好機と約束
むわりとした熱気とスパイシーな香りの先を辿れば、表面をこんがりと焼かれた串焼きが目に入る。
「食うか?」
揶揄うような口調だが、美味しそうな予感しかしない串焼きの誘惑には勝てるはずがない。
「食べる」
「ちょっと、ディルクさん!?いいんですか、あんな庶民の食べ物を食べさせて!」
後半は流石に小声だったが、瑛莉の耳にはしっかり届いている。
「ジャンは?食べるの、食べないの?」
「あ、食べます」
反射的に答えたジャンに頷きかけると、瑛莉は店主に声を掛けた。
「おじさん、串焼き3本ちょうだい」
「はいよ、熱いから気を付けな」
「うん、ありがとう」
手早く精算を済ませてそれぞれに串焼きを渡すと、瑛莉はさっそく串焼きをかじった。塩、胡椒に恐らく臭み消しの香草がまぶされていて、シンプルなのに口の中に広がる肉汁がたまらない。
「熱っ!――ふぅ、美味しい。ジャン、早く食べた方がいいよ?」
ぽかんと目を丸くしたジャンに声を掛ければ、こちらをちらちらと見ながらも慌てて肉にかぶりついている。
(ああ、普通のお嬢さんたちはこんなところで立ち食いしないのか)
通路や店先で飲み食いしている人たちはいるが、圧倒的に男性が多いようだ。
「食い終わるまでじっとしておけ」
通りを観察していると先に食べ終わったディルクに声を掛けられる。ぶっきらぼうな口調だがさり気なく移動して通りから瑛莉が見えないような位置に立ってくれていることには気づいていた。
こういうところは流石騎士だなと感心しながら、瑛莉は串焼きを食べ終える。
「次はどこに行きたい?女性に人気の雑貨店はあちらの通りだけど、お菓子なら一本奥の通りにあるお店がお勧め。香水とかアクセサリーならやっぱりリーリャのお店かな」
「干した果物とか保存食が売っているお店に行きたい」
先ほどの串焼き代を払おうとしたジャンに案内代だと言って断ったからか、説明に気合が入っている。
「え、保存食?あー、えっと……じゃあこっちかな」
何でそんなものが必要なんだと不思議そうな顔をしたものの、疑問を口に出すことなくジャンは店へと案内してくれた。喧騒から離れた通りにある店には瓶詰のナッツやドライフルーツ、豆類などが所狭しと並べられている。
(栄養価も高くて、日持ちするもの。そのまま食べられるものがいいな)
食糧がない状態は瑛莉にとって死活問題だ。心に余裕がなくなるし、どうしても昔を思い出して鬱々とした気分になる。
(あの頃よりも出来ることは多くなったから、監禁されない限り飢え死にする心配はしなくて良いんだろうけど)
幼い頃の記憶は瑛莉にとって悪夢でもあり財産でもある。あの経験があったから「先生」と関わるようになり、頑張り続けることができたのだと思う。
真剣に食材を吟味していると、ディルクが店から出ていくのが見えた。ジャンが残っているので問題ないが、何かあったのかと少し気になる。
「ゆっくり選んでいいからね。……もし持ち合わせが足りなくなったら、立て替えておくので欲しい物を買っておくようにってディルクさんが言っていたよ」
「うん、ありがとう」
頭の中で使える資金を計算しながら選んでいたことを見透かされたようで、瑛莉はそっけなく返事をする。もちろん立て替えてもらうつもりもなく、銀貨を数枚残して買い物を終える頃、険しい表情をしたディルクが戻ってきた。
「副隊長、何かあったんですか?」
先ほどまでと様子が違うディルクに何か察したのか、口調を改めてジャンが訊ねる。
「ああ、ちょっとした暴行事件が起こってな。怪我人の保護と現場の引継ぎに人手が必要だ。――エリー、少しだけ一人で待てるか?」
「あ、うん。大丈夫」
思いがけない問いに反射的に頷くと、ディルクは安心したように口角を上げた。
「副隊長、ですが――」
「エリー、十分もかからないはずだから店内で待っていろ。……あとこれやるからいい子にな」
何か反論しかけたジャンを遮り、ディルクは瑛莉の手に何かを押し付けて身を翻す。ジャンは一瞬躊躇いを見せたが、「すぐに戻るから」と声を掛けてディルクの後を追った。
それを見送って手の平に残されたものを見れば、紅水晶ローズクォーツが埋め込まれた髪留めだ。
(子供じゃないんだから物で釣らなくても……)
そう思いながら入口の扉に手を掛けた時、瑛莉は気づいてしまった。もしかしてこれは好機なのではないかと――。
(今なら一人だ……)
心臓がドクドクと早鐘を打っている。城内と違って危ない真似をしなくても人混みに紛れてしまえばすぐには見つからないだろう。聖女の存在はまだ公にされておらず、瑛莉の手元には少額の現金と保存食がある。
自分の意思で来たわけではないのにあそこにいる限り、瑛莉は理不尽な目に遭わなければいけない。癒しの力がなく、浄化の力も弱いと見なされている今なら逃げ出したところでさほど探されないのではないか。
二人がいなくなった方向に目を向ければ、まだ戻ってくる様子はない。だが十分もかからないと言っていたのだから、迷っている時間がないのも事実だ。
(でも逃げたらディルクとジャンに迷惑がかかるかもしれない……)
かも、ではなく確実にかかるだろう。護衛として同行しているのに、目を離した隙に失踪したとなれば、任務を怠ったと何らかの処罰が与えられるに違いない。
何だかんだとディルクは自分の世話をしてくれたし、ジャンも親切にしてくれた。
待てるかと聞かれて頷いたのは自分だ。逃げるとなれば約束を破ることになる、そう考えると罪悪感で胸が締め付けられ、手の中の髪留めが妙に重く感じられた。
(理不尽なことから逃げてもいいって「先生」は言ってくれた)
約束を守れないのは悪いことだし、この行動が間違っているのだと分かっているのに、この機会をどうしても逃したくはないと弱い自分が叫んでいる。
迷っている時間はない。
「―――っ!」
ディルク達が消えた方向から目を逸らし、瑛莉は反対の方向に向かって駆け出した。




