壊れた天秤
すみません、ティムが暴れました
野盗の集団の割には統率が取れている、そう女性は思いながら一定の距離を取りつつ翔ける足をそのままにいつの間にか湧いて出たおまけを総評した。
一応と言いたげに整えられた馬車道から離れ気に魔力で感じ取った知り合いの弟子を捕捉し、目測に入らないよう最低限の肉体強化を施し翔ける足が緑色に染められた草原の色を茶色く変えていく。
一歩踏み出すたびに空中に草が舞い踊りスレイヤの走った軌跡を作り彩っていく、草の香りが鼻孔をくすぐるのと同時に視界に入る草原がスレイヤの心を穏やかにさせる。
空を切る中視界の片隅に映る野盗に統率の割に全体の練度が低い事に嫌気がさしスレイヤは空に浮かぶ雲を一瞥して軽く目を伏せた。
まず間違いなく狙われていることはバレている、獲物の追い方、殺意に敵意の隠し方が話にならないとスレイヤは心の中で愚痴を呟くがそれが目くらましとなっているお陰で自身の場所を特定できていないのだろうと思い直し周りに鬱陶し気な目を配り、捉えていた魔力が速度を落とし始めたのを見てスレイヤはそれに合わせ徐々に速度を落とし始め、それを見た周りの野盗も馬の速度を落とす。
馬を使用している時点でSランクが護衛している馬車を襲おうと気持ちが解らないスレイヤを無視して件の馬車から苦笑しながら手に魔操銃を持つ少女が顔を出す。
辺りを見回して降りる少女を見て間合いはちゃんと計れている、満足気に笑みを浮かべてスレイヤは額から落ちる汗を拭おうと左手を持ち上げた瞬間に青い瞳と視線がぶつかる。
瞬間的にスレイヤは右手で剣を掴み豪快に引き抜く、淡いオレンジ色の気を纏わせ周囲の景色が魔力と気の放出により歪む中ティムと貴族の娘が驚いたようにスレイヤの方向に視線を飛ばすがそのことを意識していられる程今のスレイヤに精神的余裕は無い。
前方や後方から纏わりつく幾つもの視線を感じる中困惑したような表情を作る少女から目線を外すことが出来ない、呼吸の頻度が増える。浅く、かと言えば深く、息遣いさえ自分で操ることが出来ない。
一瞬の視線のぶつかり合いだろうと関係が無い、どれほど離れていようと無意味、思わず手を伸ばせば白くか細い喉元に手が届くのではないかという距離に詰められたと錯覚さえした存在感。
今こうして硬直している事がすでに命を投げ出している事に等しい、スレイヤはそう思いながらも全身に図太い鎖を巻かれているように満足に体を動かすことが出来ずその場にただ立ち尽くす、そんなスレイヤを何も知らない野盗は困惑して観察し、その次に馬車に視線を向ける。
(あー………私何か悪い事…してるね、うん)
全身が熱い熱を発するのに対し浮かぶ水玉は何処までも冷たく引きつったような笑みを浮かべるスレイヤは舌をだして頬を伝う自前の水滴を掬い取る。
口を軽く開けて息を深く吸い込み、そのまま尖らせて重苦しく吐いて全身から放出している気を巡らせ、体を硬直状態から無理やり解除させて未だに何が起きたのか解らないと言いたげに二人の間で首を振る少女に目配せを行い右ひざの周りのオレンジ色を濃く、包み込む空間を大きくさせていく。
(―――良し! 逃げよう!!!)
幾ら何でも死ぬと解っている道を走り切れる程今回の襲撃に力を入れていない、スレイヤは瞬時にそう決めると膝の空間にためた力を解き放ち勢いよく後ろに跳躍する。
未だに全身から聞こえる脈を無視して体の向きを後方に向け無理やり体重を足に乗せて着地時に体が硬直することを防ぐ。
そのまま瞬時に左足を前に出し振動で回りの草がスレイヤの胸元まで飛び散る。
オレンジ色がスレイヤの動きに連れ添って虚空を彩り辺りを夕暮れに染めた。
体の前方に当たる風で服の模様とさえ思える程強く付いた草を気にする事すらなくスレイヤはその場を後にする。
「………見逃してくれたみたいね」
「な、何かあったんですか…?」
「貴女ねぇ…何で今のが解らないのよ」
夕暮れの空間が淡く水面に浮かんだ気泡のように名残を残して消えていくのを見て灯里は全身に入っていた力を抜き半眼でクロウベルを見上げた。
何が何だか解らないと言いたげに眉と目じりを下げて口を半開きに敷いているクロウベルに対し腹の中に静かな怒りを抱き、次にティムに向けて視線を鋭く尖らせる。
表面上小さく肩をすくめたがティムはスレイヤが一目散に逃げ出した事に少なからず驚きを隠せず未だに周りに隠れて様子をうかがっている盗賊に向かい気を付けながらもクロウベルに視線を落とす。
向けられた瞳に困惑したように軽く顔を引きつらせて、次いで灯里と交互に視線を向け合う姿にこの場で追及してもはぐらかすか灯里に助けを求められて答えては貰えないだろうと自身の今するべきことを考えるためにティムは一旦頭の中の考えを全て消し去った。
「…で、もう気分は優れたかい?」
「は、はい………そのティムさん」
「何かな?」
「私のせいで大変な目に遭ったみたいで…すみません」
両手を体の前で重ね頭を下げたクロウベルを見てティムは眉間にしわを寄せ、灯里に目配せして反応を待つ。
もはやこの場の決定権はクロウベルにある、しかしその肝心のクロウベルは灯里の指示に従うつもりでいるし灯里はクロウベルの本性を知らない。
ならばここは通常通り灯里の指示に従うのが吉だ、この依頼での自分の立ち位置と振る舞い方を確認して空を見上げる。
最大の障壁となるスレイヤはクロウベルが追っ払ったので仕事は果たしたと言われればそれまでだがクロウベル自身にその自覚が無いのが問題だ。
目線を落として見たくもない淡い金髪を見てティムは無駄にあざといなと思うと同時に自分を睨む灯里に上手く取り入れられたなと右肩を回し周囲に気を配る。
辺りのざわめきが静まりその分敵意が増すのを感じてティムは自身の胸の中にある細い糸が千切れる音を聞いて2人に背を向けて左手で頭をかく。
乾いた破裂音が辺りに鳴り響く。何時抜いたのかすら解らない程速く、ティムを睨んでいた灯里でさえ違和感を覚えない程自然体で、まるで最初から抜いていた様に右手の中に納まっている魔操銃からは静かに紫煙が上がり柔らかい風に揺らされる。
火薬特有の臭みと共に訪れる草の香り、銃口が向いた方向に大きな焼け跡が出来ていて草の焼かれた匂いも風に運ばれて三人を包み込む。
「柄じゃないんだけどなぁ」
「…な、なにがよ」
たった一発、たった一発の弾丸で灯里でさえも確認できる程の範囲を焼け野原にする腕前に灯里は生唾を飲み込む。
同時に明らかに植物や土とは別の何かが焼けた匂いに灯里は口元に左手を運ぶ、話では聞いていたし覚悟もしていた、だが実際に人の死に直面して灯里の中にある貴族としての誇りにヒビが入る。
「本気でやるのがさ」
「ふ、ふざけないで!!! 貴女を雇うのにどれだけのお金を払ったと思っているのよ!!!」
「ああ違う違う、彼らの様な人たちを相手に本気を出すのがって言う意味だよ」
敬語を使っていない事に灯里は憤りを感じ口調が荒れるがティムはもうすでにこの状況に嫌気が出始めていて取り繕うつもりがない。
見たくもない劇を無理やり見せられて、周りが面白い、面白いと絶賛するのに乗じて拍手を行わなければいけない、それが丸一日も続く。
ふざけるな、我慢の限界というのが自分にもある、半日近く付き合ってこの上まだ道化を演じこの不出来な誰も望まない茶番をもてはやさなければいけないのか。
言うならばこれは腹いせ、立場の差に関わらず今この場で胸の内をクロウベルにぶつけたらどうなるかが解らないのでギリギリの所でティムはその当たる相手をなんら非のない幼気な少女と周りにいる観客向けて当たり散らす。
これは最低な劇だ、クロウベルが一人悪趣味な愉悦を感じる事だけを目的とされた物でクロウベルが脚本を書いてクロウベルが役者を演じクロウベルが舞台を作った、唯の自己満足の塊にすぎない。
舌打ちを鳴らして怒号が飛び交う周りに向かい目もくれずに右手の魔装銃の引き金を引く。
「リティ、色々と疲れたから一つだけ言っておくよ」
「えっ…? て、ティムさん………?」
「後ろは好きにしてくれ」
顔を下に向けて左手でゆっくりとタバコを掴み口元に加えるとティムは何事かを呟き魔法を唱えると口元に火の玉を浮かべ火をつけた。
口元から揺れる灰色の薄い塊が後ろに流れていき口元を抑えている灯里がえずいてすかさずクロウベルが灯里を抱き寄せてその場を離れる。
先ほどまで調子が悪いと訴えていた少女が突然豹変した事に驚き薄い茶色の瞳を瞬かせてティムの突然の豹変と照らし合わせようやく自分が騙されていたことに気づく。
灯里は目尻を釣り上げてクロウベルの小さな耳に口元を寄せて大きく口を開く、風下から離れたことでタバコの煙を吸わずに済むんでえずくことなく無事に灯里は言葉をぶつけることが出来た。
「リティ! 貴女達私を騙したわね!? 心配したのに! 恩を仇で返すだなんて信じられない!!!」
「すみませんアカリ様! でもこうしないと…ティムさん!!!」
「怒鳴らなくても聞こえるよ」
「本当に好きにしても良いんですね?」
抱き寄せた灯里を馬車に向かい運ぶリティは後ろのティムにそう聞き返す、辺り一面から聞こえる叫び声に鉄の匂いが運び込まれる中ティムは何処も見ずに虚空を眺めて何故か晴れやかな気持ちでいる自分に驚きつつ口元に柔らかい笑みを作った。
自然とした笑みで、何時もの作り笑いではない表情に誰にも見られていないのが惜しいと思わせる年相応の少女の顔で軽く返した。
「ああ、そりゃあもう、何ならそこで昼寝でもしていてくれても良いよ」
「………あまり笑わせないでくださいよ」
「はははははは!!! それはごめんね!」
思いを押し殺した低い声で呟いたクロウベルについティムは大声で笑いながら返してしまった。
咥えたタバコを落とさないように唇で優しく噛み、左手で腹を抱えて体全体を震わせながらも銃身の位置を変えず寸分たがわず盗賊たちのいる位置に銃弾を放つ腕はまさにSランクの地位にふさわしい絶技。
あのクロウベルを馬鹿にして我慢させているという事実があまりにも愉快でたまらない、ティムは一頻り笑い声を上げ続けるとしゃっくりを起こしながらもなんとか笑い転げる醜態を収めることが出来るようになった。
もうティムを止める物は無い、一度壊れた天秤はそう簡単には戻らない。
「ふぅー…最悪だ、こんなの鴨撃ちじゃないか………なのにこんなに気持ちが良いのが本当に最悪だ………弱い者虐めを楽しんでいるだなんて屑も良い所だって言うのに」
虐めではなくとも仕事に愉悦を感じる事を良しとしないティムは自分のタガが外れて壊れた事を誰よりも自覚していた。
もしも自分を知る者が今の惨劇を見たらどう思うか、少なくとも自身の師に知られたならば額に穴が開きかねないと自嘲して頬を釣り上げた。
灰色の吐息を漏らしていると馬の翔ける音が聞こえそちらに銃口を向けて発砲する、嫌に無造作で不出来な射撃、しかしそれはティムと同レベルの実力があったら思う感想である。
盗賊からしてみたらいつ飛んでくるのか解らない魔弾であり、物体に接触した瞬間魔道が発動する爆弾が高速で接近しているのだ、恐怖以外の何物でもなかった。