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第52話―夕陽、跳躍―

 夕焼けに滲み、午前中までの雨が嘘のように晴れ渡った空。その景色の中で、ビルの群れに落ちかけた赤い球体を背に、急接近する影がある。

(ちぃっ、逆光で)

 光学スコープに突き刺さる西日の輝きが、西島の右目の網膜をジリジリと焼いた。肩口で押さえ込んだ無骨な銃床が、数度に渡る発砲で鎖骨の端に捻り込まれ、鈍い痛みで疼く。

 だが、そんな痛みなど気にする余裕もない程に、例えようのない圧力プレッシャーが迫っていた。

「比嘉さん!ダメです!奴が夕陽の中にいるせいで狙撃出来ない!」

『西島!お前もRPGを使え!後は手筈通りに!......各チーム!弾頭を通常弾に変えて、ありったけ撃ち込め!俺達には当てるなよ!』

『乙チーム了解!』

『こちら丙チーム!仰角がキツすぎて狙撃は不可能!地上からサポートします!』

 1キロ以上離れた他の高層ビルに配置された各チームからの報告は、比嘉の耳にかろうじて届いてはいたが、目前に迫る圧倒的脅威に、意識はどこかぼんやりと霞んでいた。

「比嘉さん!」

 上司の見せたどこか虚ろな表情に、西島は装着していたヘッドフォンを荒々しく外して投げると、声を張りながら自らも心中に抱く恐怖を振り払う。そして、スナイパーライフルから手を放し駆け出す。数秒とかからず、給水塔脇に置いてあったRPGを抱えて肩に担ぎ、膝をついた。

「西島!お前も気合い入れろ!」

 我に還った比嘉は、ギラギラとした殺気を瞳に宿し、自らも射撃体勢に入る。

「はいっ!」

 謎の敵が発する飛行音が空気を震わす。 

 ビルの外壁すれすれを舐めながら急上昇すると、轟音と共に屋上へ着地した。

 その瞬間。

 西島と比嘉の構えるRPGの砲身が火を噴いた。

 打ち上げ花火に似た、空気を燃焼する発火音。

 弾頭が勢いよく放たれ、白煙の軌跡を描きながら僅かに蛇行し、目掛け走り出す。着地のタイミングを完璧に捉えていた。 

 巨大な両足が踏みつけた衝撃で、屋上のコンクリートが陥没し、粉々になり舞い上がる破片。

 その噴煙と残骸を裂きながら、二発の砲弾が巨大な黒い体に直撃した。

 刮目する比嘉と西島。

 10メートル足らずの目前で爆炎が放出し、思わず両者共に目を背けながら両の腕で顔面を覆う。

(この距離で直撃させりゃ、いくらなんでも......)

 先刻のスナイパーライフルでの狙撃と比較し、確かな手応えを感じた西島の口元に薄ら笑いが浮かぶ。

 長距離射撃とは違い、近距離。

 当然攻撃力は比較にならない。

 そして、戦車タンクの装甲すら貫く破壊力を有するRPGに、絶大なる信頼を寄せていた。

 だが。

「──冗談だろ」

 笑顔が、歪んだ。

 風が、強い。

 超高層ビルの屋上には不規則な乱気流が巻き起こり、破砕されたコンクリートの粉塵とRPGの直撃により巻き上がった炎が渦を巻きながら倒していく。

 その隙間から垣間見えたのは──。

「無傷……」

 西島には聞こえない程のか細い声を発し、狼狽する比嘉。

 視界の中で直立する巨大なつや消した黒いボディは、コンクリートの粉塵を浴びて所々白んではいるが、損傷らしきものは皆無。

 炎にいぶられながらも、文字通り五体満足だった。

 自分以上に放心状態の西島の顔に一瞥をくれると、比嘉は立ち上がる。

「西島!走れ!」

「……あっ、は、はい!」

 互いに顔を見合せ、ゴミのごとくRPGを放り投げると、全速力で駆け出す。

 鈍い音を立てて転がる砲身を背に、給水塔の両脇を抜けた。

 その背後には、至近距離からの攻撃で爆炎にその身を晒す巨大な敵の姿が。

 ゆっくりと、悠然と一歩を踏み出し、西島と比嘉の後を追う。

「なんとなく予想はしてましたが!」

 必死の形相で走る西島が苦々しい表情で言葉を吐いた。

「黙って走れ!」

 並走する比嘉も、ゴリラを彷彿とするワイルドな形相で息も荒く地を蹴る。

 両者の視界が左右に振れ、自らの呼吸と心音が頭蓋の中で反響していく。

 夢──では無い。

 膝が笑う。

(俺もこの手だけは使いたく無かったよ)

 声には出さず、心中で呻く比嘉。

 二人が目指す先。屋上の端のへり、その僅かな壁面にペイントされた赤いバツ印。

 勢いはそのままに、野球選手さながらにスライディングした。

 地面には外壁から植物のように伸びた二本の牽引ロープが。

 伸縮性のあるロープの尖端には、フックがついている。

 それぞれそのフックを手にすると、息つく間もなく制服のベルトに装着していたカラビナにかけた。

 カチリとした金属音と共に立ち上がり、後方に送る視線。

 はゆっくりと歩みを進めている。

 刹那、遥か遠方で銃声が響いた。その僅か数秒後に続いたのは、鐘を打ち鳴らしたのかと錯覚させる金属の打音。

 ゆっくりと前進していた敵の巨体が、激しく右斜め前方へぐらつく。

 “乙チーム”からの狙撃がヒットしたのだ。

 しかし、僅かに歩みを緩めた程度で、再び動き出す。

「足止めにもならねぇ……西島ぁ!いいかぁ!?」

 よろめく巨体に一瞥をくれると、比嘉は腹の底から声を絞り出す。

「はい!!」

 下方から吹き上がる強風が互いの声を飲み込む。

 掻き消されそうになる声を強く張り、視線を交錯させた。

 1メートル程はある縁の上に飛び乗り、息を吸い込む。

 見下ろせば、目眩が襲う高度。

 雑然とした大小様々なビルや住宅がジオラマ模型に見えた。

 その隙間を縫う歩道や道路には、米粒程の群衆の影。

「うおぉっ!」

 恐怖心を掻き消す、比嘉の獣じみた咆哮。

 西島は口を真一文字にしながら、眉を八の字に下げる。

 感情をコントロールする術は学んだ筈だったが、この現状は異質にしか思えない。悪夢のごとく、常軌を逸していた。

 背後には正体不明の敵。

 眼下は奈落。

 そして──翔んだ。

 夕陽は落ちかけ、二人の影を屋上の地面に細く長く落とし、消えた。

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