第132話
「…………魔の領域?」
先程までの森の雰囲気とは違った場所に入った事に、俊輔もすぐに気づいた。
蜥蜴の魔族であるエステバンが言っていた話から察すると、魔の領域と言われる地域らしい。
しかし、上空を眺めた時に見えた膜のようなものは見覚えがある。
そんな事を思っている俊輔の事を置いておいてエステバンは愉快そうに話し出した。
「ここは世界に4か所ある人も魔物も我々魔族でさえも近付く事を回避する危険領域だ」
俊輔が武器を向けているにも関わらず、エステバンはここに入った時同様大の字に寝転んだ状態のままだ。
「入ったが最後、最下層へ辿り着かなければ脱出不可能な地獄のダンジョンだ」
そこまで言うとようやく上半身を起き上がらせ、胡坐をかいたまま続ける。
「お前は確かに強い。だが、ここから脱出する事など出来るはずがない!」
魔族化によって醜い顔になってはいるが、明らかにどや顔をしながら言ってきたことに俊輔は若干イラっと来た。
「俺を誘導していたのはここに入れる為だったのか……」
「その通りだ」
探知術を使っていたが、ここにこのような領域が存在していた事に気付かなかった。
もしかしたら外と中で空間が歪んでいるのかもしれない。
「さて、お前をこの中へ入れるという作戦は成功した。俺を煮るなり焼くなり好きにしろ」
「……あっ、そう?」
エステバンが先程から戦闘態勢に入らないのは、作戦成功に満足しているからのようだ。
満足そうな表情で胡坐をかいたままのエステバンは、人型に戻っていった。
抵抗するつもりが無いようである。
「まあ、俺を殺した所でこのダンジョンの養分になるだけだがな……」
いら立ちの発散の為に、俊輔はエステバンの言った通り殺しておこうと歩み寄る。
この領域の事を理解していないような俊輔の態度を見て、エステバンはまたも馬鹿にしたように言った。
「それにしても……、あそこと同じような場所があったんだな……」
剣にゆっくりと魔力を纏いながら周囲の様子を窺うと、俊輔はこことよく似た場所の事を思い出していた。
探知すれば離れた場所に魔物がいて、明らかに変異種らしき戦闘力を有しているのが分かる。
あの5年の間閉じ込められていた場所を早々忘れる訳がない。
「前ほど時間はかからないだろうが、面倒臭いな……」
同じような場所を攻略した経験から、それほど焦る事はない。
しかし、前回はネグロもいた事で助けられていた部分もあった。
精神的癒しでもあったネグロがいないのは懸念材料だが、またこのキツイ攻略に巻き込まなかった事は良かったかもしれない。
「…………前? 何を言っているんだ?」
この領域の事をまだよく理解していないから俊輔が余裕をかましているのだと思っていたエステバンだったが、聞き捨てならない言葉を聞いて訝しげな表情に変わった。
一度入れば二度と出られないはずの魔の領域。
それを、まるで経験したことがあるような発言をしているのだから仕方がないかもしれない。
「東の方にここと同じような小島があるだろ?」
「…………東の小島? あぁ、確かに……、あそこはエステ様の管轄地域だったような……」
自分の言葉に不思議そうな顔をしているエステバンの疑問に、俊輔は答えてやることにした。
俊輔の言葉を聞いて、エステバンは思考を巡らす。
「……っ!? そう言えば、東の魔の領域の結界が最近消えたと聞いたが……」
エステバンは、直ぐにある事を思い出した。
何かの冗談だと思っていた噂の事だ。
自分たちの主人であるノルテが、独り言のようにこの事を呟いていたと四天王の耳に入って来た。
魔の領域は、自分たち四天王どころか、主人のノルテですら脱出が不可能に思える空間だ。
東西南北に存在している魔の領域には優劣など存在しないが、どこも入ったら最後の領域なのは周知のはずである。
現在全魔族の統括的立場にあるセントロが言うには、この全世界、全種族において最強の存在である魔物のエンシェントドラゴンですら侵入を拒むほどの領域。
そんな場所が攻略されるはずがない。
そのためそんな噂の事など気にも留めていなかったのだが、もしもそれが本当だったとすれば目の前の男の強さと、先程の言葉にも納得できる部分がある。
「まさか……お前が……?」
「その通……りっ!!」
“ズバッ!!”
エステバンがその答えを導き出し、信じがたい気持ちで確認の声を上げた。
その時にはもう、ゆっくり近付いて来ていた俊輔が目の前に辿り着いており、右手の木刀を振り上げた状態だった。
胡坐をかいて見上げた状態のエステバンに、俊輔は答えを返すと同時に右手を振り下ろし、エステバンを一気に袈裟斬りにした。
斬られたエステバンは、上半身を斜めに切り離され、血しぶきを上げながら崩れ落ちて行った。
「経験上、お前ひとりが養分になろうが大した変化は起きない!」
目を開いたまま絶命しているエステバンに対して、俊輔は木刀の血を振り払い、腰に納刀して吐き捨てた。
「さてと、どうしたもんかな……?」
確認のために俊輔が周囲をゆっくり歩いて調べてみると、エステバンに言ったように以前と同じ状況が広がっていた。
薄い膜のようなものは結界となっていて、外へ出ようとするものを拒むように出来ている。
今の俊輔が全力で攻撃をしたとしても、破壊できる気が全くしない。
以前同様の空間に入ってしまったのは確実なようだ。
「ネグロはともかく、京子は大丈夫かな?」
集まっていた魔族の戦力から、京子ではもしかしたら危険だと判断したため村に置いて来たが、また長い期間離れ離れになってしまいそうだ。
従魔契約をしているわけではないので、ネグロが京子に説明を出来るとは思わない。
しかし、ネグロは賢いのである程度の事は身振り手振りで伝えてくれると思う。
出来れば安全のために実家にでも戻っていてくれると有り難いのだが、京子の性格からすると大人しくしていてくれるか分からない。
「せめて連絡でも出来れば良いんだけど……」
連絡を取るにしても最下層まで辿り着かなければ出来もしない。
「ハ~……」
そう思うとまた面倒な気分になって溜息しか出てこない俊輔だった。
◆◆◆◆◆
「こっちで合ってるの?」
俊輔と3人の魔族の戦闘が終わった闇夜の森の中を、一人の女性がダチョウの背に乗って疾走していた。
「ピー!!」
俊輔の従魔のネグロとアスルを伴った京子である。
睡眠中だったため、俊輔の行動を察知するのが遅れた京子は、嫌な予感と共に目が覚め俊輔がいない事に気が付いた。
京子を守るように側にいたネグロに目を向け問いただすと、顔を背けて答えようとしないので、夜中に申し訳ないが、宿屋の店主に頼んで厩舎からアスルを連れ出し森の中へと走り出した。
ネグロもその行為を止めようとしたが、京子が言って止まる性格ではないのは知っているので、自分が何としてでも守れば良いという覚悟と共に、俊輔の魔力が消えた場所へと案内をしていた。
ネグロ自身、突然俊輔の反応が消えた事に焦りを持っていたため、仕方が無かったのかもしれない。
「いくら私が足手纏いだからって置いてけぼりにするなんて……」
大陸に渡ってからの魔族の戦いで、俊輔とネグロが自分より格上な事は京子も理解しているつもりだ。
だが、ここまでの旅行中でも懸命にその差を埋めようと努力してきたつもりだ。
役に立たなくてもちゃんと言ってくれれば大人しく従うが、何も言わずにいなくなった事に幼少期と同じ悲しみを感じていた。
「勝手に居なくなるのは許さないんだから!!」
長年の付き合いからネグロの様子も少しおかしい。
もしかしたら俊輔の身に何かが起きたのかもしれない。
そんな不安を抱えながらも俊輔の姿を探して突き進む京子だった。




