猫とは狩人なり
馬車の中で体を揺らすこと数時間、クロウベルの目線よりも少しばかり高い位置にある窓枠から外に広がる空を見上げて遠くを見つめる。
ガラス越しに降り注ぐ日光が薄い金髪に縋りつく様に合わさり灯里が明けた窓枠から入る風で結んだ細い髪が靡く。
流し目で視界に入れたティムは黙っていれば、というより装っていれば十分ご令嬢で通る姿に目線を切って自分と同じようにクロウベルをつまらなさそうに目を細めて見つめる灯里に視線を戻す。
どちらに対しても絶対に悟らせるわけにはいかないがティムはどちらが貴族の娘かと聞かれればクロウベルを上げるだろうと心の中で静かに決定を下す。
身にまとう服装は明らかに灯里の方が豪華でありクロウベルの身に着けている服装はお世辞にも値の張るものだとは言い難い。
化粧や小物にしても灯里は子どもとは言え最低限揃えている、顔に小道具を使用してはいないが花の香りがする香水を身にまとっているし首元には丸く赤い宝玉を同じように銀色の装飾品であしらったペンダントを下げている、対してクロウベルは以前本人が言った通り何も目移りするものを体に身に着けていない。
しかし、それでも醸し出す雰囲気が灯里とは明らかに異質である。ティムから見て灯里は良くも悪くも貴族の娘、これでもまだ出来は良い方だろうと思い無礼に思われない程度に全身にスッと柔らかい目線を配る。
公爵家の娘であると認められる程度には教養が伺える、先ほどのクロウベルの所作一つで貴族だと悟れるのは流石の一言、この年代の子どもの何割に同じことが出来るのか。
一方でクロウベルを称するならば窓枠のお嬢様だろうと擬態しているクロウベルに目線を再度向けた。
視線に気づいたクロウベルは困ったように苦笑いしティムに向けて微笑み、灯里に目線を配って灯里がクロウベルからつまらなさそうに目線を切った所で再度小さな窓枠から外を眺め始める。
あくまでも擬態しているのならばに尽きるが、その姿は病弱な貴族の娘が窓枠から下を見つめていてそれを見上げた人物に自分を照らし合わせる雰囲気を持っていた。
(本性は獣も良い所なんだけどね………)
どれだけの修羅場を潜ればああも綺麗に猫を被れるのか、ティムはそう思い口寂しさにタバコの味を脳内に浮かべて苦笑を浮かべる。
灯里がつまらなさそうにしている理由もティムには解る、明らかに貴族として負けているのにその文句を言う相手が少し打てばそのまま泣きそうな雰囲気を持っていたら何も言えなくなるものだ。
振動で体が揺れて白いソファーの角にぶつかるとクロウベルはわざとらしく体を崩して窓の近くに体をぶつけ右肩を左手で摩る。
瞬時に灯里は顔色を変えてクロウベルに向かい困惑したように口を開く。
「ち、ちょっと大丈夫? なんならもう少し遅く走らせるけど………」
「大丈夫です! 私こう見えても結構頑丈なんですよ!」
「とてもそうは見えないんだけど…」
弱弱しく顔を引きつらせて健気にそう言葉を放つクロウベルに灯里は顔を顰め席を立とうとしたのでティムが阻止するように言葉を投げかけようとする、だがクロウベルがティムに右の眉を少し釣り上げ意味ありげな態度を出したためそのまま行動に移さず灯里を馬車の先頭に見送る。
白いカーテンのようになっている布を手で押し退けて視界から消えた所でクロウベルは先程まで装っていた雰囲気を脱ぎ捨て瞳を爛々と青く輝かせて白い歯を小さな口元から零す。
「さてティム、仕事の話だが私はどれ程動ける? 前線に出る役は譲ったがまさかずっと後ろに下がっていろとは言うまい」
「譲ったって…君が反論する機会を潰したんじゃないか」
「ん? 私が前に出ても良かったのか? そうなった場合私一人で済んでしまうのだが」
あっけにとられたように目を丸くしてそう聞き返すクロウベルにその意図があるなら手加減をしろと叫びたくなる思いを胸の中に仕舞い表面上は柔らかく微笑んで返す言葉を頭の中で整理する。
話の内容からしてクロウベルは既に自分たちを襲う敵に気が付いているとティムは推測した、こちらにふてくされたような目線を送る化物に口元を釣り上げて言葉を放つ。
「無駄な事は聞きたくないんだ、何時から敵に気が付いていたんだい?」
「二時間ほど前に敵意を感じた、敵はスレイヤだけではなくこのあたりの野盗もだ、恐らくスレイヤに便乗―」
「そこまで、君の悪い癖だよリティ…僕たちの仕事は推理じゃなくて護衛だ、そうだろう?」
「クックック…確かにその通りだ」
口元を歪にゆがめて瞳の輝きが増すクロウベルに対しティムは思わず顔を右手で覆った。
瞳の色が濃くなるだけならばまだ我慢できる、しかし明らかに体の熱を熱く滾らせ始めているクロウベルにストレスを感じながらどう勇めようか考えひとまずクロウベルの意見を聞こうとティムは口を開いた。
「君としてはどうしたいのかを聞こうか」
「可能ならばこのまま荷台から飛び降りたいな」
「却下、それは護衛じゃなくて殺戮になる」
「解っている、前に出るのは貴様に任せたことを忘れてはいない」
風と道を走る振動で揺れる薄い布越しに聞こえる会話がそろそろ切り時を迎えようとしている、会話の流れからそう機敏に感じ取ったティムはまだ軽口を続けようとしているクロウベルに対しこの後どうするのかを単刀直入に聞く。
「君がこの後何をするのかを聞かせて欲しい」
「馬車を止めて出迎えようと思っているが、どうだ?」
「………なるべく穏便な手で頼むよ」
ティムが不承ながらも了承すると済んだクロウベルは爛々とした瞳を愉快そうに歪め、青い三日月を作ると全身から闘志を放つクロウベルをなるべく無視しつつ自身に言い聞かせる。今の選択は最良だったのだと。
上機嫌なクロウベルを見て以前ジクスに対し自分が以下に迷惑をかけたのかを知り遠い場にいる男性に自責の念を抱くが次に同じように見捨てられたことを思い出してすぐさまその思いを取り消す。
クロウベルが言う事に一理あると思えてしまうのも軽く憤りを感じてしまう、無防備な走っている馬車に奇襲をされるよりは馬車から降りて陣形を取り辺りを警戒できる方がマシではある。
クロウベルならば奇襲を受けても問題なく対処できるだろうと思うと同時にこれは自分に対する気遣いでもあると察する。
昨日の会話で自分はクロウベルに対し自分も活躍しなくてはいけないと半分ほど言い訳を残して放置している、つまりこれはティムに仕事をこなす機会をクロウベルが与えているに過ぎない。
体から醸し出していた闘志をすぐさま消し去り目じりを下げ、頬から血の気を無くし白色になった顔を見て何を企んでいるのか解らずティムは瞳を瞑り天に祈りながら腕を組み左手の人差し指で右腕の二の腕辺りを優しく一定のリズムで叩き始める。
白く柔らかいと見た目で感触まで伝えてくる布を捲り灯里が顔を出したのを見てクロウベルは顔中に安堵感を表して震えた声で小さく嘯く。
「あ、アカリ様………すみません、その…」
「調子が悪いのね? 酔ったの?」
「本当にすみません…出来たら馬車を止めて少し休憩したいんですが………」
「………ふぅ、仕方ないわね適当な所で止めてもらうように頼んでくるわ」
血の気を抜いた顔で焦点の合わない瞳を見て無理をさせられないと灯里は再度来た道を引き返し、その瞬間クロウベルはティムに向けて頬を釣り上げて見せた。
つくづく顔つきに似合わない笑い方が似合う、ティムは内心そう毒づいて呆れがちにクロウベルから目線を切った。
多分次はリティ(クロウベル)のカッコいい所来ます。