7 ペタルグリフ
「――それでね、今日はパン粥にしたんだけど、師匠は好きじゃないから睨まれちゃってね!」
今朝の師匠を思い出し、ふふっと笑ったら、小さな舌打ちが聞こえた気がする。
嬉々として話す僕とは裏腹に、徐々にディアンの目は釣り上がって、随分機嫌が悪そうだ。
残念だけど、おしゃべりはおしまいかな。
「僕、いっぱいしゃべっちゃったね。あんまり楽しくって、つい。ごめんね、ゆっくり休んで」
にこっと笑ってご機嫌にお盆を運ぼうとすると、がしっと腕を掴まれてびっくりした。
「違う、お前に怒ってねえ。てめえの師匠に怒ってんだよ」
「師匠に? どうして?」
ぎらぎらした橙は、こうなるとお日様よりも炎のように見える。
こういうところは、全然似てないなあ、なんて思った。
「お前、騙されてんの分かれよ。 利用されてんだよ、そいつに! とにかく、逃げろ。どうせ病気だ、追ってこられねえんだろ?!」
「え、ええ……?」
思いもよらない言葉に、目を白黒させるしかない。
どこにも心当たりがない。ディアンは師匠を知らないのに、僕の話のどこに、そんな要素があったんだろうか。
「師匠、そんなことしないよ……? 優しいよ? 僕を助けてくれたし。僕、お話の仕方を間違えちゃった?」
「ちげえわ! お前を拾ったのは、自分の世話をさせて、魔法を継がせるためだろうが!」
それは、そうだけど……。でも、それは悪いことなの?
だって僕、何もひどい目に合ってない。毎日ごはんを食べて、自分のお部屋をもって屋根の下で寝て、師匠のそばにいられる。何も、不都合がない。
「選書魔法は、師匠しか使える人がいないんだよ。師匠がいなくなると、なくなっちゃうもの……僕が頑張るのは当たり前じゃない? 古代魔法文字も、知ってる人があんまりいないから、ちゃんと伝えて行かなきゃ……」
「そんなもん、お前に何の関係がある! お前、魔法を使えるっつったよな?! 選書魔法なんて役に立たねえもんより、普通の魔法をやった方がずっといいだろうが!」
僕の目が、まん丸になる。
……びっくり、した。
そんなこと、考えもしなかった。
だって、選書魔法は唯一で。
世界で師匠しか使えない魔法、それを授けてもらえるなんて誉でしかなくて。
そのために、いっぱいいっぱい勉強した。古代魔法文字も基礎魔法も、両方勉強した。すごく大変で、今でも、とても大変だけれど。
だけど、それってとても価値があることだって。そう思ってた。
「……役に、立たないの?」
「本を選ぶ魔法が、何の役に立つ?! 高級官僚にでもなるんならなァ! けどお前、孤児なんだろ? だったら、そんなモンよりフツーの魔法を磨いて――」
噛みつかんばかりの形相だったディアンが、僕の顔を見てハッと口を閉じた。
溜息を吐いて、少し声の調子を落とす。
「……いや、悪い。偉い立場になりゃ、珍しい魔法も役に立つのかもしれねえけどな。でも、それよりお前の才能を磨かねえ方が、よっぽどタチが悪ぃ。一発で魔物を倒せる腕があんのに!」
「あれは……たまたま上手くいったんだよ? 初めてだもの」
「この年で、たまたまで、無詠唱で、あの威力は出ねえ。お前はもう、すげえ価値ある魔法を持ってる」
びっくりして、息を呑んで、何度も瞬いた。
なんだか、頭の中が忙しい。
……すごく、すごく、褒めてもらっている。
思わず『ありがとう』と顔をほころばせると、ディアンがガクリと力を抜いた。
「……お前さ、その師匠と俺が似てるっつったな? 優しいつったな? ちげえよ、世間一般でコレは優しいって言わねえ」
少し言葉を切って、じっと僕の目を見たディアンが、低く続けた。
「俺と似てんなら、そいつは悪いヤツだ」
その瞳が、とびきり師匠と似ていて……。
僕は、ますますわからなくなってしまった。
――カタカタカタ。
静かなキッチンで、小鍋の蓋が小さな音をたてている。
考え込んでいたことに気付いて、そっと蓋を取りかき混ぜた。
『お前が一人で逃げられねえなら、俺が逃がしてやる』
命の礼に、とディアンは言った。
僕、逃げなきゃいけない? 師匠のところから?
師匠は、僕に悪いことをしていたの?
でも僕がいなかったら、師匠はどうするんだろう。
平気かな? ちゃんとごはん食べるんだろうか。
器によそって踏み台を下りたところで、椅子に置いた2冊の本に気が付いた。
「そうだ、これ書庫に返さなきゃ」
選書魔法は選び出した――僕の探していた本が、これだって。
毒消しの作り方と、もうひとつ選ばれた本。
助けてほしいって思ったから。
誰か、僕と一緒に頑張ってほしいって。
師匠とディアンと、具合の悪い二人のお世話……僕ひとりで全部できるかなって。
もしかすると、それらを誰かに話すだけでも良かったのかもしれない。
だから、お手伝いさんや、冒険者パーティの本なんかじゃなかったのかも。
もっと、ずっとそばにいてほしいって思ったから。
一緒に、同じ日を過ごしてほしくて。
だから……この本。そう、つくづくぴったりだ。
抱えた本のタイトルは、『魔法使いの相棒』。
使い魔について書かれた、児童書。いつでも呼び出せて、常に相棒として旅に付きそう、そんな幻獣を紹介するための本。
――使い魔、かあ……。
いつも通り師匠に夕食を渡して、半ば無理やり食べさせながら、ふと棚の一角に目をやった。
細い銀の鎖の先で、お守りのように揺れる、巨大な1枚の羽根。
「ねえ師匠、僕も使い魔を呼べる? 僕、師匠みたいな使い魔がいたら――」
「馬鹿が。できるか」
言い切る前に断定されて、ちょっと唇を尖らせた。
ペタルグリフ。滅多と使い魔にならない、古代魔法文字を操る誇り高き高等幻獣。
グリフォンに近い、猛々しくも美しい姿は、ドラゴンに並んで羨望の的になるのだとか。
師匠の相棒だった、選書の魔法使いに相応しい、唯一の相棒。
こうなってしまって、師匠が一方的に契約を切った使い魔。
その子に騎乗する師匠は、きっと、すごくカッコよかったに違いない。
みんなが、憧れたに違いない。
どうして切っちゃったのかな。相棒だったら、たとえ病気でもそばにいたかったし、いてほしかっただろうに。人が嫌いなら、せめてペタルグリフをそばに置いたらよかったのに。
……知られたくなかったのかな。知らなかったら、ずっと、思い出はそこで止まるから。
僕は、もう一度その大きな羽根を見つめた。