80 冒険者の洗礼
さああ、とやってきた風は、まだ町の匂いがした。
それは僕たちをひと撫でした後、草原の葉っぱを白く光らせて通り過ぎていく。
振り返ると、そこにまだ町はある。だというのに、街道を離れれば、まだいくらも歩かないうちに人の気配なんか消えてしまう。
すん、と軽やかな空気を吸い込んで隣を見上げた。
「ねえディアン、今日の依頼は? どこまで行くの?」
「北の湿地横。幽霊茸採取」
相変わらず、必要最低限にやや足りないくらいしかしゃべってくれないんだから。
「それってどこ? 幽霊茸って何? 選書魔法で――あ、ちょっと待ってて」
ディアンにもらった本があるんだから、調べられるじゃない。
すぐさま屈みこんで、カバンから本を引っ張り出した。
その間に、ディアンの脚がひゅうっと僕の上を通りすぎる。
同時に、鈍い音がした。
「え、魔物?」
「え、じゃねえんだよ。警戒しろ!」
「ごめんね……」
僕、どうしても森で過ごしていた感覚が抜けないのかな。
僕の知っている『外』は、安全だったから。
「ある程度身を守れねえと、こんな生ぬるい平原ばっかじゃねえ」
そうだよね。ディアンの負担になってばかりじゃ、結局怪我をするのは僕じゃなくてディアンの気がする。きっとディアンは、自分よりも僕を守から。
とは言え、僕がディアンみたいに警戒できるまでには、一体どのくらいかかるか分からない。
「解決策を考えよう! 僕は、早く魔法を覚える。だけど、サーチもシールドも、そんな簡単に覚えられないの。だから、どうしようか」
「それは魔道具……てめえ、そんな便利魔法覚えられんのか」
ああ、魔道具ならあるんだね。
疑り深い視線に、にっこり頷いた。
「そうだよ! どっちも古代魔法だから。きっと、古代魔法文字を使える人はまだ、ある程度いるんだろうね。ギルドでも使われているくらいだし」
文字そのものが魔法となる古代魔法文字。
だから、古代魔法を使える人がいなくたって、魔道具へ付与する形で発展したのかな?
でもその場合、文字は書けるけれど全属性の魔力がないから……ああ、そっか! 代わりに全属性分の魔石を使えば、可能かもしれない。
人間って賢いな、なんて感心しながらディアンを見上げた。
「じゃあ、シールドの魔道具がある? それっていくら?」
「高いに決まってんだろ。金貨何枚もすんじゃねえのか、知らねえよ」
「じゃあ……ひとまずは、お金を稼ぐことだね! 僕、シールドの魔道具を買えるように頑張る! 今できなくたって、代替するものがあればいいよね!」
「簡単に言うな」
まあ、それはそう。誰だって、シールドの魔道具があれば安全だもの。みんなが持ってないってことは、そういうことだ。
そこで僕は、あっと声を上げた。
「ねえ、師匠は?! 師匠が使ってる魔道具! あれ、師匠が魔力込めたやつだよ?!」
「だからどうした」
「作れないかな?! シールドの魔道具!」
「はあ? 魔法使いと魔道具師は違うだろが」
でも、収納袋は作っていたもの! 師匠なら、できるかもしれない。
「ちょっと選書魔法使ってもいい? どうやって作るのか調べれば――」
「馬鹿か。所かまわず発動すんな、野営してからにしろ」
「そ、そっか」
完全にディアンに向いている僕の視線とは違って、ディアンの視線は固定されずにふんわり漂っている。
僕と目を合わせないだけじゃないんだろう。きっと、警戒を怠ってないんだ。
幽霊茸について調べようとした本を片手に、ちょっと視線を下げた。
僕は、お荷物だな。
役立たずだなんて言わない。いざと言う時、大砲にはなれるもの。
だけどね、大砲は普段持ち歩かないもの。
「……待っててね。早く魔法を覚えるから」
「別に期待してねー。それよりまともに走れるようになれ」
「まともに走ってるつもりだけど?!」
訓練は、今も続けている。僕、結構走れるようになったと思っているのに。
鼻であしらわれ、期待に沿えていないのだなとちょっとだけ落ち込んだ。
そこの代替は……馬とかそういうものかな? でも乗馬だって結構な技術だよね。
空を飛ぶ魔道具があれば、と思ったものの、僕……乗りこなせるかな。
ふいにガサガサと音がした。
ハッと視線をやったのと、何かが飛び掛かったのが同時。
本能的に、衝撃を逃そうと身を縮めて後ろへ倒れる。
もたり、と思ったよりもソフトな衝撃を太ももに感じた。
何かが、太ももにいる。
目を閉じていたことに気が付いて、顔を庇っていた手を下げ、恐る恐るまぶたを開けた。
「わ、わ、わ?! ディアン、ディアンこれ、これ!!」
重い……。太ももに取りついたそれは、とろりと流れるように腹の方へ。
怖くは、ないかもしれない、けど……。
まじまじと、腹から胸のあたりで薄く広がった液体のようなものを見た。
「これが、スライム……? 思ったより重いし大きい……」
たとえるなら、バケツ一杯の水をゼリーにしたよう。
触れるのかな、と触れてみれば、ふるる、と震えて引っ込んだ。
こんなでも魔物。腐肉なんかを食べるから、取り立てて危ないものでもないはずだけど……。
「あの、これどうしよう。あっ……重い! ダメダメダメ、上に来たら僕起き上がれない!」
じりじり胸上辺りまで来られると、重さに負けて地面に背中がついた。
えいえいと手で叩けば、その部分は嫌がるように引っ込むけれど、他が伸びてくる。ぺちぺち叩き続ける不毛な攻防を繰り返し、段々息が上がって来た。
そうだ、転がって押しつぶすように地面に追いやれば! せーので何とか横を向き、そのままうつ伏せへ――
「うぶっ……?!」
「……ふっ!!」
べたりと地面に身体が押し付けられて、僕は目を瞬いた。
ちくちく頬に刺さる草が痛い。
ずっしりと、肩甲骨辺りに大きな重りがある。
今うつ伏せになろうとした瞬間、スライムがぬるりとわきの下を通って移動したのを感じた。
え……これ、息苦しい。動けない。
突っ張ろうとした手が、全然体を持ち上げられずに震えた。
ゆっくり、重りが上へと移動する。ひやりと、冷たいものが首筋に触れた
こうなってしまえば、怖い! 僕、僕食べられちゃう。
必死に手足をばたつかせて叫んだ。
「ディ、ディアン! ディアン!! 笑ってないで助けて!」
「俺は恰好の獲物に寄って来る、いろんな魔物を討伐するのに忙しい」
ダン、と目と鼻の先に下ろされたディアンのブーツが見えた。はみ出た何かの足が、動きを止めるのも。
ひゅう、と空を切る脚なんだか剣なんだかの音もする。
確かにそう、僕を守ってくれてるんだろう。
でもそれ、この状態を解除してくれたら収まるんだけど!!
「……スライムに食われそうな人間を初めて見た」
珍しいほど、楽しげな声音。
笑ってるでしょう、ディアン。見えないけど! 見えないけど!!
そして、全然僕は楽しくないけど!
結局汗だくになってスライムから抜け出すまで、ディアンはちっとも手を貸してくれなかったのだった。




