第166話 涙が出るらしい
「いいえ、今回は誘拐ではなく、略取でしょうか。略取の意味が分からないようなら誘拐だと思ってくださればいいですが……」
誘拐は「お菓子あげるよ~」的なやつで、略取は「口をふさいで車に乗せる」的なやつね。本人の意思でついて来させるか脅迫や暴力で無理やりかの違い。
「ご存じですか?未成年者略取・誘拐は、未遂でも逮捕されますよ?」
「なぁ~?何言ってんの?」
「そうだよ、俺たちがいつ、誘拐しようとしたよ?」
話に食いついてきたというよりは、いらだっている。
会話できるだけありがたい。
「身代金目的の略取誘拐については、無期懲役刑……と、重い犯罪ですよ?未遂とはいえ、実刑判決を受け、執行猶予なしで刑務所暮らしの可能性は十分あるでしょうね?」
流石に、刑務所暮らしという言葉にびくっとしたような表情を見せた。
闘争心が少しそがれたようだ。
「はっ、誘拐じゃねえしっ!」
「そうだ、身代金とか、何言ってんだ?」
ちょっと動揺してくれてる?
「証拠は?」
被害者である私のセリフに、男たちの目にクエッションマークが浮かぶ。
「身代金目的の略取誘拐じゃないという証拠はどこにありますか?口だけですよね?証拠にはなりませんよね?」
「なっ、何言ってんだよ、そっちこそ、誘拐しようとした証拠なんてどこにあるっていうんだっ!」
私は、ついと、腕を伸ばし、人差し指で一点をさした。
「監視カメラ、あの角度でしたら映っているのではないでしょうか?私の手首をつかんだ場面。逃げようとした退路をふさいだ場面、腕を引っ張って連れて行こうとした場面」
それぞれ行動を起こした人の顔を見て言った。
「だっ、だからって、誘拐のシーンだなんて誰も……」
「誘拐ではなく明らかに略取です。無理に連れて行こうとするのが略取ですから。それから、最近の防犯カメラの映像は、かなり高精度ですから、口の動きも映っているかもしれませんね。読唇術を使えば、音声がなくてもある程度何を言っているのか分かりますよ?私に対して『高そうな服を着ている』と指摘していますね?つまり、私がお金持ちのお嬢様だと思って略取しようとした。つまり、身代金がたくさん取れると思っていた証拠につながると思いませんか?身代金目的の略取誘拐は、無期懲役。それでも、私を連れていくつもりですか?」
ちっと、男の一人が舌打ちをする。
「行こうぜっ」
と、男が仲間に声をかける。
ふっざけんなっ!
「逃げても無駄ですよ。私は、警察に通報して、被害届を提出します」
行こうぜじゃないよっ。
さんざん田中くんにひどいことしたくせにっ。
許さない、許さない。
時間稼ぎ、そう、そのつもりだった。だけど……。
「逃げられませんよ?監視カメラだけではありません。靴の跡、私の手首に残った皮脂、監視カメラの映像が不鮮明だったとしても、幾らでも証拠はあります。略取されそうになった証拠が……」
「なっ」
男が足を止めてこちらを睨み付けてる。
平気だ。
人の気配がする。通りで誰かが見てくれてる。
もし、これ以上暴力を行おうとしたら、写真なり動画なり取ってネットで拡散してくれるかもしれない。
「未遂でも、逮捕されますからね。刑罰もかけられます。私はお金持ちですから、いい弁護士を何人も付けることができます。言っている意味が分かりますか?」
だから、少し強気に出る。
「脅すつもりかよっ!」
何が脅すつもりだ!
「いいえ、事実を申し上げているまでです。逃げても無駄だという現実と、貴方たちが重犯罪を犯したという事実を」
「だっ、黙れ、ちょっと声かけただけで、何が略取だっ」
言っている言葉は強気な言葉だが、顔が若干青ざめている。
「声を掛けただけ?女性一人を3人で取り囲み、腕をつかんだでしょう?それが、どれほどの恐怖なのか……あなた方には分からないのですか?」
あの時の恐怖を思い出して、涙がこぼれてきた。
「あなた方は、若いころのヤンチャな思い出で済むかもしれませんが、襲われた私は一生の傷になるのですよ?ちょっとの話ではないのですよ?」
「うっ、うるせーっ」
男たちは再び背を向けて立ち去ろうとする。
なおも、私は言葉を浴びせる。
「逃げれば罪は重くなります。いいんですね?身代金目的の未成年略取未遂に、暴行罪……。場合によっては、刑事裁判の他に、民事裁判で慰謝料の請求も行います。優秀な弁護士を何人もつけます。金持ちとしての特権を最大限使わせていただきます」
金の力を振りかざすなんて、私、悪役令嬢そのものだ……。
だけど、でも……。
女性を力で思い通りにしようとしたり、田中くんが抵抗できないのをいいことに暴行したり……。
我慢できなかった。金持ちであることを鼻にかけた悪役令嬢にだって、なってやるっ!
「いくらお金があるからと、警察を買収したり、政府を動かして未成年略取未遂の刑を死刑にしたり、貴方方の大切な人を奪ったり、命を狙ったりと、そのような法を犯すような手段はとりませんからご安心を」
ニッと笑ってやれば、3人ががたがた震えだした。
だから、命は狙わないつぅの。
「もうそれくらいでいいよ、怪我もないし」
回りに人が集まりだしている。
田中くんは、体を動かして、どこも異常がないことを確かめると、私の頭をぽんぽんと叩いた。
「謝ってください。ちゃんと、誠意を見せて謝って!」
3人は、私がそこまで要求していないのに、そろって土下座をした。
「もし、今後、貴方たちが、同じように女性に恐怖を与えていることが分かれば、次はありません。略取誘拐は重罪です。証拠もそろっています」
3人が顔を上げる前に、それだけ言って、歩き出した。
集まっていた人たちも散っていく。早足で歩いて、路地に入る。
「白川、ごめんな、一人にしたばかりに……」
うっ。
うううっ。
「田中くーん、ごめんね、背中、痛かったよね……」
涙が止められなくて、田中くんに抱き着いて泣き出した。
「大丈夫だよ、ありがとうな……」
怖かったよ。
怖かった。
田中くんの人生をめちゃくちゃいんしちゃうんじゃないかって、怖かった。
野球部のこともそうだけど、暴行されて怪我して選手生命が断たれるとか……。
怖かったよ。
「ううん、私こそ……助けてくれて、ありがとう……怖かったよ、あのまま田中くんが……来てくれなかったら……」
そうだ。
男の人の中には、平気で彼女を置いて逃げ出す男だっているんだから……。
田中くんは、3人相手でも、何の迷いもなく駆けつけてくれた。
いつもありがとうございます。
法律を学んでいない璃々亜の思い込みなので、間違いがあってもそのままです。
調べてびっくりしましたが、わいせつ目的の略取誘拐は、身代金目的よりもかなり罪が軽いのです。驚くほど罪が軽いのです。刑務所数年どころか執行猶予付きで刑務所すら入りません。そんな人がうろうろしてたら怖いです。




