第14話「夜咄」
扉が閉まり、呼び鈴の音がやけに大きく響いた。
予想以上に大きな声が出てしまい、柚子は恥じるように視線を下げる。
アランがどのような顔をしてるのか、柚子には分からない。
だがとても困っているだろうと予想はついた。
事実、言葉を受け取ったアランの顔は困惑を通り越して唖然とした面持ちをしていた。
「心を砕くのが面倒だって言ってた女の子から出る言葉じゃない気がするなぁ」
からかいと僅かな困惑を滲ませた声色だ。
優しくほどかれた手をそっと握られる。
ゆるゆるとアランへと視線を戻すと、今まで以上に穏やかな顔をしていた。
柚子は彼が距離を置こうとしているのだと察してしまう。
慣れた様子のアランの目には憂いもなにもない。
ただ、泣きたくなるほどに優しい表情で微笑んでいるだけだ。
(アラン様はこれまでも正体を知られた人からは距離を置いてきたのだわ。……私と一緒ね)
離れそうになるアランの手を包むように握ると、一拍だけ、瞳孔がかすかに開いた。
彼を見上げ、柚子は静かに告げる。
「稀血の持ち主であること、|物の記憶を読み取れる力を持っていること、それらは全部、私の秘密でした。悪意を持つ人々に利用されないために、一線を引いていたに過ぎません」
「……」
本当は人一倍、人との関わりが欲しかった。
人とは違う能力を持っていても柚子を見てくれる人がいるはずだ。
そう信じていたが、何度も裏切られるうちに心がすり切れてしまった。
けれど人との関わりを諦めきれず、三日月堂を営んでいる。
心を砕きたくないとの言葉に偽りはない。ただ半分方便で、半分本音なだけで。
期待してしまえば裏切られた時、心の傷が大きくなってしまう。
だから柚子は一線を引く。
しかし、アランはその引いた線を軽々と飛び越えてきてしまう人だ。
秘密を知ってもなんてことのない顔で普段通り接してくれる。
たったそれだけで、心の天秤が傾いてしまった。
「だけど、アラン様は私を利用したりしないでしょう? 気味悪がって離れて行くこともない。それだけで心を砕いてもいいと思えたんです」
「……そっか。光栄だね」
「だから私も、アラン様の秘密が知りたくなりました。駄目、ですか?」
その一言に、アランの表情がほんの少しだけ崩れた。瞬きで見過ごしてしまうほどに。
柚子が首を傾げる。
アランは少し考えた後、やけにあっさりと頷いた。
「わかった。でも今日は遅いから、また今度にしよう」
「……そうやって二度と来ないつもりですか」
じっと見つめれば、アランはたじろいだ。どうやら図星だったらしい。
逃がすものかと柚子は握っている彼の手に力を込めた。
しばしの沈黙が店内を包む。
周りの音がすべて切り取られたような静寂の中、二人は見つめ合う。
目を逸らした方が負けだと言わんばかりの状況で、白旗を上げたのはアランだった。
彼は諦めたように大きなため息を吐く。
「柚子は本当、予想外のことをしてくるね。逃げ出せばよかったのにって後悔しても知らないよ?」
「望むところです」
金色の瞳を真っ直ぐに見つめながら、柚子は頷いた。
◇◆◇
店ではなく二階の部屋にアランを通した。
石油ランプの光だけが室内を照らす。
銀色の髪が灯りに照らされ、ほのかに赤く輝いていた。
柚子の正面に座るアランを見ると、温かな気持ちがほわほわとわき上がってくる。
(なんか、家に人がいるって変な感じ)
柚子はアランを見つめ、過去に思いを馳せるような遠い目をしている彼の言葉を待った。
「どこから話そうか……。柚子は何から知りたい?」
「えっと、どうしてあの吸血鬼がユアハイネスと言ったのか、聞きたいです」
「うん、わかった。僕はね、吸血鬼の始祖の一族が作った最高傑作なんだ。吸血鬼の王になるために作られた」
「作られた……?」
アランはどこをどう見ても生身の体だ。
作られたと言うからには、中身が機械であるのだろうか。
柚子が目を瞬かせると、アランは軽やかに笑った。
「柚子は分かりやすいね。大丈夫。僕の体は人間と同じ構造をしているよ。まぁ吸血鬼だから完全に一緒ってわけじゃないんだけど。でも僕は他の吸血鬼と違って太陽光でも死なないし、銀でも殺せない。……痛くないわけじゃないけどね」
「それじゃあ……アラン様はずっと生き続けるということですか? 一人きりで、ずっと」
「察しが良いね。その通りだよ。そんな悲しい顔しないで。長年生きているからこそ気がついたこともあるんだ」
今にも泣き出しそうに顔を歪めた柚子の頬へ、アランが手を伸ばす。
目尻をなぞった手が優しくて、柚子はますます鼻の奥がつんとした。
アランが眉を下げて微笑む。
柚子を気遣うようなそれは、桜の花びらのように脆く繊細な表情に見えた。
「僕はね、一歩一歩着実に時代を進める人間が好きなんだ。変化を受け入れる、人間の進化をこれからも見てたいと思ってる」
「そうなんですね」
「あぁ。それに吸血鬼達に提案したことがある。我々も人間と手を取り合い、変化を受け入れるべきじゃないかと」
「……受け入れられなかったんですか」
「うん。吸血鬼達は己が人間を支配していた時代が忘れられないんだよ」
アランは困り切った顔で眉を下げる。
口元に微笑をたたえているが、どこか寂しげだ。
柚子は先ほど襲ってきた吸血鬼をアランが屠ったことを思い出す。
もしかしたら彼は、これまでも人間と共存できない同志を手にかけてきたのかもしれない。
アランの手慣れた様子を脳裏に浮かべ、柚子は頬に添えられたままの手にすり寄った。
「悲しくはないのですか」
「うーん、どうして分かってくれないんだろうって思ったことはあるかな?」
そっと手を離される。
温かさが頬から離れると、柚子は少し肌寒く感じてしまう。
拳を握りしめたアランは憂いを帯びた金色の瞳を伏せた。
「吸血鬼の中には人間社会に溶け込んでいるものもいる。だけど、それは少数だ。人の社会で生きていくなら、人の世に馴染まなければならない。それが出来ず、秩序を乱す者達を僕はこの手で始末してきた。いわゆる同士討ちってやつだね。……軽蔑するかい?」
「いいえ。アラン様がその決断をされたお陰で私は助かりました。感謝こそすれ、軽蔑なんて……」
「そっか。よかった。他に聞きたいことはあるかな?」
「すごい失礼かもしれないのですが……アラン様は血を……」
「あるにはあるよ。正体を知ってもなお一緒にいてくれた人が、自分の血をくれたぐらいかな。自ら進んで飲もうと思ったことはない」
静かに告げたアランを見上げる。
柚子の視線に気がついたのか、彼はいたずらをする子どものような笑みを浮かべた。
「この国に来て人の血を吸ったことはないよ。正直なところ、人の血を啜るより、スイーツの方が好きなんだ」
「え……?」
「今まで食べてきた中でも柚子の手がけるスイーツは絶品でね。毎日食べたいぐらいだよ」
「あ、ありがとうございます。すごく嬉しい」
少し顔が熱いのは突然褒められたからだろう。
柚子は照れ笑いを浮かべ、恥ずかしさから手を擦り合わせた。
アランは何も言わずに優しい目で柚子を見つめるだけだった。
そわそわとした心を誤魔化すように、柚子は話題を変える。
「そういえば、吸血鬼って動物に化けることができるんですよね、やっぱりアラン様も?」
柚子の口から漏れた疑問に、アランは目を瞬かせる。
予想外だと言わんばかりの顔で彼は微笑んだ。
「ずいぶん可愛らしい質問だね。うん、なれるよ。蝙蝠が一般的だけど、なろうと思えばなんにでも」
「なんにでもなれるなんてすごいです! あ、あとさっき空、飛んでましたよね? あれはどういう……」
「空を飛ぶのは魔術の一種だね。って言ってもすべての吸血鬼が使えるわけではないんだ。あぁ、変化するのも、頬の傷を治したのも魔術だよ」
「なるほど……。アラン様が魔術を使えるのは、始祖だからですか?」
「良い着眼点だね。そうだよ」
柚子はいつの間にか前のめりになりアランに質問攻めしていた。
彼は聞いたことは全て教えてくれる。
そのことに、信頼してくれてるのかもしれないと心がそわそわした。
柚子は好奇心のままに質問を繰り返していたが、小一時間ほど経った頃に制止の声をかけられる。
「柚子。そろそろ寝ないと明日に響くよ」
「あ……そうですよね。じゃあ最後にひとつだけ」
「なんだい?」
「私、すごく安心しました」
目をきょとんとさせたアランが首を傾げた。
いつもアランがするように、柚子は彼の手を取る。
少し冷たい体温だが、今はその温度も心地良い。
アランを見上げ、柚子は気の抜けた笑顔を向けた。
「吸血鬼は怖いものだとばかり思っていましたが、アラン様みたいな人がいること、とても心強く思います」
「……僕も吸血鬼だよ」
「はい。でもアラン様はあの吸血鬼とは違う。こうやってちゃんとお話ができますし、楽しんだり、悲しんだり、喜んだりする心があります」
「……」
アランは眩しいものを見るように目を伏せた。
彼の唇がかすかに震えている。何か言いかけたが声にならなかったように、唇が結ばれた。
その沈黙を受け止めるように柚子は言葉を重ねた。
「アラン様はちゃんと人の痛みをわかってくださる。誰かを傷つけることを恐れて、胸を痛めて……それって、人と同じです。いえ、それ以上に、あたたかい」
アランの肩がわずかに揺れた。
まるで、凍りついていた氷に小さな亀裂が走ったように。
「私はアラン様が吸血鬼でも、怖くありません」
アランはようやくゆっくりと顔を上げた。
金色の瞳にかすかな驚きと、にじむような光が浮かんでいる。
「……君は、変わってるね」
ようやく絞り出された声は、苦笑まじりだった。
アランから告げられた言葉は耳なじみのあるものだ。
褒め言葉ともとれるそれに、柚子は頬を緩める。
「よく言われます。でも……たぶん、アラン様も同じです」
柚子の言葉に、アランの瞳がふっと細められた。
それは初めて見せた、ほんのわずかな笑み。けれどそれは確かに、人間らしい微笑だった。




