第45話―ユーツベにアップしたかった―
「大河君。私のこと、好き?」
穏やかなファンヒーターの排気音。そして、秒針が刻む規則的な掛け時計の音。その二つだけが、部屋の中の静けさをノイジーに支配していた。
ベッドの中で美嶺が発した言葉を聞いた木下は、仰向けになり、視線を暗い天井へ移す。
「好きだよ」
木下の返事は呟きに近く、その声は虚ろで、心がない。
(──いつかどこかで、こんなやり取りをした)
木下の記憶のどこか。思い出そうと瞼を閉じるが、それがなんの意味も持たないことに気づくと、ゆっくりと首を反し、美嶺の顔を覗きこむ。
暗闇の中では、女の表情を伺えない。
「大河君は、本当に人を好きになることなんて、出来ないのかもね」
そう囁く口元が、布団の端に擦れ、微かな音を立てた。
「どうしてそんなこと言うの?」
問いただす木下の声に力はなく、美嶺の言葉に再び記憶を手繰り寄せる。
(まただ、また)
次第に慣れていく暗い視界の中で、美嶺の顔に浮かぶ微笑み。
瞳に妖しい光が宿って見えた。
(なんだか気味が悪い)
「美嶺さん?」
突如として闇が濃くなり、目眩が襲う。
女の部屋の優しい匂い。
夢。
一際暗くなっていく世界。
光が、降ってきた。
『──河、大河』
(えっ?)
全身に走る鈍痛。
遠くから聞こえる懐かしい声。
「美嶺さん!!」
布団をはね除け、体を起こす。
「あれ?」
ぼんやりとした視界は、白一色だった。
次第に明瞭になっていく意識と視力。
「起きたか?うなされてたが、嫌な夢でも見たのか?」
増山の落ち着いた声色が、左耳から脳内へ浸透していく。
「増山さん?ここは?あいつ、金髪の子供は?」
見渡すと、ここが病院の一室だと気づく。正常な感覚を取り戻す嗅覚。微かな消毒液の匂いが、ぼんやりとした意識を刺激した。
「さぁな、俺も目が覚めたばかりで、状況がさっぱりわからないんだ」
決して広くはない病室にはベッドが二つ並び、隣合わせて横になっていた木下と増山は、互いに困惑した表情のまま視線を交錯させる。
どれ程の時間が経過したのか。
薄れ行く意識の中で、木下が最後に見たのは目映い閃光。
それ以降の記憶は皆無だ。
ふと、病室のドアが唐突に開く。男が一人、ドカドカとブーツの音を響かせながら部屋の中へ入ってきた。
「目が覚めたか?」
上下グレーの制服に身を包んだ男は、口の回りに生えた黒々とした無精髭に触れながら、部屋の隅にあったパイプ椅子をもう片方の手で引っ張ると、ゆっくりと腰を沈めた。
一際目を引く大きな団子っ鼻に浅黒い肌。
年の頃は増山より上だろう。四十は越えて見える。
南国の漁師を彷彿とする風貌。頑強そうな体つきからは、ただならぬ気配が滲み、一重の腫れぼったい瞼から覗く、ギラギラと獣じみた鋭い眼光。
「あんた誰だ?」
突然の訪問者に、増山は慌てるでもなく、相変わらずのバリトンボイスを発した。
「お互いわからないことだらけだよな。公安の比嘉だ。よろしく」
「コーアン?」
比嘉と名乗った男と増山の間で、ひっくり返った声を上げる木下。
未だ完全に覚醒していないのか、惚けた表情で男の顔を伺う。
「あぁ、公安。まぁ、そんなことより、“あれ”は一体なんなんだ?」
相変わらず髯をゾリゾリと指先で撫でつけると、男は一層鋭い視線を増山へ向けた。
目の前に現れた男の五分刈り頭と太い眉毛を見つめ、(こいつ剛毛だな)と、どうでもいいことに思いを巡らせていた増山は、核心をつく質問に表情を幾分強張らす。
「“あれ”ってーと、あの怪物のことか?」
「あぁ、そうだ」
比嘉は椅子の背もたれに背中を預けると、首を斜めにしながら軽く頷く。
「あの金髪の化け物については、正直俺も何一つ知らん。で、俺と木下はなんでこんなとこにいるんだ?金髪の化け物は?」
「うちのチームが撃退した。まぁ、逃げられたんだがね。君達を救出したのも俺達さ」
「逃げられた?」
比嘉の言葉に、奇妙な感慨に捕らわれる増山。心のどこかで生まれた、あの怪物を自らの手で葬りたいという欲求。
それは、強者との死闘の中でのみ得られる、生への充足感に他ならない。
沸々と煮えたぎる闘志が、命の駆け引きの中でしか感じえない圧倒的興奮を望む。
いつの間にか増山は、得体のしれない敵との戦いに魅了され、再戦の機会を渇望していた。
「あぁ、あれだけの傷を負い、尚且つ蜂の巣にされたのに、黒い渦の中に消えてった。未だにこの目で見たことが信じられんよ」
「そっか。完全にやっつけたと思ったんだけどね。体半分千切れてたのに、なんで生きてられるんだろ?でも、あのカメハ○波は凄かったなぁ。動画撮ってユーツベにアップしたかった」
「ユーツベ?」
木下の言葉に、目を丸くする比嘉。
「そうそう、ユーツベ」
端正な眉にかかる前髪を指先で除けると、木下はケラケラと笑う。
女性的な、柔らかい笑み。
想像を絶する怪物と死闘を演じた男とは、到底思えなかった。




