第8話「ブルーベリー・フール―」
日記帳探しから早一週間。
今日のカフェーには客が入っているがにこやかに談笑をする間柄ではなかった。
気まずいと思っているのは柚子だけで、客はなんとも思っていないのがみそだ。
馴染みの客は、西洋風の内装が落ち着くだとか、厄除けがたくさん飾られていて肩の力が抜けるだとか、どうでも良いことで長時間入り浸る。
そして毎回、柚子が限界を迎える手前でそそくさと帰っていく。
外国の人だから距離感が近いのだろうと楽観的に考えていた。
だが、アランと出会ったことで、馴染み客がただずうずうしいのだと気がついてしまい、接客に身が入らなくなってしまった。
モヤモヤとした気持ちを吐き出すように菓子作りに励み、柚子が我に返った時には手遅れだった。
たった一日過ごしただけで爪痕を残していった彼は、あの日以降、一度も三日月堂を訪れていない。
柚子の代わりに心を砕くと宣言していたにもかかわらず。
(結局、口先だけだったってことよね)
大きなため息をつけば、馴染みの客が驚いたように柚子へと目を向けた。
金色の髪を短く刈り上げ、澄み渡る空のような目を持つ彼が、行儀悪くフォークを柚子へと向けた。
「どうしたよ、ため息なんてついて。恋煩いかぁ?」
「冗談はよしてちょうだい。ケリー」
「おいおい。それが命の恩人に対する態度かよ」
馴染み客のケリーはにやりと口角を上げる。
柚子は吸血鬼に教われかけたところを吸血鬼ハンターである彼に助けられた。
その縁から、ケリーは時たま三日月堂に入り浸るようになった。
「その件のお礼はすんでいるはずよ」
「俺はお前がほしいって言ってるんだがな」
「お断り」
「はぁ、つれねぇなぁ。今一番注目株である俺が、もらってやろうって言ってるんだぜ?」
「いつ死ぬかも分からない男を伴侶にするなんてごめんね」
ケリーを冷たくあしらった柚子は、冷蔵箱へ足を運び、液体状にしたブラックベリーと砂糖と一緒に泡立てておいたクリームを取り出す。
作業台へ置き、二つを皿に盛り混ぜる。
少し深めの丸い硝子盃に、それを入れれば完成だ。
ケリーへ差し出せば、彼の頬はだらしなく緩む。
「これこれ、母国を思い出す味がいいんだよなぁ」
「口に合ったようでなによりだわ」
「んで、依頼してたアレ、順調かよ?」
「……あと少しで捕まえられそうだったわ。あの猫、本当逃げ足が速いわね」
「だろ。それにあいつは隠れるのも上手い」
得意げに笑ったケリーは笑顔のままスプーンを進めた。
柚子は呆れた顔で本日何度目か分からないため息をつく。
「飼い猫を逃がすなんて、ハンターとしてどうなの?」
「それとこれとは話が別だ。お前も、仕事してねぇ時ぐらいのんびりしたいだろ?」
「別に私はこれが趣味みたいなものだから」
「あー、そうだった。お前に聞いた俺が馬鹿だった」
皮肉たっぷりの顔を向けられ、柚子の眉間に皺が寄った。
気を張らないような軽い会話をできる間柄といえば聞こえは良いが、僅かながら漂う緊張が関係性の噛み合わなさを表している。
(私が欲しいって言うくせに、目が嘘っぽいのよね)
愛する者へ向ける目はもっと甘いはずだと、柚子は理解していた。
ケリーは上手く隠しているつもりだが、瞳の奥に打算的な色が滲んでいる。
幾度となく利用されそうになった経験がある柚子は、かすかな不快感も敏感に感じ取ってしまっていた。
「ごちそうさん。最近、吸血鬼が活性化してるようでな。ちーとばかし面倒なことになりそうだ。仕事の邪魔になるから、夜は大人しく家にいろよ」
代金を置いて立ち上がったケリーが早口で忠告する。
この帝都で彼の名を知らぬ人はいないほど、有名な吸血鬼ハンターの言葉は重い。
時たまこうやって遠回しに気をつけろと心配をしてくれるため、柚子はケリーの気持ちが分からなくなってしまう。
ケリーが振り返った瞬間。
呼び鈴が鳴った。
柚子が店の扉へと目を向けると、そこには三つ揃えの洋装をかっちり着こなしたアランがいた。
「……んじゃあな。また来る」
アランの隣を通りケリーが店を出ていく。
ケリーが雑踏の中へと消えるまでアランは目で追っていたようで、彼が完全に見えなくなると店内へと入ってきた。
柔らかな微笑みを浮かべ、今までケリーが座っていたカウンターに腰を下ろした。
慌てて食器を片付けようと伸ばした手を掴まれる。
柚子は驚きのままアランへと目を向けた。
真意を探るような金色の瞳に、柚子はごくりと息を呑んだ。
「あの人は?」
「吸血鬼ハンターのケリー様ですね。うちの馴染みなんです」
「へぇ」
「毎回フールを食べて帰るんですよ。私が作るフールが母国の味に近いらしくて」
「そうなんだ。柚子のお菓子は美味しいからね。虜になる気持ちは分かる」
ぱっと手を離したアランがにこやかに頷いた。
その隙に食器を片付ける。
胸を撫で下ろした柚子は、ふつふつと不満が湧き出る感覚に陥った。
口を開けばすぐにでも出て行ってしまいそうなそれを留めるため、柚子は口を一文字に結ぶ。
そんな柚子を眺めていたアランが、呆れたように小さく息を吐いた。
「柚子はもう少し素直になったほうがいい。あんなことを言っておいて顔も出さなかった僕を罵ってもいいんだよ?」
「そんなことしません」
「うーん、なんでも溜め込むとしんどいだけだと思うなぁ」
「溜め込んでませんよ。アラン様の勘違いでは?」
アランの視線から逃げるように柚子は体ごとそっぽを向く。
彼は困ったように笑ったが、咎めるような言葉は口にしなかった。
それが心地良いと感じてしまうのだから、アランは距離の測り方が上手い。
「そっか。ちょっとつんけんしてるところも柚子の良さだね。可愛い」
「そう簡単に可愛いと仰っていたら、アラン様に会う女性は勘違いしてしまいますよ」
「大丈夫だよ。柚子にしか言ってないから」
柚子は疑いの眼差しをアランへと向ける。
腕利きの技師があつらえった彫刻のように整った顔が甘い言葉を囁けば、どんな女性もアランしか見えなくなるだろう。
彼に背を向けている柚子でさえ少し頬が赤くなってしまっている。
心がふわふわとするような気持ちを引き締め、アランへと向き直る。
「それで、アラン様」
「ん?」
「着られているのは正装ですよね。これから社交界にでも行くのですか?」
「まぁそんなところかな」
含みが孕んだ言い方に、柚子は首をかしげてしまう。
大切な社交界へ出向くというのに、柚子の元へ来る理由が見当たらない。
柚子は黒い目を瞬いて問うた。
「でしたら、なぜこちらへ?」
「それはもちろん、柚子のお菓子を食べに」
「……へ?」




