第21話「タルト・オ・ショコラ」
十字架を模した壁掛け時計から聞こえた、十二時を告げる音に柚子は我に返った。
目の前に並ぶのは、チョコレートを使った大量のスイーツだ。
西洋風の店内には甘い香りが満ちている。
木造りのカウンターを埋め尽くすそれに、柚子はやってしまったと頭を抱えた。
「作りすぎたわ……」
アランとケリーから外に出るなと忠告されてから、一週間が経った。
まだ世間を騒がせる吸血鬼は捕まっていない。
昼間に買い物をしているものの、開いているのは最低限の店だけだ。
失せ物屋への依頼はもちろんのこと、カフェーへの客もこの一週間来ていない。
数日間は父から送られてきた新しいレシピ集を読破することで過ごすことが出来た。
しかし、柚子は料理でしか溜まった鬱憤を晴らせなかった。
ほとほとに困った顔を隠すことなく、柚子は窓の外へと逃避を決め込んだ。
すでに太陽が落ちきり、夜空には半月が僅かに道路を照らしている。
「明日までに消費しきるのは……無理そうね。……はぁ」
試作品を大量に作ることと、むしゃくしゃしてやってしまったことは違う。
柚子がまた大きなため息をついた、その直後。
カリカリと何かをひっかくような音が扉から聞こえた。
柚子は足音を立てないようゆっくりと窓へと近づく。
そっと窓の外を覗き込めば、店先に黒猫が行儀よく座っていた。
金色の瞳を細め、小さく鳴くその猫はケリーから捕まえてくれと頼まれていた子に違いない。
探しても探しても見つからなかったというのに、なぜか今、三日月堂の前にいる。
柚子は焦りのまま勢いよく窓を開けた。
大きく体を跳ねさせた黒猫だったが、興味深そうに柚子を見るだけで逃げる様子はない。
柚子は視線を彷徨わせながら、猫へと話しかけた。
「ね、ねぇ、ごはん食べていく……?」
「にゃあ」
追いかけられていた時のことは覚えていないのか、黒猫はひょいと窓枠へ飛び乗った。
人に慣れているのか、柚子の腕にすり寄ってくる。
まるでお礼を言うかのような猫は慣れた様子で店内へと降り立った。
柚子は可愛さに癒やされながら窓を閉める。
振り返ると先ほど大量に作ったタルト・オ・ショコラへと顔を近づけた猫が、鼻をひくひくさせて興味深そうに匂いを確かめていた。
それを目にした柚子は早足にカウンターにいる黒猫の元へと向かった。
「食べちゃ駄目よ。猫には毒よ。ちゃんとあなたが好きなものあげるから、大人しく待っていて?」
言い聞かせるように告げると、黒猫は残念そうになぁんと声を上げた。
意思疎通ができているような気がして、柚子は思わず軽い笑い声を漏らす。
黒猫をひと撫でし、柚子は厨房へと回り込んだ。
冷蔵箱を開け、なにか食べられそうなものがなかったかと確認する。
「猫が食べられるもの、なにかあったかな……」
期待もむなしく冷蔵箱は空になっていた。
卵一つないそれに、柚子はそうだったと遠い目をする。
無我夢中でスイーツを作っていたのだから、冷蔵箱の中がなくなっていても気がつくはずもない。
(……黒猫ちゃんには悪いけど、お店が開くまで待ってもらおう)
冷蔵箱を閉め、そっとため息をつく。
そろりと原因に目を向けると、カウンターでは黒猫がタルトにかぶりついたところだった。
柚子は飛び上がり悲鳴を上げる。
「ああ!! 駄目だって!!」
焦りでもつれる足を必死に動かし、カウンターに回り込む。
黒猫の首根っこを掴むが意外と重量があり、簡単には持ち上がらない。
むしろ柚子が離そうとすればするほど早くタルトを食していく。
「だっ、からぁ、食べちゃ駄目なんだって!!」
「なぁん」
「死んじゃうのよ!?」
「にゃあん」
柚子が必死に止めるが、黒猫の食欲は収まる気配はなかった。
皿を下げようとすると飛んでかっさらっていかれ、それならばと黒猫を抱っこするといつの間にか腕から逃れられる。
柚子と黒猫の攻防はタルトがなくなるまで続いた。
もちろん勝者は黒猫だ。
「全部食べちゃった……。もー、どうなっても知らないからね」
「にゃ」
柚子はカウンターに座り、それに突っ伏した。
気が抜けてしまった柚子が思い出したように笑う。
「ふふ。あなたの食べっぷりを見ていたらアラン様を思い出しちゃった」
「んなっ」
口の周りにチョコと食べかすをつけた黒猫を撫でながら、柚子は眉を下げて笑った。
最近はアランが訪れることが多かったため、忘れていた。
夜も昼も、柚子の周りは泣きたくなるぐらいに静かだと。
誰かと笑いながら会話することがあんなにも楽しいものだと、柚子は知らなかった。
だから耐えられていた。
「……慣れてたはずなんだけどなぁ」
「なぁん?」
「慰めてくれるの?」
柚子にすり寄った黒猫が、元気を出せと言いたげに頬を舐める。
ざらついた舌がくすぐったい。
黒猫を撫で、柚子はカウンターから体を起こす。
「ありがと。寂しくなんてないよ。でも、今夜は一緒にいてほしいな」
「んにゃ」
快く返事をした黒猫を抱き上げる。
タルトを食べている間は抵抗ばかりされていたが、その暴れぶりは見る影もない。
大人しくなった黒猫を抱えながら、柚子は歩き出した。
「よし、じゃあまずはお風呂ね」
「なぁん!?」
「チョコレートまみれじゃ布団に入らせられないから、ね?」
「なぁああん!!」
◇◆◇
黒猫だけを風呂に入れた後、柚子はようやく自室へ戻った。
時計に目をやればまだ深夜の二時だ。
五時間は寝れると頭の片隅で思いながら、柚子は部屋の中を見やった。
二階の部屋は店舗と同じく西洋風で統一されており、天井にはガス灯がつけられている。
黒猫が佇む扉は樫の木で作ったと父が言っていた。
家具も西洋から取り寄せたものばかりで、本棚と猫足の鏡台、大きめの寝台が使いやすいよう置かれている。
(最低限の物でいいってお父様に言ったけど、この布団はもう手放せないわ)
寝台は柚子が体を大の字にしても十分すぎるほどの広さがある。
使ってみると寝心地がよく、筋肉痛の体でも寝起きがしやすかった。
柚子は寝台に腰掛けると、後ろへ倒れ込む。
誰かに見られるとはしたないと言われてしまうかもしれないが、柚子の日課のようなものだ。
一日の疲れを忘れるように伸びをする。
両手を広げれば、少し二の腕がだるい。きっと大量のタルト・オ・ショコラを作っていたからだろう。
痛みが和らぐ場所を探し、少し手を上げると寝台の上で山を作るレシピ本が雪崩を起こしてしまった。
「わぁ!」
柚子は慌てて起き上がり、レシピ本を抱えた。
ここ一週間は読みながら寝てしまう生活をしていたため、片付けることもしなかった本達だ。
レシピ本を本棚へと戻していれば、黒猫が心配そうに鳴いた。
「んなぁ」
「あ、びっくりしたかな? 驚かせてごめんなさい」
「にゃーん」
「これでよし」
レシピ本を本棚へと戻した柚子は今度こそ寝台へ横になった。
「一緒に寝よ? 温かいよ」
部屋に入ってから扉の前に座り込んでいた黒猫は、金色の目でじっと柚子を見つめてくる。
柚子が小首を傾げれば、黒猫はため息のような鼻息を出していそいそと布団へと潜り込んだ。
隣で丸くなった黒猫に、柚子は頬を緩ませた。
一人ではすぐに温まらない布団も、黒猫と一緒だとすぐに心地のよい温度に上がる。
(温かい)
スイーツ作りの疲れからか、半刻も立たないうちに瞼が落ちそうになってしまう。
今にも夢の国へと旅立ってしまいそうなほどの眠気に抗いながら、柚子は黒猫に声をかける。
「おやすみなさい。どこにもいかないで、そばにいて……ね」
それはケリーの依頼を遂行しようとして出た言葉か、自身の寂しさから出た言葉なのかはわからなかった。




