第177話
「何だこれは……?」
邸の中に入った俊輔は、中の状況がどうなっているのか分からず、疑問の声を漏らした。
壁や柱が崩れ、その瓦礫の下には、ベンガンサの組織の者たちらしき人間が物言わぬ骸となり果てていた。
「……京子!? ………………京子!?」
多くの死体が転がっているが、そんなことはどうでも良い。
京子さえ無事なら、後のことは知ったことなどではない。
俊輔は魔力探知を広げ、邸内を探り始めた。
◆◆◆◆◆
時間は少しさかのぼり、京子が捕らわれたすぐ後。
「シモン!!」
「ハッ!」
京子を捕え、妹のカルメラに牢へ運ぶように言ったシモンが邸に帰ると、バジャルドがシモンを呼びつけた。
それに反応したシモンは、バジャルドに近付き跪いた。
「あの女がいれば人質としては十分だろ? イバンの奴はすぐに始末する」
バジャルドのあまりに短絡的な考えに、シモンは内心嘆息した。
折角手に入れた人質、使い道がまだあるはずだ。
常に言っている当主の座も、イバンの解放を条件にチラつかせれば、父のカルリトスから引き出せる可能性もあるというのに。
失敗続きの自分が言うのもなんだが、一応イバンを殺した場合のことを尋ねてみることにした。
「しかし、そうなると国はイバン様を暗殺したであろう我々を探し始めることになります」
「それが何だ? 俺が関わったとはバレてはいないだろう?」
要するに、バジャルドは自分に火の粉が降りかからないから、構わないと言っているようだ。
「姿を見られている以上、一時の間この国から離れなくてはならなくなります」
「……そうだな」
逃亡を図らなければならないこちらのことは無視している。
というより、恐らくは今を乗り切ったらシモンたちとの関わりを切るつもりなのが見え見えだ。
「公爵家の者やイバン様が雇った者が、バジャルド様をそのままで済ますでしょうか?」
そこまで忠誠心があるようにも見えなかったが、イバンを殺されて、俊輔が黙っているという保証はどこにもない。
それに、公爵家の人間は誰一人バジャルドに従いはしないだろう。
全員始末してしまうという手もあるが、理由付けを考えられるほどの知恵はバジャルドにはない。
理由もなく殺せば、バジャルド自身で暗愚であると喧伝するようなものだ。
「殺したイバンの死体は塵に変えてしまえ。あとは捕えた女と、それを救出に来ている男を殺してしまえば証拠も残るまい」
「……かしこまりました」
京子を人質に取ったぐらいで、果たして俊輔を止めることなどできるか不安だ。
しかし、それはシモンが気にすることではない。
もうすぐバジャルドとは切れるのだから。
「ではイバンの所へ……おぉ、そうだ! あの剣を持ってこい!」
「あの剣……?」
イバンが収容された地下の牢獄へ歩を進め始めたバジャルドは、あることを思いついた。
そして、シモンにある剣を持ってくるように指示を出してきた。
何のことだか分からず、シモンは疑問を声に出す。
「公爵家に代々伝わるリベラシオンだ! あの剣で殺されるのならイバンの奴も潔く死を受け入れるだろう」
「了解しました」
確かに、この邸には豪華な鞘に収められた剣が一振りあった。
バジャルドがカルリトスの所から持ってきたらしい。
求めに応じ、シモンはその剣を取りにバジャルドから離れた。
◆◆◆◆◆
「っ!? 兄上!!」
イバンは京子のいる牢とは別の場所にある、最奥の牢獄に入れられていた。
両手両足を縛り付けられ、身動きが取れない状態にされている。
拷問もできるようにか、室内はかなり広く取られている。
カルメラの言うように、別の意味でビップ待遇だ。
「良い様だな? イバン……」
芋虫のようにしか動けないでいるイバンに対し、部下の男に出された椅子に座り、バジャルドは上から見下すように話しかけた。
イバンからすれば、そのにやけ面には反吐が出る思いだ。
「一つ聞きたいのですが……」
「ある物が来るまでの間なら聞いてやろう」
どうせ僅かな間の暇つぶし、この世で最後の会話くらいは許してやろうと、バジャルドはイバンの言葉に耳を傾けることにした。
「何故私に刺客を送ったのですか?」
「知れたこと、次期公爵家当主の座を得るためだ。父上は妾腹の俺より、正妻の子であるお前の方が好みらしいからな……」
何かと思えば今更な質問だ。
そんなことは、言わずとも気付いているものだと思っていた。
確かに自分は何度か揉めごとを起こした。
しかし、どれも大事にならないように握りつぶした。
にもかかわらず、長男の自分ではなく次男のイバンに家督を継がせるなど、考えられる理由は出自しかない。
「父上はそんなこと気にしていませんでした。兄上が自分の行いで父上に愛想をつかされたのではないですか!」
「黙れ!! 俺は公爵家だぞ!? 選ばれた人間なんだ!! 望むがままに生きて何が悪いというのだ
!?」
確かに、父カルリトスはバジャルドではなく、イバンに家督を継がせると言うようになったが、それは別にイバンを好んだというより、バジャルドが勝手に駄目になっただけだ。
それを言うとバジャルドは怒りの表情に変わり、おかしな選民思想を述べだした。
「愚かな……」
「ふんっ! まんまと捕まり、人質になるなど愚かなのは貴様の方だ」
出自にコンプレックスを持つバジャルドは、昔から選民思想が強かった。
カルリトスもそれを治そうと色々な家庭教師をつけるが、バジャルドはその者たちの言葉を全て聞き入れなかった。
むしろ、言われれば言われるほどに凝り固まっていったようにすら思える。
今更イバンの言葉が通用する相手ではなかったのだ。
「お待たせしました」
「おうっ! 来たか……」
兄弟最後の会話も、全くの無駄話でしかなかった。
イバンからしたら、聞く耳を持たないことの愚かしさを気付かせることができないままの別れのようだ。
シモンが来るのを待っていたバジャルドは、むしろちょうどいい暇つぶしでしかなかった。
「その剣は……!?」
そのシモンが持ってきた鞘を見て、イバンは目を見開いた。
「リベラシオン!? なくなったと思ったらやはり兄上が……」
「そうだ。貴様がいない間に手に入れた」
他国への仕事を終えて帰ってみれば、いつの間にか王都の本邸の宝物庫から幾つかの財宝がなくなっていた。
鍵は父から渡されていたので、開けられるのはイバンだけだったはず。
それなのにもかかわらず、無くなっていたことに戸惑っていたのだが、すぐに犯人の目星は付いた。
カルリトスからイバンに鍵が渡る前に、もしかしたらスペアを作られていたのかもしれない。
宝物庫の鍵は特殊なため複製は不可能に思えるが、裏の世界ではそういったことのスペシャリストが存在しているという。
色々揉めごとを起こしていたバジャルドなら、もしかしたらそういった人間とのつながりがあるかもしれない。
しかし、可能性はかなり高いが、証拠が見つからない。
それでは捕まえることができない。
何とか証拠を探していたが、証拠となる実物がすぐ目の前にあるではないか。
「それは公爵家の宝剣! 当主が保管するのが習わしだ! 兄上が持って良い物ではない!」
「そう。当主が持つものだ。だから俺が持つのにふさわしいんだよ」
証拠が見つかっても今更遅い。
イバンは腹を立てつつバジャルドに喚きたてるが、意味を成さない。
バジャルドは豪華な鞘からゆっくり剣を抜き始めた。
「この剣で死ねるのだ。貴様も本望だろ?」
「……………………」
公爵家の宝剣により命を奪われるのだから、その者は十分選ばれた人間だと解釈できる。
ただ、それは選民思想に凝り固まったバジャルドの考え。
普通に考えれば殺されるのに本望も何もない。
「さらばだ!」
そういって、バジャルドはイバンの首めがけて剣を振り下ろしたのだった。




