第5話「失せ物と」
「これを見てください」
アランに先ほど窓の奥に設置された巨大な風景画を見せる。
彼は少し目を瞬かせて、興味深そうに顎を撫でつけた。
「へぇ、面白いね。これ」
「だまし絵でよく使われるんです。前に立体物があるとただの絵にも奥行きが感じられる手法で」
「柚子は物知りだね」
また頭を撫でられ、髪が乱れてしまう。
子どもが始めて立ち上がった時のような褒め方に、柚子は頬を膨らませた。
髪を直しながら隣の部屋へ移動する。
何の変哲もない大きな部屋だ。
部屋を三つに分けるように作られた床の間と床脇へ、柚子は足を向ける。
(もし見えていたのが通路だとしたら……)
小さな甲胄飾りが鎮座している右端の床の間へ迷わず進む。
高祖母の部屋に隣接するこの場所が怪しいと柚子は踏んでいた。
床の間の前にしゃがみ込み、迷いなく甲胄飾りに触れる。
肌触りの違う場所はないかと探すが、違和感のある場所はなかった。
(一番怪しかったんだけどな)
柚子は珍しく直感がはずれたことに肩を落とした。
眉を下げた柚子を見ていたアランが、床の間へ乗った。
予想外の行動に柚子はぎょっと目を見開いた。
「アラン様、床の間に乗っては……」
「柚子。おいで」
「で、でも……そこは人が乗ってはいけない場所で……」
「いいから」
柚子は手を掴まれ、引き寄せられる。
抱き寄せられる形になり、柚子は心臓がひっくり返りそうな思いだ。
顔色一つ変えないアランが、甲胄飾りの頭部分に垂れ下がる紐を引っ張った。
瞬間。
ぐるりと壁が反転した。
突然のことに、柚子は声も出ない。
対するアランは驚いてもいないようで、眉一つ動いていなかった。
「驚かせないでください!」
「ごめんごめん。もし通路を隠すなら間違って入らないように工夫すると思ったんだ」
「……確かに。進んで床の間に入ろうとは思わないですね」
「だろう?」
落ち着きを取り戻した柚子が辺りを見渡す。
白土壁で作られているのか、家の裏側というよりも室内のような雰囲気だ。
意外にも異臭も湿気も籠もっておらず、柚子は予想外だと目を丸くした。
経験上、隠し部屋はかび臭くなっていたり湿っぽい空気になっていたりと心落ち着く空間ではない。
だが、この隠し部屋はその反対で、どこか肩の力が抜けるような雰囲気だ。
少し甘いような、僅かに酸味のある香りがほのかに漂っている。
(なんのための場所なのかしら)
人一人がぎりぎり通ることのできる大きさの通路は奥へと続いている。
柚子はアランと顔を見合わせ、頷いた。
震えそうになる足を叱咤しながら進める。
日の光が入ってきているのか、通路の先は明るい。
通路を出ると、そこには西洋の気配が漂う部屋だった。
大きく開けられた窓から陽光が差し込み、大きな画布を照らしている。
画布の前には椅子と乾ききっていない黄色の染料が盛られた調色板が乱雑に置かれていた。
部屋の片隅に、文机と箪笥が佇んでいる。部屋の雰囲気と全く合っていないが、年季が入っており、長年使っていたことが窺える。
布がかけられているのはこの部屋の持ち主が描いた絵だろうか。
(誰か、管理してるみたいね)
部屋を埋め尽くしそうなほどの絵には全て布がかかっているが、埃は一切被っていない。
柚子は部屋の隅に置かれた文机へ足を向けた。
そっとしゃがみ込み、文机の引き出しを開ける。
「あら、残念」
そう簡単にはいかないらしい。
何も入っていない引き出しを戻すのに手間取ってしまう。
滑りが悪いのか、上手く戻らない。
柚子の上からくすくすとアランの軽い笑い声が聞こえる。
どうやらがたがたと文机と格闘していた様子を見られていたようだ。
むっとしてアランを見上げると、楽しげな金色の瞳と目が合った。
「そういうのはね、一回全部引いて」
「? こうですか」
「うん。ちゃんと真っ直ぐ持って。そう、良い感じ。そのまま両手に同じ力をかけながら押してごらん?」
アランの言う通り引き出しを押せば、滑りの悪さが嘘のように引き出しが戻った。
目を瞬くと、アランがまた頭を撫で回す。
柚子はぐしゃぐしゃになった髪を撫でつけながら立ち上がり、アランへと振り返った。
目を少し強気につり上げながら。
「助かりました。でも子ども扱いしないでください!」
「子どもは皆そう言うんだよ」
「私はこれでも十六です! ちゃんと成人してるんですよ」
「十六か。やっぱりまだまだ子どもじゃないか」
「なんでそうなるんですか……」
柚子は大きく肩を落とす。
対するアランは首を傾げるだけだ。
全く分かっていない彼に何を言っても通じないと判断した柚子は、そっとため息をついて部屋へと視線を戻した。
探す場所はいくらでもある。
柚子は手伝う様子のないアランを放置し、壁沿いに並べられた画布の隙間をくまなく探した。
布に包まれたまま場所を移動させ、奥を確認する完璧ではない捜索の仕方だ。
柚子も頭では理解していたが、丁寧に隠された布をめくる勇気はない。
(これだけ綺麗に整頓されているなら、日記が紛れるなんてそうそうないだろうし……)
部屋を一周し、確認していなかった椅子へと足を向ける。
窓から射す光で画布に何が描いてあるのか分からなかったが、近づくとそれは鮮明に浮かび上がった。
「……へ?」
画布に描かれていたのは、アランそっくりな人物画だった。
本物と見紛うほど繊細に描かれたそれと、アランを見比べた。
全く同じ顔だ。
人の輪郭から始まり、金色の目。銀の髪を一本一本に至るまで、すべて同じ。
着ている洋装も同じなのだから、偶然にしてはできすぎだ。
(この絵は……)
部屋を散策していたアランは視線に気がついたのか、柚子へと近づいてくる。
慌てて目線を落とせば、椅子の上に置かれた日記帳が目に入った。
文机の記憶通りの表紙に柚子は焦っていたことも忘れ、近づいてくるアランへと顔を向けた。
「ありました! アラン様!」
日記帳を手に取り、振り返る。
声を弾ませ大輪の花を咲かせた柚子に、アランがきょとんとしてしまう。
思わず微笑みかけてしまったが、子どものような仕草だったと柚子は顔を引き締めた。
「駄目だよ、さっきの顔のほうが可愛いんだから」
目尻を和らげたアランが柚子の頬を両手で挟んだ。
ぐにぐにとパン生地をこねるように触られ、色っぽさはまるでない。
しかし、柚子の顔は茹で蛸のように熱かった。
「ほら、笑って」
「ほれひゃふひへふ」
気の抜ける文字の羅列にアランが吹き出した。
ようやく手を離され、柚子は熱の残る頬を両手で隠す。
恥ずかしさを紛らわすためにアランをじとりと睨んだ。
だが彼は気にもしていないようで、柚子の頭を撫で回してきた。
「そうやってまた子ども扱いする……」
「ごめんごめん。それにしても、依頼達成だね。お手柄だ」
「はい。これで依頼主をがっかりさせずにすみます」
「それじゃあ戻ろうか。この部屋のことは伝えるの?」
アランが首を傾げる。
彼の疑問はもっともだろう。
誰だって隠された部屋があれば報告をし、伝えようと思うはずだ。
だが――
「いいえ。私の仕事は、この日記帳を探し出すことですから」
――柚子は伝えないことを選ぶ。
自己防衛でもあるが、万が一にも人の逆鱗に触れることがないように配慮した結果だ。
失せ物を探していると、稀に人の秘密に触れてしまうことがある。
依頼主は知らないことが多いため、伝えることで不利益を被るのは柚子だ。
一度の失敗から悟った柚葉は、その日から心に誓った。
すべて見ないフリをしてやり過ごそうと。
それが巧妙に偽造された隠し部屋でも、目の前の男と瓜二つの自画像でも――。




