81 初野営
目的地付近に到着したころには、すっかり夕方になっていた。
『てめえと歩いたら日が暮れる』なんて朝方ぶつくさ言われていたことが、本当になってしまった。
だけど幽霊茸は夜行性なので、都合がいいと言えばいいよね!
歩き通しの上にスライムとの戦闘(?)も経て、僕は結構へとへとになっているけれど、そんなことは微塵も気付かれないよう背筋を伸ばして歩いている。
「ねえ、そろそろ野営の準備をしないの?」
「あっちだ」
……何が? 噛み合わない会話にしばし首を傾げ、野営の場所かなと見当をつける。そうか、野営するにも適した場所があるんだろう。
とはいえ、この辺り一帯は僕の背丈に近い草が生えていて、僕の視界は非常に悪い。テントを張るには草抜きから始めなきゃいけないかも。
溜め息を吐いて足を止めた時、微かな音が聞こえた。
「あれ? これ……水の音? 川かな?」
「るっ!」
高く飛んだグリポンがディアンの代わりに返事して、頭の上に戻って来た。
近くにあるんだね。
そう納得して早々、プツリと地面が途切れたように草がなくなった。
「わあ……こんな綺麗に境界線ができるんだ」
あと一歩踏み出せば、そこは石と砂の領域。草の領域から、ぴょんと跳んでその境界線を飛び越えた。
着地した足の裏が、想定外の感触を踏む。
簡単にバランスを崩した僕の腕を、ディアンが捕まえた。
「いちいち転ぶな!」
「僕だってそうしたいんだけどね?!」
ありがとう、と姿勢を戻して足元を確かめる。
さっきまでのびくともしない大地とは、全然違った。細かな砂でできた地面は、ぐずぐずと柔らかい。
奥には、湖と見紛うような大きな川が、静かにとろりと流れていた。
川って、こんなに大きいのがあるんだね。森に流れるものとは、随分違う。
遡って上流を眺めても、果ては見えなかった。
すごいね、と声をかけようと見やれば、ディアンの背中がとうに離れていて慌てて追いかけた。
「待ってよ! おいて行ったら、僕食べられちゃうよ?」
「自分で警戒しろ! 見通しがいいだろうが」
言われて、なるほどと見回してみる。
おそらく増水する影響なんだろう、川のそばは広く砂の地面が広がって隠れる場所がない。
魔物が居ればよく見えるね。まあ……僕らの姿も丸見えだけど。
「じゃあ、ここで野営なの? 川、大丈夫?」
「雨が降らなければな」
そっか。どっちのリスクを取るかって話だよね。
ふむふむ頷いているうちに、ディアンはさっさとテント一式を取り出している。
「待って待って、僕が手伝うから!」
「お前が……?」
胡散臭そうな顔にしっかり頷いて、得意満面で地面へ手を添えた。
力仕事はできなくても、こういうことなら!
「いち、に、さんっ!」
気合一発、ぐっと土の魔力を高めた。
微かに振動が伝わって来る。
ブブブ、と震えた地面がゆるりと溶け広がるように、滑らかに均された。
「手伝うってそういう……」
「地面が滑らかじゃないと、辛いでしょう?」
ちっちゃな小石でも、背中に当たるとすごく不愉快だよね。
テントひとつ分均した地面は、切り抜いたように美しい。
いい仕事した、とにっこりディアンを見上げた。
「……お前、野営って何か知ってるか?」
じとり、と睨まれて唇を尖らせる。
「し、知ってるよ?! でも、できる範囲で快適さを追求してもいいでしょう?! 翌日のパフォーマンスに影響するよ?! 創意工夫も必要だよ?」
「どこが創意工夫だ、力業だろが」
確かに、とは思いつつ、素知らぬ顔をしておく。
さっさとテントを組み上げていくディアンの手際は見事なものだ。
すごいね。手慣れているっていうのは、こういうことだ。
「ディアン、カッコイイね」
「うるせえ! 手伝うなら、これを手伝え! そっち持て、引っ張ってろ」
「う、うん。あっ!」
舌打ちしないで?! 無理でしょ、ディアンの力で引っ張ったら、僕ごと引っ張られるよ?!
あっちを持ってこっちを押さえて、散々舌打ちされながらも、あっと言う間にテントが出来上がっていく。
「もうできたよ! 完成だね!!」
わあー! なんてディアンの分も喜んで拍手していると、魔物避けを点けろと小袋を投げて寄越された。
灯した魔物避けは、確かここに……。
テント出入口の上、専用フックへ引っかけようと伸びあがっていると、グリポンが手伝ってくれた。
これで、完璧。
「ねえ、あとは?」
「飯でも食って寝てろ」
「えっ? 寝ていいの? 幽霊茸は?」
「まだ早い」
荷物をごそごそしているディアンは、既に石パンを咥えていた。
石パン、そのまま食べるのは初めてだ。
いそいそ取り出したのは、僕の指3本分くらいのスティック状になった、硬い棒。
穀物粉や何やらを固めて乾燥させたオーソドックスな保存食だけど、非常に硬いので、僕はもっぱら水に浸けてから切ってスープに入れていた。
魔物避けの下、ぺたんとお尻を下ろして空を見上げた。
夕焼けから薄闇に変わり始めた空が、グリポンの淡い紫から藍へ、そして色のないグレーに変わっていく。
不思議だね、さっきまでいろんな色をしていたものが、黒へ変わっていく。
光がないと、どうして全部黒に見えるんだろうね。
立ったまま石パンをがりがりやっているディアンを見上げて、くすっと笑った。
「ねえ、今なら僕もディアンみたいな髪色に見える?」
「る……」
思案気に見比べたグリポンが、難しい顔をする。どうやら、見えないらしい。
だけどもう少し暗くなったら、きっと同じだ。
「ディアン、こっちにおいでよ! ほら、クッションもあるよ」
「……なんであるんだ」
そりゃあ、持ってきたから? 呆れ顔をしたディアンが、溜め息を吐きながら隣へ腰かけた。
ガリ、ゴリ、静かな水音をかき消す音が頭の中にわんわん響いて、あんまり場違いでくすくす笑った。
ちら、とこちらを見たディアンが、何も言わずに食べ終わった手を舐める。
「幽霊茸って、僕でも捕まえられるんだよね?」
「……無理じゃね?」
「ええ?! 攻撃してこないんでしょ?! だから僕、この依頼に同行してるんじゃないの?!」
「スライムに負けるとは思わなかったからな」
「負けてないけど!!」
はっ、と鼻で笑われて、悔し紛れに石パンをがしがし噛んだ。
幽霊茸は、深夜に浮遊し始める浮遊植物の一種らしい。それを採って来るのが今回の依頼。
難しくはないのだけど、夜は魔物も活発になるし、野営する以外に方法がないからDランク以上向けの依頼になるんだそう。
つまり、ディアンにとっては朝飯前の依頼で……僕のための依頼ってことだ。
こっそり端正な横顔を眺めて、きゅっと唇を結んだ。
……頑張ろう。
もうすぐ見えるだろう星を待って、僕はもう一度空を見上げた。




