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批判と偏見は違う――娯楽を一括りに否定していないか?

作者: 水源
掲載日:2026/11/05

「なろう系なんて、どれも同じような話ばかりだ」「文章がひどい作品ばかりだ」


 小説家になろうなどのWeb小説について、こんな意見を見かけることがある。


 もちろん、実際に似たような展開を繰り返す作品もあれば、文章や構成に問題のある作品もある。そうした作品を批判すること自体は、何もおかしくない。


 ただ、個々の作品に問題があることと、ジャンル全体を否定することは別の話ではないだろうか。


 そもそも、なろう系に興味がない人が、わざわざ作品を読んで面白さを確かめるとは限らない。評判や目立つ作品の印象だけで「どれも同じ」「読む価値がない」と決めつけてしまうこともあるだろう。


 自分が興味を持てないことと、その娯楽に価値がないことは同じではない。自分には面白さが分からなくても、誰かにとっては楽しみであり、大切な時間を過ごすためのものかもしれない。


 考えてみれば、漫画やアニメ、ゲーム、小説、映画など、さまざまな娯楽が、時代によって異なる批判や評価を受けてきた。そこには実際に問題のある作品もあれば、作品の面白さや価値が十分に理解されないまま、ジャンル全体を低く見られてきた例もある。


 今回は、そうした事例を振り返りながら、娯楽への批判と偏見の違いについて考えてみたい。


 ## 漫画は子供に悪影響を与えるものだった


 今では漫画は幅広い世代に親しまれ、文化の一つとして認められている。しかし、昔からそうだったわけではない。


 戦後には、漫画を子供に悪影響を与えるものと見なし、排除しようとする動きがあった。手塚治虫のような漫画家が活躍し、漫画という表現の可能性を広げていった一方で、漫画そのものを低俗なものと考える人たちもいたのである。


 また、永井豪の『ハレンチ学園』は、性的な冗談や表現をめぐって、PTAや教育関係者などから強い批判を受けた。


 もちろん、子供が読む作品の表現について考えること自体は、何もおかしくない。年齢に合った表現なのか、どのような影響があり得るのかを議論することには意味がある。


 しかし、漫画には子供向けの作品もあれば、大人向けの作品もある。笑いを目的とした作品もあれば、社会問題や人間の生き方を描く作品もある。特定の作品や表現への批判を、そのまま漫画という媒体全体の評価に結びつけてしまえば、こうした違いが見えなくなってしまう。


 ## お色気系アニメへの批判


 アニメでも、特にお色気表現を含む作品が保護者などから批判を受けた事例がある。


 その一つが、1981年から1983年にかけて放送された『まいっちんぐマチコ先生』だ。


 スカートめくりやパンチラなどのお色気描写が作品の特徴となっており、PTAや保護者から苦情が寄せられた。京都では抗議する会が結成され、作品に関連した抗議活動も行われた。


 批判の中心となったのは、アニメという媒体そのものというより、作品に含まれる性的な表現だった。


 子供が見る可能性のある時間帯に、どのような内容の番組を放送するべきなのか。そうした議論には、考えるべき点もあるだろう。一方、作品を楽しむ側にとっては、ギャグとしての面白さやキャラクターの魅力など、別の評価基準もある。


 保護者が子供への影響を心配することと、作品を楽しんでいる人がその面白さを評価することは、必ずしも同じではない。どちらの視点も存在することを踏まえず、一方の評価だけで作品の価値を決めてしまえば、判断は偏ったものになりかねない。


 ## ゲームもまた、問題視されてきた


 漫画やアニメだけではない。ゲームもまた、長い間、さまざまな批判を受けてきた。


 ゲームセンターと聞くと、昔は不良が集まる場所というイメージを持つ人もいた。実際、店内の様子が外から見えにくい店舗や、非行やトラブルが起きる場所もあった。未成年者の利用や店内の環境について、規制や対策が必要だったことも確かだ。


 一方で、ゲームセンター以外にも、駄菓子屋や喫茶店、旅館、デパートの屋上など、さまざまな場所にゲーム機が置かれていた。ゲームを楽しむ場所が、すべて非行と結びついていたわけではない。


 家庭用ゲームにも、別の問題があった。


 ファミコンが普及し、『ドラゴンクエスト』のような人気作品が登場すると、子供たちがゲームに夢中になった。宿題をしない、夜遅くまで遊んでいる、ゲームばかりでほかのことをしなくなる。そうした問題が心配されたのも無理はない。


 実際、ゲームに時間を使いすぎて、睡眠や勉強などに支障が出ることはある。だからといって、ゲームを遊ぶことそのものが悪いわけではないし、ゲームが好きな子供がみんな勉強をしなくなるわけでもない。


 ゲームセンターで起きるトラブルと、家庭でゲームに熱中しすぎる問題は、本来は別の話である。それでも、どちらも「ゲームは子供に悪影響を与える」という大きな括りで語られてしまうことがあった。


 ## 事件や問題が、娯楽全体への評価につながる


 娯楽への批判を考えるうえで、1989年の宮崎勤事件も避けて通れない。


 この事件では、犯人が漫画やアニメ、ビデオなどを好んでいたことが大きく取り上げられた。その結果、オタクと呼ばれる人々や、漫画・アニメを好む人々に対する否定的な見方が広がる一因となった。


 しかし、ある犯罪者が特定の娯楽を好んでいたという事実と、その娯楽が犯罪を引き起こしたという主張は同じではない。本人が何を好んでいたかを調べることと、同じ趣味を持つ人たちまで危険な存在と見なすことは、明確に区別しなければならない。


 その後、漫画の性的な表現などをめぐって、有害コミック騒動が起きた。漫画の表現と子供への影響が社会的な問題として取り上げられ、作品の流通や販売にも影響が及んだ。


 ただし、こうした動きを宮崎勤事件だけが原因だったと考えるのも適切ではない。漫画の性的な表現をめぐる議論には、それ以前からの問題意識や、子供を守るという観点からの批判もあった。


 重要なのは、特定の事件や作品をめぐる問題があったことと、それに関係する娯楽や、その娯楽を楽しむ人たち全体を否定することは別だという点である。


 ## SFやB級映画も、同じように見られてきた


 娯楽への偏見は、子供への悪影響を心配する批判だけではない。作品の内容や、ジャンルそのものの格付けという形で表れることもある。


 例えば、SFは長い間、文学としての価値を低く見られることがあった。日本でも、SF的な作品が通俗的な読み物として軽く扱われた時期がある。


 その中でも、B級スペースオペラのような、宇宙を舞台にした冒険活劇は、荒唐無稽で定型的な作品として扱われることがあった。


 そもそも「スペースオペラ」という言葉自体、1941年に、使い古された宇宙船冒険物語を揶揄する意味合いで提案されたものだった。その後、この言葉は宇宙旅行や惑星間戦争などを描く冒険物語のジャンル名として広く使われるようになった。


 もちろん、宇宙を舞台にした作品だからといって、すべてが同じような内容というわけではない。壮大な宇宙戦争を描く作品もあれば、未知の惑星での冒険を楽しむ作品もある。科学的な考証や哲学的な問題を重視する作品もあれば、細かい理屈よりも、奇想天外なアイデアや爽快な展開を楽しむ作品もある。


 映画でも、SFやホラーにはB級作品が数多くある。低予算で作られた宇宙人ものや怪物映画、突飛な設定を売りにした作品など、作りが粗かったり、展開が強引だったりする映画も少なくない。


 ただし、B級映画という言葉は、単純に「出来の悪い映画」という意味だけではない。制作規模などの歴史的な事情とも結びついた言葉であり、低予算の制約を逆手に取ったアイデアや、突飛な設定、独特の演出を楽しみにしている観客もいる。


 例えば、壮大な宇宙戦争を描いた大作映画を見たい人もいれば、安っぽい怪物や無茶な展開が登場するB級映画を楽しみたい人もいる。重厚なSFを求める人もいれば、勢いのある冒険活劇を求める人もいる。


 そもそも、求めている面白さが違うのだ。


 実際に質の低い作品を批判することは問題ない。しかし、定型的な展開が多いことや、荒唐無稽な設定を使っていることだけで、そのジャンルを低く評価してしまえば、そこで楽しんでいる人たちの価値観は無視されてしまう。


 ## 評価する側と楽しむ側の違い


 ここまでの事例には、それぞれ異なる事情がある。漫画やお色気系アニメでは子供への影響が問題視され、ゲームでは非行や遊びすぎへの懸念があった。一方、SFやB級映画では、作品の内容や文学的・芸術的な価値が低く見られることもあった。


 こうした問題を考えるうえで、マスコミやPTAなど、娯楽を楽しむ側とは異なる立場から評価する人たちの存在にも目を向けたい。


 もちろん、マスコミで働く人やPTAに参加する人の全員が、漫画やアニメ、ゲームに興味がないというわけではない。娯楽が好きな人もいるだろうし、作品を深く理解している人もいる。


 それでも、組織としての役割を考えると、娯楽を楽しむ側とは違う基準が重視されやすい。


 マスコミには、事件やトラブルを報道し、社会に問題を知らせる役割がある。そのため、普段から大勢の人が何事もなく楽しんでいる娯楽の日常よりも、事件や問題が起きたときのほうが報道の対象になりやすい。


 一方、PTAなどの保護者団体は、子供への影響や教育上の問題を考える立場にある。作品の面白さよりも、子供に見せてもよい内容なのか、乱暴な言葉や性的な表現をまねする心配はないか、といった点が重視されることもある。


 どちらの役割にも必要な面はある。問題を知らせることも、子供を守ることも大切だ。しかし、それらは娯楽の価値を総合的に評価することとは違う。


 例えば、PTAがある番組を子供に見せたくないと評価したとしても、それだけで、その番組を楽しんでいる大人にとっても価値がないと決まるわけではない。同じように、マスコミがある娯楽と事件との関係を繰り返し取り上げたとしても、それだけで、その娯楽を好む人たち全体に問題があることにはならない。


 問題のある事例は目立ちやすい一方で、何事もなく娯楽を楽しんでいる大勢の人たちは、わざわざ取り上げられることが少ない。さらに、同じような批判が繰り返されると、その見方が当たり前のものとして受け入れられていくこともある。


 こうして、実際に作品を見たり遊んだりして自分で評価するよりも、外から与えられた評価が先に定着してしまう場合がある。娯楽に詳しくない人ほど、繰り返し目にする評判を通じて、その娯楽についてのイメージをつくってしまうこともあるだろう。


 もちろん、興味がないものを無理に好きになる必要はない。詳しく調べなければならない義務もない。


 ただ、自分が興味を持っていないことと、その娯楽に価値がないことは別である。よく知らないまま評価するのであれば、自分の判断が、実際に作品を楽しんでいる人たちの見方とは違うかもしれないということも考えておきたい。


 ## なろう系の批判について考える


 こうしたことを踏まえると、現在の「小説家になろう」などのWeb小説に対する批判についても、考え直せる部分がある。


 異世界転生、チート能力、追放や復讐といった設定や展開は、確かによく見かける。似たような話が続けば、読者が飽きてしまうこともあるだろう。文章や構成が未熟な作品もあるし、登場人物の行動に説得力がなかったり、展開が都合よく進みすぎたりする作品もある。


 そうした点を具体的に指摘することは、正当な批評である。


 しかし、異世界転生やチート能力を使っているからといって、それだけで作品の質が低いと決まるわけではない。同じ設定を使っていても、人物の描き方や物語の組み立て方によって、作品の面白さは変わる。


 B級スペースオペラやB級映画にも、似た設定やお約束の展開を楽しみにする人たちがいる。それと同じように、なろう系の読者も、必ずしも斬新な設定や文学的な実験性だけを求めているわけではない。


 主人公が困難を乗り越えて成長する物語が好きな人もいれば、圧倒的な能力で強敵を倒す爽快感を楽しみたい人もいる。理不尽な扱いを受けた主人公が認められる展開や、安心して読み進められるお約束の物語を求める人もいるだろう。


 そうした楽しみ方が自分の好みに合わないことはある。しかし、自分が求めていない面白さだからといって、それを楽しんでいる人たちまで見下す必要はないはずだ。


 また、「なろう系」という言葉自体も、使う人によって指している範囲が異なる。小説家になろうに投稿された作品を指す場合もあれば、異世界転生や追放ものなど、特定の傾向を持つ作品をまとめて指す場合もある。


 何を指しているのかが曖昧なまま「なろう系はどれも同じだ」と批判してしまえば、そもそも何を評価しているのかも分からなくなってしまう。


 ここで考えたいのは、実際に作品を読んで批判しているのか、それとも作品に興味がないまま、評判や先入観だけで批判しているのかという違いだ。


 実際に読んでみて、文章が合わなかった、展開が単調だった、登場人物に魅力を感じなかったというのであれば、それはその作品を読んだうえでの評価である。ほかの読者が同じ感想を持つとは限らないが、批判として成り立つ。


 一方、作品をほとんど知らないまま、「なろう系だから読む価値がない」「どうせ同じような話だ」と決めつけてしまえば、それは作品そのものへの批評とは言いにくい。


 ランキングの仕組みについても、考える必要がある。


 人気のある設定や展開がランキング上位に集まりやすければ、似た傾向の作品が増え、作者が流行を意識することもあるだろう。その結果、似たような作品ばかりに見えてしまうことは考えられる。


 一方で、ランキングは、まだ知名度のない作者の作品が読者に見つけてもらうきっかけにもなる。多くの作品が投稿される環境では、読者が作品を探すための仕組みも必要だからだ。


 つまり、ランキングにも利点と問題点の両方がある。人気作品に似たものが増える仕組みを批判することと、ランキングに掲載される作品を一括りにして否定することは、やはり別の話なのである。


 作品の質に問題があれば、その作品を批判すればよい。ランキングの仕組みに問題があれば、その仕組みを批判すればよい。


 それを「なろう系だから」という理由だけで片づけてしまえば、作品ごとの違いも、Web小説という発表の場が持つ利点も見えなくなってしまうのではないだろうか。


 ## 批判することと、偏見を持つことは違う


 娯楽には、さまざまな楽しみ方がある。ある人にとって面白い作品が、別の人にとっては退屈なこともある。好みが合わないこともあれば、実際に質の低い作品もある。


 だから、好きではない娯楽を無理に好きになる必要はないし、気に入らない作品を批判してはいけないということでもない。


 問題なのは、自分が面白いと思わないものを、価値のないものだと決めつけてしまうこと。そして、一部の作品や利用者に問題があることを理由に、ジャンル全体や、それを楽しむ人たちまで否定してしまうことだ。


 かつて低く見られた漫画やアニメ、ゲーム、SF、B級映画にも、それぞれの娯楽ならではの魅力があり、それを楽しむ人たちがいる。もちろん、すべての作品が優れているわけではないし、批判すべき問題がある作品もある。しかし、それだけでジャンル全体の価値を決めることはできない。


 現在のなろう系批判についても、同じことが言えるのではないだろうか。


 自分には面白さが分からない作品でも、それを楽しみにしている人はいる。作品を読んだうえで批判することは自由だし、実際に問題のある作品もある。しかし、よく知らないまま「なろう系だから」と一括りにしてしまえば、それは作品への批評ではなく、先入観による判断になってしまう。


 自分が興味を持てないものを、無理に好きになる必要はない。けれども、自分が楽しめないからといって、それを楽しんでいる人まで否定する必要もないはずだ。


 **批判することと、偏見を持つことは違う。自分が面白いと思わないことと、その作品に価値がないことも違う。**


 娯楽について語るときには、目立つ悪い例だけを見て全体を判断していないか、自分が求める面白さを唯一の基準にしていないか。そして、自分とは違う楽しみ方をしている人たちの価値観まで否定していないか、自分自身にも問いかけてみたい。 感想を書いて

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