第9話「シュー・ア・ラ・クレーム」
正装でお菓子を食べにきたと世迷い言を零したアランを見つめる。
疲れを宿した金色の目と視線が絡みそうになり、慌てて柚子は視線を降ろした。
アランは普段の軽装ではなく、かっちりとした洋装を身にまとっている。
華族の間で流行の三つ揃いは恐ろしいほどアランに似合っており、色気に惑わされる女性が出てきてもおかしくない。
今から社交界の場にでも行くのかとあらぬ事を考えてしまう。
一目で質がよいと分かってしまう洋装は、汚してもいいものなのだろうか。
今日のメニューを思い出しながら、柚子は内心冷や汗をかいてしまう。
「駄目かな?」
「いえ、駄目というよりも、その……お洋服にシミでもついたら大変なことになるな、と……」
「あぁ、そんなこと。気にしないでいいよ。代わりならいくらでもあるから。それよりも、今日は何を作ってるのかな? チョコレート菓子ではなさそうだけど」
「……今日はシュー・ア・ラ・クレームです」
観念した様子で柚子は仕込み済みの洋菓子の名を告げた。
するとアランは金色の目を子どものように輝かせる。
ますます駄目だと言い出しにくい雰囲気が店内に広がってしまう。
(クリームを零したら自己責任よね)
柚子は駄目という言葉を呑み込み、冷蔵箱へ足を向けた。
砂糖を加え泡立てたクリームを取り出し、絞り袋へと移し替える。
これは先ほど帰ったケリーへ出したフールでも使ったものだ。
丁度焼き上がったばかりのシューを石窯から出し、半分に切る。
その間に絞り袋に入れたクリームをしぼり、シューの帽子をかぶせたらできあがりだ。
(アラン様、またたくさん食べるのかしら)
五つほど作った柚子はシュー・ア・ラ・クレームを木製の皿に並べ、今か今かと待ちきれない様子のアランへと差し出した。
小さなそれに手を伸ばしたアランをじっと見つめる。
クリームは簡単に作れたが、シューは難敵だった。
膨らむ大きさを考えて生地を焼かなければくっついてしまうし、うまく膨らまないなんてこともしばしばあったからだ。
コツを掴み、納得のいく出来になるまで予想以上に時間がかかってしまった。
(食感はサクッと、クリームと一緒に食べたらしっとりなるよう作った、はず)
食い入るように見つめていると、ついにアランの口の中にシュー・ア・ラ・クレームが運ばれた。
「ん、美味しい。いつもはカスタードでいただくんだけど、このクリームもなかなかくせになりそうだ」
「よかったです」
とろけるような笑みを浮かべるアランに釣られ、柚子も笑みをこぼす。
何度経験しても人にお菓子を食べてもらう瞬間はいつも緊張してしまう。
だが、無意識に目尻が下がったアランを見ると、本当に美味しいのだとわかり、心がほわほわと温かくなる。
「何が入っているんだい?」
「レモン汁が少し……。お口に合ったようならなによりです」
「もっともらいたいんだけど、まだあるかな?」
「えぇ。頑張ってたくさん作りますね」
柚子が力こぶを作ってみせる。
アランがくすくすと笑いながら、シュー・ア・ラ・クレームへと手を伸ばす。
彼が味わって食べているその間にたくさん同じものを量産する。
作っても作っても終わらない作業に、柚子は無心で励む。
柚子はこの何も考えない時間がとても好きだ。
目の前のお菓子に集中すれば、嫌なことも全て忘れられる気がした。
手元のクリームがなくなると柚子は大きなボールを持ってきて、新しく泡立て始める。
時たま味を変えるためにカスタードを使ったり、液体状にしたブラックベリーを乗せてみたりした。
シューも同時に焼き上げながら、一心不乱にシュー・ア・ラ・クレームを作っていく。
それは出来たそばから消えていくため、休む暇もない。
しかし、柚子の頬は自然に緩み、冷め切っていた目は楽しいと言わんばかりの目へと変わっていた。
柚子がほのかに疲れを感じてきた頃、ようやくアランの手が止まる。
「美味しかった。ごちそうさま」
「お粗末様でした」
「すごいたくさん作ってもらっちゃったね。疲れてない?」
「えーと、少しだけ……」
夢中で作っていたため、今はあまり感じない。
興奮のせいだろうが、熱が冷めれば一気に疲れがやってくるだろう。
頼りなさげに笑った柚子をアランが手招きする。
目を瞬かせた柚子はカウンターを回り、彼の前に立つ。
「どうされましたか、アランさ――きゃあ!?」
ひょいと横抱きにされ、柚子はアランの膝の上に座らされる。
急激に近づいた距離に心臓が口からまろび出そうだ。
楽しそうな顔をしたアランが、まだ残っていたシュー・ア・ラ・クレームを一つ摘まんだ。
「柚子。口を開けて」
「えっと」
「あーん」
「あ、あーん」
シュー・ア・ラ・クレームを口へ運ばれ、有無を言わせずに食べさせられる。
親鳥が雛にするかのように当たり前にされた行動に、柚子は大きく目を見開いた。
さくさくと歯切れのよい音のシューと舌の上で溶けるようなクリームを飲み込む。
(結構美味しくできた。……ってそうじゃなくて)
頭の中で自画自賛した柚子は我に返り、声を上げる。
「アラン様!」
「どうしたの?」
「簡単に抱き上げないでください! 私は子どもじゃありません!」
「ごめんごめん。ずっと立っているの疲れたかなと思ったんだけど……お節介だったかな」
「……お気遣いありがとうございます。でも大丈夫です」
アランの膝から飛び降りれば、彼は少し残念そうに眉を下げた。
それと同時にまた呼び鈴が鳴った。
今日は珍しくお客が多い。
柚子が店の出入り口へ目を向けると、そこには洋装に身を包んだ男性が佇んでいた。
扉を開けてはいるが、なぜか店内に入ってこない。
「旦那様。お時間ですよ」
「あぁ、すまない」
男性の言葉にアランが立ち上がる。
どうやら男性はアランが雇っている使用人らしい。
常々感じていたが、彼はやはり上流階級の人間のようだ。
柚子はそっと頭を下げる。
「お迎えが来たようですので、今日はここまでですね。また来てくださいね」
「もちろんまた来るつもりだよ。でも……」
後ろに下がろうとする柚子の手をアランが取る。
簡単に引き寄せられ、アランの胸へぶつかってしまった。
抗議しようと柚子が上を向く。しかし、口にすることはできなかった。
彼の表情全てが、反論は聞かないと言っていたからだ。
色気と有無を言わさない威圧感がふんだんに含まれた金色の瞳。
口元は自信たっぷりにつり上げられ、余裕がみてとれた。
薄い唇が、強気に弧を描く。
「今日はもう少し一緒にいようか」




