周知
(……エリー、なのか?)
うなじが見えそうなほど短い髪はまるで少年のようにしか見えない。聖女であるにもかかわらず何故そのように奴隷のように髪を切り落とされているのか。
魔王に隷属させられたということなのか、とヴィクトールが信じられない思いで見つめていると、不意にその瞳が不快そうに眇められる。
「順番に治してやるから大人しく待ってろ。それよりもいつまでエルヴィーラの足を掴んでいるつもりだ」
変態なのか、と呟くエリーの声に慌てて手を離す。
「これは、違う――」
「うるさい、治療の邪魔するな」
誤解を解かねばと激痛を堪えて口を開いたのに、容赦なく拒絶される。だが真剣な表情にそれ以上言葉を重ねることは躊躇われて、ヴィクトールはその横顔を見つめることしか出来なかった。
小さな息を吐いてエリーが手を離すと、少年の瞼が震えてゆっくりと瞳を開く。
「聖女の、ねえちゃん……」
「まだ起きるな。怪我は治したが失った血液が戻るわけじゃないから、休んでおけ」
乱暴な口調だが、声には労りが満ちていて何故か胸が痛む。
ようやくこちらを向いたエリーは、ヴィクトールの横に座り込むと両手を傷口に添える。鋭い痛みと失血による震えがぴたりと止まり、湯の中を漂っているような温かさが身体の隅々に巡っていく。
(これが聖女の癒しの力……)
その心地よさを引き寄せるように思わずエリーの左手に自分の手を重ねが、振りほどかれることはなかった。ほのかな手の温もりに涙が零れ落ちそうになり、ヴィクトールは瞳を閉じて自分の不可解な感情に思いを巡らせた。
「終わりました。殿下もしばらくは安静にしておいてくださいね」
その声に瞼を開けば、疲れたようなエリーの顔が視界に映った。起き上がろうとすればくらりと視界が揺れたが、耐えられないほどではない。
「……何故、私を助けた?」
「神官長の思い通りにさせたくなかったので。――でも次はありませんよ」
その苛烈な眼差しが、冷ややかな態度が彼女の自分に対する気持ちをよく表している。例え跪いて許しを乞うてもエリーが受け入れることはないだろう。
「ああ……済まなかった」
それでも謝罪の言葉が自然と零れた。
姑息な手段で彼女を得ようとしたのに、それでもエリーは自分を癒してくれたのだ。
貴重な力を得てもそれをどう使うかは彼女自身の選択である。そして城から逃げ出したことも彼女が望み実行した結果なのだと、意志の強い瞳を見て思い知らされた。
魔王に惑わされているのだと思い込んだのは、自分自身の願望に他ならない。
(器が違うとはこういうことか)
彼女が自分に釣り合わないと父に言われ理由がようやく分かった気がした。
「反省できるのなら、やり直すこともできるでしょう。――エルヴィーラ、フリッツを運ぶのはジャンに頼もう」
聞き覚えのある名前に辺りを見渡せば、いつの間にか男が立っていた。腰の剣に手を添えていつでも対応できるように控えており、恐らくは初めからそこにいたのだろう。
するつもりはなかったが、仮にエリーの嫌がるような行為に及ぼうとしていたら助かった命を無駄にしていたかもしれない。
「エリー様、ジャン様には護衛の役割がありますからフリッツは私が背負いますわ」
「うーん、じゃあ交替しながらにする?流石に一人じゃ大変でしょ」
「わ、私が、引き受けよう」
意を決してヴィクトールが声を上げれば、二人のエリーが同時にこちらを振り向いて強張っていた顔がさらに固まった。
侍女であると分かった今でも、顔は変わらないのだからつい動揺してしまうし、あり得ないことを言ったという自覚はある。
「……俺、自分で歩けるよ」
警戒心をむき出しにした少年は自力で立ち上がろうとして、バランスを崩す。咄嗟に手を伸ばすが、傍にいたエリーが難なく受け止めていた。
行き場のない手が無性に恥ずかしい。
「休んでおけと言っただろ。っていうかやっぱり男の子だし、結構重いな。――ヴィクトール様、この子を背負ってもらってもいいですか?」
「え……ああ、いや私は構わないが……彼は、嫌なのだろう?」
助けるどころか見殺しにしようとしていたのだから、当然だろう。現に不安と嫌悪感が入り混じった表情を浮かべて首を横に振っている。エルヴィーラという名の侍女も困惑したようにエリーのほうを窺っている。
「大丈夫だ、フリッツ。背負われているんだから、マズいと思った時には首を狙えばいい。ヴィクトール様、お願いしていいですね?」
そんな不穏な言葉に早まったかと後悔しかけたが、一度口にしたことを取り消すつもりはなく頷いた。
「そのほうが王太子殿下にとっても安全でしょう」
(そういえば、聖女逃亡に手を出して騎士の資格を剥奪された騎士の名がジャンだったな)
そんなことを思い出しながらも、護衛であるジャンの言葉が引っ掛かった。
疑問に思っているのは自分だけではなく、エルヴィーラとフリッツも同様の戸惑った表情を浮かべている。
一方、ジャンとエリーは視線で何やらやり取りをしていたが、エリーがその疑問に答えてくれるまではそう時間はかからなかった。
「神官長がしたことの映像が……いや、それじゃ通じないな。えっと、簡単にいうとこの地下牢で行われていた様子が神殿の壁に映し出されていたんだ。だから神殿の関係者も街の人たちも何が起きたか知ってるんだよ」




