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嘘の家族の家

掲載日:2026/06/20

 会社の同僚の様子が最近おかしい。彼は間違いなく独身で、結婚も何もしていない。それなのに、何故か家に奥さんや子供がいる態で話すのだ。

 

 「悪い。今日は飲みは無理だ。子供に宿題を見てやる約束をしていてさ」、「日曜は家族サービスをしてやらなくちゃならないんだ。堪ったもんじゃないよ」、「うちのが弁当を作ってくれたんだ。食費を浮かす為だって言うけど、やっぱり嬉しいよな」などなど……

 

 正直、僕は彼が怖かったし、心配もしていた。何かしらの心の病に罹ってしまったのかと思っていたからだ。もし、統合失調症だったなら、早めに受診させた方が良い。無理矢理にでも。

 僕は行政サービスに相談をし、市のケースワーカーと一緒に彼の自宅を訪問した。僕らが「家族に会わせてくれ」と訴えると彼は激しく抵抗をし、なんて暴力まで振るって来た。暴力行為があれば警察が動いてくれる。それで彼は精神病院に強制入院となったのだった。

 やはり彼は統合失調症だったようだ。少なくとも病院はそう診断を下した。薬を飲むか、注射を打てば病状は安定するらしい。これで一先ずは安心だろう。もっとも、彼は今後の人生に重いハンデを背負う事になるだろうけど。

 それからしばらくが経ったある日、突然、彼が入院した病院から電話がかかってきた。医師によれば、彼の状態は随分と改善しているのだそうだ。ただ、彼はこのように訴えているらしい。

 「もしも、僕が病気じゃなかったら、家族が困っていると思うんです。どうか一晩だけでも僕の自宅に泊まって様子を見て来て欲しい」

 何故、泊まらなくてはならないのか、いまいちよく分からなかったが、医師は本人の言う通りしてあげたいとの事だった。それが病状の改善にも役立つだろうから、と。そして、医師は僕にその役割をお願いして来たのだった。

 彼に対する同情もあったし、強制入院させてしまった事に多少の罪悪感もあった。一晩くらいなら構わないかと思い、僕はその依頼を引き受けた。軽く掃除くらいはしてあげようなどと思っていた。

 

 彼の自宅は一人暮らしにしては少々大きかった。だからこそ、“家族と一緒に暮らしている”などといった妄想を育ててしまったのかもしれない。前に来た時は、じっくりと観察している暇はなくて気が付かなかったのだが、なんと彼は子供部屋まで用意していた。しかも、小さな滑り台まであって中々に豪華だ。彼が妄想の子供を溺愛していた事がよくうかがい知れる。ケースワーカーと一緒に訪ねた時の激しい抵抗を思い出して、なんとなく合点がいった。

 僕は軽くその子供部屋を観察して直ぐに出た。その時に小さな足音を聞いた気がした。ただ、気の所為だろうと特に気にしなかったけど。

 家の中には埃が溜まっていたので、掃除をしてやった。ちょっとした親切心でもあったが、不潔なままじゃ眠る気になれないからでもあった。コンビニで買って来た夕食を食べ終えると、ノートパソコンでネットを視聴し、それに飽きると、僕は眠る事にした。ベッドのある彼の寝室に行く。ところが電灯を消し、しばらくが経つと不意にスマートフォンが鳴ったのだった。着信音。見ると、彼からだった。

 『やあ、今回は悪かったな』

 と、彼は開口一番に謝って来た。

 直接話すのは入院の時以来だったが、口調が正気に戻っている。医者の言う通り、回復しているのだろう。

 彼はこう続けた。

 『最近になって、ようやく思い出したんだ。俺に家族はいない』

 僕はそれを聞いて安心をする。

 「良かったよ。一時期はどうなる事かと思った」

 『うん』と、それに彼。

 『それで、どうしてこんな夜中に電話をかけたかなんだが……』

 「ああ、うん。寝るところだった」

 『実はまだ思い出した事があってさ。今日、俺の家にお前が泊っているっていうから、どうしても伝えなくちゃいけないと思って』

 「なんだよ?」

 『確かに俺に家族はいない。だけどな。その家には“何か”がいたんだよ』

 は? と、僕は思った。

 「おい。からかうなよ」

 『違う。からかってなんかいない。その家には人間じゃない“何か”がいたんだ。今もいるかもしれない。俺はその“何か”をいつの間にか家族だと思うようになっていたんだ。そして、どうしても護らくちゃと思うようになっていた。今日、お前に泊まるようにお願いしたのだってだからなんだ』

 僕はそれを聞いて考える。

 僕をからかおうとしていないのじゃなければ、彼はまだ病気が治り切っていないのかもしれない。そう思った。

 でも、そこで耳が小さな足音を拾ったのだった。それで僕は思い出した。子供部屋を覗いた時に、似たような音を聞いたような気がしていた事を。

 『悪い』と、彼は言った。

 『俺からお願いをしておいてなんだが、その家から早く逃げてくれ。何か悪い予感がするんだよ』

 その彼の訴えを聞きながら、僕は目を大きく見開いた。暗闇に目が慣れているお陰で、薄っすらと分かったのだ。

 何か白いものが同じ寝室にいた。

 人間ほどの大きさで、輪郭が曖昧。普通じゃなかった。

 彼の声がスマートフォンの向こうから聞こえた。

 『早く逃げてくれ。手遅れになる前に』

 白いものはゆっくりとお辞儀をした。

 “あなた、おかえりなさい”

 と、彼女は言う。

 “随分と待っていたのよ。あなた、長い事、家を空けているのだもの。連絡をくれなくっちゃ……”

 そうだった。

 と、僕は思う。

 彼女達の…… 妻や子供達、家族の生活を支えているのは僕なのに、僕がいなくちゃこの家族は生きていけないのに、一体、僕は何をやっていたのだろう?

 スマートフォンの向こう側から声が聞こえた。

 『早く逃げるんだ。そいつらはきっと自分達を家族だと思わせて、面倒をみさせるんだ。早くしないと、お前も操られて俺と同じになるぞ?!』

 彼が何を言っているのか僕には分からなかった。僕は家族に向けて「とりあえず、ご飯を用意しよう。直ぐに君達の分も買って来るからね」と言った。それを聞くと、妻はとても嬉しそうな顔を見せた。子供のはしゃぐ声が聞こえる。

 ……ああ、この笑顔だけで癒される。

 スマートフォンの向こう側で、誰かが何かを言っているような気がした。でも、ほとんど気にならなかった。

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