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猫と三日月のゆるふわ事件簿  作者: 藤烏あや@『死に戻り公女は繰り返す世界を終わらせたい』発売中


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第24話「救済」

 頬を優しく叩かれた気がして、ぼんやりとした意識は緩やかに覚醒へ向かう。

 うまく焦点が定まらないが、うっすらと板張りが見えた。


(あれ、私何をしてたんだっけ……?)


 視界が横に向いていることに違和感を覚える。

 まばたきを繰り返せば、段々と意識がはっきりしてきた。

 少し頭を持ち上げれば、首筋にずきりと痛み一気に目が覚めた。


(痛っ……。私、アラン様に噛まれて気絶してしまったんだわ! アラン様は!? ケリーは!?)


 はっきりとした視界に飛び込んで来たのは、聖壇の奥に建てられた十字架だ。

 (はりつけ)にされているのは吸血鬼を模した人形は、目を背けたくなるほどに痛々しい。

 十字架を見上げるように規則正しく長椅子が並べられており、柚子はそこに寝転がっているのだと理解した。

 どうやら柚子は礼拝堂に連れて来られたようだ。


(……悪趣味だわ。というかどうして礼拝堂?)


 体を起こそうとするが、両手と両足それぞれ結ばれていたため、それは叶わなかった。

 動けないならばと状況の把握をするため、柚子は視線だけで辺りを見回す。

 二段上にある聖壇を月上がりが照らしている。

 ステンドグラスから降り注ぐ色とりどりの光がなぜか薄気味悪い。

 見続けたくない気持ちのまま顔を逸らすと、視線を落とすと真っ赤な天鵞絨(ビロード)が目に入った。

 身を捻り確認すると、それは重厚な木製の扉へと続いている。


(他に逃走経路は……)


 他の出入り口を探すため、柚子は目を滑らせた。

 窓は全てステンドグラスになっており、開閉できるような作りにはなっていない。

 必然、出入り口は一つに絞られる。


(なさそう。逃げるには不向きだわ)


 冷静に逃げ出せるかを確認していた柚子の顔に影が落ちた。

 恐る恐る視線だけで見上げると、青色の瞳と目が合った。

 長椅子の背もたれの向こう側から、ケリーが柚子を覗き込んでいる。

 柚子にこのような仕打ちをする相手がアランではなかったことへの安堵が胸に広がる。

 同時に、アランがこの場にいないことへ不安感が募る。


(どうして私だけ連れ去ったの? もしかしてアラン様は……)


 最悪の想定をして、柚子の全身から血の気が引いていく。

 視界が狭まるような間隔に陥り、ケリーが後ろから前へ回り込んだことにも気がつかなかった。

 目線をあわせるようにケリーがしゃがみこむ。

 その顔に怒りはない。だが普段貼り付けている人の良さそうな笑みは浮かんでいなかった。

 緊張感の漂う雰囲気に、柚子はこれが彼本来の姿なのだと直感した。


「ようやくお目覚めか、柚子」


 柚子を拘束したとは思えないほど優しく体勢を起こされた。

 行動と言動がちぐはぐなケリーに、可哀想な人を見る目で見下ろされてしまう。

 柚子は眉を顰めながら背中側で縛られた手を動かそうとするも、僅かにしか動かない。

 縄が緩む気配もなく、柚子は内心舌打ちをしたくなった。

 逃げ出そうとしていると気がついているはずのケリーはただ、静かに柚子を見つめるだけだ。


「っ、ケリー。アラン様はどうしたの」

「ったく。起きた早々それかよ。随分と献身的だな」

「答えて!」


 柚子はケリーを下から睨め付ける。

 敵意むき出しで睨まれたというのにケリーは気分を害した様子もない。

 むしろ呆れたように頭を掻くだけだ。

 僅かな苛立ちも感じられず、柚子は眉を顰めた。


「はー……。まっ、お前の血をあんだけ吸ったんだ。生きてるだろうな」

「……あなたじゃ相手にならなかったの?」

「はっ。減らず口を……。柚子よぉ、お前そんな馬鹿だったか?」

「あなたに馬鹿って言われたくないわ」

「おいおい。顔馴染みのよしみで生かされてるって理解しろよ。俺じゃなかったら今頃蜂の巣だ」


 冷めた目で見下ろすケリーの言葉に嘘は感じられない。

 だがそれは嘘ではないだけで本心でもないと直感した。

 ケリーの余裕を崩すため、柚子はわざと挑発するような言葉を選ぶ。


「殺さないんじゃない。殺せないんでしょ」

「は?」

「前々から私を欲しいって言ってたものね」


 柚子は勝ち誇ったように口角をつり上げる。

 勝ち気な顔でケリーを見れば、初めてケリーに苛立ちが見えた。

 彼の表情を崩せたと柚子はますます笑みを深くする。


「お前さぁ、吸血鬼の眷属になったわけ?」

「眷属……?」

「知らねぇならいい。ならまだ間に合う」

「?」

「吸血鬼に魅入られたお前を救済する」

「救済……? なにを言っているの……?」


 ケリーの言葉の意味が分からず、柚子はますます眉間にシワを寄せた。

 意図を探ろうと青色の瞳を見つめる。

 軽蔑の眼差しがあるかと思えば、その目に宿るのは憐憫(れんびん)だった。

 伸びてきた手に柚子は身を固くする。しかし、その手は腰を掴み、軽々と持ち上げるだけだ。

 子どもを抱き上げるように運ばれ、十字架の下に降ろされる。

 捕縛しているというのに扱いは優しく、柚子はますます困惑してしまう。


「……なにする気?」

「救済だ」

「だから、救済って何よ」


 ケリーを見上げると、大きなため息をつかれてしまった。

 駄々をこねる子どもをなだめるような声色でケリーは告げる。


「吸血鬼に魅入られたお前に、吸血鬼はどういう存在なのかを教えてやる」

「知ってるわよ、そのぐらい」

「いいや。お前は何も知らない。吸血鬼達が俺の国で何をしてきたのか、聞かせてやる」

「……」


 ケリーは柚子が黙り込んだのを肯定と捉えたらしい。

 彼は感情のままに吸血鬼達から受けた仕打ちを語った。

 彼らにどれだけの人間が食われ息絶えてきたか。

 過去吸血鬼に支配された国があったが、すぐに人間がいなくなってしまい結局その国は滅びてしまった、だとか。

 ケリーの両親はハンターの家系だったために吸血鬼に殺された、といった内容が次々に出てくる。

 だが、柚子の心は少しも動かない。


「……吸血鬼達に蹂躙されたのは気の毒に思う。でもそれはアラン様に関係ないことだわ」

「関係あるだろ、吸血鬼だ。見ただろ、お前を襲ったあのおぞましい姿を。あれがあいつの本性だ」

「血を飲まなければならないほど疲弊させたのはあなたでしょ」

「あ?」

「そうなるように仕組んだくせに、本性なんて笑わせないで」


 柚子は何事にも揺らがない意志の強い目で睨み付ける。

 ケリーは呆れたように頭を掻きながら、大きなため息をついた。


「本当にお前はなにも知らないんだな。あいつは吸血鬼の始祖なんだよ。諸悪の根源だ」

「そんなこと、知っているわ」

「……は?」


 目を丸くしたケリーはますます意味が分からないと言わんばかりに狼狽する。

 柚子は畳みかけるように、自分の知るアランを口にした。


「アラン様は吸血鬼が人間を襲うことを是としなかった。心を殺して、人間を喰らった吸血鬼を、同胞を屠っていたわ」

「俺がそれを信じると思うのか?」

「思わないわ。でも、私は自分の目で見たアラン様を信じてる。だから、どんな事を言われてもアラン様を疑ったりしない」


 意志の強い目が、ケリーへと向けられる。

 何者にも曲げられたことのないその瞳は、夜空に浮かぶ月のように煌めいていた。

 ケリーは柚子の宣言を無視して話を進める。


「あいつは吸血鬼だ。血を求め、あいつがなにをしてきたのかお前は知らないんだ。最近巷を騒がせている吸血鬼騒動。犯人はあいつだ」

「私を揺さぶろうとしても無駄よ」

「あれだけ強力な吸血鬼はそうそういないからなぁ。大量の血を欲して襲いまくっていたんだろう」


 その言葉に、柚子はピクリと眉を動かした。

 ケリーの語るアランは、本人の口から聞いた話と大きく違う。


「嘘つき」


 柚子の口から、心の声が出てしまった。

 青筋を立てそうな勢いで睨み付けてくるケリーに、柚子は冷や汗を垂らす。

 しかし言葉が漏れてしまったのであれば仕方がない。

 柚子は唾を飲み込むと、口角を上げた。


「アラン様は人の血よりも甘い物が好きなのよ」

「は?」

「あの人は人間を愛しているの」

「……そうかい。んなに魅入られてるなら、お前はもう後戻りできねぇな」

「私は正気よ。魅入られてなんかいないわ」


 柚子はきっぱりと投げつけるような口調で鋭く言い放つ。

 よほど気に障ったのか、ケリーの眉が僅かに苛立ちを見せた。

 ケリーの感情が動いたと感じ取れたのはここまでだ。

 瞬きをする間に彼の顔から表情が消えていた。


「今からお前を救済する」

「だから、救済の意味が分からないって言ってるのよ」

「今からわかるさ」


 吐き捨てるように言ったケリーが懐からナイフを取り出した。

 冷たく光るそれを目にした途端、柚子の顔に初めて恐怖が宿った。

 柚子はついケリーの手に握られるナイフを凝視してしまい、少しの動きにも肩を揺らしてしまう。

 反射的に後ろへ下がろうとするが、手足の拘束が邪魔をして後退ることもできなかった。

 恐怖に体がすくみ、全身から血の気が引いていく。

 最悪の想像が頭をよぎり、柚子は絶望に満ちた顔をケリーへと向けた。


「救済って、そういう……」

「察しがいいのも困るわ。知らずにいれば怖がらずにすんだのになぁ?」


 頬からナイフが離れると、瞬く間に柚子の喉元へ振り下ろされ――


「嫌っ!!」


 ――柚子が叫んだ瞬間。

 まばゆいほどの光が、柚子から溢れ出た。

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