第3話「もう一つの仕事」
荘厳な日本家屋の門の前で、柚子は正門を見上げ佇んでいた。
明らかに豪商や豪農、地主などの上流階級の家だ。
(一番良い着物で来てよかった……!)
一張羅とも呼べる豪奢な着物は柚子のお気に入りだ。
流水紋様に桔梗の花が描かれた水浅葱色もので、濃紺色の帯と相性がいい。
髪を結い上げてきたのも正解かもしれない。
権力者の屋敷では、第一印象で立ち回りのしやすさが決まるといっても過言ではないのだから。
大きな音を立てて開かれた正門から、女中が覗く。
「ようこそおいでくださいました。こちらへどうぞ」
「えぇ」
身に染みついた作法のまま正門をくぐった柚子は、流れるように家の中へと歩みを進める。
内装に使われている年季の入った木の色が目を休ませてくれた。
女中が仰々しく襖を開ける。
すでに先客がいたようで、こちらを向いていた顔と目が合う。
つい先ほど別れたはずの銀色の髪に、柚子は喉から出かかった言葉を呑み込んだ。
柚子は笑顔が引き攣りそうになるのを抑え、客間へと足を踏み入れる。
女中が下がったのを見計らい、彼に声をかけた。
「……アラン様」
「さっきぶりだね。柚子。カフェーの着物も似合っていたけど、この着物もいいね。すごい綺麗だ。まるで海の精が舞い降りたかと思った」
アランの隣に座れば、彼の目が柔らぐ。
優しげな声と顔は自身が特別だという気にさせる。
しかし、目の色は会った時から全く変わらない。
明らかなおべっかに柚子は湿っぽい顔で礼を口にした。
「ありがとうごいます。って、誤魔化さないでください。ケーキの代金だっていただき過ぎです!」
「参ったなぁ。あれは正当な代金だから返されると困ってしまうよ」
「困るのは私です! そもそもなんでここにいるんですか!」
「柚子、落ち着いて。本当に偶然なんだよ? あぁ、でも一度目は偶然、二度目は必然、三度目は運命って言うんだっけ」
「知りません、そんなこと」
不審に眉を寄せて、アランを睨む。
疑われているというのに笑みを崩さない彼の腹の底が見えず、少し癪に障った。
「柚子はここに何しに来たの?」
「仕事です」
「そっか。なら僕も手伝っていいかな?」
「なんでそうなるんですか。嫌です」
アランの提案を突っぱねる。
一刀両断したというのにアランは気に障った素振りすらみせない。
まるで霧を相手にしているかのようなつかみ所のない彼に目を向ける。
いくら父の知人だとはいえ、仕事を供にするのは気が引ける。
そもそも失せ物を探すには《《アレ》》を使わなければならない。
その時、アレンはどんな顔をするだろうか。
(なーんて、考えるだけ無駄ね。いつもみたいに寄りつかなくなるだけだろうし)
柚子は何度か繰り返されたことのあるやり取りに、そっと息を吐く。
幼少の頃から同じ事が多々あった。
その度に傷ついてきたため、柚子は自衛する術を覚えてしまった。
寂しげな横顔を金色の瞳がじっと見つめていたのを、柚子は知らない。
部屋の向こうから聞こえた足音に気を取られてしまったからだ。
柚子は慌てて顔を作り直す。
(私は仕事に来たの。大丈夫、いつも通りやるだけよ)
外向きの澄ました顔で背筋を伸ばす。
女中に連れられて客間に訪れたのは、目尻に小じわができはじめた頃の女性だった。
ほのかに鼻孔をくすぐったのは少し甘いような、僅かに酸味のある香りだ。
彼女は襖の前で食い入るようにアランを見つめ、寸秒惚けていたが、指先を隠すように袖口を伸ばした。
女中に背を叩かれたのか、女性は慌てて柚子とアランの前に座る。
「わざわざご足労いただきありがとうございます。それで……失せ物屋さんはどちら?」
「私です。この度はご依頼ありがとうございます」
「そう。てっきりもう少し年嵩の、経験豊富な方かとばかり思っていたのだけれど……。こうしてお会いしてみると、思いのほかお若くていらっしゃるのね」
「ご心配、ごもっともです。ですがそう言われることにも慣れておりますので、あとは結果でお応えできればと」
たっぷり間を取り、ゆったりと笑みを浮かべる。
余裕があるように見えるといい。目に見えた挑発は受け流すに限る。
アランから軽い笑い声が聞こえた気がしたが、聞かないことにした。
少し面を食らった顔の依頼主が、困ったように頷く。
「分かりました。では、ご案内いたします」
立ち上がった依頼主の後ろを、柚子とアランはついて行く。
内心やっぱりついてくるのかとげんなりしたが、柚子はおくびも顔にださなかった。
「こちらです」
依頼主が部屋へと手のひらをさしだした。
袖口から見えた彼女の手首に鮮やかな黄色が見えた気がしたが、すぐに手を下ろしてしまい確認することができなかった。
案内されたのは縁側をぐるりと周り、中庭を抜けた先の部屋だ。
そこは、日本家屋の外見からは考えられないほど質素で、こぢんまりとしている。
箪笥と文机だけが置かれているものの、押し入れもなく、部屋の隅に布団を畳んでおく空間がある程度だ。
柚子達が先ほどまでいた客間の方が広いと感じてしまうほどだ。
襖の正面に格子状の窓があり、中庭の景色が一望できるため小さな部屋だが圧迫感はない。
「依頼した高祖母の日記は、文机の一番上の引き出しにしまってありました」
「引き出しにしまわれていたのは日記だけでしょうか?」
「はい」
「承知しました。部屋に入っても?」
「どうぞ」
依頼主の許可を得て入室する。
長年使われていないとはいえ、どこか違和感の残るそこに、柚子は首を傾げた。
疑問が心の隅に引っかかっているような感覚だ。
「どうしました? 柚子」
「……いえ。こちらは高祖母様のお部屋だったのですよね?」
「そう聞き及んでおりますが、なにか……?」
「なんでもありませんよ。では日記を探しますので、屋敷の部屋すべてに入室許可をいただけますか?」
「えぇ。この屋敷にはもう私しかいませんから、お好きに」
「ご協力ありがとうございます。見つかるまで、奥様はどこかでお待ちいただきたいのですが……」
にこやかに提案すれば、依頼主はあっさりと頷いた。
彼女のいなくなった廊下で、柚子は胸を撫で下ろす。
人に見られながら仕事することもままあるが、基本的には一人で依頼をこなすことが多い。
そのため、人目がある依頼は身動きが取りづらいと感じてしまう。
隣に佇むアレンを見上げた柚子は、問いかける。
「アレン様も用事があったのでしょう? 奥様とお話をしてきたらどうです?」
「ううん、大丈夫。僕の用事は彼女じゃないから」
「? なら客間で待っていればいいのでは?」
「僕は柚子と一緒にいたいな」
異性から一度は言われてみたいセリフをいとも簡単に聞いてしまった。
あっけらかんと温度の変わらない声色で言うアランに、女性を惑わせる気はないのだろう。
アランは自信の顔を見たことがないのだろうか。
女性を骨抜きにできる顔と声、容姿の全てが、毒だ。
色気に当てられてしまえばくらくらと彼の虜になってしまうはずだ。
しかし、柚子は気がついていた。
異性として見ていないことは明らかで、単純な興味しかない眼差し。
それを察することができるからこそ、柚子は頭を抱えたくなった。
好奇心は猫をも殺す。ということわざはアレンの方がよく知っているだろうに。
考え込んでいた柚子の顔をアランが覗き込む。
金色の目が真っ直ぐに柚子を見つめた。
「駄目?」
捨てられた猫のような顔をされてしまい、柚子はぐっと息を呑んだ。
そうして諦めたようにため息をついた。
部屋に足を踏み入れながら、軽く振り返る。
「……なら、何を見ても驚かないでくださいね」
「もちろんだよ」
何も知らないアレンは優しげな笑みを浮かべて頷いた。
温かな笑みを浴びるが、柚子は初めは皆そう言うのだと心の中は冷え切っている。
頭では彼が悪いのではないと分かってはいるが、どうしても期待はできない。
柚子は荒れ狂う気持ちのまま、文机の前に座った。
痛みのないそれはまるで新品のようだ。
滑りのいい引き出しを開け、中身を確認する。だが日記は入っていないようだった。
「そこにはないんだよね?」
「はい。でも記憶は残っているので」
アレンの目が瞬いたが、柚子は気にも留めない。
引き出しに手を入れ、力を込める。
途端、柚子の周りが輝きだした。




