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猫と三日月のゆるふわ事件簿  作者: 藤烏あや@『死に戻り公女は繰り返す世界を終わらせたい』発売中


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第26話「交換条件」

 聖壇へ落ちていくステンドグラスが月の光を浴びて煌めく。


(一体、なにが……?)


 柚子は本来の目的も忘れて唖然と見上げた。

 空いた穴を埋めるように満月が輝いている。

 誰かが浸入してきたのかと考えていた柚子だったが、なにもない空間に目を瞬いた。

 聖壇にいたケリーも柚子と同じことを思ったようで、舌打ちをしている。

 彼はステンドグラスを避けるために長椅子へと退避していた。

 ケリーが満月から視線を逸らした瞬間。


「やぁ。今日はいい夜だね」


 穏やかだが、どこか威圧的な声が響いた。

 柚子はその声にひどく安堵し、声の主――アランを見つめる。

 黒のハット帽を持ち上げると銀色の髪と、黒のマントが風に揺らめいた。

 手に持っている(ステッキ)も相まって、今から舞踏会にでも参加するのかと思うほどの洋装だ。

 月光を全身に浴びながら、天井に空いた穴からアランがゆっくりと降りてくる。


(アラン様、目が……?)


 金色だったはずの瞳が真っ赤に染まっている。それは柚子を襲った吸血鬼と同じ色だ。

 吸血鬼は血を飲むと目の色が変わるのだろうか。

 まじまじと見ていると、視線に気がついたアランが柚子へと目を向けた。

 アランから力が抜けたような柔らかい笑みを返される。

 たったそれだけで柚子はアランが普段と様子が変わっていないと確信した。

 割れたステンドグラスを踏みしめた彼の足下から独特な音が鳴る。

 ケリーへと目を向けたアランの柔和な瞳から温度が消えた。


「そっちから来てくれるとはなぁ」

「君が誘ったの間違いだろう? ハンター君」

「あれがそんなに大事か? 吸血鬼よぉ」


 柚子の首へと回ったケリーの腕に力がこもった。

 アランの眉が僅かに反応したと気がついたケリーが笑みを深くする。

 柚子の頭へと銃口を向け、ケリーはいつでも引き金を引けると言わんばかりの態度でアランを挑発した。


「僕はね、人間と共存できればいいと思ってるんだ」

「戯れ言だな」

「君からしたら戯れ言かもしれないけど、僕は本気だよ。それに人間を襲った吸血鬼は処罰されて然るべきだと思っている」

「ほぉ?」

「だから君たちの邪魔をするつもりもない。でもね、今日初めて、人間に対して殺意が湧いたよ」

「よかったじゃねぇか。盛大に祝おうぜ」


 ケリーが引き金にかかった指に力を入れる。と同時に、銃がぐにゃりと曲がった。

 真横で起こったありえない現象に、柚子は目を見開いた。

 アランは指先を動かさないどころかまばたきすらしていない。

 苦虫を噛み潰したような顔で銃を床に叩きつけたケリーが吐き捨てる。


「厄介だよな、吸血鬼のそれはよぉ」

「君たちも厄介な物を持ってるからおあいこじゃないかな」

「お前のそれとは比較にならねぇだろうが」


 目をつり上げるケリーには目もくれず、アランは一歩踏み出す。

 聖壇から降りる姿はさながら絵本から出てきた王族のようだ。

 忌々しげに顔を歪めたケリーがどこからかナイフを取り出した。


「アラ――むぐ」

「それ以上近づくんじゃねぇぞ。少しでも近づけばこいつの喉をかっ切るぞ」


 首から腕が離れたかと思うと、瞬く間に大きな手で口元を掴まれる。

 強制的に上を向かされ、ひやりとした物が首筋へ添えられた。

 視線を落とさずとも分かる。


(ナイフが首に……)


 月明かりに照らされたナイフが柚子の首元で不気味に光る。

 柚子は体を捻るも、片腕でしっかりと抱きすくめられており抵抗にもならない。


「それは僕を怒らせるポーズ? それとも……本気?」


 今にもへたり込んでしまいそうな殺気が柚子とケリーを包む。

 ケリーの喉からも僅かに上擦った声が漏れた。

 アランの顔は笑っているが、目が据わっている。

 真っ赤な瞳の奥にあるのは燃えたぎる怒りだ。静かな炎を理性で押し止めているのだろう。


「本気だと言ったら?」

「その前に柚子を取り返すよ。あぁ、でもごめんね。そうなったら手加減ができる気がしないや」

「へぇそうかい」

「だから交換条件といこうか」


 アランは怒りを微塵も感じさせない笑顔を貼り付けた。

 見たことのない事務的な笑みに柚子は心がきゅっとなってしまう。

 柚子の視線に気がついているはずのアランは先ほどからこちらを見ない。

 そのことになぜか耐えがたい気持ちになる。だがそれ以上に人質となっている状況がとても腹立たしい。

 柚子はアランから目を逸らし、ケリーへと視線を向ける。

 ケリーは青空のような色の瞳を怪訝そうに細め、呆れたように片眉を上げていた。


「はぁ?」

「好きなだけ僕を斬りつければいい。そのナイフも銀製だろう? その代わり、今すぐ柚子を解放してほしいんだ」

「俺に利があるとは思えねぇな」

「僕に牙を剥くだけなら、やり返したりしないよ。約束する」


 アランの目を伺うように見つめたケリーが静かに口を開く。


「……もしお前が俺に殺されても文句はねぇってことだよな?」

「もちろん」

「いいぜ。ほら、好きなとこに行けよ」


 柚子の口から手を離したケリーに背中を押される。

 怪訝な顔で振り返ると、早く行けと言わんばかりに顎でアランの元へ行けと指図された。

 のろのろとアランの元へ向かえば、巣蜜をかけた薄餅(ハットケーキ)のように甘い顔で微笑まれる。

 柚子はたまらずアランの胸へと飛び込んだ。


 瞬間。

 銃声が礼拝堂の空気を揺らした。


 瞬く間もなく視界が回転する。

 アランの胸に顔を押しつけられ、抱え込まれた。

 鉄のような臭いが柚子のすぐそばから漂う。

 抱きかかえられた頭を動かそうと力を入れるが、アランに押し止められてしまった。


「アラン様」

「動かないで柚子」


 聞いたことのない、低く、怒りの滲んだ声。

 思わず身を竦めると、安心させるように頭を撫でられる。

 その手つきはとても優しく、柚子の目に涙が浮かんでしまうほどだ。

 アランの変化に気がついていないのか、ケリーは舌を鳴らした。


「ちっ。すぐに回復するとは厄介だな」

「今、柚子を狙ったね?」

「あ? 当たり前だろ。お前に稀血をくれてやるリスクを考えたら殺すに限るだろうが」

「僕が庇わなかったら、柚子は死んでたよ」

「だったらどうした」


 さも当たり前のように言うケリーは、言い終わるやいないやまた銃の引き金を引き始める。

 鳴り止まない銃声に柚子は真っ青になりながらアランの腕を引く。

 だが、アランが銃弾を避ける素振りは見せなかった。


「ちょっ、私はいいですから、ちゃんと避けてください!」

「いいから、守られてて」


 一回の装填数は六発だが、全てアランの背へと吸い込まれるように打ち込まれた。

 その弾はなぜか貫通することなく、アランだけを傷つける。

 床に滴り落ちた赤が、柚子の目に焼き付いた。


「っ、弾が、体の中に残ったままじゃ……」

「心配しないで。大丈夫だから」


 アランの言葉通り、背中の傷が癒えると同時に打ち込まれた弾丸も床へと落ちた。

 その人間離れした治癒能力に、ケリーが舌打ちをする。


「くそが。稀血ってのはそれだけの回復力を生むのか」

「そうだね。でも血を吸わなくてもこのぐらいは回復できるよ」

「はっ、そうかい。じゃあとっておきの弾をくれてやるよ! 三日月堂の銀を使った弾丸だ」

「そうか。トロールのいたずらじゃなかったんだね」

「っ、私がもっと警戒してればよかったんです」


 三日月堂の銀は吸血鬼によく効いたと先刻告げられた。

 なぜ効くのか心当たりはないが、柚子の物がアランを傷つけるのは我慢ならない。

 憎まれ口を叩き合って楽しく雑談をしていた様が蘇り、柚子は奥歯を噛み締める。


(仲良くなれたと思っていたのに)


 三日月堂に通ってたことは、ケリーにとって銀の調達場でしかなかったのだろう。

 柚子の店の銀は吸血鬼によく効いたと言っていたのだから間違いない。

 握った手に力が籠もった。

 爪の跡ができるほど強く握った手を優しく解かれる。

 見上げれば、目尻を下げたアランが柚子を見つめていた。

 真っ赤な瞳に違和感を覚えるが、その目に宿る優しさは普段と変わらない。

 視界の端で白いシャツに広がる赤に、柚子が震えた声で呟いた。


「ごめんなさい、私が捕まらなければ、アラン様がこんな怪我負うこともなかった」

「柚子のせいじゃないよ。約束を反故にした彼が悪い」

「でも……アラン様にもちゃんと痛みがあるのに……」


 ケリーは知らないのだろう。アランが死なないことを。

 アランは力の抜けた笑みを浮かべる。


「そんなことを言ってくれるのは柚子だけだよ」


 慈しむような眼差しをしたアランが柚子の額に口づけた。

 途端、首筋の引き攣るような痛みが引いていく。

 噛まれた跡を癒やされたのだと柚子が気がついたのは、アランが後ろを振り向いてからだった。

 アランは柚子の頭を撫でると体を反転させ、ケリーへと顔を向ける。


「それじゃ、反撃といこうか」

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