8 選書魔法の意義
手元で、ジュッと音がした。
「あっ……」
ぼうっとしていたことに気が付いて、慌てて吹きこぼれそうな火を止める。
小鍋はぐつぐつ煮立って、中の葉っぱが猛烈に踊って目が回りそう。
……僕、まだ大丈夫だと思ったんだけど。これは、あまりよくないかもしれない。
お腹は空きすぎるとぼんやりして、半端に空腹の時よりも楽になる気がする。
「パンは、食べたんだけど……」
パン粥に3つ使って、残り2つ。1つは今日食べて、1つは明日の分。
師匠とディアンの分は大丈夫、まだ干し麦が少しある。
僕は小さいから、これでなんとかなると思ったんだけど……ダメだったかな。
でも師匠なんて、あんな大きいのにほんのちょっとしか食べないもの。
ふわふわする足元を踏みしめ、小鍋の中身を移し替えた。
甘草を煮出したお汁を瓶に入れ、入りきらなかった分をお椀に注ぐ。
甘草は、割とそこらに生えている上に、煮出すととろりとしてほの甘い。僕のおやつに最適な葉っぱだ。
熱々の甘草汁をふうふう冷まして、そっとひとくち。
「うん、おいしい!」
ディアンの分と、僕の分。残った分は、僕のごはん代わりにしよう。師匠は甘草汁が嫌いだし。
甘草汁のおかげでお腹があったかくなって、少し元気が出て来た。
ディアンはあれから定期的に解熱薬を飲むようにして、少し体調がよくなったみたい。師匠の方は何も変わりがないけど、それはそれでいいことだ。
どうしてか、ディアンは僕と話をしなければいけないって思っているらしくて、いっぱいお話ししてくれる。
たびたび、『俺は怒ってねえ』と言うのがおかしくて、くすくす笑っては変な顔をされてしまう。
そんなこと、見ればわかるよ。
彼は、目を合わせて話をする。
大体、師匠が悪者だっていう話なんだけど。
外の『世間』のことを色々話してくれる。
濃い橙の瞳が、じっと僕を見るのがどんなに嬉しいか、ディアンは知らないのだろうか。
僕がお話ししたことに、返事がある。それがどんなに大事なことか、分からないのだろうか。
僕のために、話をしようとする。それが、どんなに――
ねえ、これが、世間では優しくないんだって。
僕にはさっぱりわからない。
間違っているのは、僕?
「僕、色々分からないけど……。でも、ディアンだって一つくらい間違うこと、きっとあるよ! だって僕はいっぱい間違えるもの」
甘草汁の最後の一滴まで飲み干して、にこっと笑う。
口内に残るほのかな甘みと、微かな苦み。
僕は、ふと気が付いた。
「そっか……それとも、どっちも合ってるのかも。『世間』はディアンと師匠は悪者って言うし、僕は優しい人だって言うよ。どっちも合ってるのかも」
分かってしまえば簡単なことだ。甘草汁だって、甘いけど苦い。どっちも嘘じゃなく、本当だもの。
なあんだ、とスッキリした気持ちで踏み台を片付けようとして、ふらりとよろけた。
取り落とした踏み台が転がって、派手な音をたてる。
僕はくらくらする頭を振って、大きな声を上げた。
「わあ、踏み台蹴飛ばしちゃった! でも大丈夫! どこも壊れてな――」
「……うるせぇ!」
響いてきた声に、くすっと笑う。
ねえ、知ってるよ。僕、これが『優しい』だって。
はぁい、と返事をして、そっと小瓶を持って家を出る。
もう一人の優しい人に渡してから、今日はしっかり採取をするんだ。
明日はお届け品が来るから、もう大丈夫。次はお肉料理を持っていってあげられるかも。
外へ出たついでに、お届け先目印を目立つところにくくりつけておいた。
もう目印がなくたって、場所を覚えていると思うけど。いつも届けてくれる大きな鳥の魔物は、使い魔じゃなくて従魔というものだとか。届けてすぐ飛び去ってしまうのが残念だ。
薄曇りの空を見上げ、明日がお天気であることを祈る。
今月こそ、もっと余裕のある配分にしよう。僕、食べ過ぎないように気を引き締めなきゃ。
そう言えば、ディアンは僕の魔法があれば、罠じゃなくても獲物を捕れるって言ってた。
もしそれが本当なら、毎日お肉が食べられるのかも。
そんなこと考えたことなくて、選書魔法で尋ねることもしなかったな。ディアンと話をすると、選書魔法で知りたいこともどんどん増えてくる。
僕一人だったら、選書魔法で聞こうとも思わないことばっかり。ほらね、選書魔法ってこんなに役に立つ。知ろうと思ったことの手がかりが、簡単に手に入るってすごいことだ。
うふふ、と今日選書魔法に聞くべきことをリストアップしながら歩いていて、自然と声に出た。
「僕、実は知りたいこと、いっぱいあったんだねえ。ディアンに会って良かった! もったいないことしちゃう所だった」
楽し気な自分の呟きに、ふと足を止めた。
……あれ?
じゃあ……選書魔法、僕に何の意味があったの?
ずっと、ここで暮らす僕に。
ひとり、ここで過ごすだろう僕に。
――『役立たずの魔法』。ディアンの声が、聞こえる気がした。
早くほのぼのしたい……