第18話「煙管の行方を追って」
アランに横抱きにされ連れて来られたのは、煙管を盗んだトロールが逃げ込んだ山の麓だった。
優しく降ろされるも、村の方からは怒号と柚子達と探せと叫ぶ声が聞こえてくる。
柚子は困惑しきった顔でアランを見上げた。
「アラン様、一体何が……」
「柚子は知らなくていいことだよ。ほら、トロールを探そう」
「……はい」
納得いかぬまま柚子は山へと足を踏み入れた。
踏み出す度に足が滑る感覚がある。
鬱蒼と茂る草木が陽光を遮り、泥濘を作っているのだろう。
時たま聞こえる木々のざわめきが、獣の呻き声を運んでくる。
(早く見つけないと、獣に見つかってしまう)
背中に氷を押し当てられたような感覚に、柚子はアランの袖を握った。
アランは少し目を見開いていたが、振り払われることはなかかった。
柚子はそっと息を吐いて、近場の木に触れる。
力を使い木の記憶を見るが、トロールはこの辺りを通っていないようで、姿を見ることは出来なかった。
その代わりに大柄な男に抱えられた女性が山の奥へと連れて行かれるのが見えた。
真っ白な白無垢を着た女性をこんな山奥のどこへ運ぼうとしているのか、柚子には分からない。
しかし、よくないことが起きていたと直感で理解した。
(あの女性、どこかで……)
思い出そうと考えを巡らせる寸前で、アランに声をかけられる。
「柚子。何も考えなくていい」
「……え?」
「この辺りにトロールの気配はないし、もう少し奥探してみる?」
「……そうします」
頷いた柚子はゆっくりと山の奥へと向かう。
途中何度もアランに手を引かれながら、少し肌寒い山道を進んだ。
(あれ……?)
ふっと、視界が開ける。
薄暗い山の中から一変、月光が降り注ぐ開けた場所に出たようだ。
陽光が射していなかったからか、柚子はすでに夜になっていたことに気がつかなかった。
意味が分からず、辺りを観察する。
不自然に長さの違う二つの石柱には苔が生えており、間には丸い石が敷き詰められている。
視界の奥には今にも崩れてしまいそうな家があった。
(家……じゃない、神社かしら? この石柱は鳥居だったとしたら納得できる)
柚子は行き着いた結論を口にすることなく、石柱へと足を向けた。
玉砂利を踏みしめながら近づき、苔むしたそれに手を置く。
力を使えば担がれていた女性が奥の建物に放り込まれる様と煙管を持ったトロールが入っていく姿が見えた。
顔を上げようとした、その時。
地に着いているはずの足が浮き、視界が回るようなめまいが柚子を襲う。
よろめく柚子を素早く支えたアランが、自身の胸へ彼女の頭を引き寄せた。
「物の記憶を読み取る力を使い過ぎだ」
「……そんなこと」
「もっと僕を頼ればいいのに。というかその様子じゃ歩けそうにないね」
「え? っきゃ」
自分のことのように痛ましげな顔をするアランが柚子を抱き上げた。
小さな悲鳴が口から漏れるが、彼は気にしてはくれない。
アランは柚子を見ようともせずに社へと向かっている。
視界がぐらぐらと回っているせいで、思考が追いつかない。
少し色っぽいような匂いと、腕に回る温かさばかりに気を取られて上手く言葉も出てこなくなってしまう。
柚子が内心大慌てしている間に、社に着いてしまった。
アランは器用にも片手で穴の空いた襖を開ける。
「誰……!」
そこには、柚子が見た白無垢を着た女性が座り込んでいた。
否、両手両足に縄が括りつけられており逃げられないが正しいかもしれない。
彼女を視界に入れたアランが、驚いたように言葉を零す。
「君は依頼に来ていた……」
「あの時の美丈夫じゃない。なんだ、来ちゃったの」
徐々に落ち着いてきた視界でようやく目に出来た彼女は、確かに依頼主と一緒に来ていた女性だった。
自嘲気味に笑う女性に、柚子は問いかける。
「ここで何を……?」
「祭りのための儀式よ。私は今夜、龍神様の花嫁となるの」
「そうなのですね。……アラン様、どう思いますか? 本当に龍神様は実在しているのでしょうか」
「そうだね。この山の雰囲気からして、そういう類いの怪異ではないと思うよ。どちらかというと……」
女性に頷いた後、柚子はアランの耳に顔を寄せて彼女に聞かれないよう言葉を交わす。
龍神と呼ばれる存在は何か、アランが口にしようとした直後、大きな声が聞こえた。
外を見ると、依頼主が肩で息をしながら柚子達を睨んでいる。
「やっと見つけました!! なんだ、自分から龍神様の花嫁になりに出向いてくださったとは、嬉しい誤算です」
「ちょっと!! 龍神様の花嫁は私!! 馬鹿なこと言ってんじゃないよ!」
「あなたは黙っていてください! 本当なら、君は俺の花嫁なんだ!!」
「龍神様に指名されたのだからしかたないでしょ!? 男ならぐだぐだ言ってないで次の女捜しなさいよ!」
「嫌だね! 俺はお前がいいんだ!!」
大声で言い合いを始めてしまった二人に、柚子は目を丸くした。
どうやら依頼主とこの女性は夫婦になる予定だったらしい。
だが龍神から指名をされてしまった女性は龍神の花嫁になることになってしまった。
ずかずかと女性の元に座り込んだ依頼主は、慣れた手つきで彼女の自由を奪っていた縄をほどく。
アランは大きくため息を吐き、凜としたよく通る声で喧嘩をする二人へと告げる。
「つまり、龍神がいなくなればいいんだよね?」
「……は?」
言い争っていたはずの二人から、地を這うような声が聞こえた。
柚子は慌ててアランを窘める。
「ちょ、ちょっと、アラン様! 不敬です!!」
「それは本当に神だった場合だろう? むしろ神を騙るのはそれこそ神への冒涜ではないかな?」
「……どういう意味ですか。龍神様は龍神様でしょう?」
「見ていればわかるよ。それで龍神は声を発すようになったんだい?」
「数年前からです。このお社の惨状を嘆いた龍神様が花嫁を毎年連れてくるようにとお声をかけられたのが始まりでした」
「ふむ」
依頼主の言葉を受け、アランは少し首を傾げた。
頭の中で結論がでたのか、彼は柚子をそっと降ろす。
優しげに頬を撫でられ、柚子の耳たぶにまで熱が集まった。
なんとか立つことができたが、まだ本調子とはいかないようだ。
「柚子。なにかあったらそこのトロールに守ってもらって」
「へ?」
足下を見ると、先ほど記憶の中で見た小さなもじゃもじゃとした生き物がいた。
それはよっと挨拶をするように手を上げる。
「えっと、トロールさん? よろしくお願いします……?」
柚子が頭を下げると、トロールは任せろと言わんばかりに胸を手で叩いていた。
可愛らしい行動に笑みを零す。
アランは安心したように社から出て、歩みを進める。
石柱と社の丁度真ん中に佇み、アランは誰もがゾッとするような、目を引きつけられる笑みを浮かべた。
「美味しそうな人間がいるなぁ。僕が食べてしまおうか」
アランが呟いた、その時。
社の周りに生い茂る木々がざわめき始めた。
がさがさと何かが蠢く気配がする。
神と名のつく者が持っている気配ではなかった。おぞましい何かがいるのは間違いない。
柚子は冷水を浴びせられたように血の気が引いていく。
それは依頼主たちも同じだったようで、彼らは身を寄せ合ってがたがたと震えていた。
闇の中から、何かがアランに向かって飛び出す。
「あれは俺の獲物だ!!! 横取りなど許すものか!!」
怒気を含んだ声が響く。
血のように真っ赤な目。尖った犬歯の隙間からは飢えた獣のようによだれを垂らしている。
黒色の髪を振り乱してアランへ襲いかかるそれは人間の姿をしていた。
月明かりに照らされ、その姿がよく見える。
依頼主達から小さな悲鳴が漏れた。
「君が龍神なのかな?」
「あぁ、そうだ。今夜花嫁は俺の餌となる」
「……だそうだけど、君たちの信仰する龍神はこんな低俗な人間なのかな」
「ちっちがう! 龍神様はもっと神々しくて、凜々しくて……」
呆然と自称龍神を見つめる女性とは違い、依頼主はすぐさま否定した。
困惑の抜けきっていない声は少し震えており頼りない。
だが、しっかりとアラン達の耳に届いたようだ。
自称龍神は我を忘れたように怒りで頭に血を上らせた。
「血をよこせ!! 花嫁じゃねぇ、お前だ!! お前からはいい匂いがするからな、お前で勘弁してやるよ」
「そんなこと僕が許すと思うのかい?」
「は? お前の許しなんていらねぇ――え?」
何かが破裂するような、重い金属音が闇夜を切り裂く。
何が起こったのか目で追えず、柚子はアランを凝視する。
彼の手に銀色に輝く銃を見つけ、ようやく銃で撃ったのだと気がついた。
自称龍神は自身の胸とアランを何度も見比べている。
胸から溢れ出るはずの血斑は広がらず、代わりに灰色の波紋が広がっていく。
崩れ始める体を繋ぎ止めようと自称龍神は胸に手を当てるが、バランスを崩したのか奇妙な回転をして倒れ込んだ。
自称龍神を見下ろすアランの瞳は酷く冷徹だが、わずかに憂いが滲んでいた。
「……誰かに吸血されたね? 吸血鬼への変貌を遂げて正気を保っているとはたいしたものだ」
「だったらなんだんだよ」
「すまなかったね」
アランが自称龍神に跪いた。
胸に手を当て頭を下げる彼に当惑したのは目の前の自称龍神だけではない。
依頼主達も目を見開いて驚いている。
(アラン様が責を負うことはないのに……。本当、優しい人)
アラン達のやり取りを見届けた柚子は、気付かれないよう憂いを吐いた。
胸から広がった崩壊は風に煽られて消えていく。
自称龍神の灰が一つ残らず消えるまで、アランは跪いていた。




