59 狂った魔物
「魔物、が……? うわっ?!」
ビン、と宙を通り過ぎていった音が何か、確認する前に頭を押さえられた。
荒い息のまま、うずくまる頭上を、黒い塊が飛び交っている。
ビィン、ビインンとそばを通るたびにぞわっとする羽音が響いて、それが虫型の魔物だと気が付いた。
ボ、ボッと枝や藪を跳ね飛ばして行き交うそれが、そこら中でぶつかって無残に潰れている。
足元を抜けていったのは、群れになった小型の魔物。めちゃくちゃに木へ駆けあがって、ボタボタ落ちてくる。
なに? どうして?
その無秩序な行動を呆然と眺め、破壊音の津波に耳を塞いだ。
ぐちゃぐちゃだ。
おかしい。森が、変。こんな森、見たことない。
嗅ぎたくない臭いが充満して、胸苦しい。
小さく、小さく身を固くしてうずくまった。この嵐のような『異常』が、早く過ぎ去ってくれることを祈って。
ふいに、ぐっと腕を引かれて耳を塞いだ手が外れた。
「逃げんだよ、丸まってんじゃねえ!」
「る、るっ!」
暗い森の中、ディアンの橙が光る。ふわりと、首元が温かい。
そうか、一人じゃない。守らなくては、この人たちを。
きゅっとまなじりを険しくして、駆けだした。
バキバキ、ゴキリ、バリリ。
すぐ近くで、咀嚼音が聞こえる。濃密な生き物の臭いがする。
音が、臭いがそのまま僕を蝕むようで、吐き気がする。
上から、横から、後ろから、色んなものが襲い掛かって来る。
いや、襲い掛かってきているんだろうか。
飛び掛かって来た魔物が、横合いから別の魔物に掻っ攫われる。
ディアンに蹴り飛ばされた魔物が、今度は激しく木に噛みついている。
ああ、『狂う』ってこういうこと。
焦燥のありありと現れたディアンが、ちら、と足の遅い僕を振り返った。
ダメだ、僕、このままじゃ……。
「ディアン、抱えて!」
「――チッ」
「違う、反対!」
小脇に抱えられて、バタバタ暴れて反対を向く。
進行方向とは逆に。ディアンの、背後を向いて。
「――僕は放つ……風の、連撃!」
「!!」
ハッと視線を下げたディアンを振り仰いで、頷いてみせる。
「使って、僕を! ディアンの武器になるよ! 後ろは、僕が守るから!」
「……助かる」
「僕だって! 行くよ――僕は、放つ! 風の連撃っ!!」
うっすら光を帯びた風の鎌が、僕たちの駆ける後を埋めていく。悲鳴など、方々で響いていて分からない。
ただ、ただ魔法に集中して、絶え間なく魔法を放つことに意識をもっていく。
命中なんて考えなくていい。僕らの後ろに、何もいなければいい。
時折ディアンの身体がぐるっと捻られ、僕の連撃が何かへ直撃する。
ディアンの激しい息遣いと汗を感じながら、僕は、僕にできることをするしかない。
「チッ……さすがに暗ぇ! 明かりはあるか?!」
「あるよ! 光の輪っか!」
連撃を止めると同時に、一気に周囲へ魔力を放つ。
ふわり、柔らかく輝くサークルが僕らを包み込んだ。
「……っ」
浮かび上がる、破壊されつくした森に息を呑む。
ディアンがフッと息を吐いて、何かを切った。
汗みずくになった腕が滑って、僕を抱えなおす。
こんな中に、僕らはいるの……?
「道に見覚えは?!」
「知らない道! まだ、まだ遠いよ!」
舌打ちしたディアンの足が、わずかによろめいた。
瞬間、激しい衝撃とともに大きく吹っ飛ばされる。
衝撃に備えた身体は、派手な音の割に案外なんともなく――
「ディアン?! 僕は癒やす、火の回復!!」
「……規格外」
疲労を癒そうと構えていたのが功を奏した。
間髪入れずにかけた回復で、ディアンが跳ね起きる。
僕たちを弾き飛ばした魔物は、木をなぎ倒した末に泡を吹いて転がっている。
「待って、もう少し回復を重ねるから――」
「無理だっ! 構えろ! 魔法、行け!」
光のサークルを遮った影に、咄嗟に火の矢を放った。
「あっ……?!」
「……クソ。無理か」
どこか悟ったような声。
慌てて放った風も、その硬い鱗に弾かれて消えた。
こんな魔物まで……出てくるの?
堂々たる体躯の巨大な魔物は、爛々と光る眼で尾を振り、周囲の木をへし折った。
「バークドラゴン……?」
「黄色いトカゲの非じゃねえ――ぐっ!」
僕を抱えて飛び退いたディアンを、何かがかすめた。
尾……だろうか。速い……っ。
「邪魔だ!」
放り投げられて、藪の中に突っ込んだ。
慌てて起き上がった時、ディアンは既に左腕が真っ赤だった。
「勝てねえ! 助けを呼んで来い!!」
「でも、それだとっ」
絶対に、結果が見えている選択を、僕はできない。
たとえそこに、僕がおまけに増えるだけだとしても。
「氷なら……いち、に、さんっ!!」
ドッ、とまともに食らった魔物が、一、二歩下がって鬱陶しげに首を振った。
「……ドラゴンだぞ。無理に決まってんだろ。早く行け」
「じゃあディアンが呼びに行ってよ! 剣だってどうせ効かないから! ディアンの方が足が速いんだから!!」
「なっ……」
そう言ってディアンの前へ回り込む。
言ってから、その通りだと納得する。ディアンだけなら、この強敵から逃れられさえすれば、可能性があるじゃない。
「ふざけ――」
ギィン、と硬質な衝撃音と共に、身体がごろごろ転がった。
背後から襲い来た尾を、まともに剣で受けたディアン。
この尾は、ドラゴンのもので。
手足のように使うもので。
つまり、エサをどこかへ弾いて終わるものでもなく。
ひゅっと息を呑んだ。
その口に咥えられているものが何か、気が付いて。
「わ、われ、は、放つ! 水の、槌! 水の槌! 水の――」
無我夢中で鼻先を槌で連打しながら、土のつぶてを混ぜて、地面に伏せる。
目くらましでしかないそれは、想定以上の効果をもたらした。
僕の上を、何度も尾が通り過ぎる音がする。
大きく鳴き声を上げた時、獲物が足元へ落ちた。
「ディアン!!」
水と土を交互に放ちながら、ディアンを引きずって藪の中に隠れる。
こんなことして引き延ばして、何の意味があるかわからないけど、でも!
「……支える礎、土の命。慈母たる大地の恵みを分け与えん――僕は癒やす、土の回復!」
「うっ……」
待って、待ってね。
眉根を寄せるディアンにホッとして、込める魔力を高めた。
回復魔法をかけながら、バッグから回復薬を引っ張りだし、片っ端からかける。
「無駄な……」
うっすら目を開けたディアンが言いたいことがわかって、苦笑する。
しょうがないよ、僕だもの。諦めて。
でも。
あわよくばこのまま、なんてうまくはいかないみたい。
ぐいっと胸倉を掴まれ、地面に潰れた僕から上が、木々ごとバッサリ刈り取られた。
丸見えになった視界の中で、狂気を宿した瞳と目が合う。
まだ、回復も終わっていないのに。
立ち上がって、森の主たるドラゴンを見上げた。
樹皮のような頑丈な鱗。立派なツノと尾。こんな時でなければ、美しいとさえ言える造形の魔物を睨みつける。
もう、ダメだろうか。どうしようもないだろうか。
でも。
だって僕、一人じゃない。
諦められない。
「僕は放つ――っ?!」
無駄かもしれない魔法を放とうとした時、真横でバキリと木が鳴った。
咄嗟に前へ飛び込むように倒れ込み、一撃を躱したことに安堵――
世界が、凍り付いたような気がした。
上げた顔の前に、さっきまでなかったものがあった。
ずらりと並ぶ鋭い歯と、桃色の口腔と。
もう、目を閉じる時間もなかった。
本当にゆっくりだったのか、ゆっくりに見えたのか、分からないけれど。
大きな口腔が、僕を食べやすいように傾いて、僕の右側に上あごが。左側に下あごがきて。
そして、目の前が真っ暗になった。
雄叫びが聞こえる。
魔物の、苛立ちの声が。
「……は、ドラゴンとは」
皮肉げな声に、思わず目の前の身体にしがみついた。
読んでいただきありがとうございます!
ちょっと19時更新しにくいので、次回から21時更新にさせていただきます!




