第64話―ブラックペッパー―
比嘉の目前で、数秒と経たずに隊員達の体が粉々に吹き飛んだ。
内臓や脳漿が飛び散り、比嘉の纏う制服にへばりつく。幸か不幸か、闇夜の中ではその無惨な肉片を確認することは出来ない。
「あ……うっ……」
比嘉は目を見開き、その場で膝をつくと、絶句したまま固まった。
その背後にいた残りの隊員達も、茫然自失となり微動だに出来ない。
「や、野郎……何しやがった」
右足を襲う強烈な痛みの中、増山は周囲の空気が変わったのを感じていた。
何かが喪われていく感覚。
静まりかえったビルの谷間に、言い様のない喪失感を覚える。
「うっ!?」
突如として痛みが和らぐ。増山には少なくともそう感じられた。
ヘルメットに搭載された暗視カメラの映像が、目前の少年の表情を白昼のごとく鮮明に捉えている。
苦痛に歪む顔。
先ほどまでの余裕に満ちた表情とはうってかわり、イーサンの眉間には皺が刻まれていた。
挙げた片手をゆっくりと下ろし、自らの鼻の下を拭う。
「ふふっ、さすがに力を使い過ぎかな」
拭いさった上唇と頬に、赤い染みが掠れて見えた。さらに、鼻血が顎まで一筋伝っていく。
「ぐっ!」
見えない何かで絡めとられていた増山の右足に加わる力が、瞬間、消えた。
そのまま落下すると、地面に仰向けに倒れた。
右足の苦痛に顔を歪めたまま、増山は一瞬で後方へ跳躍する。
(野郎の力が消えた?)
痛みから解放され、思考すらままならない窮地を脱す。
一度着地すると、更に後方へと飛ぶ。
ビルの谷間へ身を滑り込ませた。
「おじさん、必死だね」
イーサンは暗闇の中でほくそ笑むと、ゆっくりと地へ降り立った。鼻血は止まらず、華奢な細い腕は顔面へ押し付けたまま。
「この能力を使うと、いつもみたいに他のキャラは出せないんだよね。向こうの僕に負担がかかり過ぎるから」
白い歯を剥くと、誰にでもなく言い放つ。ゆっくりと歩み出し、増山が消えたビルの谷間へ向け進み始めた。
「他のキャラ?」
研究所の三国の顔には、困惑した色が浮かぶ。
「増山さん、逃げて!」
小見は屋上で起きた惨事を感じとったのか、顔面蒼白で叫んだ。
「なんだか分からねぇが、ヤバいってことか」
得体の知れない不可思議な力に、増山も動揺を隠せない。
(空手や剣術でどうにかなる相手じゃねぇ)
ビルの谷間の湿った空気が、装甲服越しにも感じられる気がする程、増山の五感は研ぎ澄まされていた。
上方を見上げる。その場で膝を折ると、一気に跳躍した。ビルとビルの間、その壁面を蹴りながら、ジグザグにかけ上がって行く。その姿は木から木へと飛び移る猿に見えた。右足に鈍痛が走るが、意に介す余裕はない。
一分と経たず、増山はビルの屋上へとたどり着いた。
(逃げるしかねーのか)
どこか他人事のように心中で呟く。
「うっ!?」
その視線の先。
「おじさん、また屋上だね。さっきの軍隊っぽい人達も、屋上大好きだったんだよね」
ふわりと暗闇の中から現れた姿。
──イーサンだった。
「ガキぃ……」
増山はその場で片膝をつきながら、狼狽した。
「おじさん、観念しなよ。もう逃げられないって」
音もなく屋上に降り立つと、再び笑みを作る。
先ほどまでの苦悶に満ちた表情はない。
「……どうかな?……」
増山は呟くと、全身の力を右腕に集中した。
瞬きの間に、拳を床に叩きこむ。
「!?」
唐突な増山の動きに、イーサンは眉を潜めた。
「なんのつもり?」
自らにではなく、足元のコンクリート目掛け拳を放った増山の思惑が理解出来ない。
強化装甲服のパワーを全開にして打ち込んだ拳は、易々とコンクリートを貫き、轟音と共に大小の破片と粉塵を撒き散らす。
「目眩ましのつもり?おじさん!」
イーサンは両手を前面に掲げ、力を解放し、一瞬でその破片を吹き飛ばした。
瞬間。
「うっ!?」
背後に気配を感じ、イーサンは首を反した。
「不意討ち、その2ぃー!!」
場違いな程、やたらに明るい声が闇夜に響く。
それと同時にイーサンの目の前に投げこまれた物体。
瞬時にイーサンは力を発動し、その何かを防いだ。
それは、小瓶であり袋だった。
イーサンの眼前で、その全てが破壊され、粉々に砕け散る。
──見えない壁に叩きつけられたかのごとく。
「お兄ちゃん、相変わらず卑怯者だね!!でも、何度もその手は食わない……っ!?」
背後から現れたのは木下だった。
主人公とは思えない程に無様な腹痛から復活し、増山の窮地に加勢に入った。
「これは……!!」
両目を閉じ、絶句するイーサン。
木下の手から放たれたのは、無人と化したコンビニから持ち出した胡椒だった。
数分前、屋上から撃ちこまれた弾丸を静止させた力と同じく、空中でそれら胡椒の入った小瓶や詰め替え用の袋をイーサンは眼前で止めて見せた。
その衝撃で容器は破裂し、ぶちまけられる内容物。
細かな粉塵となり、胡椒は空中を舞う。
イーサンの力で作り出した見えない壁をすり抜け、その微細な胡椒の粒子が、少年のつぶらな瞳を襲った。
「あーっ!!クッソー!!」
咆哮するイーサン。波打つ声は絶叫に近い。
「はぁっ!!」
間髪入れず、気合いを発しながら増山が動く。
右足の痛みをこらえながら、地を蹴り、正拳突きを放った。




