に焼き付くように私は見つめた。


「これ、受け取ってくれないか」


 ウィリアムはそう言って自分の左耳に飾られたピアスを外すと、私の手をそっと掴み掌に青い宝石が装飾されたピアスの片割れを乗せた。私が驚いて見上げると、ウィリアムの右耳にも同じピアスが飾られているのが見えた。


「……いいの?」

「うん。君に付けて欲しいって……思って」


 顔を真っ赤に染めてそう話すウィリアムに、私は思わず小さく笑ってしまった。そして、どうしようもなく愛おしいという感情が沸き上がってくる。私は両耳に付けていたピアスを外して、今貰ったピアスをウィリアムに差し出す。


「じゃあ……ウィル。付けて」

「……えっ!? う、うん」


 私が愛称で呼んだからなのか、それとも付けてとお願いしたからなのか。ウィルは目に見えて動揺していた。こんなに可愛い男性は初めてだ。こんなに胸を締め付ける程、愛おしいと思うのは初めてだ。

 ウィルは私の髪をまるで壊れ物を扱うように優しく丁寧に耳にかけると、左耳にピアスを付けてくれた。そして、そのまま私の頬を撫で嬉しそうに微笑んだ。


「似合ってる。凄く、綺麗だよ……クリス」

「ふふ……そうで、しょ」


 胸がいっぱいで……涙が止まらなかった。

 嬉しいのに悲しくて、幸せなのに苦しくて……。

 もっとこの幸せな時間が続けばいいのに。永遠に続いてくれたらいいのに。そう願わずにいれない程、私は彼に惹かれている。僅かな時間を共に過ごしただけなのに、自分でも驚く程惹かれている。


「クリス、僕は……」


 泣いている私をウィルは、優しく抱きしめてくれた。ウィルは言葉を途中で飲み込んで、それ以上の言葉は続かなったけど、私もそれでいいと思う。私だって、この気持ちを言葉には出来ない。ウィルは言葉の代わりに、ギュッと強く抱きしめてくれた。それだけでいい。それだけで十分だ。

 気づけばもう辺りは明るくなってきていた。もう……日も出るだろう。別れたくなくて、私はウィルをきつく抱きしめる。

 どうか……どうか太陽よ、まだ昇らないで! 私、頑張るから。頑張って聖者を見つけて、皆を解放するから。だから、お願い。もう少しだけ時間を下さい。どうか、お願いします。


「クリス……次会った時に君に伝えたい言葉があるんだ。だから、その時まで僕は待ってる」

「えぇ、分かったわ。全てを終わらせて、ウィルに会いに行くからっ……待ってて」


 ウィルは私の額にそっとキスをして、優しく微笑んだ。ダメだ、涙でウィルの顔が歪んでしまう。彼の顔を目に焼き付けたい、そう思うのに涙が一向に引かない。私も最後は笑顔を見せたいのに、全然笑えない。私はウィルを抱きしめる。もうそれしか出来なかった。

 そんな私の頭を優しく撫でながら、ウィルは抱きしめてくれた。そして、耳元に最後の言葉が聞こえた。


「僕はいつだって君と共に在る……クリス、ありがとう」


 朝日が私達を照らした瞬間、ウィルの体は霧のようになり一瞬で腕の中から消えてしまった。「あっ……」と声を上げた時にはもうどこにもウィルの姿形は無くなり、朝日がやけに眩しく私を照らした。


 消えてしまった。何も残さず、全て消えてしまった。もっと、話したいことや言いたいことがあったのに。最後は泣いてばかりで、何も言えなかった。


「ウィル……ウィルっ!」


 呼んでも返事はない。

 本当に、消えてしまったんだ。


「うっ、うわああぁぁぁぁぁぁ!!!」


 ひたすら泣いた。大声をあげて泣いた。

 私は何もかもを失ってしまった。皆、いなくなってしまった。一人ぼっちになってしまった。

 分かってる、こんなところで泣いている場合じゃないんだって。私には呪いを解かなくてはいけないという、使命がある。でも、今だけは……今だけは……。










 私の名前は、クリスティーナ・ローザンデリヒ。ローザンデリヒ王国の王女だった。

 ローザンデリヒ王国は一夜にして謎の大虐殺により滅び、今では新たな王国が建国している。あれから随分と時が流れたけど、私はまだ聖者を見つけることが出来ずにいる。でも、諦めたりはしない。挫けそうになる事も全てを投げ出したくなる時もあるけど、そういう時は左耳にあるピアスにそっと触る。それだけで、随分と励まされる。

 どれ程の時間がかかるか分からないけど、私は彼との約束を必ず果たしてみせる。家族と城の皆、そしてそれ以前に呪いにより生贄にされた人々、呪いを継承した者……皆の魂を解放するまで、私は頑張って歩き続ける。


 私、頑張るから。

 だから、見てて……ウィル。






最後まで読んで頂きありがとうございます。


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